お誘い:午後
トゥルルルッ、トゥルルルッ…
「おう、渡良瀬だ。どうした坊主? また事件か?」
昼を回って少し過ぎた頃。
楽人が渡良瀬警部に電話を掛けると直ぐに繋がり、通話回数なら下手な友人よりも多い、聞き慣れ始めた中年の声が軽い調子で返ってきた。
最初から電話の相手が楽人だと分かっているので気安いものだ。
「ははは、流石に早々事件に遭遇しませんよ」
『ほほぅ? 二ヶ月で三回は、ドラマの探偵くらいには多いと思うがな』
「ちびっ子探偵や名探偵の孫よりはマシですよ」
『はっはは、確かにな』
フィクションの探偵談議に花が咲く。
――探偵漫画。
現役の中年警部も知っているほどに、探偵漫画の大御所たちは知名度が高い。
それらの舞台は、週刊連載の都合と成長させたくないという思惑が重なって、主人公が毎日の如く事件に遭遇する魔境と化していて、『名探偵が先か事件が先か』という名言が生まれたほどである。
“ミレニアム戦記”に限らず、大半のソシャゲは自転車操業と集金目的の結果、世界観を考慮しても有り得ないほど、タイミングよく立て続けに問題が発生して、新キャラが設定に反してでも主人公に心酔するので、ゲーム界の探偵枠と揶揄されることもある。
どんな完璧な才能と運の持ち主でも、探偵物やソシャゲの主人公並に事件に遭遇していたら、それこそチート塗れで無い限り身が持たないだろう。
「そんなことより警部。急な話ですが、明後日は予定空いていますか?」
『おいおい、何だよ藪から棒に? …まさかそっちに目覚めたか?』
「俺にサーニャが居るの知ってて言ってるでしょ?」
『ガハハハッ』
渡良瀬は豪快に笑って冗談を終わらせた。
『まあ真面目な話、無理だな。夏は馬鹿が多くてなあ…。いつもなら夏休みの最初と最後に学生、お盆前後に帰省客関係が多くて、その間は落ち着くんだが、今年の夏はつい先日もアレがあったばかりだからなあ…』
「その節は大変お世話になりました」
アレとは、【超生物保護法】の審査が始まった当初に起きた、【リアライザー】を狙った拉致事件のこと。
楽人とサーニャも攫われて、アル・ラクスや警察に助けられている。
『【リアライザー】の審査が一端落ち着くお盆休みは返上、来月になってから振休を取るって同僚が大半さ』
「ですよねぇ…」
楽人にしても、世間の事件があれで全てとは思っていない。
身近で起きる事件全てに関わるなんて、それこそ探偵漫画の主人公でも無ければ不可能なのは、【心眼】に言われるまでも無いのだから。
『誘って貰っておいて何だが、儂みたいなオッサンより若い子を誘ったらどうだ? 例えば可愛いマスコットを連れた女の先生とか』
渡良瀬は一回会っただけなので、音無静香よりユントロの方を印象に残っている。
「これから誘う予定です」
彼は冷やかしのつもりで話題を振ったのに、あっさり肯定されてしまい、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になったが、それを気付かせないように次の人物を上げた。
『気のいいヒーローのあんちゃんとか』
「誘いました」
同様に、アル・ラクスと一緒に居たアキラやライトも殆ど記憶に無く、彼の頭の中では完全にモブ顔と化していた。
『学校の友人とか』
「眼鏡を確保してからです」
普通なら眼鏡と友人の関係に首を捻るところだが、そこは流石の敏腕警部。
頭の中で静香の眼鏡がひょっこり再登場し、楽人の友人が眼鏡好きだから彼女で釣ろうとしていると推測した。
『初恋の相手とか』
「………」
『ん? どうした坊主?』
「いいえ、黒歴史を思い出しただけです」
楽人が初恋の相手と言われて真っ先に思い出したのは、近所に住んでいたお姉さんだった。
当時、未就学児の彼は、距離感の近いお姉さんに淡い恋心を抱いていた。
しかし、成長するに連れて、それが只のショタコンだったと知り、最近数年ぶりに電話越しで話した時には、その完璧なショタコンっぷりに、初恋が派手な音を立てて崩れるのを実感したほどである。
(美化された思い出は、掘り起こしてはならない)
彼はそれ以上考えるのを止めた。
『まあ頑張れ少年』
「ぷっ! 何ですかそれ?」
『知らんのか? 激励だ』
「あはははははっ」
人生経験豊富な中年警部は、色々察して綺麗に話を纏めた。
『じゃあな坊主。結果は報告しろよ』
「何の報告ですか。それでは失礼します」
ガチャッ
そのお陰で、楽人は苦い思い出をそれ以上思い出さずに、電話を終えられたのだった…。
* * *
トゥルッガチャッ
『はい音無です!』
「あっ……須磨です。音無先生、今大丈夫ですか?」
楽人は近年稀に見る、下手をしたら、スマホを持って以来最速で電話が繫がったことに動揺した。
何のことは無い、音無静香は暇を持て余していたのだ。
お盆も間近になると、もう赤点の補習は終わっているし、希望者を募る自主参加の補習も、この時期は希望者が少ないのでやっていない。
自宅のマンションの絨毯の上で、ユントロと大量のぬいぐるみに囲まれて、スマホ片手にゴロゴロしながら、親にユントロのことをどう話そうか、いつ話そうかと悶々と悩んでいたところだった。
ぬいぐるみは自作や公式のユントロだけではなく、電気ネズミや仕事を選ばない猫など、マスコット系のキャラクター物が大半。
また、電気代節約のためにエアコンの設定温度は高めにして、通販で買った布地が少なく飾り気の無い、一山幾らの下着姿のままゴロゴロしていた。
そこに、憎からず思っている相手から電話が掛かって来たのだから、当然の反応だった。
『だっだいっじょ……んん、おほんっ……大丈夫よ。どうしたのかしら』
静香は慌てるあまり吃ってしまい、咳払いをして取り繕った。
スマホを遠ざけず咳払いをした辺り、まだ動揺は収まっていない。
(飲み物でも飲んでて咽たのかな?)
