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風呂

 カポーンッ


「はぁーーー……」


 湯気が充満する広く無い浴室に、リラックスした吐息が響いた。


「久しぶりの一番風呂だなぁ……」


 楽人が手足を伸ばすと、浴槽の端に当たった。

 須磨家では風呂の順番は決まっていないが、彼は普段、勉強や“ミレニアム戦記”(ソシャゲ)をやっていて遅くなることが多い。

 今日は父親が、サーニャ相手に気持ち良く語っていて終わらないので、母親に薦められて楽人が一番風呂に入った。


「かぽーん」


 楽人は意味も無く、手桶の音を口真似した。

 両親が思った以上に協力的だったので、彼は肩の荷が下りて気が抜けていた。


「色々あったもんなあ……」


 朝から両親にサーニャの同棲を認めてもらい、家を出た途端に人外を目撃し、学校では可愛いの権化に癒され……。

 まだ一日も経っていないのに、学校も、ネットも、テレビ番組も、何処も彼処も【リアライザー】一色。

 明日からどうなってしまうか、彼には想像も付かなかった。


「お湯加減はどうですか~」


 脱衣所の方から聞き慣れた(・・・・・)声が聞こえて来た。


「ああ、丁度いいよ、母さ……」


 ガラッ


 楽人が生返事を最後まで言い切る前に、浴室のドアが開いてサーニャが入って来た。

 無論、何も身に着けていないし、タオルで隠してもいない、生まれたままの(?)姿だった。

 仄かな湯気だけが、彼の視界から所々を隠している。


「ちょっ、サーニャ?! なんで!?」


 楽人は驚いたけれど、目は逸らさなかった。


「お母様に勧められて、一緒に入ろうと思ったんですけど……迷惑でしたか?」


 サーニャが目尻を下げて顔を曇らせる。


「いや、そんなことはない! 断じて! 決して! 絶対!」

「それならよかった~」


 楽人にサーニャを悲しませる真似など、出来るはずが無い。

 彼が慌てて必死に否定すると、彼女は嬉しそうにはにかんだ。

 その笑顔を見せられてしまったが最後、彼には今更、「いきなり一緒の風呂なんて俺にはハードルが高過ぎる」とは口が裂けても言えなくなってしまった。


「それでは失礼して……」


 サーニャが前屈みになって浴槽の縁に手を置くと、たわわな胸が楽人の目の前で揺れた。


(……大きい)


 現実(リアル)に近い等身のフィクション作品で、胸の大きな美少女によく見られる、小玉メロンに匹敵する形と大きさ。

 間近で見る布一つ覆われていないそれは、想像していた以上のインパクトがあった。

 ゆっくり湯船に入っていく右足も艶めかしい。

 楽人は目のやり場に困りながらも、先程とは別の意味で目を離せかった。

 続いて左足、腰から肩まで、サーニャは彼に見られながら全身を湯船に浸した。


「ふぅーーー……いいお湯ですねえ♪」


 須磨家の浴槽は一般的なサイズなので、二人が離れて入れるほど広くない。

 サーニャが楽人と向き合うように湯船に座ると、彼女の柔らかい膨らみが、透き通った水面から顔を出して静かに揺れた。


「なんで横を向いているんですか?」


 湯気にすら隠れていないそれを直視できるほど、楽人は女性に慣れていなかった。


「わたしのこと、嫌いになったんですか……」

「違う!」


 サーニャの声に悲しみが混じった途端、楽人は勢い良く正面を向いて、その言葉を否定した。

 彼女の悲しむ顔の前では、彼の羞恥心など何の意味も無かった。


「よかったぁー」


 安堵に緩むサーニャの顔が赤く火照る。

 楽人の顔はそれ以上に真っ赤になっていた。


「………」

「………」


 時間が止まったかのように見つめ合う二人。


「………」

「………」


 目の前にサーニャが居る。

 言葉は無く、生まれたままの姿で見つめ合っている。

 只それだけのことで、楽人は胸の奥から篤いものが込み上げて来るのを感じた。


(このまま時間が止まってしまえばいいのに……)


 そう思うと、彼は彼女以外の何も見えなく、そして何も考えられなくなっていき……逆上せた。


「ガクト?! 死なないで!」


 サーニャに肩を揺さぶられながら、楽人の意識は深淵へと沈んでいった……。



 * * *



「あっ、起きた」


 楽人は既視感のある言葉を耳にした。

 彼が目が開けると、視界の上半分は、肌触りの良さそうな布地に包まれた楕円状の物体に覆われていた。

 その柔らかそうな物体の下の方から、彼を見下ろす上下逆様のサーニャの顔が覗いた。

 その遥か下に見える天井は、彼の毎晩見ている光景の一部。

 彼の頭は柔らかい物の上に乗っていて、布越しにその熱が伝わって来る。

 枕ともクッションとも違う、懐かしいような初めてのような感触……。


「……膝枕?」

「はい♪」


 楽人が問い掛けると、サーニャは嬉しそうに答えた。


(膝枕なんて、いつ以来だろう……?)


