ゴロゴロ
ゴロゴロ…
「母さん遅いなぁ…」
須磨真理の実家。
楽人は客間で、畳の上をゴロゴロ転がりながら呟いた。
彼は何故か、黒いビニール袋の底と左右に穴を開けて、大きなTシャツのように着ていた。
ゴロゴロ…
「お義母様、遅いですよねえ~」
相槌を打ったサーニャも、黒いビニール袋を着てゴロゴロと転がっている。
特大サイズの黒いビニール袋からは、彼女の綺麗な膝下が見えていた。
ビニール袋の下には下着しか着けていないが、客間に義父や義祖父母の姿が無いことを確認した上での蛮行。
…と言うのも、過去に義母に釘を刺されているからだ。
『サーニャちゃん。私の夫を誘惑したらこれだからね?』
その時、サーニャは笑顔の義母の背後に魔王の姿を見たと、楽人に語っている…。
そもそも、この二人の奇行の原因は、昨晩にまで遡る。
―――――
――――
―――
――
―
夜が更けて来た頃、彼らは客間に布団を敷いた。
楽人が寝転がったのを見て、サーニャも真似をして寝転がった。
普段は一つのベッドに寝ているので、並べて敷いたとは言え、別々の布団は彼女にとって新鮮だった。
「畳の匂いが違います♪」
目を閉じた彼女は感動した。
楽人も畳の匂いを嗅いでみたけれど、彼には違いがよく分からなかった。
場所が悪いのかと思って、布団の上をゴロゴロ転がりながら嗅いでみたけれど、やっぱりよく分からなかった。
それを見たサーニャは、面白がって同じように布団の上を転がり始めた。
しかし、所詮は並べた布団二つ分。
直ぐに布団から転がり落ちた。
しかし、二人はそのまま客間をゴロゴロと転がり続け、時々折り重なって、じゃれ合って、また転がって……と繰り返している内に、様子を見に来た祖父母に咎められた。
「服が駄目になるから止めなさい」
「は~い…」
まだまだ服の少ないサーニャは、それを聞いて泣く泣く新しい遊びを諦めた。
そこへ楽人が、気を利かせて黒いビニール袋を見つけて来たのが、事の成り行きである。
―
――
―――
――――
―――――
「居間に行くか」
楽人は転がるのに飽き、起き上がって黒いビニール袋を脱いだ。
「そうですね♪」
サーニャも黒いビニール袋を脱いだ。
二人はお互いの姿を見て下着姿であることに気付き、普通の服に着替えてから居間へ向かった。
* * *
楽人たちが居間に行くと、父親と祖父母が卓袱台を囲んでお茶を啜っていた。
真理が子供の頃は四人用の卓袱台を使っていたが、楽人が生まれた時に今の五~六人用に買い替えたと、彼は聞いている。
当時の楽人は何も思わなかったが、昨日、初対面で異形のサーニャを温かく迎え、一緒に食卓を囲んだ時、祖父母の家族を大切にする思いに気付いて胸が篤くなった。
一般的に年寄りは頭が固くなると言われるが、性分による個人差が大きいのである。
「母さんならまだだぞ」
父親は尋ねられる前に即答して、祖父の横にズレて息子たちに場所を空けた。
朝食後に母親から『もう直ぐ帰る』と連絡があってから、既に一時間が経過している。
「お義母様、何かあったんでしょうか?」
サーニャは父親に笑顔で会釈すると、楽人と並んで空いたスペースに座った。
「久しぶりの地元だからな。いつも通り趣味の話で盛り上がってるんだろう」
父親は鷹揚に頷きながら答える。
「う~ん……お義母様の趣味って何ですか? 料理は違いますよねえ?」
サーニャは考えてみたが、母親の趣味に心当たりが無かった。
母親の趣味は乙女ゲーだ。
しかし、子供への影響を危惧した彼女は、その趣味を封印した。
楽人は勿論のこと、世間に疎い義理の娘のサーニャにも教えていない。
父親はサーニャに尋ねられて失言に気付いたけれど、咄嗟に言い訳が思いつかず、年の功を求めて祖父母を見た。
サーニャが釣られて祖父母を見ると、彼らは明後日の方向に視線を逸らした。
彼女は二人の視線を追って部屋中を見渡すが、それらしい物は何も見つからない。
見られて不味い物は、押入れの奥で眠っている。
彼女は答えを求めて、隣の楽人に純真無垢な視線を向けた。
「人の趣味は色々あるからな。それよりお茶でも飲まないか?」
楽人はそれっぽいことを言って誤魔化した。
彼だって最愛の恋人を穢したくは無い。
「あっ、いいですね♪ 湯呑を持ってきま…」
ピロンッ
サーニャが湯呑を取りに行こうと立ち上がり掛けたその時、スマホの通知音が鳴った。
「俺か?」
父親がYシャツの胸ポケットからスマホを取り出した。
コネクトの新着は単語が僅か四つ。
『アナタ 助けて 花畑さんち リアライザー』
トゥルルルッ
直後、彼のスマホに電話の着信音が鳴った。
発信は妻からだった。
「真理っ!?」
彼は慌てて電話に出た。
「………」
返事は無く、服か何かが擦れる音だけが聞こえた。
「父さん、どうしたの?」
楽人が尋ねると、父親は通話をスピーカーに切り替えて、画面を先程のコネクトの発言に切り替えて楽人に見せた。
父親はその間もずっと妻の名を呼び続けた。
「真…っ?!」
楽人はコネクトの発言を見た瞬間、父親の口を塞いで耳元で囁いた。
「犯人に聞こえる」
「!?」
父親は驚いたが、直ぐに楽人の目を見て頷いた。
楽人は父親の口から手を離し、祖父の方を見て、空中に文字を書くジェスチャーをした。
