ゴロゴロ法改定
第七章開始です。
ガチャンッ
「はぁー…」
須磨家、楽人の部屋。
机の椅子に座っている部屋の主は、渡良瀬警部との電話を切ると、スマホを机の上に置いて溜め息を吐いた。
「どうだったの、ガクト?」
横に立って電話を静かに見守っていたサーニャが尋ねた。
「例の微巳さん、誹謗中傷が元で警察に捕まったってさ」
楽人は両手を上げて呆れてみせた。
「あはっ。当たり前ですよねえ~…」
サーニャも小さく溜め息を吐いて呆れた。
中世風ファンタジーの“ミレニアム戦記”に、公平な人権なんてものは無い。
しかし、権力社会が明確だからこそ、権力者を誹謗中傷すればあっさり処罰される。
だから人権に疎いサーニャも、微巳の逮捕された理由に納得した。
ジーーーーっ
楽人は徐にリュックのファスナーを開けると、三方向に穴の開いた大きな黒いビニール袋を取り出した。
祖父母の家で、サーニャと一緒に作った物だ。
「あっ!」
サーニャが猫じゃらしを見せられた猫のように目を輝かせた。
楽人は椅子から立ち上がって、服の上から黒いビニール袋を着込むと、デニムが痛むのも気にせず、絨毯の上で転がり始めた。
ゴーロゴーロ、ゴーロゴーロ…
「あぁんっ! ズルいですぅっ! わたしもしたいですぅっ!」
サーニャは握り拳を振って、楽しみの共有を要求した。
ゴーロゴーロ、ゴーロゴーロ…
「サーニャは持って帰らなかったのか?」
「お義祖母様に取り上げられました…」
サーニャが消え入るように答えた。
楽人がマッドマンたちと花畑家に行っている間、彼女は心配で居ても立っても居られなくなって、客間で黒いビニール袋を被って転がっていたところを、義祖母に見つかって叱られたのだ。
当然、未使用の黒いビニール袋も隠されてしまい、作り直すことも出来なかった。
ゴーロゴーロ、ゴーロゴロンッ
「…やはり違うな」
楽人は回転運動を止めて起き上がると、黒いビニール袋を脱いで、サーニャに手渡した。
「わ~い! ありがとう、ガクト♪」
彼女は喜び勇んで服の上から黒いビニール袋を被った。
スカートの裾を腰の近くで縛って、膝丈のビニールに収めてスカートの安全を確保すると、先程の楽人と同じように絨毯の上を転がり始めた。
ゴロゴロゴロゴロ…
勢い良く転がり出したと思われたサーニャは、直ぐに止まった。
ゴーロゴーロ、ゴーロゴーロ…
また止まった。
ゴロンッ、ゴロンッ、ゴロンッ…
サーニャは三度止まると、起き上がって座ったまま黒いビニール袋を脱いだ。
ビニールと一緒にシャツが捲れて、地味な白いブラジャーの下半分が露わになったけれど、シャツの裾が重力に負けて直ぐに隠してしまった。
「やっぱり畳が一番ですね」
サーニャは黒いビニール袋を綺麗に折り畳むと、楽人に手渡した。
「そうだな。来年の楽しみに取っておこう」
楽人はゴロゴロの専門家に同意すると、受け取った黒いビニール袋を元のリュックに戻した。
机の上のスマホを、シャツの胸ポケットに入れようとして、手が止まった。
「そう言えば、保護法の改定は見たか?」
「何かあったんですか?」
サーニャが小首を傾げる。
楽人はスマホのお気に入りから政府の【リアライザー】関連に飛び、【超生物保護法】のページを開いてサーニャに手渡した。
「これだよ」
サーニャはスマホを受け取ると、ベッドに座り込んでウェブサイトを熟読し始めた。
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20XX年8月21日更新
教育三法に【リアライザー】の条項を追加いたしました。
20XX年8月21日更新
【超生物保護法】に【教育関連】の条項を追加いたしました。
――――――――――――――――――――
更新は三日前。
【超生物保護法】の公布から丁度一カ月の節目に、教育関連の法律が追加された。
楽人は【共生者】としての審査を通っているので、改定当日に政府からメールが届いていたので、直ぐに確認をした。
サーニャに通知が来なかったのは、連絡先を登録していなかったからである。
――【超生物保護法・教育関連】、それは【リアライザー】と教育に関する法律の改定だった。
その内容は大きく分けて三つ。
まず一つ目は、教育の機会。
教育基本法に則って、学校教育法の改正と合わせて【リアライザー】が教育を受けられるになった。
次に二つ目は、公平性。
地方教育行政組織法や教育職員免許法に、【リアライザー】と人間の間の不公平を認めないことが明記された。
そして三つ目は、特記事項。
どれほど公平を謳っても、赤子の時から人間社会に居る人間と、突然人間社会に現れた【リアライザー】では、生まれ育った環境が違い過ぎる。
それを補うために、細々とした特記事項が追加された。
高等学校の例で言うと、編入に必要な《義務教育9年の履修済み相当の学力》は特記事項で免除される。
これは【リアライザー】の設定上の学歴を、客観的に公平に検討することが極めて困難なためだった。
