ランチ:注文
から~ん、ころ~ん
ドアが開くと、小気味良い鈴の音が店内に響き渡った。
カラオケボックスのドアベルに比べると、手作り感のある金属音。
店内に入ると、ピアノジャズが流れていた。
伝統音楽を感じさせる、緩やかで自己主張の控えめな曲調が、客の食事する音を掻き消している。
店の内装や雰囲気は高級レストランと違い、庶民的な少し洒落たカフェといった感じだった。
隣家との距離が近いせいか、窓は入り口の壁にしか無い。
店内の広さはカフェと大差がなく、左手にボックス席4つ、右手にカウンター席が並んでいて、その手前にレジはあるが、待合席のようなものは無い。
その代わりに入り口の直ぐ左手、ボックス席の手前の壁に3人の先客が並んでいた。
「いらっしゃませー。何名様ですか?」
カウンターから、地味なエプロンを付けたウェイトレスが出てくると、貴巫女たちを出迎えた。
「4名です。ボックス席でお願いします」
「4名様、ボックス席をご希望ですね。席が空くまでお待ちください」
ウェイトレスが戻って行くと、貴巫女が待合場所の先客たちに軽く会釈をして、連れと一緒に並んだ。
サーニャが鍔広帽子を脱ぐと、白と黒に分かれた髪が露わになり、彼らの方を向いていた先客や店内の客が目を奪われた。
(やっぱり目立つよな)
彼らに悪意は感じられなかったが、楽人が視線を巡らせると、彼らはそっと目を背けて、自分たちの食事や会話に戻った。
数分後、先客たちが席に案内され、更に数分後、楽人たちも席に案内された。
「意外と早くて、うれしみ☆」
「穴場でしょ」
「確かにな」
初めて来た店なのに訳知り顔の貴巫女に、楽人が相槌を打つ。
平日とは言え、まだ夏休み中。
学生が残り僅かな夏休みの、最後の思い出作りを求めて街へ繰り出す中、ランチタイムにあまり混んでいない雰囲気の良い御店。
これを穴場と言わずして何を穴場と言うのか。
無論、これにはそれ相応の理由がある。
高級レストランのようなドレスコードこそ無いものの、店内は喫煙も撮影も電話も禁止。
スマホを出しているだけで注意をされる。
李下に冠を正さずである。
もし電話が鳴った場合、お手洗いでのみ電話が許されている。
しかも、店を構えているのは、表通りから外れた場所。
そのため、口コミは店のルールへの批判が多い反面、純粋に食事を楽しみたい客からの評価は非常に高く、知る人ぞ知る隠れた名店となっていた。
「こちらになります」
ウェイトレスに案内されると、楽人たちはボックス席に座った。
貴巫女が後にしようと通路を空けると、サーニャが楽人の腕を引いて座ったので、彼女の対面に座り、最後に範子がその隣に座った。
窓は入り口だけでボックス席の間には壁があるので、外の景色は見えない反面、外を気にせずに、ゆっくり寛げる空間となっている。
「ご注文が決まりましたら、お呼びください」
ウェイトレスが頭を下げて去って行った。
範子が真っ先にメニューへ手を伸ばし、テーブルの上に広げる。
古き良き時代を感じさせる店内の雰囲気に反して、メニューにはカラフルな写真が並び、日本語で料理名と簡単な説明が書かれていた。
「意外と普通?」
範子がコクンッ、と小首を傾げる。
同じ仕草でも、物腰の柔らかいサーニャとでは、角度と勢いが若奥様と若者くらい違った。
…精神年齢は甲乙付け難いが。
「何を期待してたんだ、お前は…」
楽人は呆れて肩を落としながら、テーブルの奥に調味料と並ぶ、小さな木製のスタンドを見た。
スタンドには《本日のおすすめメニュー》と書かれた紙が貼られていて、下の方に《喫煙・撮影・電話禁止》と書かれている。
「赤とか緑とか黄色とか華やかです~♪」
サーニャの意識は、店の趣向より写真の中の料理に釘付けだった。
メニューに載っている写真はどれも色鮮やかで、計算された配置もあって、メリハリの利いたある種芸術品のようにも見える。
例えば、とあるパスタ。
トマトと挽き肉の赤いミートソースが、これでもかと絡められたパスタと、卵とチーズベースのクリーム色のカルボナーラが、一つの皿に載っている。
例えば、とあるピッツァ。
