極道一家:極道の娘
「お嬢、緊急の話です。入っても宜しいでしょうか?」
角刈りの黒服は、組長の部屋を退室した後、直ぐに遠い離れの範子の部屋へと向かい、襖の前で部屋の中に向かって声を掛けた。
「入りなさい」
中から彼女のものとは違う、けれど男にとって聞き慣れた声で返事があった。
男は少し躊躇った後、襖を開けた。
「失礼します」
中には予想通りの人物、範子の母親――真島鏡花――が居た。
そう、彼女は夫と苗字が違う。
これは将来生まれて来る子供が、家のせいで学校などで孤立しないよう、彼女が外国籍を取ってから夫と結婚して、夫婦別性を名乗っているからであった。
無論、その後日本に帰化している。
≪子供のためにすることに苦労など無い≫
信条すら口に出さない愛深き女。
だからこそ、家に反発をしている範子も彼女には頭が上がらず、同じ土俵に上がることを恐れて眉を描いたりとギャルな化粧をしたりする一方で、叱られれば素直に塾に通ったりもするのだ。
部屋の中央に敷かれた布団は大きく盛り上がり、頭も足も出していないので、まるで大きな饅頭。
男が聞いていた通り、範子が引き籠っているのだ。
「何事ですか?」
鏡花の静かだが強い口調に、角刈りの黒服は率直に答えた。
「へい、姐さん。オヤジの命令で須磨楽人を連れて来たんです」
「…須磨っち?!」
饅頭の中から声がした。
「範子の引き籠りは須磨君が原因なのかしら? うちの娘を泣かせるとは良い度胸ね」
鏡花は、帰宅以来初めて家族以外に反応した娘を目敏く見据え、わざとらしく煽った。
「違うよ! 須磨っちは関係無い! 恋人だって居るし!」
範子が布団の中から大声で叫ぶ。
「おやおや…」
鏡花はその割には気を許していると思ったが、それ以上の指摘はしなかった。
「ですがお嬢、奴は今、オヤジと若頭と三人だけでして…」
ガバッ
男の言葉を聞いた途端、範子は布団を吹き飛ばし、汗だらけの勝負下着――黒いレースの――だけの、あられもない姿で立ち上がった。
…彼女は帰宅してから着替えていない。
帰宅して直ぐに布団へ潜り込み、夏の暑さに耐え切れず服を脱ぎ捨てたままだった。
男は彼女の姿が視界に入ると、直ぐに死を覚悟して目を閉じて下を向いた。
「範子さん。そんな格好で行ったら、余計に誤解されますわよ?」
しかし、鏡花の温情で断罪は免れた。
範子は服を着る間も惜しみ、タンスから浴衣を一枚引っ掴んで羽織る。
「案内して!」
「へいっ!」
範子に命令された角刈りの黒服は、彼女を先導して組長たちの居る部屋へと向かった。
「はぁ……これで違うと言うのだから、一体誰に似たのかしら…」
鏡花は溜め息を吐いて、二人の後を追った…。
* * *
スッ
黒服たちが退室し、襖が静かに閉め直された。
「ありがとうございます」
楽人は頭を下げて礼を言ってから、本題に入った。
「範子さんには彼氏……付き合っている恋人が居ます」
範子の父親の顔がより険しくなるが、代わりに楽人への疑惑は減った。
「塾の最終日の話なのですが、範子さんは恋人とデートすると言っていました」
弦之介が若頭を見ると、若頭は首を振る。
「知らないと言ってるが?」
仏頂面なので一見批難しているようにも見えるが、その言葉に語気は無い。
「俺は範子さん本人からそう聞きました。失礼ですが、範子さんは週末、どちらに居られましたか?」
「御友人の家にお泊りになっていました」
若頭の言葉に楽人は頷く。
「その御友人、綾波貴巫女さんですよね? 彼女は範子さんのことを何か言っていましたか?」
「何も言えないとだけ」
(やっぱりそうか)
楽人は若頭の言葉に納得した。
彼が知る貴巫女と言うクラスメイトは、茶髪に染めたり制服の裾を詰めたりとギャルらしい見た目に反して、言葉遣いが丁寧で性格も真面目そうだった。
感情のままに嘘が言えないタイプである。
「それでしたら、彼女の家に泊まったと言うのは恐らく、ご家族の方に恋人との関係を隠すための方便かと」
弦之介が若頭を見ると、彼は頷いて肯定した。
「至急、調べさせろ!」
若頭が立ち上がる。
襖を開けようとしたその時、
バーーーーーンッ
襖とは思えないくらい大きな音を立てて、襖が外から開かれた。
「須磨っち!!」
楽人が最近聞き慣れた徒名に振り返る。