しかし、公平性から編入試験は行われる。
就業より教育関係が先になったのは、【リアライザー】と人間の相互理解と、【リアライザー】が人間社会に馴染むことを優先している結果。
生活が困難な【リアライザー】に対しては、政府が保護をしていて、世間でも、『日本は【リアライザー】が最も過ごしやすい国』と呼ばれている。
(あっ)
サーニャはウェブサイトを熟読するのに忙しく、スカートを解き忘れている。
ベッドに座っているので、椅子に座っている楽人からは下着が丸見えだった。
今日はブラジャーとセットの、飾り気の無い白いパンツ。
サーニャの胸は大きい。
果物で例えるとメロンに近い。
しかもフィクションの美少女体型なのでアンダーも細め。
衣類は大きなサイズほど、種類も生産数も絞られて単価も高くなってしまう。
そのため、夏用の機能を兼ね備えたブラジャーに可愛さを求めることは難しく、今日の下着は地味な物だった。
(偶にはこういうのも良いな)
楽人がチラリズムを満喫している間にも、サーニャはウェブサイトを読み進め、次第に目が輝いていった。
そして読み終えた彼女は言った。
「これってガクトと学校に行けるっことですよね♪」
「いや、無理」
「ガーーーーーンッ!」
サーニャはショックを受けて、目を見開いて顎を落とした。
「なんでですかっ?!」
サーニャは涙目で、両手をベッドに付いて前のめりになりながら楽人に問い詰めた。
「うちの高校の編入……試験は10月だからだよ」
今は8月下旬なので、試験まで一か月くらいしか無い。
「わたし、自分で言うのもなんですけど、頭いいですよ?」
サーニャは不思議そうに小首を傾げた。
「知ってる」
「じゃあなんで…」
「いや、だってサーニャは……地球の勉強を知らないだろ?」
――免除されるのは、飽くまでも義務教育9年間分の学力。
学校の学力に合わせた編入試験自体が、それを前提とした内容であることに変わりは無い。
そこに求められるのは、頭の良さではなくて理解に至る過程……即ち、時間である。
そもそも、彼女は“ミレニアム戦記”において、最高の魔族の称号に相応しいトップクラスの頭脳……と言う設定ではあるが、作中の中身が伴っていない。
学力で例えると、学歴は東大卒業なのに就職したら派遣社員以下みたいなものだ。
そんなフィクションの天才らしい、肩書だけの彼女が、一か月やそこらで編入できるのなら、誰も苦労はしないだろう。
「…そんなこと! やってみなくちゃわからないじゃないですかっ!」
サーニャは完全に泣きながら訴えた。
(そんなに一緒に学校へ行きたいと思っていたのか…)
「分かったよ」
「え?」
サーニャは驚いて目を瞬かせた。
「俺もサーニャの勉強に付き合うよ」
「ほんと?」
「俺がサーニャに嘘を吐いたことがあるか?」
「う~~~ん……ないっ!」
サーニャは少し唸った後、元気よく信頼の眼差しで答えた。
「じゃあ、母さんと相談するか。それと音無先生にも相談した方が良いかな?」
チクリッ
音無先生の名前を出た瞬間、サーニャが固まった。
(なんだろう、この胸のモヤモヤ…)
サーニャは胸を抑えて眉根を寄せた。
「どうしたサーニャ?!」
楽人は彼女の珍しい反応に慌てた。
「…うっ、うぅん。何でもない♪ あの綺麗な人だよね?」
サーニャは笑顔を取り繕って話題を逸らそうとした。
「綺麗?」
しかし、楽人は音無静香に対して真面目な先生という印象が強過ぎて、綺麗という単語と直ぐに繋がらなかった。
「えっ?! 違うの!? 一緒に海に行った、眼鏡を掛けてた、わたしくらいおっぱいの大きい人じゃなくて!?」
サーニャは自分が間違えて名前を憶えていたのかと思って、慌てて自分の知っている静香の特徴を並べた。
「あ、うん、合ってる。でもそんなに綺麗ってイメージは無いなぁ…」
楽人が本気で理解できないという表情で首を傾げた。
「えええぇーーーーーっ?!」
サーニャは楽人の感性に呆れ果てた。
彼女は【リアライズ】して以来、【リアライザー】以外で、静香以上の美人を直接見た覚えが無かった。
小学生アイドル南条きらりは、可愛い部類なので外すとしても、街中や海ですれ違った誰よりも、音無先生の方が美人だと思っていた。
彼女はネットサーフィンが日課なので、現代地球人の美的感覚が理解できていないという訳でも無い。
…しかし、次の楽人の言葉で問題は解決した。
「サーニャくらい可愛くないと、俺にとっては誤差かな?」
「キャーーーッ♡」
サーニャは嬉し過ぎて、いつもの倍くらい黄色い悲鳴を上げて、ベッドから立ち上がり、椅子に座る楽人に抱き着いた。
そう、楽人は綺麗な女性だと思うことはあっても、彼の中に美しい女性というカテゴリーそのものが無いのだ!
サーニャが海以来感じていたライバル意識は、一瞬にして消え去ったのだった…。
楽人ですから(他人と比較してはいけません)




