対決①
身体ではなくて、心が寒いと私に言わせた。
魔女の身体はマイナス100℃だって凍り付くことはない。人間の立ち入ることのできない南極大陸であっても、私たちは活動することが出来る。それでも一面に広がる氷の大地には、つい寒いという言葉が出てしまう。
心を支配できていない証明だ。魔女は完全な生き物だというけれど、心という不完全な領域がある。何が起きても揺るがず、乱れず……なんてことは未だ出来ない。
どれだけ長く生きていても、衝動だとか情動だとか、そういうどうしようもないことに、私たちでさえ衝き動かされる。
そういう意味では南極の氷の方がよほど完全なのかもしれない。
私は、どうしようもない現実にどうしようもなく打ちのめされて。全部をひっくり返そうと出来ることをなんでもやって。
それでも目の前に立つ友だちの姿に、心が乱れてしまうのだ。
「ワールド──」
「邪魔をしに来ましたよ、ローズ」
「こういう場所を選んでおいて、正解だったな」
私の前に、サクラが立つ。ワールドから私を守ろうとするみたいに。サクラの立ち振る舞いに、ワールドが微かに奥歯を噛み締める音が、聞こえた。
「ええ。ええそうね。まずお前を殺してからよね。その後ローズとはゆっくり話をすればいいもの」
「こわいことを言う。そこまで乱暴な話にはしたくないのだけれど……」
サクラが私に目配せした。『儀式を始めるんだ』と言われているようだった。
サクラが時間を稼いでくれる。その間に私は私のやるべきことをやる。疑似キャンバスの起動指令を送る。あらゆる世界に散らばるブルームの仲間たちが、儀式の『塔』に魔力を送り、リンクさせる。事前にやれたら一番よかったのだけれど、仲間たちが受ける多大な負荷を考えるとそれはできなかった。サクラは『半端なところで疑似キャンバスが維持できなくなったら困る』と言っていたけれど、本心がそれではないことくらい分かっているよ。
疑似キャンバスとなる領域内にいる私は、それと自分のキャンバスとの同一化を開始した。痛みと同時にやってくる視界が一気に広がるような感覚。全能感に満ちる錯覚を起こす。これでまだ完全に同一化できていないのだから、つくづくナナの考案した魔法は恐ろしい。そしてこういう使い方を完成させたサクラも。
同一化が完了すれば私は領域内でならどんなことでもできる。虚数空間を開くのも、容易い。それまでの時間を、この前はサクラが口八丁で作ってくれた。今回は戦って時間を作ろうとしてくれている。私は、助けられてばかりだ。
ワールドの顔に僅かな焦りが生じた。とくんと心臓の音がする。たったこれだけのことで躊躇いが生じるなんて私は、やっぱり全然完全なんかじゃない。
「こいっ!ワールド!」
「どけえ!『世界の蒼槍・完全開放』!」
ワールドがその魔法を使う姿を見ると、それが何度目であっても、私は心の底からすごいなと感服してしまう。『世界の蒼槍・完全開放』は自然現象を自由に操る、強力だが制御の難しい魔法だ。だからこの魔法を使うときは、全神経を魔法の操作に集中させる必要がある。その間、術者は一歩も動けない。強大である代償に制限も大きい魔法、だった。
けれどワールドはそれを克服した。公平クンや吾我レイジ……人間に負けたことが切欠だろうけれど、いつからかワールドは厳しい魔法の修行を重ねていた。そしてランク99に到達したことで花開いた。
重力操作と足元の凍結でサクラの動きを鈍らせながら、同時に槍術で攻撃を仕掛けている。サクラも花びらの引力・斥力で多少相殺しているが、星の力を借りたワールドの攻撃には一歩、遅れをとっているように見えた。
急がないと。焦りがまた、心を乱す。集中しないと、いけないのに。私は思わず目を閉じて、『早く早く』と唱えていた。
暗闇の中でワールドとサクラの動きを感じ取る。花びらが爆ぜる音と槍が空を斬る音。地面である氷を砕きながら戦い合う音。
