冷や麦
「あっ、父さん。昨夜はお楽しみでしたね」
昼食時。
楽人は食堂に入って来た父親に、いい笑顔で母親にされた意趣返しをした。
「おっ、おう…」
父親は動揺しながら答えると、妻の方を見た。
「お父さん、お昼は冷や麦ですよ」
しかし、愛する妻は素知らぬ顔で、ニコニコと昼食を勧めて来た。
「…いただくよ」
妻の性格は重々承知しているので、彼は追及はしないで席に着いた。
代わりに母親が席を立ち、追加の冷や麦を茹でるためにキッチンへ向かう。
彼女とサーニャの手作りの冷や麦は、既に半分近く、楽人とサーニャのお腹に収まっていた。
午前中、彼女たちが料理している間、既に夏休みの課題が終わっている楽人は、“ミレニアム戦記”のイベントを消化していた。
サーニャは不人気、かつ二ヶ月前に新衣装が実装されたばかりなので、当然、今回のイベントで新衣装なんて嬉しいものは無い。
楽人には課金する理由が無かったので、イベントだけを淡々と消化した。
リアルでサーニャの水着を堪能していなければ、サーニャに先んじて水着を貰えた新キャラたちに、今回も嫉妬をしながらプレイしていたことだろう。
「父さん、今年も例年通りなの?」
楽人は冷や麦をお椀に掬いながら、明日からの予定を尋ねた。
父親が長子ではないので、須磨家では例年、お盆は母方の実家に里帰りをしている。
父方の墓参りは翌日にしたり、後日にしたりとその時々だ。
「ああ、そのつもりだ」
父親は母親の消えたキッチンを眺めながら、上の空で答えた。
「ガクト、例年通りって何ですか?」
サーニャが箸を止めて尋ねた。
「そう言えば言ってなかったっけ。うちは毎年、お盆は母さんの実家に里帰りしているんだ」
「お盆って何ですか?」
「ええっと……母さん、パス!」
楽人はソシャゲ好きだが、オカルトや宗教には然程詳しくない。
目を輝かせるサーニャを無碍には出来ず、キッチンの母親に助けを求めた。
目の前に居るのに頼られなかった父親が、不満そうな顔をする。
母親はまだ、鍋に水を入れ直して、コンロに火を点けたばかりだった。
「あらあら」
母親は呼ばれると、お湯が沸騰するまでまだ時間が掛かるので、食堂に顔を出して答えた。
「サーニャちゃん。お盆と言うのはね、日本独自の風習で、毎年この時期に、御先祖様の魂をお迎えして供養する行事のことなの」
――日本のお盆のように、決まった時期に墓参りをするという風習は、世界的に見ても珍しい。
特に、ご先祖様を家に迎えて供養するという、祖霊信仰に由来する形式は、日本独自のものだった。
「代わった風習ですねえ…」
サーニャは感心しながら、義母の言葉を理解しようと咀嚼した。
“ミレニアム戦記”に於ける魔族は、ファンタジー作品の例に漏れず、実力主義である。
死者を弔うという風習はあっても、家に迎えるような無条件で祖霊を信仰する風習は無い。
(自然信仰に近いエルフなら、理解しやすいのかもなぁ…)
楽人は日本で一般的なエルフ像を思い浮かべようとした。
金髪碧眼で、美形で、背が人間より高くて、耳がやや尖っていて、あまり筋肉が付いていないのに力も強く、頭も良くて、高慢で、不老で、寿命では死なない……ファンタジー文学の元祖的な、指輪に纏わる物語のエルフ。
金髪碧眼で、美形で、背は人間より低いが、耳が人間の倍以上長くて、細身相応に非力で、頭は良くて、高慢で、不老長寿の……剣の世界のエルフ。
金髪碧眼で、美形で、背は人間同様千差万別だが、耳が人間の倍以上長くて、幼児体型か、乳尻太ももは豊満だが腕と腰は細いかの両極端で、性欲に弱い、不老長寿の……エルフとは名ばかりの通称エロフ。
偏った妄想ではあったが、日本人が想像するエルフとしてはこの三種類が大半であろう。
しかし残念ながら、彼女たちは楽人が期待するような祖霊信仰とは程遠い。
完全なれと作られた者たちが、死んだ者を尊ぶだろうか?
自然に還ると考える者たちが、死者の帰還を喜ぶだろうか?
種としては難しいだろう。
辛うじて、人間と大差ないエロフたちは理解を示すかもしれない…。
ピーッ
キッチンからお湯が沸騰する音が鳴り響いた。
「あらあら、まあまあ」
母親が如何にも驚いたような素振りで、脇を閉じて肘を曲げて振る、お嬢様走りでキッチンに戻って行った。
サーニャはその後ろ姿を羨ましそうに見送るのだった…。
エロフ、いいよね…




