始業式
キーンコーンカーンコーン…
ガラッ
予鈴が鳴って少し経ってから、担任が教室に入って来た。
“未来の教頭先生”と呼ばれる由来たる中年禿げは健在で、逆に言えばこの夏で後退した気配は無かった。
「お前ら元気だったか? ホームルームを始めるぞー」
「きりーっ。気をつけーっ。礼っ。着せーきっ」
生徒たちが号令に合わせて礼をする。
一見真面目に見えるが、実際はまだ夏休みボケが抜けず、ボーっとしていたり、机の陰でスマホを弄ったり、前後左右の生徒と小声で話したりする者ばかり。
しかし、そこは担任も慣れたもの。
わざとホームルームに遅れて来た彼は、要点だけを伝えた。
「これから体育館で始業式だ。廊下に並べ」
担任が指示すると、生徒たちはゾロゾロと廊下に出る。
既に他のクラスも二列に並び始めていた。
日本では元号が変わってから、男女混合の名前順で並ばせる学校が増えた。
『男女別に並ぶのは差別だ』
――過激な意見が通った結果である。
しかし、日本国憲法は法の下の平等を謳い、性別による差別を否定しているが、決して区別を否定している訳では無い。
全て同等に扱うべきと言うのなら、どうして男子にばかり重い物を運ばせるのか?
男女混合で体育の授業を行って、女子に劣等感を抱かせることに問題は無いのか?
そもそも、生まれで決まる苗字と名前によって、ずっと最後尾に並ぶことを余儀なくされる規則は、本当に平等と言えるのか?
――所詮、いつの時代も、声の大きな愚民は差別と区別を都合よく混同するものなのだ。
月仰高校ではクラス分けの際、選択授業だけではなく、名前と性別も考慮されている。
これはクラス単位で名前順に並んだ時、男子の中に女子が一人でポツン…、或いは女子の中に男子が一人でポツン…、と孤立しないようにするための配慮である。
口差が無い人間がこれを知れば、喜び勇んで批難することだろう。
しかし、公平な振りをして孤立する生徒を出せば、それこそ本当の意味で問題になる。
教育の場は、社会よりも人の目が厳しいのだ。
「はぁ…」
ほぼ最後尾に並んでいる真島範子は、親友も想い人も遠い行列に溜め息を吐いた。
綾波貴巫女は先頭で、須磨楽人は真ん中よりやや前に並んでいる。
彼女はつい数分前まで、丸一日以上ずっと貴巫女と一緒に居たこともあって、いつもより親友との距離が遠くに感じられた。
「…貴巫女っちと須磨っち以外全員休めばいいのに」
範子はボソッと呟いた。
冗談でも死ねと言わないあたりに、範子の育ちの良さ。
(まさか本当に殺ったりしないわよね? …でも私なら信長様に会うためなら赤の他人なんてどうでもいいし…)
数少ない範子より苗字が後ろの武藤早苗は、それを隣で聞くと物騒なことを考えて複雑な表情をした。
好きという感情は往々にして暴走しがちなものなのだ。
先程、彼女が写真一枚に5万円を出そうとしたように。
間も無くして、行列は動き出した。
彼女たちがあまり悶々とした時間を過ごさずに済んだのは、担任がわざと遅れて教室に来て、廊下で待たせる時間を短くした心遣いのお陰だった。
* * *
体育館。
各学年、各クラスごとに二列となって、入場して並んでいく。
その後はお決まりの始業式が始まった。
「ええー、皆さん、お早うございます。暑さが続く中――」
校長先生の話は長い。
その長さは学校を問わないため、手本となる資料の影響だと揶揄されることが多い。
しかしその反面、学校の教育方針や運営方針を伝える義務があることもまた事実。
校長先生の話は高々十数分程度。
普段の授業の3~4分の一に過ぎない。
それを長く感じるのは、話し手のプレゼンテーション能力と、聞き手の心構えに過ぎない。
「――【リアライザー】が隣人となって早二ヶ月、色々ありました――」
だから大半の生徒が興味のある話なら、長いとは感じないのだ。
「――御存知の方も多いと思いますが、登校では【リアライザー】の編入を始めました」
どよ、どよ…
生徒たちに動揺が走り、体育館中がざわめいた。
