音無先生の切ない夜
ピロンッ
音無静香が借りているマンションの一室。
食事を終え、リビングで座椅子に寄りかかって膝の上にユントロ乗せ、ぬいぐるみに囲まれながら、趣味のアニメを消化していたところ、スマホが何かを着信した。
「あら? こんな時間に珍しいわね。教頭先生かしら?」
静香は友達が少ない。
冗談抜きで、笑えないほどに少ない。
原因は学生時代にオタクを隠していたことだ。
趣味を悟られまいと隠していたので、友人関係が上辺だけのものとなってしまい、教師に就職した今では滅多に電話も掛かって来ない。
ぼっちと言っても過言では無いだろう。
その上、家族との仲も疎遠で、ユントロのことも迷った挙句、未だ打ち明けていない。
そのため、最も連絡のある可能性が高いのは学校関係だった。
「例の編入の話かしら…」
三日前、月仰高校では、全ての教職員が集められて、緊急会議が行われた。
と言っても、その内容は決定事項の通達のようなものだった。
『【超生物保護法】の改定で、【リアライザー】に就学の権利が与えられたから、当校でもそれに倣って【リアライザー】の受け入れを始める』
彼女を含め、大半の教職員は寝耳に水。
プライドの高い英語の女教師、美鷹先生は見栄を張って堂々としていて、静香は素直に感動した。
【リアライザー】の受け入れを積極的に反対する者は無く、教頭が質問や異論への回答を用意済みだったこともあり、会議はとんとん拍子に進み、翌日にはホームページの更新もされた。
その手際の良さから、校長と教頭が前々から準備を進めていたのは、誰の目にも明らかである。
「えっ?!」
音無静香は、通知内容を確認しようと、テーブルの上のスマホを手に取って見て驚いた。
「須磨君っ!?」
コネクトには確かに須磨楽人のアイコンで、
『今、電話かけても大丈夫ですか?』
とコメントされている。
「なんで? どうして?」
楽人から連絡が来た喜びと、それに対する疑問で静香は混乱した。
彼とはお盆前に海へ行って以来、会っていないし、電話もしていない。
良識的な彼女は、教師と生徒という関係を忘れず、個人的な用事で電話を掛けたりして事案になることを避けていた。
しかし、海では告白こそしなかったものの、気持ちは伝わっているはずという、確かな手応えがあった。
彼に抱き付いたり、オイルを塗って貰ったりしたのだ。
これで気付かなければ嘘である。
恋愛経験の無い、オタクの彼女にだってそれくらいは分かった。
だからこそあの日、海から帰った彼女はマンションで独り、悶々として自慰に耽ったのである…。
「私の気持ちが届いた? ううん、多分もう気付いてるからそれは違う。じゃあ恋の相談? 違う、それならあの頼りになりそうなお母様に相談するはず。お母様に相談できないこと……もしかしてサーニャちゃんと何か? 駄目! 駄目よ静香! そんな他人の不幸を期待しちゃっ! 落ち着くのよ! こういう時は深呼吸よ! スー、ハ―、スー、ハ―…」
あれから12日。
「学校があれば毎日でも顔を見られるのに」と、何かの間違いで夏休みが早期終了することを願いながら、日々を過ごしているところに、彼から連絡が来たのだ。
感情と妄想が暴走するのは必然だった。
スー、ハ―、スー、ハー…
「…うん。電話をしよう」
一分以上深呼吸して、漸く落ち着いた彼女は、意を決して震える手で電話を掛けた。
トゥルルルッ、トゥルルルッ…ガチャッ
『はい、須磨です』
ドキンッ
彼女の心臓が跳ね上がった。
聞き慣れるというほど聞いた声では無い。
続けて聞くにしても二日か三日。
最初に聞いてから二年足らず。
それでも、もう一生忘れることは無いと言い切れる、待ち焦がれた声がして、彼女の心臓は高鳴った。
「こ、こんばんは、須磨君。音無です」
彼女は心音を抑えるように、月仰高校教職員随一を誇る豊かな胸に手を置いて話した。
『音無先生、夜分遅く済みません』
「ううん、いいの…」
彼女は彼の気遣いに胸の内が温かくなり、その言葉を噛み締めるように返事をした。
「それで今日はどうしたのかしら? 私に何でも言ってちょうだい」
少しでも会話を続けたくて、自然に口調がゆっくりになる。
『実は、サーニャの……【リアライザー】の編入試験について相談したくて電話しました』
「………」
静香は固まった。
(…知ってた! 愛の告白なはずないわよね! 大切な話なら電話じゃなくて直接言ってくれるはずだもんっ!)
