怒り
翌日。
お盆でなければ、一般企業の多くが営業を開始するような時間。
花畑家の居間には、家主とその息子夫婦、それと一人の男が集まっていた。
彼女たちが囲むテーブルには、多数の書類が所狭しと広げられている。
「なんでよっ!」
花畑微巳はメールの内容に腹を立てて、持っていたスマホを床に投げつけた。
スマホは絨毯が敷かれた床にぶつかって、乾いた音を立てて表面にヒビが入った。
「当たり前だろう」
彼女の独り言に答えた男の姿は異様だった。
黒と赤の全身タイツに身を包み、その顔と胸には左右対称の放射状の模様が描かれている。
彼は世界的に有名なアメコミヒーロー、蜘蛛男スパイダーマー……をパクって作られた特撮ヒーローの【リアライザー】である。
「あんたは黙ってなさいよ! 【リアライザー】のくせに!」
微巳が【蜘蛛男】をキツく睨んで怒鳴った。
彼女は【リアライザー】を見下していた。
今までは金蔓である母親の手前、猫を被っていただけ。
「………」
男は口を閉じた。
――彼は二か月前、微巳の母、花畑咲の下に現れた。
まだ最後の入院をする前だった彼女は、幼い頃から密かに憧れていたヒーローを快く受け入れて、短い時を一緒に過ごした。
田舎なので、最初は都会以上に奇異の目に晒されたが、【超生物保護法】の公布以来、世間の冷たい風も落ち着いた。
それでも、彼女の入院後は直接会えず、画面越しの会話だけの日々。
病院が彼を検査して大丈夫だと言っても、他の患者が未知の生物の未知の病原菌を恐れ、理解を得られなかった。
彼は咲の傍に居てやれないことを謝ったが、咲は彼に優しかった。
『娘たちと仲良くしてやってね』
…それが彼女の遺言。
彼女は苦労が祟って、老衰というには早い年齢でこの世を去った。
「金になると思ったから置いてやってたのに!」
微巳の権限で【蜘蛛男】を家に置いていたと言うのは正確ではない。
家計は親や姉の金で、家事は親の労働で回っていたからだ。
『生活費を全部入れてるから一番偉い』という昭和の発想すら通用しないレベルだが、それでも「親を養ってやってる」と嘯き踏ん反り返っていた人間だ、面の皮の厚さが違う。
微巳は母親が亡くなった後、政府に【蜘蛛男】の所有権を主張した。
彼女は面倒なことが嫌いだったが、【蜘蛛男】が母親に懐いている様子は病院などで目撃されている。
今更、『あたしが【共生者】です』と名乗っても疑われるだけなので、免罪符を欲しがった。
そんな彼女に先程届いた政府の回答が、
《法律上、当人以外は【リアライザー】の【共生者】とは認められない》
お役所仕事だった。
お盆期間中に返答があっただけでも、政府の【リアライザー】に対する並々ならぬ意気込みは伺える。
微巳は【蜘蛛男】を使った金儲けを考えていて、面倒になったら売り払おうという腹積もりだったのだが、それが御破算になった。
「融通利かせなさいよ! 税金泥棒がっ!」
彼女の言う融通とは、自分に都合の良い特別扱い。
しかし、相手によって対応を変えていては、法律の公平性は意味を成さない。
非が無い限り変わらない対応こそが誠実さの証。
「鰾未さんのことも関係ありそうね」
それまで黙っていた息子嫁の葛奈が、微巳の親戚の名前を出した。
隣に座る息子の莎阿も頷いている。
「――っ! そうよ! 鰾未がバカやって捕まったせいよ、きっと!」
花畑鰾未――彼女の遠縁で、とある【化身配信者】の狂信者である。
一か月以上前に、好きなアバターが【リアライズ】した【共生者】の家に殴り込んで、警察に捕まって服役中だった。
ダンッ
「ほっんと、皆してあたしの足ばっかり引っ張って…!」
微巳がテーブルを叩くと、テーブルの上に広げられていた物が幾つか床に落ちた。
目に入ったそれが、また彼女の神経を逆撫でる。
落ちたのは通帳と年金請求書。
「お母さんもお母さんよ! やっと死んだと思ったらもう財産が残って無いじゃない!」
通帳の残高は、彼女が離婚して母親と同居してから急激に減っていた。
母親が一人暮らしをするだけなら、年金と美奈子からの仕送りがあるので、そこまで減るはずも無い。
母親は娘を心配させまいと、晩年まで通帳の中身を見せなかったのだ。
遺族年金の受給は子や孫の成人までである。
当然、彼女や息子はもう貰えないので収入ダウン。
姉に少ない保険金を譲れと脅迫したが、それでも生活が厳しくなることは避けられない。
「面倒を見て損した! あたしの人生を返してよっ!」
母が悪い。
姉が悪い。
夫が悪い。
【蜘蛛男】が悪い。
世間が悪い。
政治が悪い。
会社が悪い。
貧乏が悪い。
借金が悪い。
悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い悪い。
彼女にとって、悪いのは常に相手。
原因が自分にあるとは考えない。
或いは気付いても認めない。
その積み重ねが更に状況を悪くし、またそれを認めず、また状況が悪化する。
いつか奇跡的に幸せになれたとしても、彼女にとってその人生の大半が不当で不幸なものだということに変わりはない。
「なによ! 言いたいことがあるなら言いなさいよ! これだから男は…」
微巳は【蜘蛛男】の視線に気付いて八つ当たりした。
彼女にとっては【リアライザー】も男も関係無い。
ただ言い易いから男と呼び、いつも心の中で批難しているからすんなりと口に出ただけのこと。
――【蜘蛛男】は耐えてきた。
ずっと耐えてきた。
咲に出会ってからずっと、何度も何度も苦言を呈してきた。
しかし、優しい彼女は、『娘もいつか良くなるはずだから』と言って、頑なに彼の言葉を受け入れなかった。
咲の長女、美那子に相談した時に言われた。
『母に一緒に暮らそうと何年も言い続けているけど、その度に「あの子は私が居ないと駄目だから」と断られている』と。
世事に疎い彼にも、それがダメ男好きの思考だと分かった。
だから彼は耐えた。
【共生者】の遺言だからと、彼女が亡くなった後も微巳の横暴に耐えてきたが、それにも限度はあった。
彼は紛い物とは言えヒーロー。
他人を恨むこととは縁遠い存在。
しかし、だからこそ自分のことには耐えられても、大切な人を侮辱することには耐えられなかった。
その末期を穢す、人生を否定するエゴイストを許せなかった。
「なによ? そんな顔したって怖くないんだから! 糸を吐くしか能が無い偽物のくせにっ! お母さんもどうせなら金になる【リアライザー】にしろってのよ!」
だから彼は覚悟を決めた。
自分がどうなろうとも、この悪逆の徒に報いを受けさせると…。
お花畑一族まさかの再登場ですよ




