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風呂

 墓参りから家に帰宅する頃には、外はもうすっかり日が沈んでいた。

 普段なら夕食を食べるような時間だったが、昼食が遅かったので誰もお腹が空いておらず、夕飯の前に風呂を沸かして入ることになった。


 女性陣が先で、男性陣が後。

 一般的な日本家屋の風呂なので最初に二人が入り、一人上がる度に入れ代わりで次の一人が入ることになった。


「真理って肌キレイだよねー」


 美那子は真理の背中をスポンジで洗いながら羨んだ。

 二人とも背中以外は先に洗ったので、既に全身泡だらけ。


「ふふ~ん、いいでしょ~」


 真理は気持ち良さそうに鼻歌を歌う。


「何かやってんでしょ? 教えなさいよー」


 美那子は彼女がこんな態度を取る時は、教える気があることを思い出して尋ねた。


「美肌の秘訣は…」


 ゴクリッ


 美那子の手が無意識に止まり、生唾を飲んで真剣な表情で次の一言を待った。


「愛情よっ!」


 ガリッ


 美那子が前のめりになる。

 その際、スポンジから食み出した爪が、真理の背中を下から上に引っ掻いて八本のミミズ腫れを作った。


「いたっ! 何するのよ美那子ぉ~」


 見た目ほど痛く無かったので、真理は冗談半分で美那子を批難した。


「だって真理がバカなこと言うから…」

「バカって何よ~」


 真理が口を尖らせる。


「じゃあ嫌味」

「何で?」

「愛情なんて、独り身の私への当て付けじゃない!」


 ギュッギュッギュッ


 美那子は力を込めて、真理の背中を洗う。

 言葉ほど怒っていないので爪は立てていない。


「美那子、あなた勘違いしてないかしら?」

「え?」


 美那子の手が再び止まる。


「愛情と言うのは誰かを思うことよ。愛されるのが理由なら、私はちゃんとそう言うわよ」

「………」


 美那子は言葉に詰まった。

 真理は昔から気配り上手で、彼女が知る限り、自身のために嘘を吐いたことが無い。


「はい、交代」


 真理は振り返って美那子と向き合うと、彼女の大きな胸が勢いよく揺れて、胸を覆っていた泡が美那子の人並の胸に撥ねた。


 スン…


 その一部始終を間近で見て、美那子の顔から表情が抜け落ちた。

 真理は美那子からスポンジを奪って、彼女の肩を掴んで後ろを向かせる。

 スポンジをお湯で軽く洗ってボディシャンプーを付け直し、美那子の背中を洗い始めると、直ぐに真理の背中と大差ない泡が立った。


「愛を欲しがるななんて言わないけど、それは愛情ではなくて願望。他人への愛じゃなくて、自分の気持ちを満たしたい自愛」

「慈愛?」


 美那子は馴染みの薄い“自愛(ことば)”ではなく、母親の無償の愛――慈愛――の方を連想して文脈に首を傾げた。


「あははっ、違う違う。慈しむ方じゃなくて、自分の方。自分を愛する自愛」


 真理は彼女の勘違いに気付くと笑い飛ばして、彼女の背中に指で漢字を書いて違いを指摘した。

 真理の人生経験上、自分のこと(・・・・・)を言われて“慈愛”が強いと受け取る人間は、漏れなく自尊心と自愛の塊。


(美那子は……グレーかな。頭の悪さを差し引くと限りなく白に近いグレー)


 真理の脳内評価は楽人の母親だけあり、親友に対しても辛辣だった。


「う~ん……つまり、愛されたがるんじゃなくて、誰かを愛したらキレイになれるの?」


 美那子は漸く先程の言葉の意味を理解して、合っているか尋ねた。

 彼女は世間一般では賢い部類(IQ130)だが、要領が悪くて人生損をしているような人間なので、真理の基準では及第点に届いていない。


「そうよ。愛情は心の運動。ちゃんとしないと脳が弛んで大変なことになっちゃうんだから。だらしない生活で太るのと一緒」

「うっ!」


 美那子には真理の理屈は分からなかったが、最近仕事を理由に運動不足だったので、お腹の肉を摘まんでショックを受けた。

 背後の親友は、彼女が脱衣所で一緒に服を脱いでいる時に見た限り、肌もスタイルも控えめに言っても三十路にしか見えなかった。


(真理が流行の服でも着れば、知らない人は学生にしか見えないよね…)