家族で食べることを想定したピザ専門店とは違って、載っている具材は均等では無く、野菜の緑が目立つ所、トマトとベーコンの赤が目立つ所、玉葱とジャガイモの白が目立つ所、三色の入り混じった所に分かれている。
例えば、とあるサラダ。
小皿の上で円を描くように、一口サイズのブロッコリー、薄くスライスされて波打つ人参、同じく薄くスライスされた蕪、細く切られた黄色いパプリカ、紫から緑への色味が強いサニーレタスが並べられていて、中央にはスライスした後で四つ切りにされた扇形のパンが添えられていた。
メニューには他にも多数の料理が載っているが、コース料理のような少量で一品の料理や、少量の料理を一皿に並べた料理は無い。
これは店主が一人で作り、手頃な価格で、より多くのお客様に提供するために選んだ選択だった。
勿論、店主はコース料理なども作れるが、それらは忙しいランチやディナータイムでの提供はされず、定休日など営業時間外に、特別な相手にだけ振る舞われる。
「パスタとかピッツァとか、名前自体は普段目にするものなのに、丸っきり別物だな。流石は専門店」
楽人はサーニャに言われてメニューを見て、写真に目を奪われた。
プロが撮った写真だけあって、SNSに上がってる写真とは一味違う。
「確かにこれはガチでエモい…」
範子もメニューを選ぼうと写真を見比べ、そのセンスに見惚れた。
「写真撮るなよ」
楽人が卓上スタンドの注意書きを指差して指摘する。
「?! 撮らないってば! 須磨っちあーしを何だと思ってるの?」
範子が慌てて手を振る。
「…試着のままSNS用の写真撮影」
グサッ
「うにゃっ!」
楽人がボソッと呟くと、範子が胸を抑えて仰け反った。
かつて、彼女は店内撮影禁止を無視して、コネクト用に試着した写真を撮りまくり、アパレルショップを出禁になったという黒歴史がある。
「何の話ですか、ガクト?」
サーニャが可愛く小首を傾げて、隣の楽人に尋ねる。
「な、なんでもないってサーニャんっ! それより料理選ぼっ? ねっ?」
範子はテーブルに手を突いて身を乗り出し、必死に話題を逸らす。
「? そうですね♪」
サーニャは不思議そうな顔をしたけれど、直ぐにそれを忘れて、再びメニューと睨めっこを始めた。
メニューは飲み物を除いて30品目程度。
サーニャと範子は、10ページに満たないメニューを何度も見返して唸った。
「う~ん…」
彼女たちが三度メニューの先頭に戻った時、楽人が提案した。
「サーニャ、好きに選んでいいぞ。俺が奢るから値段は気にしなくていい」
「え? いいのガクト?」
「ああ。カラオケの分、浮いたからな」
サーニャが悩んでいた理由は、量ではなく値段。
彼女は好きな物は出されれば幾らでも食べるけれど、全くと言って良いほど太らないので、本人も楽人も全く気にしていない。
例えば先日の手巻き寿司も、彼女の前に四人前の具を置いておいたら一人で食べ尽くす。
そして翌日の朝食では、何事も無かったかのように普通に食べるのだ。
それに比べると彼女の小遣いは有限だ。
義母から楽人と同額の小遣いを貰っていて、戸籍登録後は銀行口座を作って、スマホPayの設定をしている。
一人で出掛けることがなく、物欲の薄い彼女は殆どお金を使っていない。
とは言え、アルバイトもしていない彼女にとって、高校生の三か月分の小遣いが彼女の全財産。
良心的で手頃な価格の“喜びに至る道”と言っても、彼女が興味を惹かれた料理を全部頼めるはずも無かった。
「須磨っち太っ腹☆ ゴチになりますっ☆」
「範子…」
貴巫女は範子に呆れた視線を向けたが、当の範子はそれに気付かなかった。
別に、範子に集り癖がある訳では無く、いつものその場のノリに過ぎない。
そんな性格だから、相手が金欠を臭わせると奢ることも多く、半月前までヒモの元彼ピに貢いでいたほどだった。
(多分、例の件で金欠なんだろうなぁ…)
楽人は大まかな経緯しか知らないが、実際は相当貢いでいた。
範子の小遣いは月に3万円。
親が金持ちにしては少ないけれど、これが娘を駄目人間にしたくない母親と、その尻に敷かれる娘に駄々甘の父親との妥協点。
