↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ボクを飼ってみないか?!  作者: 御HeSummer3
第1章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/37

猛禽類舎の朝


 中央常磐動物園の朝は早い。


 午前七時四十八分。正門はまだ閉じているが、園内ではすでに飼育員や清掃スタッフが行き交い、遠くから箒で地面を掃く音や、台車の車輪が舗装路を転がる音が聞こえている。


 俺は猛禽類舎のバックヤードへ入ると、曇った眼鏡を外して服の裾で拭いた。


「おはよう」


 止まり木の上から、オオワシの玄(くろ)がこちらを見る。


 もちろん返事はない。俺も期待はしていない。


 眼鏡をかけ直し、まずはいつもの場所にいることを確認してから、羽、目、脚へ順番に視線を移す。止まり木の下も見る。昨日の餌の残りと糞の状態を確認して、手元の記録表へチェックを入れた。


 特に変わったところはない。


 そのまま朝の餌を用意して所定の位置へ置く。


 玄はこちらを見た。


 次に、餌を見る。


 それから止まり木を降りた。


「……ん?」


 ほんの少しだけ遅かったような気がした。


 食べないわけではない。


 降りてしまえばいつも通りで、嘴を伸ばして餌を食べ始める。


 それでも俺は、しばらくその様子を眺めていた。


「高瀬」


 背後から呼ばれて振り返る。


「おはようございます」

「おう。朝から難しい顔してんな」


 猛禽類担当の鷹野さんが、俺の隣まで来て飼育スペースを覗き込んだ。


「玄、今ちょっと遅くなかったですか?」

「何が?」

「餌に降りるまでです」


 鷹野さんも玄を見る。


 玄は普通に食べている。


「そうか?」

「昨日より一拍くらい遅かったような」

「一拍って何秒だよ」

「そこまでは測ってないです」

「じゃあお前の感覚じゃねえか」

「だから聞いたんですよ」

「俺は気づかなかったな」

「じゃあ、気のせいかもしれません」


 そう答えてから、記録表の余白に今日の日付を書き、餌への接近がやや遅く感じたことだけ残しておく。


 鷹野さんが横から覗き込んできた。


「書くの?」

「一応」

「食ってんぞ」

「はい」

「元気そうだぞ?」

「ですね」

「じゃあいいじゃん」

「明日も遅かったら、今日も遅かったって分かるでしょう?」

「……お前、細かいなあ」

「よく言われます」

「別に褒めてないぞ」

「じゃあ、今のなしで」

「そういうところは雑だよな」

 