確かに校長の言う通り、大半の生徒たちはネットやテレビで、【リアライザー】が学校へ行けるようになったことを見聞きしている。
しかし、それは受動的なものだ。
『絶対数の少ない【リアライザー】が自分の学校に通う』という事態は現実味が無く、能動的に学校のウェブサイトを調べた生徒は少なかった。
「――詳しくはウェブサイトに載せている通りです――」
校長が話を省略すると、始業式の最中だと言うのに、スマホを取り出して調べ出す生徒で溢れ返る。
普通なら教頭の注意が入るところだが、校長は気にせずに話を続けた。
「――また、オタク同好会の【リアライザー】交流会ですが、殆どの生徒が一巡したこともあり、学業への影響を鑑みて、月に一度のイベントに変更致します」
どよ、どよ…
スマホを弄る生徒たちの手が止まり、再び体育館中がどよめいた。
元々、ユントロとの交流会は一学期だけの予定だったので、それでも良しと考えた生徒が半分、頻度の少なさに不満を感じて不平不満を漏らす生徒が半分といったところだった。
「――それでは、【共生者】の音無先生からのお話です」
ざわっ
三度、体育館内に動揺が走った。
音無静香が【共生者】だと知らなかった大半の生徒は、我が耳を疑った。
同好会員でも無い楽人、範子、貴巫女が平然としていたが、それに気付く余裕のある生徒も居ない。
ごく一部、予想していた生徒も居るには居たが、その彼らも、本当だと知って驚きは隠せなかった。
「――ご紹介に預かりました、生物の音無です」
壇上に上がった静香が頭を下げた。
「――御存知の方もいらしたかと思いますが、私がユントロの【共生者】です。今までは安全のために名前を伏せさせて頂いておりましたが、先日、【超生物保護法】が施行され、戸籍も無事登録が済みましたので、この場を借りて公表させて頂きました」
どよ、どよ…
「――皆さんの驚きも無理はありません。ユントロを可愛がりたい気持ちも分かります。しかし、皆さんの本分は学業であり、私の本分は指導です。そこを履き違えてはいけません」
体育館が静まり返る。
生徒たちも皆分かってはいるのだ。
「――交流会は毎月、第四土曜日を予定しております。
学校から追って連絡があると思いますので、皆さん振るって御参加ください」
静香は話し終えると頭を下げる。
パチパチ…
壇上の教頭が拍手をし、
パチパチパチパチ…
教師の列からも拍手が鳴り、
パチパチパチパチパチパチパチパチーーーーーッ
生徒たちも拍手を始め、体育館内は割れんばかりの拍手に包まれた。
当事者の静香が説明したことと、堅物で有名な教頭が拍手をしたことで、生徒たちの気持ちもスッキリしたのだ。
盛大な拍手の中、静香はもう一度小さく頭を下げて、壇上から降りて教師の列に戻った。
(堂々としてるなぁ……いや、あれが普通なのか)
静香は檀上から降りた後も、背筋を伸ばして堂々としている。
楽人はその姿を見て少し驚いていた。
元々、彼が彼女に持っていたイメージは、
『眼鏡を掛けた、落ち着きのある堅物の女教師』
…だった。
しかし、ここ最近、彼女の色々な面を見る機会があって、彼女が意外と感情豊かなことに気付いた。
その結果、彼女への評価は、
『優しくて綺麗だけど、時々変になる、俺なんかに好意を持っている変人』
…に変わった。
尚、同じく彼に好意を持つ範子の評価は、
『気配りは意外と出来るけど、基本考え無しのギャルで、俺なんかに好意を持っている変人』
自己評価の低さが、変な形で発揮された結果である。
「――皆さん。音無先生は【共生者】であることを公表致しましたが、それは皆さんを信じてのことです。彼女たちへの詰問や情報の拡散など、迷惑を掛けるような振る舞いは慎んで下さい」
檀上では教頭が、校長と静香の話を締めに入っていた。
「私は、誇りある我が校の生徒たる皆さんが、人類と【リアライザー】の未来を穢すような恥ずべき人間では無いと信じています」
それは浮かれる生徒たちを戒める言葉だった。
体育館内が再び静まり返る。
その後、夏休み中の部活動などが発表された。