祖父は黙って頷いて立ち上がる。
楽人が自分のスマホを取り出して録音を開始する頃には、祖父は置き電話の横からメモ帳とペンを取って来て、楽人に手渡した。
《口を抑えて》
楽人はメモ帳に指示を書いて破くと、卓袱台の中央に置いて全員――父親、祖父、祖母、サーニャ――を見渡した。
彼らは手で口を抑えて、彼の顔を見て頷く。
《母さんは事件に巻き込まれた》
コネクトを見て予想していた父親以外が驚く。
《何も話さないのは、犯人との会話を聞かせるため》
(既に最悪の可能性もあるけど…)
楽人は別の――電話を掛けたのが犯人である――可能性も考えたが、それを口にはしなかった。
犯人が誰かは分からないが、自分たちにそれをする価値があるとは思えなかったからだ。
サーニャが彼のシャツの肩口にしがみ付いた。
本当は怖くて抱き付きたいところを、邪魔になりたくないから我慢している。
楽人が震える彼女に気付いて肩を抱き寄せると、彼女は胸元で手を合わせて彼を見上げた。
楽人は黙って頷いた。
祖父も祖母の肩を抱いている。
祖母は一言一句聞き逃すまいと、スマホを真剣な目で睨む。
父親は歯を食いしばり、拳を血が出るほど強く握り締めている。
暫くすると、スマホから話し声が聞こえ始めた。
『…んた…んな…‥…れると…るの……!』
聞こえて来たのは女性の声。
祖母は娘の友人に少し似ていると思った。
『…は……して…………な…』
続いて男の声が聞こえたが、こちらの声は落ち着いているせいで小さく、よく聞き取れない。
『……でしょ!……しが何…たっ………の!?』
「こんれ、花畑さんとこの妹さんだわ」
祖母の中で、やっと罵声が娘の友人の妹と結びついた。
(母さん、無事だよな!?)
母親のコネクト発言にあった花畑家と繋がったことで、楽人の中で不安が大きくなった。
『……は咲に…迷惑……れど………………の暴言……侮辱………無い!』
今度の男の声は感情が籠っていて、所々はっきり聞こえた。
『…証拠………のよ! 証……いよ! …拠っ!』
『………………』
その後も幾つかの罵声が聞こえて来たが、やがて、スマホの向こう側は静かになった。
* * *
ガタッ
それまで必死に自分を抑えていた父親が、卓袱台の上のスマホを持って立ち上がった。
「父さん、どこに行く気?」
「決まってる!」
父親はスマホを楽人に向けた。
彼はGPSが示す妻のスマホがある場所へ行くつもりなのだ。
プツッ
楽人は静かに手を伸ばすと、父親のスマホの通話を切った。
「父さんが行っても、人質が増えるだけだよ」
「しかし! 真理が待ってるんだ!」
父親が悲痛な顔で訴える。
彼にはいつもの余裕が無く、通話中に音を立てて立ち上がったことも、大声を出したことも、息子の前で妻を名前で呼んだことも気付いていない。
「母さんは意味の無いことはしない」
楽人が強い口調で父親を諫める。
誰よりも妻を信じる父親は、その言葉でハッと我に返った。
「警察に連絡しよう」
楽人は自分のスマホの録音を切って、懇意にしている渡良瀬警部に電話を掛けた。
トゥルルルッ、トゥルルルッ…ガチャッ
『――どうした、坊主?』
間も無く、聞き慣れた市民に好かれる中年警部の声が電話に出た。
「忙しいところ済みません。母さんが攫われました」
『…【リアライザー】絡みか?』
「恐らくは。場所は布留浸市、県外です。友人宅に行った母さんから電話があって、喋れない状況のようでした。女性の怒鳴り声などが聞こえた後、静かになりました。痛みによる悲鳴は無し。会話内容から、犯人は推定【リアライザー】の男一人、捕まっているのは推定4、5人です」
楽人は私情や希望的観測は除き、事実だけを伝えた。
『ふむ…』
渡良瀬が唸る。
(…【リアライザー】の単独犯で四人以上を殺さず捕獲と言うのは異常だ。協力者が居ないなら相当な実力者だ)
彼は状況が芳しくないと考えた。
楽人からの電話なので、内容は端から疑っていない。
『月凪からでは遠い。近くの連中を向かわせる。具体的な場所は分かるか?』
「ここと現場の住所を送ります」
楽人はスマホを操作して、自分の居場所と、GPSに映る母親のスマホの場所を渡良瀬に送った。
ピロンッ
『受け取った。…先走るなよ』
渡良瀬は受信した座標を確認すると、何時に無く強い口調で楽人に忠告した。
「――っ! 分かりました」
楽人にも彼の緊張が伝わった。
(今回の件、何かあるのか? いや、それよりも…)
「父さん、警察が動いてくれる」
楽人が端的に伝えると、父親は一瞬驚いたが、直ぐに息子を頼もしげな目で見返して頷いた。
事態を見守っていたサーニャや祖父母から、安堵の溜め息が漏れる。
ゴクゴクッ
楽人は冷めたお茶を一気に飲み干して言った。
「迎えが来る前に準備をしておこう!」
楽人たちは警察が来たら何時でも出発できるように準備をした。
使える物を探し、トイレに行き、戸締りをして、玄関で靴を履いて待った。
警察に付いて行くのは楽人と父親だけだ。
サーニャと祖父母には誰が来ても絶対に出ないように厳命した。
彼女たちも、それを素直に受け入れた。
時間が刻一刻と過ぎていく。
――迎えが到着したのは電話から数十分後のことだった。
私もゴロゴロして怒られました




