ギャルと課題
「貴巫女っち助けて~~~っ」
お盆も終わり、夏休みも残り僅かとなったある日。
綾波貴巫女が呼び鈴を聞いて玄関に出ると、親友の真島範子が涙目で彼女に抱き付いてきた。
範子の年齢不相応に大きな胸が、貴巫女の年齢不相応に薄い胸で、蒸したての肉まんのように潰れた。
到着前にも泣いたのか、その目元は既に赤くなっている。
「今日はどうしたの?」
貴巫女は範子の背中を叩きながら、事情を尋ねた。
範子が貴巫女に泣き付くのはいつものことだ。
家が神社の彼女は、親の影響で悩み相談に抵抗が無く、それが範子と仲良くなった理由でもあり、経験豊富な理由でもあった。
今日の範子は、肩もお腹も出るチューブトップを着て、下着の紐が見えるローライズのミニスカートを穿いていた。
全身綺麗な小麦色に日焼けしているが、トップレスで焼くのを忘れて、肩紐の跡が白く残っている。
肩から下げているのは、少し大きめの柄物のトートバッグ。
荷物が多そうなこと以外、いつもと大差は無い。
(また男に騙された…という訳では無さそうね。範子は二股できるほど器用では無いし)
範子が楽人に気があることは相談されていた。
と言うよりも一方的に惚気られていた。
『須磨っちが勉強教えてくれた』
『須磨っちにジュースごちになった』
『須磨っちのお土産美味しかった』
二股男と別れる前は無邪気に喜ぶだけだったが、
『須磨っちがあーしのためにうちに乗り込んで来た』
『須磨っちに海に誘われた』
その後は完全に惚気だった。
彼氏の浮気に関しては範子に一切の非が無く、浮気が発覚して別れてから楽人に惚れるような子だ。
恋愛に関しては大半の男女より誠実かもしれない。
しかし、貴巫女が海で見た楽人とサーニャは、控えめに言ってもバカップルにしか見えなかった。
(音無先生も須磨君に好き好き光線出してたけど、分が悪過ぎ)
経験豊富な貴巫女から見れば、楽人も二股が出来るような器用なタイプには見えない。
範子にも、音無先生にも、芽があるようには見えなかった。
そんな親友の内心を知らない範子は、彼女に抱き付いたまま涙の理由を告げた。
「――貴巫女っち……夏休みの宿題手伝って」
と。
貴巫女は範子の背中を叩く手を止めた。
「私、去年言ったわよね? 次は無いって」
ギクッ
範子は恐る恐る、貴巫女の背中に回していた手を解くと、一歩下がって彼女の顔を見る。
貴巫女は慈母の如く穏やかな表情を浮かべて、範子を見返してきた。
…目は笑っていない。
「ひぃっ!」
範子は思わず悲鳴を上げた。
「海に行く前にも確認したわよね? 課題は終わってるのかって?」
ビクッ
範子が更に一歩後ずさる。
「その時は何だったっけ? 『貴巫っちは心配性』? 『課題なんて余裕』? 『海は待ってくれない』?」
貴巫女が範子の言葉を一つ一つ挙げる度に、彼女の顔色が青褪めていく。
下手な言い訳をしないところは彼女の美徳だろう。
「それで、何か言うことは?」
「ゴメンナサイ…」
範子は諤々震えながら、目を逸らさずに謝った。
「よろしい」
貴巫女が許すと、範子は再び彼女に抱き付いて泣き始めた。
「ウワアアアァァァァァァンっ! 貴巫女っち~~~~~っ!」
「はぁあ……よしよし」
貴巫女は自分の甘さに呆れながら、今度も範子の背中を叩いてやった。
(私の夏休みは今年もこれで終わるのね)
それで済むと思っている辺り、まだまだ見通しが甘かったと、彼女は後に後悔することになるのだった…。
* * *
「それで、課題はどれくらい残ってるの?」
貴巫女の部屋。
家が神社なこともあって、畳と障子の純和室である。
壁に並んでいる箪笥や本棚、机と椅子も、木目の目立つ純和風の造りをしていた。
