水着を求めて:終章
楽人たちがエスカレーターを下りて、女性用の下着売り場に目を向けると、正面通路の奥、突き当りの曲がり角から顔を出した母親が手招きをしていた。
「デジャヴを感じる…」
「奇遇だな。俺もだ」
楽人の呟きに、父親も神妙な顔で同意した。
彼らが曲がり角まで行くと、試着室の前には自信に満ちた表情の母親が待っていた。
無論、サーニャの姿は無い。
「それでは第二回、サーニャちゃんファッションショーを開幕します!」
母親がハイテンションで歌番組のゲストでも紹介するように、片手ならツッコミにも見える動作で試着室に向けて両手を振った。
パチパチパチ
息子と旦那が拍手を送り、母親はそれを見て満面の笑みを浮かべる。
息子たちのデジャヴは更に深まった。
シャーッ
前回のアパレルショップとは別店舗だと言うのに、試着室のカーテンは同じように軽快な滑走音を立てて開いた。
上半身は胸の中央を覆う白い三角形の布地が二つ、左右を結ぶ紐と肩と背中に伸びる紐で繋がっていて、下半身は二つの三角形の頂点を繋げた布が前と後ろを覆い、左右に伸びた紐が腰の横で結ばれていた。
「ビキニっ!?」
男の夢にして女の誇り、水着の王者ビキニである。
但しそれを着ているのがサーニャで無ければの話だ。
普通なら胸の七割くらいは布で隠れるデザインなのに、サーニャの人並外れた巨乳は半分も隠れていない。
“ミレニアム戦記”の中では大きい方であっても、作中の頂点には程遠い彼女でもこの有り様である。
(フィクション上位の【リアライザー】は合う水着無さそうだな…)
楽人は俗に言う、スイカみたいな爆乳キャラがビキニを着ている姿を思い浮かべた。
現実には欧米の太ましい女性が着るようなビッグサイズのビキニもあるのだが、日本では需要が低いので普通の店先で見かける機会はまず無い。
海にあまり興味が無い楽人には、その辺の想像はできなかった。
「どうですか?」
サーニャが少し恥ずかしそうに、その場でクルリと回って見せる。
背中より先に、隠れていた小さな羽が見え、続いて尻尾の先が見え、そして…
シャッ
サーニャの背面が見え掛けた途端、楽人は試着室のカーテンを慌てて閉めた。
「どっ、どうしたんですか?!」
サーニャが驚いてカーテンの外に声を掛けると、楽人はカーテンの端から試着室に首を突っ込んで答えた。
「後ろが見えるから駄目」
ビキニの下は上に比べれば普通……と言うことは無く、尻尾の付け根で水着の後ろが盛り上がり、本来隠されるべきお尻の谷間が見え隠れしていたのだ。
それどころか、下から見れば普通にお尻の穴が見えてしまいそうだった。
「大丈夫よ楽人。私が後で尻尾の穴を開けてあげるから」
それはそれで、普通なら水着の強度が心配になるところだが、母親の実力を知っている楽人はそこは心配していなかった。
その代わりに、分かっていて試着を見せた母親をジト目で睨んだ。
「さあ、次に行きましょ、次」
母親は何食わぬ顔で試着室に入り、サーニャの着替えを手伝った。
* * *
「続きましてのエントリーはこちら……じゃっじゃーんっ!」
サーニャの着替えを手伝い終えた母親は、カーテンが閉まったままの試着室から先に出ると司会に戻り、煽り文句と共にカーテンを引いた。
中から現れたのは、紺色の厚手の布地に白いラインの入ったワンピースで、サーニャは揃えた指先で、四角い白い布を胸元に抑えている。
胸の辺りの生地が内側から盛大に押し広げられ、水着もサーニャも少し苦しそうだった。
偶然近くを通りかかった、胸の慎ましい女性店員がサーニャを一瞥して、「お前に合うサイズなんかねーよビッチが!」と心の中で叫んで去って行った。
