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「力を隠していた第8王子、英雄になる 〜どうせバレたならトコトンやったら経済大国になりました〜」  作者: FUKA


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第9話:銀行と紙幣

商会の帳簿には、日を追うごとに書き込みの数が増え、インクの匂いが絶えることなく漂っていた。エルダシア商会の発展と同盟諸国の拡大は順調に進んでいた。だがその裏で、ラディウスは新たな課題に直面していた。


「殿下、また商人たちから苦情が。バルトレインとの取引で、代金の受け渡しに手間取っております。金貨や銀貨は重く、隣国まで馬車で運ぶだけでも護衛の手配や日数がかかり、道中の盗賊の危険もある」


(金属の貨幣を、そのまま担いで運ぶ時代か……これは、そろそろ限界だな)


ラディウスは、商人たちの苦情の記録を前に、しばし考え込んだ。


(前世でも、最初は金や銀そのものが貨幣だった時代があったはずだ。それが、預かり証のようなものに置き換わっていって……そうか、あれと同じ理屈が、ここでも使える)


前世の記憶――金匠や両替商が、預かった金貨の代わりに発行していた預かり証が、いつしかそのまま貨幣として流通するようになっていった歴史の断片が、ラディウスの中で像を結んでいった。信用さえ保証できれば、金属そのものを運ぶ必要はない。紙切れ一枚に、金貨と同じ価値を持たせればいいのだ。


(それに、金貨をただ金庫に眠らせておくのはもったいない。必要としている者に貸し出せば、この国の産業そのものを、もっと速く回せるようになる)


「父上、新たに銀行という機関を設立したいと考えています。民や商人から金貨・銀貨を預かり、代わりに、その預かり額と同等の価値を持つ『引換証』を発行する機関です」


「わざわざ紙切れに替える必要が、どこにある?」とエルダシアの宰相ギルバートが眉をひそめた。


「紙切れは、金貨より遥かに軽く、持ち運びが容易です。それに――銀行に預けられた金貨は、ただ金庫に眠らせておくのではなく、必要とする商人や職人に、利子を取って貸し出すこともできます。新しい工房を興したい者、商いを広げたい者に資金が回るようになれば、国全体の産業が、今よりずっと速く育つはずです」


かくして、王都の一角に「エルダシア銀行」が設立された。当初、民の反応は芳しくなかったが、ラディウスは自らの財産と、エルダシア商会の資金を大々的に銀行へ預け入れることで、範を示した。バジルもまた、長年の奉公で蓄えた少しの私財を、真っ先に銀行へと預け入れた一人だった。


「バジルまで、そこまでする必要はないだろう」


「坊っちゃまが信じるものを、私が信じずにどうします」


その言葉に、ラディウスは何も返せなかった。執事のささやかな一歩もまた、民の不安を和らげる、小さくない後押しとなっていた。半年も経つ頃には、王都の商人たちの間で、銀行の引換証が徐々に取引の場で使われ始めていた。


「殿下、次は何を?」


ギルバートが尋ねた。銀行設立の成功を見届け、その表情には、当初の疑いがすっかり和らいでいた。


「引換証を、正式な『紙幣』として発行する。裏付けは、銀行が保有する金貨・銀貨の準備高の範囲内でのみ、紙幣を発行する」


「殿下、それは、いささか性急すぎるのではありませんか」


ギルバートが、今度は強い口調で異を唱えた。


「引換証はあくまで、銀行に預けた金貨と交換できる『証文』として、皆が受け入れてきました。ですが、それを正式な通貨として押し出すとなれば、話は別です。もし銀行が金貨を出し渋る、あるいは何らかの理由で立ち行かなくなれば、紙切れは、文字通りただの紙切れに成り下がります」


商人組合からも、同様の懸念が相次いだ。


「先祖代々、金貨でしか商いをしてこなかった身としては、紙切れを金貨と同じだけ信用しろと言われても、正直、抵抗がございます」


「もし殿下が、いざという時に、金貨との交換に応じてくださらなければ……」


「その懸念は当然だ」


ラディウスは、集まった商人たちを前に、静かに、しかしはっきりと告げた。


「だからこそ、僕は自分の財産と、商会の資金を、真っ先に銀行へ預けた。そして今後も、紙幣と金貨の交換要求には、いかなる時も、必ず応じる。もし僕がそれを違えるようなことがあれば、この国の信用そのものが地に落ちる――それは、僕自身が、誰よりもよく分かっているつもりだ」


「殿下がそこまで仰るのであれば……」


ギルバートは、なおも渋い顔をしながらも、それ以上は強く反対しなかった。


偽造防止のため、紙幣に刻む魔方陣の意匠には、ラディウス自身が独自に組んだ複雑な認証術式が織り込まれた。こうして発行された「エルダシア紙幣」は、次第に王都、そして同盟諸国全体へと流通が広がっていった。


