生物教師:行方不明
ざわ、ざわ……
翌日。
登校した楽人が教室へ向かう途中、一部のクラスが何やら騒がしかった。
昨晩や今朝は、特別変わったニュースも無かった。
新作ゲームや新作映画の発表があった訳でも無ければ、世間を騒がす大事件が起きた訳でも無い。
世間はいつも通り、下らない話題で盛り上がり、その一つとなった【リアライザー】の話題にも、特に目新しいところは無かった。
彼の通学路も同様。
初見の【リアライザー】を一人見かけたくらいで、実に長閑なものだった。
つまり騒ぎの原因は、一部のクラスにしか関係無いことである。
ガラッ
「おはよう。騒がしいけど何かあったのか?」
楽人は教室のドアを開けて、クラスの自称情報通の姿を探した。
「おお! よくぞ聞いてくれた心の友よ!!」
クラスメイトたちと話していた手塚新蜂は楽人に気付くと、涙で眼鏡を曇らせながら彼に駆け寄って、その胸にしな垂れ掛かった。
クラスの婦女子たちの視線が、彼らに注がれる。
楽人は嫌そうな顔をして、両手で手塚を押し退けた。
「聞いてくれよ~」
手塚が素直に楽人から離れると、婦女子たちは残念そうな顔をした。
「ほんと、何があったんだよ……」
「音無先生が休みなんだよ~」
手塚は筋金入りの眼鏡好きだった。
高校二年のクラス替え早々、自己紹介で眼鏡に付いて熱く語り、付いた仇名が「眼鏡オタク」。
本人はそれを誇りに思っていて、全く堪えていない。
楽人も頼んでも居ないのに、眼鏡の生物女教師に付いて熱く語られたことがある。
「ソシャゲ君」と「眼鏡オタク」。
仇名を付けられた者同士、彼らは気付いたら友達になっていた。
「先生だって休みくらいするだろ」
「それが休むって連絡も無いらしいんだよ~……」
「あの真面目な音無先生が?」
「そうなんだ。だから家で倒れてるんじゃないかって、心配で心配で~……」
手塚と話していたクラスメイトたちも、彼に同意して頷いた。
まだ時間はホームルームの開始前。
担当クラスを持たない教師なら、まだ出勤していなくても不思議では無い時間。
(ユントロと戯れてて寝過ごしたのか?)
楽人は徐にスマホを取り出して、彼が音無先生の近況を知れる唯一の手段――彼女のブログを確認した。
スッスッ、ポチポチポチッ
(…あっ)
そして気付いてしまった。
(昨晩から更新されてない……)
あれほどユントロ愛に溢れていたブログが、昨日の昼間を最後に更新が止まっていた。
ブログのコメント欄にも、彼女を心配したコメントが並んでいる。
【リアライザー】が現れるほどの執着を持つ人間が、急にその集大成から離れる理由……。
「! 悪い、用事を思い出した!」
嫌な予感がした楽人は、友に一言謝り、今入って来たばかりの教室を出て職員室に向かった。
* * *
楽人は職員室に向かいながらブログを遡って確認した。
『あたしのユントロを返せ!』『ユントロはお前のものじゃない!』『何様のつもり?!』『死ね!盗人女』『前から気に入らなかった!』『特定した』………
昨日の昼間から夜にかけて罵詈雑言が幾つもコメントされていて……、
『ざまぁ』
……一つだけ時間が空いて書かれたそれが、罵倒の主の最後のコメントだった。
読み終わった楽人は、我知らず眉を顰めていたことに気付いた。
(こいつからすれば、好きなアイドルの熱愛写真を、個人ブログで見つけたようなものか……)
彼にはその気持ちが分からなくも無かった。
それも彼がサーニャを人目から隠す理由の一つ。
(音無先生が無事だといいんだけど……)
楽人は嫌な予感しかしなかった。
ガラッ
「失礼します」
楽人が職員室のドアを開けて声を掛けると、何人かの教師たちの視線が彼に集まった。
その内の一人、彼のクラスの頭頂部の薄い担任が立ち上がると、他の教師たちは自分の仕事に戻った。
しかし、彼は担任を無視して職員室を見渡し、まだ三十代の学年主任、真島誠司の下へ向かった。
担任はそれを見て、少し嬉しそうに椅子に座り直した。
「朝早く済みません。でも急ぎなんです」
「……どうしたんだね?」
楽人が切羽詰まった様子で声を掛けると、真島主任も大事な話だと察して真剣な顔で尋ねた。
「これを見て下さい」
楽人はスマホを差し出した。
画面には音無先生のブログのトップページが表示されている。
「これは?」
「音無先生のブログです」
真島主任はブログ主のアイコンを拡大した。
「確かに音無先生ですね」
