↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ボクを飼ってみないか?!  作者: 御HeSummer3
第2章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
30/37

翠って変な人


 火曜日の昼休み、翠は講義棟の窓際に立っていた。


 立っているだけなら、絵になる。


 九月の終わりを越えた陽射しが薄く差し込み、明るい茶色の髪が肩のあたりで柔らかく光っている。白いブラウスに淡い色のカーディガン。細身のスカート。横顔だけ見れば、獣医学科で少し有名になるのも分かるくらいには整っていた。


 問題は、その姿勢だった。


「何してんの?」


 美緒が聞いた。


 翠は窓ガラスへ頬をつけたまま答えた。


「ちべたい」

「うん」

「ひじょーにいい」

「それで額つけてるの?」

「うん」

「五分くらい?」

「もっとだな」


 莉央も隣から見る。


「跡つくよ」


「その時はその時だ」


「何その覚悟」


 翠は動かなかった。

 午前の講義が終わってから、すでに十分近く経っている。

 廊下では学生たちが食堂や売店へ向かっていた。


 その流れの中で、翠だけが窓ガラスへ頬を押しつけている。


 遠目には物憂げに外を眺めているように見えるかもしれない。


 近づけば、ただ冷たいから貼りついているだけだった。


「翠、昼どうする?」


 莉央が聞く。


「ここでいい」

「何を?」

「昼」

「窓食べるの?」

「違う」

「じゃあ移動しようよ」

「面倒だな」


 翠はようやく頬を離した。


 薄く赤くなっている。


 それを気にする様子もなく、鞄を持った。


「食堂?」

「今日は空いてそう」

「では行こう」


 三人で階段を下りる。


 途中、別のクラスの学生とすれ違った。


「あ、野々宮さん」

「うん」

「この前の資料ありがとう」

「いいよ」

「助かった」

「ならよかった」


 普通に返す。


 相手が去る。


 少し離れてから、美緒が言った。


「やっぱ外から見ると普通なんだよなあ」


 翠が振り向いた。


「何が?」

「何でもない」


 美緒は笑った。


 食堂は予想より混んでいた。


 三人は入口で一度止まり、列を見る。


 翠は三秒考えた。


「帰ろう」

「大学から?」

「家へ」

「まだ午後あるよ」

「では無理だな」

「判断が極端なのよ」


 仕方なく列へ並ぶ。


 翠は前の人のトレーをぼんやり見ていた。


 定食。


 カレー。


 麺。


 丼。


 選択肢は多い。


 そのせいで余計に決めたくないらしい。


「何食べる?」


 莉央が聞く。


「同じのでいい」

「誰と?」

「前の人」

「知らない人じゃん」

「美味しそうだった」

「じゃあ同じの頼めばいいじゃん」

「名前を見るのが面倒だ」

「メニュー上見て!」


 翠は顔を上げた。


 前方のボードを見る。


「生姜焼き定食」

「読めるじゃん」

「読めるぞ」

「じゃあ解決したね」

「うん」


 翠は少し満足そうだった。


 席を確保し、三人で昼を食べる。


 翠は定食を半分ほど食べたところで箸を止めた。


 そのまま味噌汁を見る。


「どうしたの?」

「熱い」

「今さら?」

「今さら熱い」

「冷めてるでしょ、もう」

「中が熱かった」

「味噌汁の中って何」


 翠は椀を少し遠ざけた。


 それから冷ますためなのか、しばらく眺める。


 何もしない。


 ただ見る。


「ふーってしないの?」

「面倒だ」

「一秒だよ」

「自然冷却を待つ」

「工学みたいに言わないで」


 美緒が笑う。


 翠は真顔だった。


 午後の一コマ目は薬理学だった。


 講義室へ入ると、翠はいつものように後ろから三列目あたりへ座った。


 美緒と莉央も隣。


 教授が来るまでの数分、周囲では雑談が続いている。


 翠は鞄からペンケースを出した。


 開ける。


 中を見る。


 閉じる。


「どうしたの?」

「シャーペンがない」

「ペンは?」

「ボールペンはある」