箪笥の上のガラスケースには、動物の小さなぬいぐるみたちが仲良く並んでいる。
そんな部屋で、貴巫女と範子は唯一和風を感じさせない内装、和室には似つかわしくない、小洒落た小さめの丸テーブルを囲んで座っていた。
貴巫女が小遣いを溜めて買った物である。
別にアルバイトを禁止されている訳では無いが、部屋には親に金の出所を疑われるような物は置いていない。
スッ
範子は怖ず怖ずと、夏休みの課題のプリントを差し出した。
貴巫女はプリントを受け取ると、パラパラと捲って中身を確認した。
各教科のプリントは、最初の方は飛び飛びに回答が書かれていたが、途中から全くの手付かず。
特に数学は途中の計算式が無く、適当な整数が書かれているだけ。
原稿用紙も真っ白で、自由課題らしき物も見当たらなかった。
(予想はしてたけど…)
貴巫女は呆れ返って、片手で目を覆って天井を仰ぎ見た。
範子は座布団の上にちょこんと正座をして、親友の反応を待つ。
暫くすると、貴巫女は範子に向き直って尋ねた。
「範子、最近読んだ本はある? 夏休み前でもいいわ」
「あるよっ☆ 『野生のエロスが現れた』でしょ、『先生は友達が少ない』でしょ、『サバイブダンジョン』でしょ…」
範子は最近読んだライトノベルの表紙を思い浮かべながら、人差し指を振って作品名を並べ始めた。
どれも結構な長編である。
「じゃあ読書感想文はそれにしなさい」
「――でしょ……えっ?」
気持ち良くライトノベルを数えていた範子の手が止まる。
「それってどれ?」
「どれでもいいわ。…そうね、一番私に話したいと思ったものにしなさい」
貴巫女は5枚の原稿用紙を範子に差し出した。
課題として指定された読書感想文のノルマは、原稿用紙4~5枚。
「おけい☆」
範子は原稿用紙を受け取ると、真剣な顔で読書感想文を書き始めた。
彼女は馬鹿だが、好きなことに対する記憶力は悪くない。
ライトノベルの内容を思い出してニヤついたり、沈んだり、怒ったりと、表情をコロコロ変えながら書き続けた。
* * *
「できたーっ☆ミ」
三時間後。
範子は拙いながらも、読書感想文を書き終えた。
既に読書済みで、本の内容を確認する必要も無かったことは大きい。
「それじゃあ、お昼にしましょうか」
見計らったかのように、貴巫女がお盆に乗った昼食を持って来た。
範子が真面目に読書感想文を書いていたので、その間に作って来たのだ。
「やばっ! 貴巫女っちのごはんっ♪」
範子が目を輝かせて大喜びをした。
今日は急だったので、有り合わせの冷やし中華。
具材は細く切られたキュウリ、ハム、卵焼きに、薄くスライスしたトマト、茹でたモヤシ。
範子の皿には、横に紅ショウガも載っていた。
「「いただきます」」
二人は手を合わせて食べ始める。
「うっま!」
只の冷やし中華だったが、範子の好みに合わせた味付けのお陰で、彼女の反応は上々だった。
「やっぱ貴巫女っちの料理しか勝たん。毎日でも食べたい」
「あら、ありがとう…(…課題が終わるまで毎日になると思うけどね)」
貴巫女は言葉の後半を麺と一緒に飲み込んだ。
態々始める前からモチベーションを削ぐほど、彼女は優しくないのだ。
「それで、御両親はなんて言ってたの?」
ズルズルズルッ、ゴクンッ
範子は食べ掛けの麺と具を一気に飲み込んでから答えた。
「っん。ママから宿題が終わるまで、須磨っちに会うの禁止された」
「範子の扱いをよく分かってるわね」
範子は今年の夏休み、前半は補習と塾に失恋、その後も友達と海、家業の関係で避けられないお盆、とイベント盛り沢山だった。
しかし、それは課題に手を付けなかった言い訳にはならない。
