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ボクを飼ってみないか?!  作者: 御HeSummer3
第1章

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3/37

大学にもいた


 三限が終わった。


 教授が教卓の上の資料をまとめ始めるのとほぼ同時に、講義室のあちこちで椅子を引く音が鳴り、閉じられたノートや教科書が次々と鞄へ吸い込まれていく。


 俺も眼鏡を押し上げながらノートを閉じた。


 眠い。


 朝から中央常磐動物園へ行き、そのまま大学まで来たのだから当然だった。


 昨日二時過ぎまでレポートをやっていたことまで含めれば、自業自得でしかない。


「悠人、次どうする?」


 隣から声を掛けられる。


 同じ獣医学科の男子だった。


「空き」

「俺ら食堂行くけど」

「あとで行く」

「また?」

「今行ったら混んでるだろ」

「お前、そうやっていつも人の波が引いてから来るよな」

「並ぶの嫌いなんだよ」

「じゃあ、席あったら取っとくわ」

「空いてたらでいいよ」


 軽く手を上げて、そいつは別の友人たちと講義室を出ていった。


 俺も少し遅れて立ち上がる。


 国立武蔵野科学大学へ入って二年目。


 知り合いもいるし、講義が終われば飯に誘われる程度には人付き合いもある。


 とはいえ、常に誰かと一緒にいるタイプでもない。


 一人でいる時間も嫌いではなかった。


 講義棟を出ると、春の風が思ったより強く吹いていた。


 四月も半ばを過ぎているのに、日陰へ入るとまだ少し冷える。


 中庭を抜けて生協へ向かおうとして、俺は足を止めた。


「……ん?」


 ベンチに女の人が座っていた。


 明るい茶色の髪。


 淡い色のカーディガン。


 膝の上には開いたノート。


 片手には紙パックの飲み物。


 見覚えがある。


 というより、今朝も見た。


 動物園で。


 数歩進んでから、もう一度振り返る。


 向こうも、ちょうどこちらを見た。


「……あれ?」


 ほとんど同時だった。


「翠先輩?」


 声を掛けると、女の人が目を丸くする。


「……悠人?」

「はい」

「なぜキミがここにいるんだい?」

「大学だからですよ」

「それは見れば分かるとも」

「じゃあ聞かないでください」

「そういう意味ではない」


 野々宮(ののみや)翠(みどり)先輩は、膝の上のノートを閉じながら俺を見上げた。


 中央常磐動物園では、俺より先に働き始めた先輩。


 高校生の頃から世話になっていて、その関係は今も変わっていない。


 ただ、大学では事情が少し違う。


 翠先輩は二十歳。


 俺は十九歳。


 年齢だけ見れば一つ上だが、誕生日の位置が違うだけで、学年は同じ二年だった。


「翠先輩、ここの学生だったんですか?」

「その台詞はそのまま返したいね」

「俺、去年からいますよ」

「ボクも去年からいるとも」

「……一回も見たことないですけど」

「奇遇だね。ボクもだ」


 二人で少し黙る。


 同じ大学。


 同じ獣医学科。


 同じ学年。


 しかも動物園では普通に顔を合わせている。


 それなのに一年間、大学では一度も互いを見つけなかったらしい。


「そんなことあります?」

「実際あったのだから仕方ないだろう?」

「必修とか」

「教室が違ったり、座る場所が離れていたりしたんじゃないかい?」

「それにしたって」

「キミは大学でボクを探して歩いていたのかね?」

「いや……」

「なら見つからなくても不思議ではないだろう」

「翠先輩は?」

「まさか〜! 探していないとも」

「じゃあ、お互い様ですね」

「そういうことだ!」


 翠先輩は満足そうに頷いた。


 理屈としてはその通りなのだが、少し納得しづらい。


「座るかい?」

「いいんです?」

「ベンチはボクの私物ではないよ」

「じゃあ失礼します」


 隣へ腰を下ろす。


 動物園で休憩が重なれば、こうして話すことはある。


 だから気まずさはない。


 ただ、背景が違うだけで妙な感じがした。


 いつもなら獣舎や作業着や餌の入ったケースが視界のどこかにある。


 今は講義棟と学生と自転車がある。


 それだけで、翠先輩が少し違って見えた。


「そういえば」


 俺は翠先輩を見る。


「最近、引っ越したって言ってましたよね」

「ああ。ようやくだよ」

「大学の近くでしたっけ」

「前よりはかなり近いね。今朝なんて家を出てから四十分も掛からなかった」

「前はどれくらいだったんです?」

「一時間半ほど」

「遠っ」

「だろう?」

「よく一年通いましたね」

「褒めてくれて構わないよ」

「そこは普通にすごいです」

「……素直に褒められると少し困るな」

「なんでですか」

「キミはもう少し雑に扱うものだと思っていた」

「俺をなんだと思ってるんです?」


 翠先輩は紙パックに口をつけた。


「ただねぇ」

「はい」

「大学は近くなったが、動物園は遠くなった」

「ああ」

「そこを完全に失念していた」

「なんでですか」

「大学へ通いやすい場所を探していたからだよ」

「動物園も通うでしょう」

「契約してから気づいたのだ」