そして。空間の裂け目が開かれた気配。
「やっぱりもう始まってたか!」
同時に聞き慣れた声がする。公平クンの声だ。一緒にヴィクトリーの子……ミライちゃんが現れたのも分かった。
つい、目を開けてしまった。二人と目と目があった。何故だか二人とも、愕然とした表情で私を見ている。
「え?」
「……なんてこった」
「……公平サン。早く、サクラを」
「あ、ああ」
分からなかった。どうしてそんな顔を、しているのか。まるで私がどうにかなったみたいじゃないか。私は、何も問題なんてないのに。
「……おおっと。援軍か」
ミライちゃんが魔女の姿に変身する。巨人となった彼女が、ワールドとタイミングを合わせてサクラに斬りかかった。サクラには無傷で対処する余裕はない。花びらを爆発させて、その爆風で自分の身体を吹き飛ばさせて、攻撃を回避する。
「サクラァア!」
「!」
小さな身体から目を引くような大きな声と魔法の気配がした。
「『ギラマ・ジ・メダヒード』!」
公平クンの魔法をサクラは花びらを束ねた盾で受け止めた。
「もうやめよう!こんなこともうやめてくれ!」
「そうはいかない!ここで立ち止まるわけにはいかない!」
「なにを言っている!ローズのことが見えてないのかお前ェ!」
……私?
「見えていないわけが、ない!」
「だったらもう喋るなァ!」
ワールドの重力操作が花びらの盾を強引に圧し潰す。遮るモノが消えて、公平クンの炎が一気にサクラを包み込んだ。
「かっ……!?」
「許さない……ローズをくだらない計画に巻き込んだのは許さない。けれど今は、それ以上に、ローズを泣かせているのが許せない!」
ワールドの言葉で私は、私が泣いていることに、遅れて気が付いた。
「サクラ。お願いだからもうやめてくれよ。俺はローズが苦しそうにしているのは見たく……」
公平クンの攻撃に膝をついていたサクラは、肩で息をしながら顔を上げる。
「なにも分かっていない……ね。みんなローズのことを理解できていないよ。ローズ、は、覚悟を決めた。私と同、じだ。泣きながらだろうと、やるべきことをやる覚悟を、したんだ」
「なら」
ワールドの声は南極の空気よりずっと冷たく響いた。
「ならその覚悟を折りましょう。お前を殺して、しまえば。虚数化なんて計画も潰えるのだから!」
ワールドが一気に足を踏み出して、サクラを貫かんと槍を突き立てる。
疑似キャンバスとの同一化が完了したのは、まさにその瞬間だった。
「死ね!」
「ローズ!やれ!」
「っ!開いて!『虚ろの扉』!」
虚数空間に続く道が開く。サクラの真後ろに。サクラは先ほどまでと同じように、爆風で自らを後方に吹き飛ばし、ワールドの攻撃を避けた。
一方でワールドもそれを察知していた。槍を氷に突き立てると、それを軸に回転し、切り裂く風の魔法を纏った脚で、サクラを蹴る。
爆風と蹴撃。二つの勢いに押されたサクラは、そのまま真後ろにあった虚数空間への孔に入った。虚数空間を通り抜ける時、魔女であっても致命的な負荷が襲う。サクラの悲痛な叫びは、虚数空間の中に消え、孔が、閉じた。
「……なに?」
予想外の展開にワールドは混乱している。公平クンやミライちゃんも動揺していた。だがワールドだけはどうにか平静を装い、私に向き直る。
「ローズ。あの魔女は、虚数空間……かしら?そこに消えました。これで終わり。貴女ももうおかしなことはやめて」
「ワールド」
「……ローズ?」
私の声は震えている。寒さのせいではない。けれどサクラがそうしたように、私もこの後の覚悟をしてここにいるんだ。
「みんな。悪いけれど。私は諦めない」
疑似キャンバスを自分のものとして扱える今の私なら、この過酷な南極の大地でも植物を生み出し、支配できる。この三人を相手にしても、十分に戦える。
ここまではサクラと決めていたことだ。あとはサクラが戻ってくるまで、私が戦うのだ。