涙目で必死に自分を慰める。
ポワンッ
彼女の頭の中で煙が弾けて、天使静香ちゃんが現れた。
≪これはチャンスよ。ここで役に立って、頼れる女だってことをアピールするのよ≫
ポワワンッ
≪なるほど~。ついでにライバルに貸しを作って身を引かせるわけね。かしこ~い≫
天使あるところ悪魔あり。
悪魔静香ちゃんも現れて、尻尾で突きながら天使静香ちゃんに同意する。
≪人聞きの悪いことを言わないで。点数は稼げるところで稼いでおこうって話よ≫
≪それって何が違うの?≫
≪陰口を叩く男性と結婚したい?≫
≪おお~っ≫
パチパチパチパチ
悪魔静香ちゃんが感動して拍手を送り、天使静香ちゃんが腰に手を当てて、小さくても大きな胸を張って誇らしげな顔をした。
『音無先生?』
「…あっ、うん、何でもないわ。続けてちょうだい」
返事が無いので心配した楽人の声を聞いて、静香は正気に戻り、頭の中の天使静香ちゃんと悪魔静香は煙のように消えた。
『サーニャがうちの高校の編入試験を受けたいと言って…』
近所の学校への編入希望。
サーニャが【リアライザー】であると言う一点を除けば、よくある話だった。
しかし、静香は普通の一教師に過ぎない。
編入した生徒を見たことはあっても、自分が相談されたのはこれが初めて。
「私も詳しくは知らないのだけど…」
彼女はユントロを膝の上から降ろして立ち上がった。
リビングの隅に行って座り込み、そこにあった鞄から紙束を取り出した。
その表紙には『【リアライザー】の受け入れに関して(関係者外秘)』と書かれている。
「試験そのものは【リアライザー】も普通の人と同じね」
彼女は紙束を捲りながら、楽人に説明を始めた。
「大体は学校のホームページに載っている通りだけど、一応復唱すると…」
彼女は編入試験での【リアライザー】と一般人との相違点を上げていった。
義務教育に相当する学歴の不問、保護者として【共生者】の同伴、書類への原作名と概要の記載など、楽人が学校のホームページで確認したものと同じ内容だった。
「ここからはホームページには載っていないのだけれど…」
そう断ると、彼女は少し声を潜めた。
「試験は極秘に行われるわ」
『極秘?』
「ええ、極秘。【リアライザー】が試験を受けると知られてしまったら、必ず野次馬が現れるわ。そのせいで本来の実力を計れないのは困る、ということらしいの」
『なるほど…』
テスト中に騒がないことが常識なのは、自分が受ける場合の話。
生徒に自制心を期待するより、最初から隠し通す方が現実的という判断だった。
「あと、これは学校側の話なのだけれど、【リアライザー】の情報は全て個人情報として厳しく管理されるから、その点は心配しなくていいわ」
『しっかり考えているんですね』
「教頭先生と真島先生のお陰ね。彼らは本当に、【リアライザー】のことも、学校のことも、よく考えてくれているもの」
これらの情報がホームページに記載されていないのは、正しく【リアライザー】を守るためであり、学校の信頼を損なわないためであった。
そのため、例え【リアライザー】や【共生者】から問い合わせがあっても、本物と判明するまで口外禁止とまで厳命されている。
『流石、うちの二大巨頭ですね』
「うふふ、そうね」
“校内で頼りになる人間”を尋ねれば、大半の教師や生徒が、その二人か生徒会長の名前を挙げる。
『そう言えば、もう編入の申し込みってあるんですか?』
「今日の時点ではまだ居なかったはずだわ。須磨君さえ良ければ、私の方から話を通しておきましょうか?」
静香が紙束を捲って確認すると、教師が申し込みを仲介する場合についても記載されていた。
蛍光ペンで線が引かれ、『個人情報の漏洩に注意』と彼女の文字で注意書きが書き加えられている。
『う~ん…誰に何を報告することになるんですか?』
静香は同じページを見ながら答えた。
「話が広まらないように、教頭先生へ直接報告することになっているわ。報告内容は当人の名前と作品名、保護者の連絡先となっているわね」
『なるほど。それでしたらお願いします。ちょっと待って下さい…』
「ええ」
楽人が頼んで数十秒後、
ピロンッ
静香のスマホから着信音が鳴った。
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サーニャ
ミレニアム戦記
https://www.millenniumwarsmythology.co.jp/
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彼女がコネクトを確認すると、万が一を考慮して、本当に必要最低限の情報だけが載っていた。
「確認したわ。今日はもう遅いし、教頭先生には明日報告しておくわね」
『はい、お願いします。今日は本当にありがとうございました』
「どういたしまして。力になれたようで良かったわ」
『それでは失礼します。…おやすみ』
「?! おやすみなさい…」
ガチャッ
彼女が返事をすると、電話は相手側から切れた。
「…須磨君におやすみって言われた…」
静香はそう呟くと、スマホを愛しそうに両手で胸元に持った。
楽人からすれば、それは深い意味なんて無い自然に出た言葉。
海で距離が近くなったから気安く言えただけのこと。
しかし、彼女にしてみれば、それは特別なことだった。
彼女とて、誰一人「おやすみなさい」を言う相手が居ない訳では無い。
でもそれは事務的な挨拶か、言葉は通じても言葉は話せない【リアライザー】のユントロくらいのもの。
好きな相手に言われるなんて、人生初めてのことだった。
心が温かいもので満たされた彼女は、空気を読んで視界の片隅で黙っているユントロを拾い上げると、力いっぱい抱き締めた。
「ウユ…」
ユントロは顔色を動物系マスコットらしい白から青紫に変えながらも、空気を読んで悲鳴を我慢した。
――数分後、静香はいつもより随分早く布団に入り、切ない声で身悶えするのだった…。
音漏れの心配は無いはず