「それで書けば?」

「間違えた時に消せない」

「ノートなんだからいいじゃん」

「嫌だ」

「こだわりあるんだ」

「ある」


 翠は少し考えた。


 それから前の席の学生の背中を指先で軽く叩いた。


「すまない」


 振り向いた男子学生が一瞬止まる。


「え、あ、何?」

「シャーペンを一本貸してほしい」

「あ、うん。いいよ」

「ありがとう」


 渡される。


 翠は普通に受け取った。


 相手は少しだけ緊張した顔のまま前を向いた。


 美緒が横から小声で言う。


「今の人、めっちゃ固まってたよ」

「なぜ?」

「野々宮に突然話しかけられたからでしょ」

「同じ学科だぞ」

「そういう問題じゃなくて」

「ではどういう問題なんだ」

「美人だからじゃない?」


 翠は一度瞬いた。


「そうか」

「反応薄いな」

「自分の顔は毎日見ているからな」

「その返しもまあまあ変だよ」


 翠は借りたシャーペンでノートを書き始めた。


 講義が終わる頃には、借りたことを忘れかけていた。


 男子学生が帰ろうとしたところで、美緒に肩を叩かれる。


「シャーペン」

「あ」


 翠は席を立った。


「すまない」

「あ、全然大丈夫」

「助かった」

「うん」


 返す。


 相手はやっぱり少し嬉しそうだった。


 翠は何も気づいていない。


 次の講義まで三十分空いた。


 三人は学内のベンチへ移動した。


 翠は座った途端、鞄を膝へ置き、その上へ頬を乗せた。


「寝るの?」


 莉央が聞く。


「休む」

「最近その言い方好きだね」

「寝ると言うと起こされるからな」

「休むって言っても起こすよ」

「では死んだふりをする」

「やめて」


 翠は目を閉じた。


 五分後。


「翠」

「……」

「翠」

「……」

「生きてる?」

「うん」

「返事するんだ」

「死んだふりは中止した」

「いつ?」

「今」


 目は閉じたままだった。


 莉央が笑う。


 そこへ、別の女子学生が二人通りかかった。


「あ、野々宮」


 翠は片目だけ開けた。


「うん」

「今度の実習、同じ班だよね?」

「そうだったか」

「そうだよ!」

「よろしく」

「よろしくね」


 二人は少し笑いながら去った。


 翠はまた目を閉じる。


 美緒がその横顔を見る。


「ほんと、黙ってると綺麗なんだよね」

「喋っても綺麗だぞ」

「自分で言うんだ」

「事実なんだろう?」

「そこは否定しづらいのが腹立つ」


 翠は目を開けた。


「それで?」

「何が?」

「さっきから、ボクを見て何か言いたそうだが」


 美緒と莉央が顔を見合わせた。


 少し間が空く。


「……これ、言っていい?」


 美緒が聞く。


「いいぞ」

「野々宮ってさ」

「うん」

「美人じゃなかったら、ただの大学の変な人だよね」

「…………」


 翠は黙った。


 莉央が慌てて付け足す。


「いや、悪口じゃなくて!」

「かなり悪口に近い気はするな」

「でも意味は分かるでしょ?」

「分からない」

「窓にほっぺたつけて冷たいって喜ぶし」

「気持ちいいぞ」

「味噌汁を自然冷却とか言うし」

「合理的だ」

「机で即寝るし」

「休息だ」

「友達の家にヘアゴムとか参考書とか置きっぱなしにするし」

「悠人の家は近いからな」

「それも普通ではないからね?」

「そうなのか?」


 二人が同時に頷いた。


 翠は少しだけ考えた。


「でも、困ってはいないぞ」

「それはそう」

「むしろ何か成立してるんだよなあ」


 美緒が唸る。


「何が?」

「全部」

「曖昧だな」

「野々宮って、たぶん顔が強すぎるんだよ」

「攻撃力の話か?」

「違う」

「防御力?」

「もっと違う」


 莉央が笑う。


 美緒は少し身を乗り出した。


「例えばさ」

「うん」

「知らない女子が窓に十分ほっぺつけてたら、ちょっと心配になるじゃん」

「なるかもな」

「野々宮がやってると、なんか絵になる」

「なるほど」

「でも近づいて理由聞くと『冷たいから』って言う」

「事実だ」

「そこでもう全部台無し」

「台無しなのか」

「いい意味でね」

