海岸へ
着替え終わった楽人たちは、海へ向かう準備をした。
楽人とアル・ラクスが、簡易更衣室のブルーシートと枠組みをリアゲートから外して、アルファードのトランクに片付けた。
他の人たちも、持っていく物を車内から持ち出す。
父親は、砂浜に敷くブルーシートなどの入った、容量重視のファスナーも無い大きめのトートバッグを。
母親は、麦わら帽子を被り、食べ物や医薬品の入った竹製の手提げ籠を。
楽人は、凍らせた飲み物が入ったクーラーバッグを。
サーニャは、いつもの鍔広帽子だけ。
いつものお洒落なバッグは、サーニャが潮風で錆びたりすることを嫌がって持って来なかった。
静香は、トートバッグから、スマホなどの入った小さなバッグを取り出してきた。
着替え終わった直後は、楽人の反応が心配で気が気で無く、バッグのことを忘れていたのだ。
アル・ラクスは、アキラの玩具が入ったバッグと、空気の入っていない浮き輪に加え、楽人たちが持って来たパラソルを持つことも買って出た。
アキラに荷物は無い。
範子も、黒服に全部預けているから手ぶら。
貴巫女は、小物の入った可愛い白いハンドバッグを肩から下げた。
若頭に手荷物は無く、ポケットに主人である範子のスマホも入っているくらい。
対するサングラスの黒服は、範子や彼女の親友である貴巫女の好みの飲み物が入った、やや小さめのクーラーバッグを持っている。
手塚は、財布代わりのスマホがポケットに入っているだけ。
ユントロは荷物では無いが、荷物の無いメスリンがずっと抱き抱えたままだった。
彼ら、彼女らは水着ばかり褒めていたが、当然、全員靴とは別にサンダルも用意してある。
素足で真夏のアスファルトの上を歩くほど、彼らは自殺志願者では無いのだ。
父親と母親は、家にあった使い古しのサンダルを履いていた。
楽人とサーニャは、お揃いの安物のスポーツサンダル。
安物なのは、お揃いを探すのが楽だったから。
範子と貴巫女は、ギャルらしく足元にも気を使っていて、今年の新作のサンダル。
しかし、毎日履いて歩き回っているので、見えないところは結構傷んでいで小さな傷が少なくない。
静香は、複数の細く華奢なストラップで固定するサンダル。
足が細く見えるのも良いが、脱ぎ履きし易くサイズの融通も利くので、少ない時間でも合うサイズを探せたことが大きい。
アキラは、親の気遣いが見て取れる、蛍光色の子供用サンダル。
アル・ラクスは、あまり使わないサンダルで、【共生者】の両親に負担を強いることを危惧し、安物のサンダル。
とは言っても、2メートルの長身を支えるビッグサイズ。
激安の量産品では中々見つからないので、靴専門店で安いシューズ並の値段になってしまったのだが。
手塚は、底の厚いサンダル。
久しぶりの海なので、見栄を張りたい年頃なのだ。
メスリンは、“ミレニアム戦記”の衣装そのままのハイヒールで、黒服たちは当然革靴。
彼らは準備が終わると、駐車場から海へ、テクテクと歩いた。
元々海岸近くの駐車場なので、歩き始めると直ぐに建物が無くなり、遠くに海景色が見え始めた。
数分も歩けば海岸は目の前。
数メートルの坂を下るか、所々に作られた階段を下りるだけでもう海だった。
* * *
メスリンは砂浜に下りる階段が見えると、駆け寄って周りを見渡し、
「うぅー、みぃーっ!」
土手の上から眼下の海岸に向かって、両手と両足を広げて、目いっぱい楽しそうに叫んだ。
空を見上げれば、視界いっぱいに広がる天は高く、雲も少ない突き抜けるような青空。
その下を見れば、これまた視界いっぱいに広がる海は果てしなく、海や手前に広がる砂浜には点々と人影が散らばっている。
(気持ちは分かるなぁ)
楽人が感慨に耽っていると、手を繋いで隣を歩いているサーニャが、少し前に出て振り返ると目を輝かせた。
彼が相好を崩して頷くと、彼女は嬉しそうに前を振り返って、彼の手を引いてメスリンの元へ走り出す。
そして横に並ぶと、
「うぅ~、みぃ~っ♪」
メスリンと同じように叫んだ。
繋いだままの楽人の左手も一緒に上がり、彼は苦笑しながら同じ景色を見る。
「思ったより少ないな。盆が近いからか? それともまだ早いからか?」
その場にこの海岸に詳しい者は居ない。
彼は答えの帰って来るはずの無い疑問を独り言ちた。
――実際には、今この海岸全体で数百では済まない海水浴客が居る。
しかし、浜辺が人で埋まるほど海水浴客でごった返す状況と言うのは、場所も時期も限定されるのだ。
あまり海に興味の無い楽人では、少ないと感じるのも仕方の無いところだった。
「うっ♪ みっ☆」
範子が駆け足で追い付いてきて、楽人の右側、一歩前で立ち止まると、ニカっと笑ってポーズを取った。
肘を横に突き出し、指三本を立て、人差し指と中指の間から片目が見えるようなポーズ……所謂、横ピースである。
「あはははっ、なんだそりゃっ」
楽人は思わず噴き出した。
サーニャはそれを見て人差し指を咥えると、何か考え込んだ後一歩踏み出して、
「うっ♪ みっ♪」
範子と逆の手で同じポーズをした。
範子に比べると肘の角度が低い。
「サーニャん、よき! でももちっと、こうっ」