世の中、夏休み中ずっと塾通いの高校生も多い中、お盆以外は自分で蒔いた種の範子に、情状酌量の余地は無い。
「もぐもぐ……ど?」
「範子が可愛いってことよ(性格がね)」
「むへひひ☆」
「分かったから、食べながら話さない」
「ふぁ~い☆」
口いっぱい頬張りがちな、今日は長い髪をツインテールにしている、胸いっぱいに夢を詰め込んでいる範子。
少しずつ効率よく食べる、麺を食べるのでショートボブをゴムで後ろに留めている、平らな胸に希望を捨てきれない貴巫女。
性格も何もかもが違う二人は、それでも出会い、仲良くなった。
だからその時の彼女たちは、どんな困難も二人なら乗り越えられると、そう信じていた…。
* * *
「もーっ、むーりーっ!」
昼食を食べ終わって3時間。
範子は音を上げた。
彼女の前には小さな小洒落たテーブル……の上に載ったプリントが5枚。
夏休みの課題、その一部である。
その内の3枚目の途中まで、ギャルらしく丸みを帯びた、可愛らしい文字で回答が記入されていた。
最初の方は一字一句丁寧に可愛く記入されていたが、途中から段々と歪み始め、今、音を上げる直前に記入した文字は、既に文字の体を成していない。
「今日はここまでにしましょう」
「…ぴえん」
貴巫女に終了の許可を得て、範子はテーブルに突っ伏した。
(思ったより進まなかったわね。でもまだ許容範囲内)
本来、夏休みの課題は、決して多いものではない。
毎日2~3時間も勉強すれば、遅い人でも夏休みの前半には終わり、早い人なら読書感想文や自由課題まで終わる量。
これは学校側が、お盆前に終わるようにと配慮しているからだ。
実際、貴巫女は範子と遊びながらでも、最初の二週間で全部終わっていた。
それに対して、範子は未だ課題の大半を残している。
単純計算で後50時間以上を必要とする量だが、夏休みは残り一週間。
一日7時間というのは、授業と予習と復習を合わせた程度なので、普段からやっている高校生なら苦にならない。
しかし、普段やっていない者にとっては絶望的な時間でもある。
ニートに「明日から7時間労働ね」と言っても、一週間も続けられるはずも無いのだ。
そこで貴巫女は、スケジュールを立てた。
一日目の今日は、読書感想文と午後のプリント3時間。
明日からは徐々に量を増やしていき、課題が半分を過ぎたところで休みを挟む。
貴巫女自身は教えるだけに留まらず、合間を見て買い出しを行い、昼食や間食を作って差し入れもする。
範子の性格を把握した、的確なマネージメントである。
今直ぐにでも、範子の専属秘書が務まるだろう。
これも高校一年の夏休み、冬休みの経験があればこそ。
勿論、範子はその二回とも課題を放置していて、新学期に間に合わなくて、学校が始まってからやるハメになったのだ。
今回は業を煮やした彼女の母親に叱られて、いつもより早く貴巫女に泣き付いたことで、今までより時間に余裕がある。
(…まだ間に合うはず)
貴巫女には、範子に答えを写させるという選択肢は無かった。
面倒でもしっかり付き合うあたり、彼女はギャルで不純異性交遊の常習犯で反応が時々冷たくても、根っこところでは友達想いなのだ…。
――八日後の朝。
「お、終わった…?」
貴巫女が呆然と呟いた。
「つらみがエグくてマジきゃぱ…」
奇跡を起こした範子が、胡坐のまま後ろに倒れた。
結局、課題は予定通り消化できず、夏休み最終日に貴巫女の家に泊まり込んで、徹夜で課題を仕上げることになったのだ。
その後、二人は熱いシャワーを浴びて、制服に――範子も前日持ち込んだ――着替えて、始業式に登校するのだった…。
夏休みの宿題は計画的に!