彼女は彼ピと付き合っていた二ヶ月で、小遣いだけでなく、少ない貯金も殆ど使い果たした。
その後、水着を新調したりなんだとあったので、今日の予算もギリギリだった。
「いいよ。ここの支払いは俺が持つ」
「須磨君、本当に良いの?」
軽く言う楽人に、貴巫女は心配そうに眉を顰めた。
「あざーっす☆」
範子は半分冗談のつもりだったので、目を輝かせて飛び上がらんばかりに喜んだけれど、テーブルが邪魔で対面の楽人には飛び付けなかった。
楽人は立ち損なった彼女に指を突き付けて忠告する。
「但し、常識的に考えて注文しろよ」
「常識! あーしの苦手分野!」
範子は頭を抱えて、笑いながら首を左右に振る。
隣の貴巫女は当たらないように壁の方へ逃げた。
「あははは♪ わたしも気を付けます♪」
範子の乱入に様子を伺っていたサーニャは、楽人の優しさが嬉しくて微笑む。
「サーニャん、違う物頼んでシェアしよっか☆」
「いいですね♪」
範子の提案にサーニャが乗り、二人でメニューを見たり、顔を合わせて話し合ったりして、楽しそうに料理を選び始めた。
「綾波さんは混ざらないのか?」
「…後でいいわ」
楽人が話を振ると、貴巫女は肩を竦めた。
範子ほど体力の無い彼女は、いつも通り適当に手を抜いた。
範子にしても親友の貴巫女がそうだから、何事にも全力なサーニャと話すのは、いつもと違った感じで楽しんでいる。
「そう言えば、何でこの店にしたんだ?」
「彼女がゆっくり出来る店にしようと思ったの」
貴巫女は顔を楽人の方へ向けたまま、視線だけをサーニャに向けた。
「それに、どうせなら喜ばせたいじゃない?」
今度は親友に視線を向けた。
「なるほど。(だから彼女らしくもなく、初めてのこの店を選んだのか)」
学生でも行きやすいファストフードでも無ければ、無難なファミレスでも無く、学生の小遣いでも楽しめる、けれど人目を気にしなくて良い店。
それは親友の息抜きだけでなく、新しい友人への配慮もあっての選択だった。
「次の機会も任せていいか?」
「…期待に応えられなくても知らないわよ」
楽人が気安く今後の話を振ると、貴巫女は珍獣でも見るような目で遇った。
「その時はそれも話の種にすればいい」
「…性格悪いわね」
「知ってる」
一瞬の間をおいて、二人は同時に噴き出した。
「ふふっ」
「ははっ」
突然笑い出した二人に、サーニャと範子は何事かと驚いた。
「注文は決まったか?」
「はいっ♪ 後は楽人たちだけですよ?」
楽人が尋ねると、サーニャは花が咲くような笑顔で問い返した。
「じゃあ、もうウェイトレスさんを呼ぶぞ」
楽人がウェイトレスを探すと、店内全体を見ている彼女が目に入った。
彼が通路側の手を軽く挙げると、彼女は軽く頷いて、グラスに水を注いでトレイに乗せ、広くない通路を客に気を配りつつ注文を取りに来た。
ウェイトレスは水の入ったグラスを上座から置いていった。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
ウェイトレスはエプロンのポケットから、昔ながらの黒いバインダーに挟まったオーダー伝票を取り出した。
先にサーニャと範子が、交互に幾つかの注文をする。
続いて、楽人と貴巫女も、彼女たちがメニューを一周する間に決めておいた料理と飲み物を注文。
「――ご注文を繰り返します」
四人で十品を超える注文だったが、ウェイトレスは淀みなくスラスラと復唱した。
「……のサラダ。以上で宜しいでしょうか?」
楽人たちはお互いの顔を見て間違いないか確認すると、楽人が代表して「大丈夫です」と答えた。
「お飲み物は直ぐにお持ちしましょうか?」
楽人が、ランチタイムなので料理に時間が掛かりそうだと思って「先で」と言うと、サーニャたちもそれに倣った。
「ご注文、ありがとうございました」
ウェイトレスは頭を下げると、オーダー伝票から注文用の複写を抜いてバインダーをテーブルに伏せ、軽やかなステップで料理の受け渡し場所へと戻って行った。
…それから彼女が飲み物を持って来たのは72秒後のことである。
早いよウェイトレスちゃん!