範子は肘を上下させて、ピースの位置が真横に来ることを、言葉では無く身振り手振りで伝えようとする。
「こうですか?」
サーニャはそれを察して、今度は範子と同じ角度で横ピースをした。
「おけい。んじゃ一緒に、うっ♪ みっ☆」
「うっ♪ みっ♪」
楽人を挟んで二人の横ピースがシンクロした。
「何やってんの、あんたたち…」
普通に歩いて追い付いた貴巫女が、親友たちの奇行に溜め息を吐く。
「あっ、貴巫女っちいいとこ来た! 写真写真っ!」
範子は声に振り向くと、スマホを構えるポーズをして写真を要求する。
「はいはい…」
貴巫女はハンドバッグからスマホを取り出して構えた。
「サーニャん、須磨っちも!」
範子が手をバタバタさせると、理解したサーニャと楽人も貴巫女の方に向き直る。
「はい笑って―」
三人にスマホを向ける貴巫女の声は棒読みで、顔は全く笑っていない。
「うっ♪ みっ☆」
「うっ♪ みっ♪」
範子とサーニャが楽人の腕を取って、笑顔で横ピースをした。
楽人は苦笑いを噛み殺して普通に笑う。
「うみっ♡」
カシャッ
貴巫女がシャッターを切る直前、楽人の手前に回ったメスリンが、両手で横ピースをした。
楽人より身長が頭一つ半低いので、楽人の顔は隠れていない。
後ろで面白そうなことをやられて、黙っていられなくなったのだ。
「メスリンもよきよき☆ 貴巫女っち、どう?」
「こんな感じ」
貴巫女はメスリンの目線を意識して、慎ましい胸の辺りでスマホを範子の方に向けた。
範子は近寄って、少し腰を曲げてスマホを覗き込む。
「いいね☆ さすが貴巫女っち」
メスリンが本当に直前に割り込んだので、範子もサーニャも楽人も、少し目を大きく開いた程度で済んでいた。
もし割り込むのが後数瞬早ければ、三人とも驚いた変顔を晒していたところだ。
「後で送るね」
貴巫女は取り合うようにスマホを覗き込む四人に言った。
水着にポケットの無い範子はスマホを若頭に預けているし、貴巫女は楽人やサーニャのスマホを登録していないし、メスリンに至ってはスマホ自体持っていない。
「――あなたたち楽しそうね」
最後まで歩いて来た静香が、漸く追い付いて声を掛けた。
(御両親の手前、年甲斐も無く走るのを控えただけなのよ)
静香は心の中で自分に言い訳をした。
二十代半ばなので世間的にはまだまだ若いが、元陰キャ、現生物教師のオタクである。
体型が気になって多少のストレッチはするけれど、圧倒的に運動不足。
年齢の割りに体力が無いことは自覚していた。
そこがゴールに見えて最後に少し駆け足になったアキラ、少し歩幅を広げてそれに続くアル・ラクス。
後は団子になってその場に全員が集まった。
「さて、ここで二手に分かれましょうか?」
静香は楽人の両親の手前、何とか威厳を取り戻そうとその場を取り仕切った。
しかし現実は非情である。
(あらあら、可愛いわねえ。私にもあんな頃があったかしら)
(真理は今でも可愛いよ)
(うふふふ、アナタったら)
今更取り繕っても無駄だった。
母親の目には既に、“年長の立場を気にして思い切れない可愛い女の子”としか映っていない。
「メスリンちゃんとレンタルショップへ行くのは、お姉さんのサーニャと須磨君、それと保護者として私の四人。他の方々は浜辺の場所取りで良いかしら?」
静香は至極妥当な分配に見せかけて、サラッと自分を楽人側に捻じ込んだ。
「はいっはーいっ☆ あーしも行くっ☆」
言い終わると同時に、範子が元気よく手を上げて宣言した。
静香の顔が少し引き攣る。
彼女は建前上希望を求めたけれど、範子にそんな建前は通用しない。
「それでは綾波さんも一緒に行きますか?」
「いいえ、私は浜辺で待っています」
静香は範子の相手を任せようと思って声を掛けたが、貴巫女はそれに気付かない振りをして拒否した。
(範子の相手は構わないけど、あの中に混ざるのは嫌)
貴巫女は頭に浮かんだ、小さなお饅頭が二つ、リンゴ二つとメロン四つに囲まれている妄想を搔き消した。
ブドウが二粒転がっていたが、それは何の慰めにもならない。
「お嬢、私たちは場所取りに向かいます。…メスリン、お嬢に迷惑を掛けるんじゃないぞ?」
「え~ん、おねえさ~ん。こわいおぢさんがイジメる~♡」
メスリンが泣き真似をして、範子の胸に抱き付く。
「こんな小さい子脅すとかマジ引くわー」
範子はメスリンの頭を撫でながら、兵藤をジト目で見た。
実際、メスリンは【共生者】と手塚を弄るだけで、他には迷惑を掛けていないので、一般人から見れば言い過ぎと言えなくも無い。
しかし、彼女はメスガキである。
原作を知る楽人やオタクの静香からすれば、兵藤の忠告は妥当に感じられた。
その証拠に、メスリンは範子の胸から顔を少し覗かせて、兵藤にニヤリと笑い顔を見せつけた。
(あっ、愉しそう)
兵藤が砂浜へ振り向く際に一瞬、「これが見たかった」という顔をしたのを楽人は見逃さなかった。
(メスガキが【リアライズ】するような人だもんなぁ…)
楽人たちは兵藤たちを見送ると、レンタルショップを求めて出店が並ぶ通りへと繰り出すのだった…。
ビーチパラソルって意外と軽いですよね