「旧スク水…だと……?!」
――旧スク水とは、主に二十世紀の学校指定水着を指して呼ばれる俗称である。
胸元に名前を記入する白い布が縫い付けられたタイプは、男女を問わず可愛い物好きに大人気で、既に使われていないにも関わらず、アニメやゲームでは頻繁に登場する。
本来のスクール水着は、二十世紀後半、水泳授業が重視されるにあたって、当時の公式競技の水着を参考にデザインされた水着が発祥である。
当初は水泳機能を重視したデザインで、学校ごとに指定されていたが、二十世紀終盤から保温や紫外線対策などを重視した膝下しか露出の無いデザインが増え、殆どの学校で指定も無くなっていった。
…しかし、現実には海やプールでその手の水着を着用している人間は少ないこともあり、関係者が声の大きい層に屈したと揶揄されるに至ったのは半ば必然と言える。
「あんたこういうの好きじゃない」
母親がサーニャの胸元の白い布切れ――その辺に陳列されていた白いハンカチを長方形に折った物――を指差して、ニヤニヤと笑った。
「いつの話だよ!」
「小学校に上がって直ぐくらいだったかしら?」
楽人は別に旧スク水が好きな訳では無い。
“ミレニアム戦記”でサーニャが着ていたら好きになったのかもしれないが、唐突に着ている姿を見せられても、普通の水着としての感想しか湧かなかった。
つまり、「海でうっかり脱げる心配が無さそう」くらいのものである。
だから母親の言葉には納得が出来ず、首を傾げて十年くらい前を思い出してみようとして、変な記憶が脳裏を過ぎった。
『ど~う、楽人ちゃん? 可愛いでしょ?』
と言って、年齢一桁の楽人の腰に馬乗りになって腰を前後左右に揺する、旧スク水の女子高生……紛う事無き若き日のショタコンお姉ちゃんである。
「ぐはっ!」
楽人はいきなり吐血でもしそうな感じで後ろに倒れ込み、父親がそれを咄嗟に支えた。
「ガクトっ?! しっかりして!」
サーニャは驚いて試着室から出ると、楽人の頭を胸に抱き抱える。
楽人はいつもと少し違うサーニャの胸の感触を感じながら思った。
(…スク水の生地も悪く無い)
と。
楽人が母親の悪乗りに端を発した、新たなトラウマから復帰した後も水着ショーは続いた。
* * *
「おおぉぉぉ…」
次の水着を見て、楽人は珍しく感嘆の声を上げた。
その水着は上下一体型で、普通なのは肩紐くらい。
胸の下から腰の付け根あたりまでの左右が半ばまで露出し、左右に伸びた飾り紐を左腰で結び、腰下はぴったり身体のラインが出るミニスカートのような作りになっていた。
大人っぽいデザインに反して桜のようなピンクが、可愛さを引き立てている。
「決まったか」
息子の嫁なので適当に流していた父親が、息子の反応を見て声を掛けた。
「えへへ~♪」
サーニャが楽人の好感触を察して喜ぶと、嬉しそうにクルリと一回転して見せた。
水着に穴を開けるまでも無く、背中が開いているので小さな羽に不自由は無く、尻尾も付け根がミニスカートに隠れているが、ミニスカートがズレて落ちそうな様子は無い。
「…そのスカートの中は?」
楽人は感動から我に返って尋ねた。
「こんな感じ…♪」
サーニャは少し恥ずかしそうに、スカートの裾を捲り上げた。
スカートの中はスカートと一体型のショーツ状の水着になっている。
形状的に泳いでも脱げ難く、大人っぽさと可愛らしさを両立した、文句なしの一品だった。
「大人っぽくていいね」
「きゃーっ♪」
楽人に素直に褒められて、サーニャが飛び上がって喜ぶ。
そこには大人っぽさの欠片も無い。
(大人っぽさが息を引き取ったけど、これもまた可愛いから良し……と?)
