手巻き寿司
いつもより少し遅い夕食。
父親から早く帰ると連絡があり、須磨家では父親を待って、一家揃って夕飯を食べることになった。
本日の夕食は手巻き寿司。
テーブルの上には、酢飯の入ったおひつ、海苔の載った皿の他、具材の載った皿が所狭しと並べられていた。
細く切られたキュウリ、ほうれん草の入った出汁巻き卵、マグロ、サーモン、イカ、エビ、ホタテ、納豆、レタス、カイワレ、イクラ、とびっこ、カニカマ、シーチキン。
各自の手元には醤油の入った小皿に、お茶の入った湯呑。
それに加えて、父親の前には麒麟の描かれた缶ビールが一本。
「サーニャちゃんが楽人の学校に編入か。俺は応援くらいしか出来ないけど、頑張れよ」
父親の視線は、サーニャに向かう時と手元に戻る時、刺身の載った皿を経由した。
「はいっ♪」
ぱくっ
サーニャは元気よく返事をすると、手の中に残っていた手巻き寿司の根元を口に入れた。
根元なので殆ど具は入っておらず、とびっこが少し見え隠れしている程度。
ぷしゅっ
父親は缶ビールのプルタブを開け、
ゴクゴクッ
「ぷはぁーーーっ」
中身を一気に半分ほど飲み干すと、気持ちよさそうに大きく息を吐き出す。
「あら? お父さんにしか出来ないこともありますよ」
母親は目敏く、父親の視線から食べたい物を予想して作った、サーモンとレタスの手巻き寿司を手渡す。
「ありがとう母さん。それで俺にしか出来ないことって?」
がぶりっ
父親は缶ビールをテーブルに置いて、手巻き寿司を受け取ると、豪快に醤油皿に付けて口に運んだ。
母親はテーブルに両肘を突いて、握り拳の上に顎を乗せて微笑んだ。
「しっかり稼いでね、ア・ナ・タ♡」
「あっ…はい……」
父親の顔から表情が抜け落ち、食べる手が止まった。
じーーーっ
サーニャの熱い視線が、向かいに座る母親に注がれる。
父親は何か言ってくれるのか、或いは追い打ちを掛けられるのかと思ったが違った。
母親は手元のおひつを、そっとサーニャの方に押した。
「ありがとうございます、お義母様♪」
「どういたしまして」
サーニャは良い笑顔で礼を言うと、新しい海苔を手の平に乗せ、おひつから杓文字で酢飯を盛り、細く切られた具材を楽しそうに載せ始めた。
瑞々しいキュウリ、ほうれん草の入った出汁巻き卵、マグロの刺身、カイワレ、最後に少しイクラを載せて丸める。
卵焼きは今朝彼女が焼いた朝食の残りで、細く切っても少し形が崩れていた。
ちょんっ
手巻き寿司の食み出た具の先を、小皿に入った醤油に付けて、
かぷっ
小さな口を大きく開けてかぶりついた。
もっきゅ、もっきゅ
頬を膨らませながら幸せそうに咀嚼する。
既に一人だけ三本目である。
具材が盛り沢山ということは、色々な組み合わせが楽しめるということ。
彼女にとって、手巻き寿司はバイキング以上の御馳走だった。
何故そんな豪勢な夕食になっているかと言えば、面倒事――花畑家の問題――が片付いたので、そのお祝いである。
母親は最初、親友の美那子も呼ぼうかと考えたけれど、夕食のためだけに呼ぶには遠いので断念した。
むしゃむしゃ、ごくんっ
「まあ時間が無いから厳しいと思うけどね」
楽人は手元の手巻き寿司を食べ切ると、無理矢理話を続けた。
「そうなのか?」
「ロシア語の検定を受けてって言われたら、父さんなら何カ月かかる?」
「なるほど…」
単純比較は出来ないが、高校一年の英語は英語検定の準2級くらいに当たる。
父親はロシア語を全く話せないので、何となくその難しさを理解した。
スッ
「はいっ、ガクト♪」
サーニャは話し出した楽人を見て、食べ掛けの手巻き寿司を小皿の脇に置いて、両手でおひつを彼の方に差し出した。
「ありがとう、サーニャ」
「どういたしまして♪」
サーニャは笑顔で応えると、食べ掛けの手巻き寿司を再び食べ始めた。
楽人はもう話は終わったとばかりに、新しい手巻き寿司を作る。
エビ、ホタテ、カニカマ、シーチキンを挟んでマヨネーズを混ぜた贅沢盛りである。
欲張り過ぎて三角形にできず、手巻き寿司と言うよりも巻き寿司のような円柱状になってしまった。
「あっ!」
それを見たサーニャが声を上げる。
がぶりっ
楽人は口を大きく開けて齧り付いた。
傍から見ると、丸っきり恵方巻きである。
むっしゃ、むっしゃ
「うぅ~~~、わたしもしますぅーっ」
サーニャは美味しそうに食べる楽人を見て羨ましくなり、食べ掛けの手巻き寿司を一気に食べて、具材全盛りの手巻き寿司を作った。
具材が多過ぎて、カットされた海苔一枚では巻き切れていない。
彼女の手首よりも太くなったそれは、名実ともに巻き寿司と呼べる代物だった。
「あ~~~んっ」
サーニャは極太巻き寿司に齧り付いたが、彼女の小さい口には入り切らなかった。
「んぁっ? …あんぐっ……ほがほが………んくっ…………ほむっ…………………はむ……もぐもぐ……」
彼女は散々悪戦苦闘した末、丸ごと齧り付くことは諦めて、端の方から斜めに噛み付いて食べ始めた。
楽人も対抗するように、一回り細い巻き寿司もどきを食べる。
ぬっ
「はい、アナタ」
息子たちを微笑ましそうに見ていた父親に、母親が横から太巻きを差し出した。
サーニャの巻き寿司に匹敵する、全盛り極太巻き寿司だった。
「おっ、おぅ…」
父親は頬を引き攣らせながら受け取って、男の意地で何とか真っ直ぐ咥えて嚙み切った。
彼ら三人が巻き寿司に悪戦苦闘している傍らで、母親は好物のホタテを巻いた手巻き寿司の四本目に手を付けるのだった…。
母は策士!