「遅いですよ」

「仕方ないじゃないかぁ」

「結構大事でしょう」

「ボクもそう思うがね」

「今さら」

「今さらだとも」


 本人はいたって真面目な顔をしている。


「どれくらい掛かるようになったんです?」

「一時間ちょっと?」

「前より?」

「二十分ほど増えた」

「大学はかなり近くなって、動物園は遠くなったと」

「総合的には得だろう?」

「朝のシフトの日は損ですね」

「そういう現実的なことを言うのはやめたまえ」

「一番現実的に考えるところでしょう」


 翠先輩は小さく息を吐いた。


「朝がつらい」

「でしょうね」

「五時台に起きる必要がある」

「起きればいいじゃないですか」

「簡単に言ってくれるねぇ」

「俺も朝から行ってますけど」

「キミは朝に強いだろう?」

「強くはないです。起きてるだけです」

「それを強いと言うんだよ」

「翠先輩が弱すぎるんじゃないですか」

「それは否定しない」


 即答だった。


 そこだけは潔い。


 風が吹き、翠先輩の髪が頬へ掛かる。


 片手で払って耳へ掛けると、そのまま中庭の向こうへ目を向けた。


「でも、大学が近くなったのはいいね」

「楽です?」

「かなり。一限があるだけで一日が始まる前から疲れていたからね」

「じゃあ引っ越して正解じゃないですか」

「うむ」


 そこで少し間が空いた。


 中庭を何人かの学生が連れ立って歩いている。


 笑い声が、風に乗ってこちらまで届いた。


「……もっとも」

「はい」

「引っ越せば友達も自然にできると思っていたのだがね」

「そんなシステムないですよ」

「ないようだ」

「友達いないんですか?」

「失礼な」

「いるんです?」


 翠先輩は少しだけ視線を逸らした。


「講義で話す相手くらいはいるよ」

「それ友達じゃないんです?」

「昼を一緒に食べたり、休日に会ったりする相手はいないね」

「なるほど」

「一人でも平気だから、そのまま一年経ってしまった」

「二年目ですね」

「それを言うんじゃない」


 少しだけ頬を膨らませる。


「悠人は?」

「いますよ」


 意外そうに眉を寄せ、目を見開いた。


「その顔やめてください」

「意外だね」

「なんでですか」

「キミも一人で平気そうだからね」

「平気なのと友達いないのは別でしょう」

「なるほどぉ」

「参考にしないでくださいよ」

「今のところ一番有益な情報だ」

「友達作りを研究対象みたいにしない方がいいと思います」

「だからできないのか」

「たぶん、そういうところもあります」

「厳しいなあ」


 翠先輩が肩を落としたところで、俺のスマートフォンが震えた。


 画面を見る。


『飯まだ?』


 さっきの友人だった。


「友達かい?」

「はい」

「本当にいたのか」

「まだ疑ってたんですか」

「少し」

「なんで俺が見栄張って友達いることにするんです?」

「十九歳の男の子には色々あるのかと」


 翠先輩はなぜか人差し指同士を突き合わせ始めた。


「二十歳になった途端に年上ぶるのやめてもらえます?」

「事実、一つ上だろう?」

「同学年でしょう」

「ボクは二十歳。キミは十九歳」

「誕生日が早いだけじゃないですか」

「だが二十歳だ」

「数か月後には俺もなりますよ」

「その数か月が大きいのだよ、少年」

「はいはい」

「扱いが雑だなあ」


 翠先輩は楽しそうに笑った。


 動物園では何度も話している。


 今さら知らない相手ではない。


 それでも大学のベンチでこうして話していると、今まで知らなかったことが少しずつ出てくる。


 どこから大学へ通っていたのか。


 最近引っ越したこと。


 大学では案外、一人でいることが多いこと。


 同じ場所に一年もいたのに、そんなことすら知らなかった。


「ねぇ、悠人」

「はい」

「これから昼食かい?」

「その予定です」

「そうか」

「翠先輩は?」

「ボクはまだだね」

「何か食べないんです?」

「これから考えるところだった」

「じゃあ来ます?」


 翠先輩が目を瞬いた。


「どこへ?!」

「食堂ですけど」

「キミの友達がいるんだろう?」

「いますけど」

「邪魔ではないかい?!」

「一人増えるくらい大丈夫でしょう」

「……そうか」

「友達欲しいんでしょう?」

「そこを持ち出されると弱いな」

「ちょうどいいじゃないですか」

「何がだい?」

「一人目」

「いきなり数えるのかね」

「ゼロよりいいでしょう」

「言い方に情緒がないなあ」


 俺は立ち上がった。


 翠先輩もノートを鞄へしまい、少し遅れて立ち上がる。


「あ、悠人」

「なんです?」

「一つ聞いていいかい?」

「どうぞ」

「大学でも翠先輩なのか?」

「今さら変えます?」

「同学年だぞ」

「でも翠先輩は翠先輩でしょう」

「……そうか」

「嫌ですか?」

「いや」


 少し考えてから、翠先輩は笑った。


「それでいいとも」


 俺たちは並んで食堂へ向かう。


 ついさっきまで、翠先輩は動物園で会う人だった。


 それが今日から、大学にもいる。


 それだけのことなのに、俺の日常は少しだけ狭くなった気がした。

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