これで決まりかと思った楽人は、試着室の脇に立つ母親が、口の端を上げてニンマリとしている顔を見て悟った。
「まだあるんでしょ?」
「勿論よ」
母親は目を細めて、肉食獣のような笑みを浮かべた。
* * *
(これ以上何が来ると言うんだ? 正直想像が付かない…)
毎年海へ行く習慣の無い楽人には、女性の水着なんてよく分からなかった。
テレビやネットで流行の水着を見かけても、興味が無いので記憶に残らないのだ。
仮に水着の種類を問われても、“ビキニ”、“ワンピース”、“スク水”しか答えられないのは、ある意味では普通の男の子なのかもしれない。
「たららったらーんっ! お待ちかね、エントリーナンバー4番はこちら!」
母親がまだまだやる気を見せていることに、楽人は頼もしさ以上に恐ろしさを感じた。
シャーッ
「―――っ」
そんな彼の思惑も、カーテンの中から現れた新たな水着の前に、時を止めた。
その水着は一見、ベージュ色の夏服に見えた。
胸元で紐で結ぶ、胸の下までしかないブラウスのような上着。
腰の上あたりで紐を結ぶ、丈の短いミニスカート。
しかし、よく見ると実態は違っていた。
上下ともに布地は繊細なデザインのレースで、光の加減で時折金色にも見え、その下にあるビキニの上下や着ているサーニャの身体の輪郭が薄っすらと透けて見えていた。
例えるならば、ベージュのネグリジェのセットである。
「綺麗だ…」
楽人は思わず呟いていた。
ふあああぁぁぁぁぁっ…
サーニャの全身から、幸せな雰囲気が溢れ出す。
それはその場に居た全員が、彼女の背後に華が咲き乱れる様子を錯覚するほどだった。
「ガクトーっ♪」
サーニャは感極まって、少し高い試着室の床から楽人に向かって抱き着いた。
楽人は彼女をしっかり受け止めて抱き締める。
そこへ、当然の権利のように再び通りかかった胸の薄い女性店員が、潰れて尚存在感を示すサーニャの胸を睨み、「大きさ?! やっぱり大きさなの!?」と心の中で叫んで通り過ぎて行った。
一頻り抱擁を交わした後、楽人は前に数歩進んで、サーニャを試着室の床に下ろす。
「サーニャ、全身を見せて欲しい」
「はいっ♪」
サーニャが喜んで答える。
彼女の協力の元、楽人は水着のチェックをした。
レースだけあって、上着――カバーアップ――もスカートもかなり軽かった。
また、余裕のある作りでゆったりとしていて、水を吸ったり張り付いたりすることも無さそうで、カバーアップの重さが、小さな羽の負担になるような心配も無い。
ビキニはホルダーネックと背中の紐を結んで固定するタイプで、カバーアップは前面の紐を結ぶので、両方同時に解けるということは考え難い。
下の方も腰の上の紐で結ぶスカートとパンツの一体型で、腰上・腰・股間で固定される形となっていて、上下ともに水着は泳ぐための物という強い意思を感じさせる作りであった。
これで心配なら、後はもうダイビングスーツしか無いとすら言えよう。
チラッ
ビッ
楽人が母親の方を見ると、母親は親指を立てて最高の笑顔で返した。
(見た目の可愛さ、美しさ、色合い、安全性、機能性、全てにおいて非の打ち所が無い…!)
唯一難点を上げるとすれば、普通なら余裕を持って閉まるはずのカバーアップの前面が、サーニャの遠慮しない特盛を隠し切れず、僅かに胸の谷間が見えてしまうくらいのもの。
それも実害は無く、彼女の魅力を引き立たせているだけに過ぎないのだから、この水着はサーニャのために作られたのかと錯覚するほどの代物だった。
そして数多ある水着の中から、この水着を見つけ出した母親の慧眼に、楽人は戦慄を覚えた。
「サーニャ。俺はこれが良いと思うけど、どうかな?」
楽人は意を決して尋ねた。
以前、彼女の服を買った時は、幾つあっても困らないので、一つに絞る必要は無かった。
しかし水着は違う。
頻繁に使う機会が無い物の決定に他人が口を出すと言うのは、相手を思うほどに覚悟が必要になる。
「んーん」
だからサーニャが首を振った時、楽人は自分で思った以上にショックを受けた。
「何故?!」
楽人は思わずサーニャに詰め寄り、息が届くほど顔が近付く。
サーニャは少し困ったような顔をして母親の方を見た後、楽人に向き直って申し訳無さそうに答えた。
