生物教師:思いの在り処
「ペットが盗まれました」
警察署の一階、総合窓口で楽人が要件を伝えた。
いきなり【リアライザー】と口にしなかったのは、嫌な顔をされるのが目に見えていたから。
それでも窓口の警察官の反応はよろしくない。
控えめに言って面倒臭そう。
それもそのはず。
警察は基本的に、ペットを積極的に探すことは無い。
ペットは法律上「物」として扱われ、業務的には遺失物届を書いて見つかったら連絡をする程度。
これは別に、ペットを軽視している訳では無く、労働力に余裕が無いだけである。
だから本気でペットを探す気のある人は、警察、保健所、動物愛護センターなどへの報告とは別に、専門知識を持つペット探偵を雇う。
それでも警察に八つ当たりをする飼い主は後を絶たないのだから、彼らの態度も仕方の無いことだった。
「強盗、殺害の予告をされて襲われました。証拠もあります」
楽人が事件性を伝えると、担当警察官の表情が更に胡乱なものになった。
端的に言って、「いきなり何を言っているんだこいつ」という顔である。
「こちらです」
楽人がスマホを取り出してブログを見せると、警察官の顔が神妙なものになった。
よく言えば真剣な顔、悪く言えば面倒臭くなったという顔。
「それでは被害届を作りま……」
「直ぐに捜して下さい!」
「いいえ、決まりですのでまずは……」
飽くまで事務的に対応しようとする警察官に、楽人は詰め寄って大声で叫んだ。
「【リアライザー】なんです!」
周囲が静まり返った。
周りの視線が彼らに集まっていく。
運良くと言うべきか、当然と言うべきか、今は署内に一般市民の姿は無かった。
目の前にスマホがあるのに、態々警察署まで来る人間は少ない。
「ちょっと良いかね?」
窓口の奥から、別の年輩の警察官が姿を現した。
中年の温和な表情に対してその眼光は鋭く、着ている制服は手入れが良く行き届いている反面、新品とは違う年期が滲み出ていた。
「渡良瀬警部!」
応対をしていた警察官が彼に敬礼をする。
警部と呼ばれた男は、敬礼に片手で答えてから、楽人たちに尋ねた。
「詳しく聞かせて貰えるかね?」
(掛かった! ここからが本番だ)
楽人は心の中でガッツポーズをした。
彼と静香が、ユントロの攫われた経緯を説明すると、渡良瀬警部は、その言葉に一つ一つ鷹揚に頷いて見せた。
「それで、どうして欲しいんだね?」
「ユントロを……私の【リアライザー】を取り返して欲しいです」
静香は受付に手を乗せて身を乗り出し、切実に訴える。
「ふむ……。気持ちは分かるが警察も忙しいのだ。物事には順番というものがある。分かるかね?」
渡良瀬警部は、遠回しに時間が掛かると言った。
彼の言い分は正しい。
特に身代金目当てでは無く、誘拐対象そのものが目当ての場合、人手や時間を掛けても事件が解決するとは限らない。
「ですけど、ブログの経営者に情報開示の請求をすれば、犯人は直ぐに分かりますよね? 後回しにすれば逃げられる可能性が高くなります」
楽人は慣れない敬語に苦戦しながら反論した。
「しかしなあ……。話を聞く限り、ユントロとやらは結構知能が高い。動物と同じ窃盗罪になるのか、人間のような拉致や誘拐が適用されるのか。はてさて、困ったものだ……」
渡良瀬警部は、のらりくらりと躱す。
事態の行く末を見守っていた周囲の警察官たちは、同意して頷いたり、勝ち誇ってほくそ笑んだり、冷静に楽人たちの反応を待ったりした。
渡良瀬警部の部下は、ここには居ない。
もし居れば、彼らの態度に業を煮やしただろう。
「警察が動かないなら仕方ありません。先生、新聞社に行きましょう」
「?!」
楽人が隣の静香に話を振ると、彼女は目を丸くして驚き、彼と渡良瀬警部の間で視線を彷徨わせた。
「ほぅ……。行ってどうするのかね?」
