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怨嗟の声

 昼休み。

 楽人は四限の授業が終わると、勉強道具を片付ける間も惜しんで、今日もオタク同好会の部室へと向かった。

 彼の目的はユントロとの蜜月。

 面会を取り仕切っている、同じ【リアライザー】の相方である音無先生では無い。

 既に彼にとって、ユントロの可愛さにはそれだけの価値があった。

 しかし現実は非情である。


 ざわ、ざわ……


「なんじゃこりゃ……」


 楽人は思わず呟いた。

 彼が部室棟に到着する頃には、オタク同好会の部室には、既に60人以上の生徒たちが並んでいた。

 一人一分のルールなので、今から並んでも、昼休み中に順番は回って来ない。

 校内の口コミと世間の話題、リピーターが重なった結果だった。


 楽人はミスをした。

 一つは、廊下を走らなかったこと。

 もう一つは、授業が終わってから教室を出たこと。

 2年B組という、部室棟から近くも遠くも無い彼は、真面目に並んで勝てるはずが無かったのである。


 昨日なら余裕のあった時間に、今日はこの有り様。

 明日以降の更なる激戦の予感に、楽人は身を震わせた。


「……お願い、帰って……」

「……帰れ、帰れ、帰れ……」

「……トイレに行け……」


 最後尾付近の生徒たちの中には、絶望感が漂っている者たちが居た。

 彼らはユントロの元からのファンやリピーター、或いは、SNSや友達の写真を見て、心を射抜かれた者たち。

 前に並んでいる生徒たちが離れることを望んでいる……と言うよりも、最早呪っていると言える様子だった。


 列に並びながら、昼食を食べている生徒も少なくない。

 おにぎりやパンは固より、中には、弁当を広げている剛の者も居る。


「今日は無理だな……」


 楽人は七時間授業が無い日には塾を入れている。

 そのため、放課後は並べないか、並んでも直ぐに、定時の17時を超えてしまう。

 彼は今日だけでは無く、二度とユントロとの逢瀬が実現しない可能性を予感した。


(エントロピーの名は伊達じゃないな)


 ――ウユーンと鳴く、エントロピーの不思議生物。

 それがユントロの名前の由来。

 お楽しみ会という限定条件下で、生徒たちを惹き付けて止まない魅力は、正にその名前に恥じない実力だった。


 彼は昨日撮った写真に癒されながら教室へ帰って行った……。



 * * *



 楽人は教室に戻る途中、人気の無いあたりで電話を掛けた。


 とぅるるるる~、かちゃっ


「あ、もしもし、母さん?」

『あら楽人? 学校からなんて珍しいわね。忘れ物でもした?』

「あっはは。違うって。小学生じゃないんだからさ」

『こっちなら大丈夫よ。サーニャちゃん(このこ)もいい子にしてるし』


 母親が一緒に食卓を囲むサーニャを見ると、彼女はウズウズしながら大人しく母親を見返した。


(やっぱり母さんは気が利く。サーニャも近くに居るみたいだな)


 彼が記録の流出を危惧して電話にしたように、母親もまた、電話先で聞かれることを危惧して、サーニャの名前を出さなかった。


「そうじゃなくて、学校でちょっと面白い話を聞いたんだ」

『何々?』


 彼の母親はノリがいい。

 何時までも若いコツだと、よく嘯いている。


「最近色んなUMAが発見されてるのは、母さんも知ってるよね」

『ええ、知ってるわよ』

「テレビでやってたらしいんだけど、UMAには人権が無いんだって」

『あらまあ……』


 母親が空いている手を頬に当てて、然も大袈裟に言うと、それを見ていたサーニャが目を白黒させた。


「しかも動物保護もされないとか」

『それはUMAさんは大変そうねえ。捨て猫だって虐められるのに、誰も護ってくれないってことでしょ?』

「そうなんだよね。まあ、狂暴なUMAもいるって話だし、注意した方がいい(・・・・・・・・)かなって」

『あらあら、母さんを心配してくれてるの? 嬉しいわねえ』

「ちっ、ちが……!」

『うふふ』


 慌てる楽人に、母親は満更でも無さそうに微笑む。


「はあー……、もうそれでいいから。一応気を付けて」

『わかったわ。私たち(・・)は大丈夫だから、楽人も気を付けなさいね』

「はいはい。それじゃ……」


 ガチャッ


「はぁ……」


 楽人は電話を切ると、もう一度、今度は安堵の溜め息を吐いた。


 母親はサーニャの近くで電話に出た。

 サーニャは電話に出なかった。

 彼もそれを望まなかった。


 それは少し寂しいけれど正しい選択。

 全員が状況を理解し、お互いがお互いを思った結果。


 楽人はその事実が嬉しかった。


(今までは捨て猫虐めとか聞いても、可哀想と思うだけだったけど、もう他人事じゃないんだよな……)


 その時の彼には、まだ知る由も無かった。

 既に悪意の陰は、彼らの身近に迫っていたことに……。

平和な日常に迫る悪の陰!

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