魍魎戦記:超越者
その人影はいつの間にか其処に居た。
【心眼】を包囲する迷彩服の男たちよりも更に遠く、周りに何も無い砂浜に、突如、音も無く現れた。
人影と言うのは正しく無いかもしれない。
人の姿はしていたが、明らかに人間では無かったのだから。
一言で言うならば、昆虫などの節足動物を彷彿とさせる白い外骨格を、全身に隙間なく身に着けた人間。
関節部付近が有機的な素材に見える辺り、中世の騎士が着ていた金属鎧とも、現代の軍隊が着るボディアーマーとも一線を隔している。
言うなれば、生体装甲。
額と手首と膝にある、夜の闇より深い半球状の物体と、それらの縁を飾るように覆う外骨格の人工的なフォルムが、それが自然の生物では無いことを物語っていた。
「【リアライザー】っ?!」
信那が驚いて声を上げる。
彼女たちの情報に無い【リアライザー】だった。
迷彩服の男たちも同様に驚いて警戒を強めたが、純粋な軍人である彼らは、無意識に言葉を飲み込んでいた。
本来、異形の【リアライザー】は弱い。
不自然な生命は、それだけで生物として安定していないことを意味するからだ。
しかし、今、この場に現れたそれが単なる虚仮脅しと思う者など、その場には誰一人として居ない。
「遅かったな【深淵の超越者】」
【心眼】は振り向きもしないでその名を呼んだ。
――彼の名はライザーⅠ。
【心眼】の協力者である。
――偽神装甲ライザー。
日本初のハリウッド実写化を果たした、一部で世界的人気を誇る漫画である。
何十年と続く連載、相次ぐ掲載紙の廃刊、ストーリー展開の遅さ、と話題にこと欠かない作品で、現在は長期休載中。
ストーリーは、宇宙人の遺産を偶然拾った主人公がその力でライザーⅠとなり、世界征服を目論む組織と戦うというもの。
作中では【深淵の超越者】の二つ名で敵に恐れられている。
しかし、【リアライザー】としての彼は、物理法則の問題で生身の人間にはなれない。
そのため表立って行動することは少なく、今回も【心眼】の指示で動いていた。
「少し手間取った」
【深淵の超越者】は苛立たしそうに答えた。
その声は異形の見た目に反して明瞭な発音で、大人と呼ぶには若く、男子高校生か大学生くらいだと思われた。
「何か情報と違ったか?」
「いいや…。人数も、場所も、タイミングも、全て言われた通りだったよ」
【深淵の超越者】は機嫌悪そうに情報の正確さを認めた。
「なら何も問題はあるまい」
「あったわっ! 風呂上りなんて聞いてなかったぞ!」
【深淵の超越者】が拳を握って、掴み掛らんばかりの勢いで【心眼】を怒鳴った。
「ククク。役得だっただろう?」
【心眼】が肩で笑いながら、楽しそうに煽る。
「こ・ん・の・や・ろ・う…」
【深淵の超越者】が拳を強く握って、地の底から響くような声で唸るが、【心眼】は意に介さない。
(まさか…)
彼らの会話を聞いていた特殊部隊のリーダーは、悪い予感がして無線機を使った。
ピー、ガー、ピー、ピー…
通じない。
一人だけでは無く、別動隊が誰一人として無線機の呼び出しに出ない。
(…そう言えば狙撃もいつの間にか止まっている!)