渡良瀬警部は目を細めて、興味深そうに尋ねた。
「ネタを提供します。今からなら今日の夕刊には載ります。ネットでも拡散します。今話題の【リアライザー】の誘拐事件ですからね、直ぐに情報が集まりますよ」
楽人は渡良瀬警部を振り返って答えた。
彼の言葉に裏付けは無い。
しかし、昼前に証拠込みで持ち込まれた、話題性のある事件を夕刊に載せられないようでは、新聞屋は務まらない。
ネットにしても同じこと。
流行にアンテナを高くしているのは、何も本職の業者だけではないのだ。
「確かに情報は集まりそうだが、それで本当に良いのかね?」
渡良瀬警部は顎を擦りながら、含みのある言い方をした。
――メディアを利用すると言うことは、自ら晒し者になることに等しい。
世間には顔や実名を公開しなくても、業界には知れ渡る。
心無い人の口は、枯れ葉よりも軽い。
それはネット利用者にしても同じこと。
ユントロが見つかるか否かに関わらず、静香の私生活が壊されることは、誰の目にも明らかと言えた。
静香や警察官たちも、渡良瀬警部と同じ考えだった。
……しかし、そうはならない。
何故なら、
「そうですね。困りますよね……警察が」
楽人のその言葉の意味を、渡良瀬警部も、静香も、まだそこに居る応対に出た警察官も、周りで聞き耳を立てていた警察官たちも、誰一人として理解できなかった。
「だってそうでしょう? 警察が【リアライザー】だからって仕事から逃げ回っている間に、新聞社やネットが事件を解決してしまうのですからね」
最初に我に返った渡良瀬警部が口を開いた。
「警察より先に解決できるとは限るまい」
「そうかもしれませんね……」
楽人が素直に認めると、周囲の警察官たちは、してやったりといった雰囲気を漂わせる。
「……但し、どちらに転んでも、警察は後で、人権保護団体や動物保護団体から叩かれることになりますが……ね」
それこそが彼の本当の切り札だった。
今はまだ、【リアライザー】の扱いは一般のUMAと変わらない。
しかし、世界中で相当数目撃されている【リアライザー】の扱いが、このまま終わることは有り得ない。
テレビでも、ネットでも、毎日討論が繰り返されていて、遠からず動物として認められると予想されている。
もし認められなければ、動物保護団体からの反発が避けられないことを、否定できる者は居ない。
人間に姿の近い者は、人権すら認められる可能性が示唆されている。
そうなれば、ユントロの保護を軽視した警察はどうなるか?
日本だけではなく、外国の団体からも責められるとなれば、相当な面倒が予想される。
だから誰もがそれを想像して固まった。
だから……
「負けた、負けた。儂の負けだ――」
……渡良瀬警部は両手を上げて、首を横に振って苦笑しながら降参の意を示すと、急に真顔になり、
「――儂の責任で一課を動かす」
断言した。
日本警察の捜査一課と言えば誘拐を始め、凶悪犯罪に当たることが多い。
まだ扱いの難しい【リアライザー】の……しかも非人型の誘拐に対して、ペットの窃盗などに対応する三課ではなく一課を動かす辺りに、この男の本気と誠意が現れていた。
「動いても【リアライザー】に怪我でもあったら……」
「分かっとる。儂が動くからには直ぐに保護してみせるさ」
渡良瀬警部は獲物を見つけた猛獣を思わせる、獰猛な笑みを浮かべた。
先程までの市民に愛される警察官の顔とは、まるで別物。
若い警察官に認められる本物の顔に、楽人は頼もしさを覚えた。
「お願いします! ユントロを! ユントロを助けて下さい!」
「俺からもお願いします」
静香が必死に頼み込み、楽人も冷静に頭を下げる。
「任せておけ」
……その頼もしい言葉から事件解決まで、僅か五時間のスピード解決だった。
* * *