 俺は笑って、書き終えたペンを胸ポケットへ戻そうとした。


 入らない。


 もう一度やる。


 やっぱり入らない。


「……?」

「何してんの?」

「ペンが」

「エプロン着てないぞ、お前」


 自分の胸元を見る。


 ただの黒いポロシャツだった。


「あ」

「寝ぼけてんのかあ?」

「ちょっとだけ……」

「まったく、何時に寝たんだか」

「二時過ぎです」

「馬鹿じゃねえの?」

「レポートやってたんですよ」

「それで七時台からバイト入れてんの?」

「シフト出したときは、昨日の俺が二時まで起きてる予定じゃなかったので」

「予定立てんの下手くそだなあ」

「最近ちょっと思ってます」


 ペンをズボンのポケットへ入れて、次の作業へ移る。


 高瀬(たかせ)悠人(ゆうと)、十九歳。


 国立武蔵野科学大学獣医学科二年。


 動物園では学生の飼育補助として、週に何度か猛禽類の世話をしている。


 獣医学科にいると言うと、たまに大層なことをしていると思われる。


 実際にはそんなことはない。


 餌を量って、水を替えて、掃除をして、器具を洗う。動物の様子を見て、気になったことがあれば記録し、自分で判断せず飼育員に伝える。


 今の俺にできることなんて、そのくらいだ。


 でも、そのくらいが結構好きだった。


 フクロウ舎へ移動し、床に落ちた羽根を拾う。


 水入れを回収して、新しいものと交換する。


 昔、実家で犬を飼っていた。


 俺がまだ子供だった頃から家にいた犬で、獣医になろうと思ったきっかけも、たぶんそいつだ。


 体調を崩した時、元気がないことだけは俺にも分かった。


 けれど、どうして元気がないのかは分からなかった。


 何を見ればいいのかも、何をすればいいのかも分からず、結局、大人に任せるしかなかった。


 子供だったのだから当然だ。


 今ならそう思う。


 それでも、分からなかったことだけは妙に覚えている。


 だから次に何かがおかしいと思った時は、せめて何がおかしいのか考えられる人間になりたかった。


 それが獣医である必要まであったのかと聞かれると、正直、当時の俺にはそこまで考えていなかったと思う。


 ただ勉強しているうちに、本当に獣医学科へ入ってしまった。


 入ったら入ったで覚えることは山ほどあって、昨日もそのせいで二時まで寝られなかった。


 夢というものは、叶える途中が思ったより眠たい。


「高瀬、悪い」


 顔を上げると、通路の先で鷹野さんが大きなケースへ手を掛けていた。


「それですか?」

「ああ。向こうまで頼める?」

「いいですよ」


 近づいてケースを受け取る。


 思ったより軽い。


「鷹野さん」

「ん?」

「腰、痛いんですか?」


 鷹野さんが一瞬止まった。


「なんで?」

「さっきから物持つ時、左に寄せてるんで」

「……見てたのか?」

「見てたというか、見えたというか」

「気持ち悪いな、お前」

「持ってあげてる人に言います?」

「悪い悪い。昨日ちょっとやった」

「病院行った方がいいですよ」

「大丈夫だよ、このくらい」

「動物が同じこと言ったら信用しないでしょう」

「動物は言わねえよ」

「じゃあ人間で良かったですね」

「お前、真面目そうな顔してたまに腹立つこと言うよな」

「眼鏡のせいじゃないですか?」

「それは眼鏡に謝れ」


 ケースを運びながら笑う。


 自分では、人のことをよく見ているつもりはない。


 気づく時は気づく。


 気づかない時は、本当に気づかない。


 先週だって妹との電話中に髪を切ったと言われて、そうだったのかと返したら五分くらい文句を言われた。


 画面越しで分かるわけがないと思う。


 そう言ったら、さらに怒られた。


 だから観察力があると言われても困る。


 見ているものが少し偏っているだけなのだろう。


 ケースを所定の場所へ置いたところで、園内に開園を知らせる放送が流れ始めた。


 正門の方から子供たちの声が聞こえてくる。


 さっきまで職員しかいなかった通路へ少しずつ人が増え、中央常磐動物園がいつもの賑やかさを取り戻していく。


「高瀬、休憩入っていいぞ」

「はい」

「午後から大学だっけ?」

「三限からです」

「寝るなよ〜?」

「寝ませんよ」

「昨日二時だろ?」

「コーヒー飲むので」

「そういう問題か?」


 鷹野さんと別れ、休憩室へ向かう途中でスマートフォンを確認する。


 大学からの通知が二件。


 友人からのメッセージが三件。


 母親から一件。


『ちゃんと食べてる?』


 昨日の夜に来ていた。


 俺は少し考えて、


『食べてる』


 と返した。


 昨日の夕食がコンビニのおにぎり二つだったことは書かなかった。


 人のことなら気づく。


 動物のことなら気にする。


 そのくせ自分のことになると、案外こんなものだ。


 自販機でコーヒーを買って、休憩室の椅子へ腰を下ろす。


 午後から大学。


 帰ったらレポート。


 冷蔵庫には卵が三つ。


 夕飯は帰りに考えればいい。


 そんなことを考えながら、缶コーヒーのプルタブを起こした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。