 彼はまだ朦朧(ぼーっ)としている頭で、遠い昔の事のように母親の膝枕を思い出し、サーニャの太ももの方が柔らかいと確信した。

 そのせいか、彼は少し気恥ずかしさを感じながらも、今の心地良い時間を放棄する気は起きなかった。


「俺が逆上せた後、どうなったんだ?」


 だから当然の疑問を利用して、現状維持の延命工作に走った。

 サーニャの話に依ると、彼女の悲鳴を聞いた母親が風呂場へ飛んで来て、楽人を溺れないように支え、先にサーニャに服を着させてから、父親を呼んで楽人をベッドまで運ばせたと言う。

 年頃の息子と恋人に配慮した、的確な判断の出来る両親だった。


(……流石、自慢の父さんと母さんだ)


 尚、配慮した結果、楽人の着替えはサーニャに一任されていた。


「サーニャ」

「はい?」

「他の人とも……他の男とも一緒に風呂に入るのか?」


 “ミレニアム戦記”の世界にも風呂がある。

 しかし、共通イベントには(・・)混浴が無い。

 無論、共通の風呂イベントでも、不人気なサーニャにスポットが当たったことは無い。

 固有イベントに関しても、初期ユニットで語られるはずも無く、漸く実装された二つ目の衣装は風呂とは無関係。

 そのため、楽人はサーニャの混浴に対するスタンスを危惧した。


「入りませんよ」


 サーニャはあっけらかんと答えた。


「サーニャのお父さんとも入らない?」

「う~ん……昔は入ったかもしれませんが、もう入る気はありません」

「本当に?」

「どうしてそんなことを言うんですか? 命令ですか? 泣きますよ?」


 素直に安心できない楽人に、サーニャは本当に目に涙を浮かべる。


「ちっ、違う! 大丈夫! そんなこと命令しない! 逆! 逆だから! 絶対に俺以外の男と入るな!!」


 楽人は慌てて否定し、本音と言う名の願望を懇願(めいれい)する。


「! はいっ! 絶対入りません!」


 サーニャもその言葉に触発されて、勢い込んで賛同した。

 二人は上下様様のまま見つめ合って、


「ぷっ……」

「んふふ……」

「「あはははははっ」」


 吹き出してしまった。

 楽人は、自分で思っている以上に独占欲が強かった。

 サーニャは、自分で思っている以上に一途だった。

 彼らは、彼らは思っている以上に両想いだった。


「……もう寝るか。夜も遅いし」

「はい」


 楽人は膝枕を名残惜しみながら身体を起こすと、部屋を見渡して首を捻った。

 『傾げる』では無く、『捻る』。

 サーニャが来ている寝間着が、見慣れた母親の物の一つだと気付いたからでは無い。


(これがネグリジェだったら、俺の精神がヤバかった。サーニャの魅力的な意味でも、母さんの女の部分を見せつけられるという意味でも……)


 そうではない。

 部屋には楽人のベッドしか無く、絨毯の上にも予備の布団は用意されていない。

 気配りの出来る彼の母親が忘れるとは思えなかった。


「サーニャは客間なのか?」


 ありそうな話だった。

 年頃の男女を同衾させる親の方が珍しいだろう。


「いいえ」

「じゃあ俺が客間か」

「いいえ」

「じゃあ母さんが布団を用意し忘れたのか。珍しいな」

「違いますよ、もう~」


 楽人はすっ呆けようとしたが無理だった。


「『客間の掃除が面倒だから、サーニャちゃんは楽人と一緒に寝なさい』って言っていましたよ」

「マジか……」


 サーニャはスッカリ、楽人の母親の真似が板に付いていた。

 須磨真理は理解があり過ぎる、珍しい方の親だった。


「それとも、わたしと一緒は嫌ですか?」


 サーニャが上目遣いで楽人を見る。

 その時点で、彼の敗北は確定した。

 彼は黙ってベッドに入った。

 サーニャも続けてベッドに入った。

 大きめのシングルベッドは、二人が仰向けで並ぶには少し狭かった。


 触れた手から、お互いに体温が伝わる。

 二人分の体温が、一つの掛布団の中を、一人で寝る時よりも温かくする。

 二人は触れていない部分からも、お互いの体温を感じた。

 二人の顔が仄かに赤みを帯びる。


「……消すぞ」


 楽人は一応断ってから、枕元のリモコンで部屋の電気を消灯した。

 サーニャからの返事は無い。

 暗くなると、二人は余計に、お互いの息遣いと体温が感じられた。

 緊張した楽人は気を紛らわせようと、今日あったことを思い浮かべた。


(……今日も本当に色々あった。混浴に、膝枕に、同衾。終盤のラッシュは本当に凄かった……)


 しかし、思い出すのはサーニャのことばかり。

 あれ程までに心奪われたユントロのことすら思い出せない。

 彼は幸せに胸が篤くなると同時に、得も知れぬ恐怖を感じた。


(幸せ過ぎる。……俺、明日死ぬのかなあ…………)


 下らないことを考えている内に、楽人の意識は涅槃へと旅立って行くのだった……。

人生最良の日!(現時点)

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