ドライバー
「済まん!」
帰宅した父親は出迎えた妻に、いきなり両手を合わせて謝った。
「どうしたんですか、お父さん?」
流石の母親も目を白黒させて理由を尋ねた。
「…車が借りられなかった」
「あらまあ…」
本当に済まなそうな父親に対し、母親はまだ実感が湧かなかった。
普段レンタカーとは縁の無い人間に、お盆近くの予約の厳しさを予想しろと言うのは酷な話である。
そもそも、サーニャの審査結果がいつになるかは、審査をする政府以外には完全に予想不可能だったので、前以て予約することも不可能だった。
「じゃあタクシーを使うの?」
後からサーニャと玄関に来た楽人は、ごく普通の代替え案を確認する。
「いや、十人乗りは無理だったが、何とか八人乗りは抑えた」
お盆の近いこの時期に八人乗りを確保しただけでも、父親の苦労は想像に難くない。
「うちのと合わせたら、全員乗れるじゃん」
「よかったですね♪」
楽人とサーニャは顔を見合わせて呑気に安心したが、母親がツッコミを入れた。
「…それで、誰が運転するのかしら?」
母親は自動車免許を持っていない。
「あっ…」
「?」
楽人は父親が謝った本当の理由を理解したが、サーニャはまだ理解できず小首を傾げた。
「楽人とサーニャちゃんのお祝いに、誰を置いて行く気かしら?」
母親が屈託の無い笑顔で尋ねる。
顔も言葉も明るいけれど何かが違う。
楽人は母親の顔が怖くて見れなかった。
(…誰か居ないか? アル・ラクスは【リアライザー】なのでまだ免許を取れない。アキラ君は未就学児なので論外。音無先生は学校に車で来てなかったはず。範子は…)
キュピーンッ
楽人の脳裏に黒服に拉致された時のことが過った。
彼は知らないことだが、範子が嫌がるので、登下校などの送り迎えはしていないが、護衛に当たる黒服は全員運転免許を持っている。
「心当たりを確認してみる」
トゥルルルッ、トゥルルルッ…
『…須磨っち悪い物でも食べた?』
「何でだ?」
電話に出た範子のテンションが低く、楽人は訝しんだ。
『や。いくらあーしが好きだからって、一日に何度も電話するなんてストーカーみたいじゃん』
「…分かった。もう金輪際電話しない。さよなら範子、君は良い友人だったよ」
『あ~ん、うそうそっ、須磨っちに捨てられたらあーし死んじゃうー、化けて出るー、にゃんにゃかにゃーんっ☆』
「よく分らんが捨てないから落ち着け」
範子のテンションがドンドン上がっていくことに、楽人は何となく安心感を覚えた。
『捨てない?』
「捨てない」
『ん』
範子の機嫌が良くなったことで、楽人は最初の疑問が蘇った。
「そう言えば、何で最初暗かったんだ?」
『だって夕飯の最中だし』
「げっ…」
普通の家庭で父親が帰って来る時間と言えば、夕飯時か夜遅い時間。
普段の楽人なら気を付けるところだが、今日は母親の顔が怖くてそれどころでは無かったのだ。
「もしかして、近くに御両親が…?」
『や、断って外で話してるよ』
(そう言えば範子は気配りができる子だった……よく暴走するが)
「それなら良かった」
『ん。それで海の時間でも決まった?』
「いや、実は運転手が足りなくてさ。範子んちの黒服に頼めないかと思って……どうかな?」
『聞いてみる』
スッ
範子が食堂の襖を開けると、襖に聞き耳を立てていた弦之介がパッと飛び退いた。
鏡花は素知らぬ顔で茶を啜っているが、湯呑の中は空だった。
範子は両親に隠れて元カレと付き合っていたので、両親にとっては、今の範子が初めて見る恋する娘。
元カレの二股以上が原因で別れただけに、楽人は信用しても、娘が心配なことに変わりは無かった。
親の心子知らず。