 美那子がイケメン大学生に囲まれて逆ハーレム状態の親友を想像したら、何時の間にか、デブ老人と化した美那子を踏みつけて高笑いをする展開になっていた。


「…デブ…やだ……老人…やだ……愛情…どこ……愛情…男……愛情…男……」


 美那子は自分の妄想にダメージを受けて、虚ろな目で宙を見ながら譫言を呟き出した。


 ザッパーンッ


 真理は美那子の背中に風呂桶の中身をぶち撒けた。

 撥ねた水が、彼女の下半身を覆っていた泡も幾分か洗い流した。


「あぁん、もう! しっかりしなさい美那子! 異性じゃなくてもペットでも何でもいいの! 心が凝り固まらないことが重要なんだから!」

「でもぉ…」

「デモも、製品版も無い! あなた美人なんだから、少しは自信を持ちなさいっ!」


 ザブンッ、ザパーッ、ザパーッ………ちゃぷんっ


 真理は風呂桶を浴槽に突っ込んでお湯を掬い、豪快にお湯を被って泡を洗い流して、さっさと湯船に浸かった。


「ハッ!」


 ザプっ…ザパーッ……………ちゃぷっ


 洗い場に取り残された美那子は、思い出したように残った泡を自分でお湯を被って流し、真理と向かい合うように湯船に入った。

 透明な湯船の中、膝を立てて向かい合って座ると、お互いの生まれたままの色々な所が目に入る。


(ほんと、こんなに綺麗なのに勿体ない…)


 実際、美那子は微巳の姉だけあって普通に美人。

 風呂場の照明に反射する肌は美しく、染み一つ無いとまではいかないが、十分な透明感がある。

 スタイルも本人が気にするほど太っている訳では無く、人並の胸は選べる服の幅が広いというメリットが大きい。

 仕送りを優先して美容にお金を掛けていないにも関わらず、周りからは実年齢より数歳若く見られていた。


 それでは美那子の何が悪いのかと言えば、控えめな性格、自己肯定感の低さに尽きる。

 親は娘の将来のために良かれと思い、長女だからと彼女を厳しく育てた。

 あまり褒められずに育った彼女は、どんなに努力しても、どんなに綺麗になっても、甘やかされた妹と違って自己肯定感が育たなかった。

 自信の無さは受験でも就職でも足を引っ張り、厳しい躾けは安月給で働いて仕送りをする生活にも耐えさせてしまった。

 その結果残ったのが、高齢独身処女である。


(少しお腹とお尻にお肉が付いてるけど、喫煙なし、持病なし、ダイエットなし。結婚も出産も、まだまだ諦めるには早いわよね…)


 真理は今まで不幸だった親友だからこそ、幸せになって欲しいと思った。


 ――実際問題として、高齢出産は文字通り母体の加齢に因る問題である。

 健康的ならリスクは低く、疾患や低過ぎるBMI、喫煙などよってリスクが高まる。

 今の時代、感情や金銭が許すなら代理出産という手段もある。


 日本人の三人に一人が四十代で初婚再婚していることも考えると、四十を過ぎたばかりの美那子が結婚や出産を諦めるのはまだ早かった。


(…やっぱり綺麗…)


 一方の美那子も、親友の裸体に見入っていた。


 年齢を感じさせない透き通るような肌。

 乳腺の多い豊かな胸は、まだ垂れるには早いと上を向き、平原のように緩やかな曲線を描くお腹には、形の良い御臍が深い陰を落とす。

 膝を立てた足は艶めかしい曲線を描き、隙間から垣間見えるお尻は、体重で御餅のように柔らかく形を変えていた。


(これで一児の母だなんて嘘でしょ…)


 流石に出産前に比べると、下腹部や腰回りに肉が付いているのだが、それを知っているのは毎日見ている夫くらいのもの。

 これで整形手術でも画像加工でも無いのだから、美那子の衝撃たるや筆舌に尽くし難いものだった。


「…先に上がるわね」


 ザパーッ


 真理が浴槽の中で立ち上がると、全身から水が滴り落ちた。

 彼女が風呂場の出口に歩き出すと、その豊かな胸が揺れて、谷間にまだ残っていた小さな水溜まりから水が零れ落ちる。

 美那子は黙って親友の後ろ姿を見送った。


 次に風呂へ入って来たのは、真理の母だった。

 彼女は美那子と少し世間話をした後、早々に風呂を上がった。

 そのせいで美那子は上がるタイミングを失ってしまい、続くサーニャとも一緒に風呂に入ることになってしまった。


 羽と尻尾こそあるものの、フィクションらしい隔絶したスタイルを誇るサーニャを見て、美那子の真理へのコンプレックスはあっさり吹き飛んだ。

 その後、美那子はサーニャの惚気話に中てられ、風呂と合わせて二重の意味で逆上せて湯船に沈んで行くのだった…。

嫌と言えないタイプだから…

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