「いい意味の台無しとは?」

「分かんない」


 三人で笑う。


 翠はしばらく考えていた。


 自分が変だと言われること自体には、それほど抵抗はない。


 昔から、少しずれていると言われることはあった。


 ただ、美人だから許されているという発想はあまりなかった。


 自分の顔は、自分にはほとんど見えない。


 鏡を見る時くらいだ。


 毎朝そこにあるものなので、特別ありがたいとも思っていなかった。


「つまり」


 翠が言う。


「ボクは顔に救われているのか」

「かなり」


 美緒が即答した。


「即答だな」

「かなりね」


 莉央も頷く。


「そんなにか」

「うん」

「では感謝しよう」

「誰に?」

「両親」

「そこは真面目なんだ」

「ボクの顔を作った人たちだからな」

「急に遺伝学みたいになるのやめて」


 翠は少し笑った。


 その日の最後の講義が終わると、三人はそれぞれ帰り支度を始めた。


 外はもう少し暗くなっている。


 翠は鞄を肩へ掛けた。


 その時、机の横へ置いていたペットボトルを見た。


 中身は少し残っている。


 飲む。


 空になる。


 捨てるために立つ。


「お」


 美緒が言う。


「何だ」

「ちゃんと自分でゴミ捨てるんだ」

「当然だろう」

「いや、ちょっと期待してた」

「何を?」

「面倒だから誰かに頼むのかなって」

「そこまでではないぞ」

「線引きあるんだ」

「ある」

「どこ?」

「近くにゴミ箱があるかどうか」

「そこなんだ」


 翠は廊下の端にあるゴミ箱へペットボトルを捨てた。


 戻る。


 すると莉央が笑っていた。


「やっぱ変だなあ」

「失礼だ」

「でも可愛いから成立する」

「それは褒めているのか?」

「かなり」

「なら許そう」


 三人で講義棟を出る。


 夕方の空気は少し涼しかった。


 翠は駅へ向かう途中、前髪が風で顔にかかったので指で払った。


 横断歩道の向こうから来た学生が、翠を見て一瞬だけ振り返る。


 本人は気づかない。


「ほら」


 美緒が小声で言った。


「何が?」

「今また見られてたよ」

「誰に?」

「もういい」

「気になるじゃないか」

「気にしなくていいって」


 翠は首を傾げた。


 そのまま歩く。


 駅前で美緒と莉央と別れたあと、スマホを確認する。


 悠人から一件。


『今日、こっち来ます?』


 翠は少しだけ目を細めた。


『行く』


 送る。


 すぐ返事が来る。


『夕飯食べます?』

『食べる』

『何か希望あります?』


 翠は歩きながら考えた。


 考えるのが面倒になった。


『美味しいもの』


 送る。


 少しして、


『一番困るやつですね』


 と返ってきた。


 翠は画面を見て笑った。


 そのまま最寄り駅まで帰る。


 マンションへ着き、自分の部屋へ一度入った。


 鞄を置く。


 上着を脱ぐ。


 靴下も脱ぐ。


 それから、玄関へ戻る。


 向かいの悠人の部屋へ行くために、また靴を履いた。


 数分後。


 玄関を開けた悠人は、翠を見るなり少し眉を寄せた。


「どうしたんですか」

「何が?」

「何か変な顔してますよ」

「今日、言われた」

「何をです?」


 翠は靴を脱ぎながら答えた。


「ボクは美人で可愛くなかったら、ただの大学の変なやつらしい」


 悠人は黙った。


「…………」

「何だ、その間は」

「いや」

「否定したまえ」

「……難しいですね」

「悠人?」

「美人でよかったですね、翠先輩」


 翠はしばらく無言で悠人を見た。


「そこは否定するところだろう」

「でも窓に頬つけて冷たいって喜んでたんでしょう?」

「なぜ知っている」

「やってそうなので」

「失礼だな」

「当たってるんですか」

「当たっている」

「じゃあ仕方ないです」


 悠人は先にリビングへ戻っていった。


 翠はその背中を見送る。


 少しだけ頬を膨らませた。


 それから、いつものように後をついていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。