彼は真剣にブログの内容を確認し始めると、状況を理解してその顔が次第に青褪めていった。
「電話で確認して貰えますか?」
楽人には音無先生との接点が無い。
電話番号は手塚から教えてもらえたとしても、彼がいきなり電話をしても、音無先生が出てくれる保証は無かった。
「分かりました。掛けてみます」
真島主任は直ぐに自分のスマホを取り出して、音無先生に電話を掛けた。
とぅるりらとぅるりら~、とぅるりらとぅるりら~……
センスの悪い呼び出し音が流れる。
教師たちは慣れていて、楽人もそれどころでは無かったので、気にする者は誰も居なかった。
とぅるり……ガチャッ
『……はい』
暫くして電話が繋がり、陰鬱とした女性の声が聞こえた。
楽人は声を聞こうと、真島主任のスマホを持つ手に耳を近付けた。
「真島です。音無先生、今日はどうしたんですか?」
『……申し訳ありません。気分が優れなくて……』
音無先生の声は消え入りそうなほど小さく、楽人には殆ど聞こえなかった。
「そうですか、それなら……」
「……今どこですか!?」
楽人は真島主任の手を捻って、スマホを自分の方に向けて叫んだ。
『……誰?』
真島主任は一瞬嫌そうな顔をしたが、楽人の必死な表情が目に入ると、スマホを彼に手渡した。
「2年の須磨です。一昨日部室に行った」
『……それで須磨君が私に……』
「一緒に探しましょう!」
楽人は気が急いて大声になってしまい、職員室中の教師たちが彼を振り向いた。
『……何で?』
「あー……」
気持ちばかり先走っていた楽人は言葉に詰まった。
彼にとって、この件は他人事では無い。
しかし、サーニャを大事に思うからこそ、教師たちの前でそれを口にすることは憚られた。
(主語を隠そう。それでも話は通じるはず)
だから典型的な手段を選んだ。
「(ユントロが)気になるからですよ!」
『……須磨君には関係無いでしょう?』
少し、音無先生の反応が遅かった。
「(ユントロのことが)心配だからです。……(ユントロを探す)力になりたいんです」
『………』
音無先生の返事が止まった。
電話が切れる音はしていない。
楽人は微かな呼吸音を聞いた気がした。
暫くして、反応があった。
『――町3丁目の郵便局』
「! 分かりました、直ぐに行きます!」
ガチャッ
「ありがとうございました! 具合が悪いので早退します! 失礼しました!」
楽人は即答して通話を切り、真島主任に礼を言ってスマホを返し、直ぐに職員室を出た。
* * *
音無先生の指定した場所は、月仰高校から遠かった。
電車に乗る必要があり、どんなに急いでも数十分は必要となる。
楽人は相手に到着時刻を伝えなかった自分の迂闊さを呪いながら、スマホを取り出して手塚に電話を掛けた。
「音無先生の電話番号を教えてくれ。知ってるよな?」
『……知ってるけど、何で今更?』
電話先で手塚が訝しんだ。
まだホームルームも始まっていないので、背後からはクラスメイト達の雑談が聞こえてくる。
「理由は聞かないでくれ」
楽人には本当の理由を言えるはずが無かった。
況してや、彼は今まで、手塚から眼鏡を布教されても無視していた身。
音無先生が学校を休んだ途端に何かを言っても、全く説得力が無かった。
『090-XXXX-XXXXだ』
それでも、親友はそれ以上追及しないで、電話番号を教えてくれた。
「恩に着る」
『後で聞かせてくれよな』
「ああ」
楽人は礼を言って手塚との通話を切ると、早速音無先生に電話を掛けた。
トゥルルルッ、トゥルルルッ、トゥルル……ガチャッ
『……はい』
電話に出た音無先生は、先程と同じく覇気が無い。
楽人はあまり普段の彼女を知らなかったが、少なくとも、授業中や一昨日の同好会より元気が無いと感じた。
「須磨です」
『……何?』
「到着は四十分後くらいになります」
『……わかったわ、それじゃあ……』
「はい」
ガチャッ
通話は事務的な応答に終始して終わった。
(やっぱり堪えてるんだなぁ……。俺だってサーニャが誘拐されたら堪える。何なら、気が触れて反社会的な破壊活動くらいはする自信がある)
楽人は音無先生に同情をしていると、余計に彼女のことが心配になって来た。
しかし、彼が幾ら気を揉んでも、電車の時間は早くならない。
彼にはタクシーを使うような甲斐性も無い(甲斐性は一昨昨日使い切った)。
楽人は電車を待っている間、トイレに行ったり、売店で買い物を済ませて心を落ち着かせた……。
事件ですよ、須磨楽人さん