月仰高校はスポーツ強豪校では無いので、夏のインターハイでの目立った成果は無かった。
逆に目立った事故や事件も無く、クールダウンしたまま始業式は幕を閉じるのだった…。
* * *
始業式の後、教室に戻ってホームルームが行われた。
担任から詰まらない話があり、夏休みの課題が回収されていく。
「真島が課題を全てやってきた…だと……?!」
堂々と課題を提出する範子を見て、昨年の担任から話を聞いていた担任は驚愕した。
「嘘よっ!」
「そんな馬鹿なっ?!」
「私たちののりっちを返せっ! この偽物っ!」
「宿題を忘れて一緒に叱られようって約束したじゃないっ!?」
「…明日から当分傘が居るな…」
範子の去年の同級生たちも、動揺を隠しきれなかった。
勿論、怒られる約束なんてものは誰もしていない。
(…去年はそこまで酷かったのか。綾波さんが嬉しそうな顔をするはずだ)
貴巫女は詰まらなそうな表情をしていたが、口の端が数ミリ上がっている。
「あーしがその気になればこんなもんよ☆」
範子は両手を腰に当て、トップアンダー比2年B組最高を誇る胸を張った。
プチッ
「え?」
範子が間抜けな声を漏らす。
彼女のYシャツのボタンが一つ、内側からの強い圧力に負けて、糸が千切れて弾けた。
ボタンは前の席に座る男子の背中に当たって上空に跳ね上がると、綺麗な弧を描いて範子の机の上に落ちた。
「ひゃっ?!」
彼女は短い悲鳴を上げて、慌てて両腕で胸を隠した。
暑くて胸元を空けることはあるが、自分で開けておくこととは訳が違う。
大半の生徒は事態を把握できなかった。
直ぐに気付いたのは、正面の教卓に立つ担任と、弾けたボタンが当たったので振り返った前の席の男子だけ。
「貴巫女っち~…」
範子が胸を隠したまま貴巫女を振り返って助けを求めた。
「はぁ…」
貴巫女が胡乱な目で溜め息を吐く。
彼女は席を立って範子の所へ行くと、その肩を抱いて、机の上のボタンを拾って、
「保健室行ってきます」
と言って教室を出て行った。
授業中なので、教室は多少ざわついただけだった。
大半の男子は範子の胸に興味津々で、彼女たちを視線で追ったけれど、女子の前で同級生の胸の話をすれば、今後の高校生活を棒に振ることになりかねないので、口にするのは我慢した。
二年生の二学期と言えば、修学旅行。
月仰高校は、その前にもう直ぐ文化祭。
この時期に悪評が立つのは命取りなのだ。
その代わりに、スマホでこっそり、学校裏サイトに女子禁制の新しいお題を立てた。
女子も意中の男子から変に思われたくないのは同じこと。
表向きは胸の内に燃え盛る嫉妬の炎を隠し、裏サイトで男子禁制のお題を立てた。
(裏サイト早っ……大体予想通りのことしか書いてないな)
楽人も机の下でスマホから裏サイトを確認した。
「おっぱい」
「見えたのか?」
「いや、振り向く前に手で押さえてたぞ」
「でかい(確信)」
「またデカくなったのか?」
「今いくつだよ」
「D? E?」
「信長より小さい」
「あれと比較するのは止めて差し上げろ」
「あれはいいモノだ」
「須磨が大きくしたのか。許せん」
「同意」
「同意」
「同意」
(…冤罪だ。俺は揉んでない)
楽人は揉めば大きくなるという都市伝説には半信半疑だった。
それと言うのも、サーニャの胸はこの二ヶ月で1ミリしか大きくなっていないからだ。
人間換算の設定年齢的には、一応まだ成長期なので、普通に成長した可能性もあるし、何より人一倍食べているので太った可能性も高い。
母親が言うには、『胸の周りのリンパや血行の流れを良くすれば、二十代でも大きくなる』らしいので、本当の原因は不明だった。
「絞めるか」
「止めとけ。あいつ警察に知り合いいるぞ」
「マジかよ…」
「それにお前より強いぞ」
「俺が誰だかわかって言ってんの?」
「一樹」
「………」
この手の軽口は、裏サイトでは日常茶飯事。
絞めるとか過激な発言もあったが、誰も本気にしていない。
楽人も“眼鏡オタク”のフォローに感謝はしていたが同様だった…。
なんで真面目な話がおっぱいになったんだろう…?