警察はまず、ブログの経営者に情報開示を請求した。
事件性を追求された経営者は、直ぐに静香のブログに罵詈雑言を書き込んだ相手の情報を開示した。
先生のブログには『返せ』だの、『死ね』だの、『特定した』だのと残っているだけではなく、削除履歴にも『殺す』だの、『雌豚』だのと言った言葉が多数あったからだ。
既に削除されているとは言え、閲覧した者が居る。
魚拓を取られている可能性は否定できず、隠そうすれば共犯を疑われるのだから、経営者の判断は適切と言えた。
次に、開示された情報と戸籍を照合すると一致。
場所は隣の県だった。
警部の指揮する捜査一課が、該当の住所を覆面パトカーで包囲した。
静香と楽人も、ユントロの確認のために同行させて貰った。
ピンポーンッ
若い警察官の一人が呼び鈴を鳴らした。
暫く待っても、住人の反応は無い。
ピンポーンッ……ピンポーンッ……ピンポーンッ……ピンポーンッ…………
警察官は住人が出て来るまで、数十秒間隔で呼び鈴を鳴らし続けた。
「……はぁい」
暫くすると玄関が開いて、陰鬱そうな若い女が姿を現した。
女は見るからに二十代だったが、十代向けの清楚さが強調された服を着ている。
その表情は普段から板に付いた暗さでは無く、鳴り止まない呼び鈴と、ドアのレンズ越しに見た警察官への感情からのものだった。
「警察です。事件調査をしていまして尋ねたいことがあります」
女は嫌そうで、面倒そうで、更に疑わしそうな目で警察官を見た。
「ユントロを誘拐したのは貴女ですね?」
女は思わず身を震わせたが、平静を装って尋ね返した。
「……なんでそんなこと聞くんですか?」
「被害届があり、目撃報告が多数挙げられているからですよ」
「……ちっ」
女は小さく舌打ちをして玄関を閉めようとしたが、警察官が足を挟んで閉めさせなかった。
無理と分かった女は、振り返って部屋の奥に走り出した。
「確保しろ!」
女からは見えない位置に居た警部が叫ぶより早く、女と話していた警察官は突入し、他の警察官も続いた。
「マルヒ、ガイシャ、共に身柄を確保しました!」
直ぐに奥から、被疑者と被害者を確保したとの声が上がる。
外で待っていた楽人と静香は、渡良瀬警部と共に中に入った。
彼らが現場に到着した時には、犯人の女は後ろ手に手錠を掛けられ、ピンクの狸もどきは警察官の一人に抱き抱えられていた。
「ユントロっ!」
「ウユーンッ!」
静香が駆け寄ってユントロを抱き締めると、ユントロも嬉しそうに鳴いた。
ユントロはリードの付いた首輪を着けていた。
「一応確認しますが、間違いありませんね?」
「はい、うちのユントロです。ありがとうござ……」
「違う! ユントロはあたしのだ!」
静香の警察官へのお礼を遮って、犯人の女が喚き立てた。
「そいつが盗ったから取り返したんだ! あたしは悪くない!」
子供染みた屁理屈だった。
【リアライザー】が現れた初日からブログに載せていて、学校にも連れて来ていた音無静香と、昨日からブログに上げ始めた女。
どちらが本当の飼い主か、疑う余地も無い。
同じ【リアライザー】が存在しない以上、この女が誘拐する前からユントロを飼っていた可能性も無かった。
「そいつはユントロに相応しくな……もごもご……!」
暴言を吐き続ける女が、警察官に猿ぐつわを噛まされた。
静香やユントロは、すっかり萎縮してしまっている。
楽人はユントロの首輪に手を当て、そこから伸びるリードを持って言う。
「……これは何だ?」
誰も答えられない。
静香は今更首輪に気付いて、彼女の顔が悲しみに染まった。
「先生は首輪なんて付けなかった」
≪あたしの物なんだから、あたしの自由でしょ!≫
――犯人の女は、自分の所有権を主張した。
しかし、猿ぐつわのせいで、他人の耳には「モゴモゴ」としか聞こえない。