しかし、サーニャ一筋で年上にトラウマのある楽人は、無意識にその可能性を除外していた。
「ええ。実は明後日、家族で海に出掛けるんですが、宜しければ音無先生も一緒に行きませんか?」
『…嬉しいお誘いだけれど、ご家族の旅行に私なんかが御一緒しても良いのかしら?』
静香は喜び勇んで即答しようとしたのを、何とか思い止まって確認をしたが、その声が少し上擦るのまでは抑えられなかった。
「音無先生を紹介したいので、来てくれると俺も嬉しいです」
静香は生物の授業を教えているが、楽人の担任では無いので両親との面識は無い。
『それでしたら、私も喜んで御一緒させて頂きます』
静香は平静を装いつつも、声音には嬉しさと喜びが隠し切れず滲み出ていた。
両親へ紹介するために、一緒に旅行へ行こうと誘われたのである。
もし楽人が逆の立場でも勘違いしただろう。
勿論、楽人はサーニャと両親に紹介するつもりなので、何も間違ったことは言っていない。
悪いのは電話口で『実は【共生者】で【リアライザー】と交際している』と言わない理性である。
「良かったぁ…。それじゃあ、当日は父さんの車で迎えに行くから、時間とか決まったらまた連絡しますね」
『ええ、待ってるわ。誘ってくれてありがとうね』
「どういたしまして。失礼します」
ガチャッ
「先生嬉しそうだったな。そんなに海に行きたかったのかな?」
電話を切った後、楽人は独り言ちた。
「まあ海って独り身だと行き辛いしな。ナンパや逆ナン目当てに見られるし」
実際、一人でも複数でも、同性ばかりだとそれ目当てが多いので、彼の偏見に満ちたような感想も強ち間違いでは無い。
その点、両親……父親と母親が一緒に居れば、ナンパ目当てには見えない。
「先生も羽を伸ばせるといいんだけど…」
* * *
楽人は音無静香との約束を取り付けた後、少し遅い昼食を食べてから、“眼鏡オタク”に電話を掛けた。
『眼鏡は来るか?』
「来る」
『よし行こう』
僅か数十秒で本題が終わってしまった。
「はあぁ、予想していたとは言え、ここまでとはなぁ」
楽人は呆れて溜め息を吐く。
『他に何かあると思ったか、心の友よ』
「眼鏡を確保していなかったら?」
『眼鏡を用意してから出直せ』
「知ってた」
あまり人付き合いの多くない楽人だが、手塚相手には遠慮が無い。
『まあでも、お前から海に誘われるとは思わなかった』
「どういう意味だ」
『だってお前、海に行く暇があったらソシャゲしてるだろ』
「なるほど」
(別に“ミレニアム戦記”に飽きた訳じゃないんだけどなぁ)
彼は今も、毎日の日課やイベントは熟しているが、以前ほどの熱意は無くなっていた。
原因は二つ。
一つは、サーニャの新衣装が、夏直前に出たばかりだということ。
ソシャゲは特別な理由が無い限り、同じキャラの新しい衣装が連続して実装されることは無い。
つまり、夏を前に、今年もサーニャの水着が無いことが確定していたのだ。
もう一つは、目の前の現実。
設定を忠実に再現された本物が目の前に居るのに、主人公忖度のために設定に反する反応をする原作にどれほど期待できると言うのか…。
それはアイドルと結婚した人が、画面の中のアイドルへの興味が薄れることに似ていた。
『まさか女でもできたか?』
「ああ、紹介するから嫉妬しろ」
『自慢か?!』
手塚が電話の先で渾身の顔芸を披露したが、残念ながらテレビ電話では無いので、楽人には見れなかった。
「親友だから紹介したいんだよ」
『ぐぬぬ…』
ぐうの音も出ないほどの正論と信頼に、手塚は悔しくても言葉も出ない。
「男友達も女友達も誘ってるから、一緒に楽しもうぜ親友」
『…ふぅ。そこまで言われたら仕方ないな』
手塚は溜め息を吐いて肩を落とした。
「父さんの車で迎えに行くから、時間決まったらまた連絡するな」
『わかった。眼鏡はいくら増えてもいいぞ』
「サングラスくらいしか増えないと思う」
楽人は範子の家の黒服を思い浮かべて、何人か来るだろうと思って言った。
『十分だ。またな』
「ああ」
ガチャッ
「あいつ、男でもイケるからなぁ…」
ボーカルがサングラスと言うだけで“サンダーライザー”が好きなことを思い出して、楽人は独り言ちた。




