空腹
「ありがとうございました。またのご利用お待ちしております」
カラーンコローンッ
楽人たちは店員の声とドアベルを背に、カラオケふくだぬきを後にした。
「本当に無料だったな」
楽人がカウンターで清算を済ませようとしたところ、一切代金を請求されなかった。
「何かわるいですねえ…」
サーニャは楽人の左腕に抱き付きながら、申し訳無さそうに眉尻を下げる。
「気にすることないってサーニャん。貴巫女っちが気付かなかったら、あーしたち恥ずかしい写真撮られてたんよ」
楽人の右腕に抱き付いている範子が、左手を伸ばしてサーニャの背中を叩く。
丁度、ストールの下の小さな羽を叩く形となってしまい、範子は咄嗟に謝った。
「あっ、ごめん」
「ううん、大丈夫です」
サーニャは笑顔で痛くないことをアピールしたが、口調にはまだ元気が無い。
見兼ねた楽人が彼女に優しく話しかけた。
「サーニャ」
「なんですか、ガクト?」
サーニャは俯きがちだった顔を上げて、楽人の顔を見上げた。
「サーニャなら、悪いことをしたらどうする?」
「? わたしなら謝ります」
「そうだな。でもあの店員は仕事が忙しくて謝りに来れないんだ。だからその代わりに、俺たちのカラオケ代を支払ってくれたんだよ」
それは悪さがバレた男が賠償させられることの、婉曲的な表現。
嘘ではないが真実とも言い難い、サーニャを思う楽人の優しい嘘。
「そういうことなんですね♪」
「そういうことなんだよ」
サーニャは胸のつかえが取れて、漸くいつもの明るさを取り戻した。
「そろそろ着くわよ」
先頭を一人歩いていた貴巫女が、タイミングを見て振り返り声を掛ける。
「やっと? あーしもうお腹ぺっこぺこだよ~」
範子が片手をお腹に当てて空腹をアピールする。
「わたしも安心したらお腹が空きました♪」
サーニャも楽人の腕に体重を掛けて寄りかかりながら同意する。
貴巫女に案内されて、表通りを離れて奥まった道を通り抜けた先で、小洒落た小さな料理屋の建物が見えた。
入り口の上に下がっている、細めの暖簾には店名が書いてある。
《La strada porta piacere》
「よ、読めません~…」
サーニャが涙目になって楽人に泣き付いた。
「ラ、ストラダ、ポルタ、ピアセレ? Laって書いてあるからイタリア語だと思うけど…」
楽人も拙い知識で何とか読もうとしたが、怪しい発音だった。
「コネる…違う…違う…違う…違う…キャパい、ググろう…」
範子はいつも通りスマホでSNS検索を始めたけれど、無関係な写真やポエムばかり出て来たので、諦めて普通のネット検索に切り替えた。
そもそも、感覚的な評価が強みのSNSで単語を調べるのが不適材不適所である。
「“ラ・ストラーダ・ポルタ・ピアチェーレ”……直訳すると、“喜びに至る道”ってところかしら?」
だから、適切な検索をした貴巫女が先に答えに辿り着いた。
「貴巫女っち、知ってたなら言ってよ~」
「ごめんなさい、範子。私も今ググったとこ…」
貴巫女は申し訳無さそうに謝った。
カラオケを延長するか未定だったので、彼女も候補を軽く調べただけだったのだ。
「何だか、お腹いっぱいになれそうな名前ですね♪」
サーニャは楽人の左腕を抱いたまま、両手で自分のお腹を抑えた。
くぅ~…
本当に小さい、音ですらない僅かな振動が、彼女の腕を伝って楽人にも感じられた。
その振動は彼の右腕に抱き付いている範子にすら届いていない。
「あ~、なんか店名見てたらお腹空いてきた。早く入ろう」
楽人は両手をお腹に当てて大袈裟に擦ってみせた。
「やっぱ須磨っちもだったんだ☆」
「一緒です♪」
貴巫女はクスクスと笑い、振り返ってドアを引いて開けた。
“喜びに至る道”へのドアを。