別動隊の役割は三つ。
一つは【心眼】確保のため、長距離から麻酔弾での狙撃。
数キロ離れた複数のビルの屋上から行っていた。
一つは退路の確保と周囲の警戒。
夜の海岸線とは言え車も皆無では無いので、何カ所か近くの道路を塞ぐように車両を停めて封鎖し、世闇に乗じて偵察用のドローンを飛ばして周囲を警戒している。
そしてアイドルの確保。
【心眼】と一緒に現地入りしたアイドル――南条きらり――を、交渉の切り札の一つとして確保すべく、止まっているホテルを襲撃させた。
しかし、そのいずれとも連絡が取れない。
それもそのはず、【深淵の超越者】はつい先程まで、【心眼】の指示でそれらを排除していたのだ。
襲撃班を始末した彼が周辺を熱感知したところ、アイドルの体温が異常に高いことに気付いて心配して突入してみたら、風呂上りで逆上せていた彼女とご対面して騒がれたのである。
【深淵の超越者】が【心眼】の相手を陰から始末せずに姿を現したのは、彼に文句を言ってやりたかったからだった。
「後は任せた」
【心眼】が自分の仕事はもう終わったとばかりに、【深淵の超越者】に仕事を放り投げた。
【深淵の超越者】は外骨格に覆われた額の――手足の物の半分くらいのサイズの――半球に手を当てて、天を仰いで大きく息を吐いた。
迷彩服の男の一人が動いた。
彼らの死角に近かった男は、二人が話している間にその死角から【深淵の超越者】の背後へと回り、彼が天を仰ぎ見た瞬間、ナイフを構えてその背中に突撃した。
ナイフは狙い違わず外骨格の隙間に……刺さらなかった。
パキンッ
ナイフの強度が足りなかったのか、使い手の力が足りなかったのか。
ナイフは刺さらず、乾いた音を立てて、刃の途中から綺麗に折れてしまった。
男は慌てて飛び退いたが、【深淵の超越者】は天を仰ぎ見たまま何の反応も示さない。
パラパラパラパラッ…
突如、特殊部隊のリーダーが、【深淵の超越者】に向けてマシンガンを斉射した。
部下たちは一瞬驚いたが、直ぐにマシンガンを構え、或いは預けておいた仲間から受け取って斉射した。
四方八方から無数の弾丸が【深淵の超越者】を襲い、外れた弾丸は砂地に当たって砂煙を巻き上げる。
男たちは、マシンガンの弾薬が尽きると、弾倉を交換して砂煙が収まるのを待った。
普通の生物なら確認するまでも無い。
しかし、砂煙が収まるに連れて、【深淵の超越者】のシルエットが見えてきた。
「…無理か」
リーダーは微動だにしないシルエットを見て呟いた。
彼に驚きは無かった。
祖国のボディアーマーですらマシンガン程度は防げるのだ、如何にも硬そうな【リアライザー】が無傷でも驚くには値しない。
しかし、驚きは無くても問題は発生した。
手持ちの装備では目の前の【リアライザー】に対抗できず、車両にはグレネードランチャーなども積んで来ていたが、彼らとは連絡が取れない。
(当たらない【心眼】と、手持ちの火器では無傷の【リアライザー】。撤退も止む無しか…)
リーダーは撤退の指示を出そうとしたが、一足遅かった。
「…やるか」
【深淵の超越者】が漸く己の不幸を恨むのを止めて独り言ちた瞬間、
ゴトンッ
最も近くに居た迷彩服の男の首が砂浜に転がった。
男の首を切り落としたのは、【深淵の超越者】の左手首から生えている刃物だった。
左前腕の側面、手首にある半球状の物体から肘の先へ架けて伸びる外骨格が、根元を起点に外側に開いて、更に倍の長さに伸びていた。
その突起は微細な振動を繰り返し、その輪郭は微妙にぼやけて見える。
――振動剣。
端的に言うと、刀身が超高速で振動して何でも切り裂く剣の総称。
現実には超音波カッターが実在するが、これは原理は似ていても全くの別物。
秒間数万回の微細な往復運動という性質上、硬い物や燃えやすい物、振動を吸収する物など切断できない対象が多く、本来は戦闘で使えるような代物では無い。
漫画やゲームのような、何でも切れるなんて効果は幻想に過ぎないのだ。
――但し、それは人類の技術に限った話。
設定の原理さえ正しければ、【リアライザー】はそれを再現し得る。
例えそれが、万年億年を超えて尚、人類の英知が及ばないものであったとしても…。
故に、衝撃を受け流す防弾防刃ジャケットで覆われた首であろうと、その刃は容易く切り落としていた。
迷彩服の男たちが事態を理解するよりも早く、【深淵の超越者】の姿が消えた。
彼は目にも止まらぬ速さで砂浜を駆け抜けた。
地を蹴る度に巻き上げられる砂が、彼の走った後に砂煙を残す。
彼が足を止めて再び人々の前に姿を現れた時、迷彩服の男たちの銃を持った腕が全て、ほぼ同時に砂浜に落ちた。
男たちの呻き声が、夜の海に響き渡る。
その内の一人がハンカチを取り出し、残った腕と歯で傷口を縛って止血を試みる。
それを見た他の男たちも、それに倣った。
マシンガンを手にしていなかった4人は、咄嗟に転がっているマシンガンを拾って、【心眼】と戦小町に銃口を向けた。
4人の距離は離れていて、【深淵の超越者】が誰かを狙えば、その隙に他の誰かが【心眼】たちを撃つには十分な、普通なら人質として有効な状況。
彼らは膠着状態を確信した。
刹那。
【深淵の超越者】の額と手首、膝の半球状の物体の上面に、円月輪のような光の輪が浮かび、半球状の中心から収束された光が放たれた。
――レーザーである。
マシンガンを構えていた男たちの腕が、レーザーで一瞬の内に溶解切断されて砂浜に落ちた。
彼らもまた、失った腕を抑えて苦しみに呻いた。