そこには黒いレースの下着の上に、涼し気な浴衣を羽織った範子が、大股開きで立っていた。
ふわ~り
走って来て襖を開けた勢いが収まると、下着は概ね浴衣の影に隠れた。
彼女の後ろには母親の、足元には膝を付いて襖を開けようとした角刈りの黒服の姿があった。
「のっ、範子っ!?」
数日ぶりに娘の姿を見た父親が、今までの威厳が吹き飛ぶような喜びの声を上げた。
楽人も叫びそうになったが、車内で呼び捨てにするなと忠告されていたので、何とか踏み止まる。
「ごめんね、須磨っち…」
範子が楽人に駆け寄る。
二十畳の大広間、中央の座布団に正座して、強面の極道の父親と若頭が近くに居る。
実際は拉致同然で連れて来た以外は穏便だったのだが、これでは勘違いするなと言う方が無理だった。
「えぇと、範子……さんは大丈夫か?」
キッ
楽人が範子の名前を言い淀んで「さん付け」をした瞬間、彼女は父親を睨んだ。
「酷いよパパっ! 須磨っちに何したの?! あーし嫌われたっ!!」
範子は既に失恋で泣き腫らして赤く腫れあがっている目に、更に涙を溢れさせて父親を糾弾した。
「えぇぇ……あぁ…うん……」
楽人は黒服の気遣いに従っただけなので、酷い濡れ衣である。
しかし、引き籠った娘の名を呼び捨てにすれば、小火にガソリンをぶち撒けるようなもの。
それを自覚できるから、弦之介も反論できなかった。
「…須磨君」
弦之介が神妙に、けれど楽人を怯えさせないように、出来るだけ優しい声で話し掛けた。
「はい」
楽人も弦之介の方に向き直って、神妙に返事をした。
「…今まで通り範子と仲良くしてやってくれ」
それは久谷一家組長、久谷弦之介が娘に屈した瞬間だった。
鏡花が「流石、私の娘」と笑顔で頷く。
男はイイ女の涙には勝てないものである。
「ごめんね須磨っち。あーしのせいでパパが酷いことして…」
範子は膝の力が抜けるように、楽人の前に座り込んで謝った。
――幾ら極道を謳って仁義を掲げても、それはどこまで言っても普通の人の道からは外れた道。
彼らがどう過ごそうと偏見は無くならないし、全てが偏見でも無い。
だから範子は、例え父親と苗字が違っても、よくそれで友達を失って来た。
馬鹿だから…。
貧乏だから…。
ヤクザだから…。
「…だからあの子と遊んじゃいけません」という、ありふれた子供の思考を停止させる言葉によって。
彼女はその度に、自分の足に重い鎖が繋がれていく錯覚に囚われた。
大きくなっても、思い出す度に眠れない夜を過ごした。
だから彼女はそれを忘れたくて、それから逃げたくて、無理をして隣町の高校に進学し、沢山の友達を作って友達との時間を大切にしてきたのだ。
彼女にとって、ギャルは手段であって目的では無い。
(須磨っちが無事だっただけで十分)
そう自分を慰めながらも、彼女はまた一つ、自分の足に鎖が繋がれる錯覚を覚えた。
追憶と言う名の重しの付いた鎖が…。
「――いいよ」
範子は最初、その楽人の言葉を全く理解できなかった。
「俺は範子の家にお呼ばれして、綺麗な庭園を見せて貰っただけさ」
範子は目をパチクリと瞬かせた。
見物を決め込んでいた母親の鏡花も、娘の涙に狼狽えていた父親の弦之介も、ついでに若頭まで目を見開いて驚いた。
唯一平然としていたのは、楽人が庭園に見入る姿を見ていた角刈りの黒服だけ。
「ちょっぴり怖かったけど、別に何もされなかったしな。部下に信頼されてる、娘思いの良いお父さんだと思うよ、俺は」
それに気付いた楽人は、彼らのことも本音でフォローした。
『重度のソシャゲ好きだから陰キャ』と言うレッテルに晒されながら学校生活を送っている彼にとって、レッテルに苦しむことは他人事では無い。
言外に違うと言ってくれる“眼鏡オタク”は、だからこそ“心の友”だった。
≪自分と違うことを批難するのではなく、同じところを大切にしろ≫
それは彼が父親から言われた、尊敬できる言葉の一つ。
「うわーんっ! 須磨っち~!」
範子は堪らなくなって涙腺が決壊し、よろよろと立ち上がると、倒れるように楽人に抱き付いて押し倒し、その胸で泣いた。
正座から後ろに押し倒された楽人は、頷くように頭を下げて、頭が畳に打ち付けられるのを回避。
範子の頭を撫でた。
「―――っ」
「…あなた、違うわよ」
俄かに色めき立つ弦之介に、鏡花が冷ややかな声で釘を刺すのだった…。