「…もう一つあるから」
「なん…だと……」
そして水着ファッションショーは危険な領域へ…。
* * *
「テレレッテレ~ンッ! 本日のラストオーダーでーす!」
どこかで聞いたことがあるような、微妙に間違っている効果音を口にして、母親は試着室のカーテンを開いた。
そして現れた最後の刺客。
その水着は可愛かった。
首元から脇の下までカットされたノースリーブのワンピースで、胸元は完全に隠れるが背中が僅かに開いていて、スカートは胸の下ではなくヘソの下から始まり膝の上まで末広がり。
生地はパステル調の薄い紫に、花や小物などがプリントされていた。
どこからどう見ても女児向けのデザインである。
「…サーニャ、きつくないか?」
「だ、大丈夫」
心配する楽人に、サーニャは引き攣った笑顔で応えた。
女児向けは150cm程度が上限である。
サーニャは美少女キャラクターらしくスタイルこそ抜群なものの、【リアライズ】された身長は普通の人間と大差が無い。
座高は同身長の人間より低いのだが、それでも女児向けの水着は厳しかった。
背筋を伸ばすと、首周りの輪っかになっている部分が鎖骨に、股間が鼠径部に食い込みかけている。
「努力は買うけど、サーニャにはちょっと子供っぽ過ぎるかな」
「うぅ~、かわいいのに~~…」
サーニャは泣く泣く試着室のカーテンを閉めて、元の服に着替え始めた。
「良かったでしょ?」
「…俺をロリコンに目覚めさせる気か?」
楽人が母親をジト目で見る。
「女の子も欲しかったのよ」
母親は息子から視線を逸らして、少し拗ねたように本音を漏らした。
「何で作らなかったんだよ」
「効率が悪いのよ」
「は?」
何でも颯爽と熟す彼の母親には似つかわしくない言葉に、楽人は固まった。
「楽人は知らないでしょうけど、妊娠し易い排卵前後って男の子が生まれ易いの。これがどういうことか分かるかしら?」
「う~ん…」
(つまり逆をすれば女の子が生まれ易いわけで、それって…)
「女の子が欲しければ、妊娠し辛い時期に数を熟すと良いってこと?」
「そういうこと。でも毎日真面目に働いて帰って来るお父さんから、毎日沢山搾り取ったら倒れてしまうわ。それで男の子が生まれて養育費が嵩んでもねえ~…」
「げ、現実的過ぎる…」
子供の性別なんて考えたことが無かった楽人は、現実に打ちひしがれた。
投薬や人工授精を口にしないのは、自分の好みより子供のことを考えていると褒められなくもない。
ドラマなどの不倫物で女の子の出生率が高いのは、男も女も美少女が好きという俗な理由だけでは無く、現実的な側面が強いのである。
「お待たせしました~♪」
楽人たちが子供談義をしていると、着替えの終わったサーニャが試着室のカーテンを開けて出てきた。
肘を曲げたその左腕には、試着した五つの水着を掛けている。
「それで、結局どれにするのかしら?」
母親はあっさり思考を切り替え、笑顔で息子に尋ねた。
「そうだなぁ…」
楽人は考える素振りを見せたが、彼の中では既にもう決まっていた。
定番の白いビキニ。
紺色のマニアックな旧スクール水着。
ピンクの大人っぽいワンピース。
ベージュのお洒落なセット。
紫の愛らしいお子様水着。
彼が選んだのは当然…、
「俺が一番良いと思ったのは、やっぱりベージュの水着かな」
楽人はサーニャを見て答えた。
息子の理解者である母親は、「やっぱりそうよね」と頷く。
少し離れて寄って来る男を警戒していた――この時期に男連れでアパレルショップより優先して買いに来る女性なんて居ないので完全に無駄になった――父親も、まるで最初から分かっていたかのように頷いてみせる。
サーニャが楽人をじっと見つめ返す。
「勿論、サーニャが着る水着なんだから、サーニャの好きなのを選んで良いよ」
「わたしもこれがいい♪」
サーニャは楽人が同じ気持ちだったことも、同じ物を選んでくれたことも、自分の気持ちを求めてくれたことも、全てが嬉しくて彼に抱き付いた。
その勢いで持っていた水着が落ち、母親が苦笑しながらそれを拾い集めた。
第一回サーニャの水着コンベンションは、ベージュのお洒落水着セットの優勝で幕を閉じたのだった…。