そんな両親の内心に気付かない範子は首を傾げ、一緒に食事をしていた若頭を手招きした。
若頭は弦之介の視線に後ろ髪惹かれながら食堂を出る。
範子は襖を閉めて、事情を大雑把に説明した。
元々、楽人に誘われて海に行く話は、若頭が居る前で両親に話していたので話は早い。
『代わるね』
範子は楽人にそう言ってスマホを若頭に渡すと、若頭は範子から少し距離を取って、口元を抑えて話し始めた。
『若頭をさせて貰っている兵藤です』
「覚えてます。お久しぶりです、須磨楽人です」
楽人は若頭と聞いて、眼鏡の似合いそうな七三分けを思い出した。
『うむ。大体の事情はお嬢から伺いました。こちらから車を一台出します。五人乗りのセンチュリー……先日君を乗せたのと同じ車です』
「ありがとうございます」
『運転は私がします。もう一人増えても大丈夫ですか?』
「えぇと、兵藤さんの他にもう一人ですね? …大丈夫です」
楽人は人数を頭の中で数えて答えた。
ユントロを除いて十人だったので、兵頭たちを加えて十二人。
父親の借りた八人乗りと兵頭の五人乗りセンチュリーで全員乗れる。
『但し条件が一つ』
「? 何でしょう?」
『須磨君はお嬢と一緒の車に乗って下さい。隣の席とまでは言いません。お嬢がどこに座りたがるか分からないですからね』
「勿論最初からそのつもりですよー。あはははは…」
『お嬢に代わります』
楽人はバレバレの乾いた笑いだったが、若頭は深く追及しなかった。
元々、彼は行きの車は範子と一緒に乗るつもりだった。
…と言うのも、別々の車に乗った場合、自分の見てない所で、同乗者に何を言うか分かったものでは無かったので、早めに釘を刺したかったのだ。
前以て言えば大丈夫という常識的な考えは、範子には通用しないのである。
若頭がスマホを範子に差し出す。
「どう?」
範子はスマホを受け取りながら、小首を傾げて尋ねた。
若頭は何も言わず、スマホを指差す。
二人の話す機会を作ろうと言う、細やかな気配りだった。
範子は深く考えず、楽人に聞けと言う意味だと思って電話を取る。
『ど?』
「運転だけでなく、車も用意してくれるって。ほんと助かったよ範子」
楽人は若頭の意図を察して、素直に心からの礼を言った。
『えへへ~』
範子の頬が緩む。
それを見届けた若頭が襖を開けると、食堂に居た弦之介と鏡花と目が合ったので、ビッと親指を立てて後ろ手に襖を閉めた。
弦之介がガッツポーズをし、鏡花は涼し気な顔で――まだ空の――湯呑を啜った。
『でもそんなにいっぱいなん?』
「兵藤さんたちを入れて十二人だな」
『マ?!』
範子が驚いて思わず大声を出すと、それを聞きつけた食堂の三人が、襖に耳を押し付けた。
『あーし学校や家以外でそんな大勢初めてだよ!』
「明後日は……ちょっと待って」
楽人は言い掛けてから、まだ父親に聞いていなかったことを思い出し、スマホの通話口を抑えて父親の方を振り返った。
「父さん、明後日は家何時に出る?」
「早過ぎても迷惑を掛けるからな。7時に出よう。それなら海にも10時前に着くだろう」
楽人は父親の返事を吟味して、後ろを向いて範子に告げた。
「明後日は8時から9時の間に範子の家に着くと思う」
『うぃ。今から緊張でマジやば☆』
「今日は良いけど明日はちゃんと寝ろよ」
…ちゅっ♡
ガチャッ
範子はスマホに軽いキスをして通話を切ると、数秒固まった後、自分の行動を思い出して身体をぐねぐねと身悶えした。
その一方で、一途で自己評価の低い楽人は、浮かれたギャルの挨拶として流し、家族に無事運転手が確保できたことを伝えるのだった…。
夏休みの計画はお早めに