楽人はそれでも構わず言葉を続けた。
「あんたのはユントロへの愛じゃない。ユントロを好きな自分への愛……自愛だ!」
≪あんたなんかに、何がわかるっていうのよ!≫
――犯人の女は、自分を理解しない楽人を批難した。
「知ってるだろ、【フィクション・リアライザー】は最も愛着を持った者の前に現れる」
≪知ってるわよ! だからユントロはあたしのものなんでしょ!≫
――犯人の女は、自分の尊さを訴えた。
「先生を襲って略奪したくらいだ。お前はある意味、先生より執着しているのかもしれない……」
≪分かってるんなら、さっさとユントロを返しなさいよ!≫
――犯人の女は、自分の望むものを望んだ。
「それなのにお前の前には現れなかった! それがお前にとっての一番がユントロじゃない証拠だ!! お前にとっての一番はお前自身なんだ!!!」
楽人が叫ぶと、犯人の女は目を見開いたまま固まった。
暫くすると、彼女は全てを理解して泣き崩れた。
猿ぐつわ越しなのに、間違い無く全面的に彼女が悪いのに、それでも聞く人間に罪悪感を感じさせる――そんな啜り泣きだった。
それは理屈では無い。
感情でも無い。
それは反応。
只の物理現象。
だから【リアライザー】も悲しそうな顔をした。
静香も涙ぐんだけれども、警察官たちは微動だにしない。
彼らは何度もこういう場面を乗り越えてきた。
同情で罪を見逃せば、法の公平性が失われると知っているから。
「俺は……」
只の子供である楽人は、自分の中で鎌首をもたげる感情に戸惑うのだった……。
* * *
「10年くらいだな」
渡良瀬警部の話だと、女の罪は意外と重かった。
静香はユントロが戻ってきたことで、女への恨みなど無かったが、それで無罪放免と言うには状況が許さなかった。
まず、女の罪状が多かった。
犯罪予告に名誉棄損、アパートへの不法侵入、スタンガンによる傷害、そしてペットの窃盗、オマケで警察の事情聴取中に玄関を閉めた公務執行妨害。
警察がブログの情報開示を請求した時点で、何も無かったことには出来ない。
中でも致命的なのが、ペットの窃盗。
今回の件を下手に軽く扱うと悪い前例となり、【リアライザー】絡みの模倣犯を増長させてしまうことになるのは想像に難く無い。
世論などの問題も含めて、厳正な対処が求められたのだ。
間違っても、その場の気分で無罪に出来るような、軽い問題では無かった。
裁判所の判決が下るのは2~3カ月後になるが、最低でも年単位の実刑判決は免れないとのことだった。
また、当然ながら女のブログは閉鎖され、夜には実名で報道もされた。
精神疾患があると実名を避けられることも多いが、彼女は只のエゴイストの範疇と判断された。
この件が切っ掛けで、法整備が進んだり、人権保護団体や動物保護団体が動くことになるが、それはもう少し先の話である……。
* * *
「……と言う夢を見たのさ」
楽人はサーニャの膝枕を堪能しながら、今日あったことを語り終えた。
「夢、ですか?」
サーニャが不思議そうに小首を傾げる。
「じゃあ、ガクトは今日、学校を飛び出して夜遅くまで、いったい何をしていたんですか?」
頭を撫でるサーニャの手は優しい。
楽人は一言、家に電話を入れても良かった。
しかし出来なかった。
彼女を心配させたくなかったから。
だから彼は、
「さぁな……きっと一日中、泣いてる女の子のペットでも探してたんだよ」
自虐的に苦笑いを浮かべた。
「じゃあ、この膝枕は、良いことをしたガクトへの御褒美ですね」
楽人の顔に影が差し、目を閉じたサーニャの顔が近付いて来る。
柔らかい物が額に当たって潰れ、
ちゅっ
唇が重なった。
「……お疲れさまでした」
――彼の長い一日は、初めてのキスで終わった。
※サーニャがヒロインです。