「エルダシアが、金属の貨幣ではなく、紙切れを正式な通貨として流通させ始めた、と?」


ゼルギウスは、届いた報告書の文言を、思わず二度読み返した。金貨や銀貨に価値があるのは、それ自体が金属として価値を持つからだ。それを、紙切れ一枚に置き換えるという発想そのものが、これまでの常識にはない、奇妙なものに感じられた。


「にわかには信じ難い話だが……銀行とやらが保有する金貨の準備高を裏付けにしている、というのは、なるほど道理は通っている」


理屈を飲み込むにつれ、ゼルギウスの表情から、次第に軽んじる色が消えていった。


「もはや、一地方の弱小国の話ではないな。あれは、一つの経済圏を作り上げようとしている」


ゼルギウスは、深いため息をついた。


エルダシア紙幣が王都に定着し始めてから、半年ほどが過ぎた頃だった。


「殿下、由々しき事態です」


フェリクスが、緊張した面持ちで一枚の紙幣を差し出した。一見すると、正規のエルダシア紙幣と何ら変わらない、精巧な作りの札だった。


「市場で、この紙幣を使おうとした商人が、銀行の窓口で引き換えを断られたそうです。刻まれた魔方陣の紋様が、ほんの少し異なっている、と」


ラディウスは、その紙幣を受け取り、灯りにかざした。素人目には、正規の紙幣と見分けがつかないほどの出来栄えだった。


「……早いな。まだ流通し始めて半年だというのに、もう模造品を作る者が現れたか」


だが、その声に焦りはなかった。むしろ、どこか予想通りだと言わんばかりの、落ち着いた響きがあった。


「バジル、驚かないのですか」


傍らに控えていたバジルが、不思議そうに尋ねた。


「驚きはしないさ。紙幣を発行すると決めた時から、いずれ偽物を作ろうとする輩が現れることは、織り込み済みだった」


ラディウスは、懐から本物の紙幣を取り出し、机の上に並べて見せた。


「紙幣に刻んだ魔方陣の意匠、あれは偽造防止のためだと説明していたが、実はもう一段仕掛けを施してある」


「もう一段、と仰いますと」


「紙幣の材料そのものに、細工がしてある。魔石を、粉になるまで細かく砕いてね。あの粉を、紙を漉く工程で、繊維の中に均等に練り込ませてあるんだ」


「紙そのものに、魔石の粉を……」


「ああ。ただ紙の表面に紋様を描いただけなら、絵の巧みな者が真似れば、いずれ見分けがつかなくなる。だが、紙の繊維そのものに魔力を帯びさせておけば、これは絵心だけではどうにもならない」


ラディウスは、小さな木札のような判定具を取り出した。表面には、複雑な幾何学模様が刻まれている。


「これを、本物の紙幣に近づけると――」


木札の模様が、ぼんやりと淡い光を帯びた。紙全体に練り込まれた魔石の粉が、判定具の魔方陣と共鳴した証だった。


「そして、さっきの偽札を近づけると」


先ほどフェリクスが持ってきた偽札に木札を近づけても、何の反応も起きなかった。ただの紙に、いくら精巧な絵を描いたところで、魔力そのものは宿らない。


「銀行の窓口には、全てこの判定札を配ってある。だからこそ、あの商人の偽札も、即座に見抜かれた」


バジルは、感心したように息を吐いた。


「坊っちゃまは、最初から、こうなることを見越して……」


「見越していた、というより、いずれ必ず誰かが試すだろうと思っていただけだ。だから、事が起きてから慌てないように、先に手を打っておいた」


「して、この偽札を作った者たちは、いかがいたしましょう。すぐに取り締まりますか」


フェリクスの問いに、ラディウスはしばし考え込んだ。


「いや、まだ泳がせておこう」


「泳がせる、とは」


「一人二人の小悪党が、小遣い稼ぎのつもりでやっているだけなら、すぐに捕らえてもいい。だが、これほど精巧な偽札を作るには、かなりの技術と、まとまった資金が要るはずだ。もし、これが組織立った動きなら――その全容を掴んでから、一網打尽にした方がいい」


フェリクスは頷き、密かに追跡を続けることとなった。


数週間にわたる内偵の末、フェリクスが再びラディウスのもとを訪れた。


「殿下、判明いたしました。偽札を作っていたのは、王都の外れに潜伏していた一団です。ですが――」


フェリクスは、声を落とした。


「彼らの背後に、帝国の息がかかっている形跡がございます。潜伏先から押収した資金の出所、そして一団の頭目が、以前、帝国の密偵と接触していた記録が見つかりました」


「……帝国、か」


ラディウスは、静かに目を細めた。


「エルダシア紙幣の信用そのものを揺るがそうとした、ということか。技術で奪えないなら、信用そのものを壊しにかかる――随分と、回りくどいやり口だ」


「いかがなさいますか」


「今度こそ、全員捕らえよう。証拠は十分に揃っている。それに――」


ラディウスは、判定用の木札を、静かに握りしめた。


「これで、エルダシア紙幣の仕組みが、どれだけ堅牢か、身をもって証明できる。むしろ、いい機会だ」


数日後、フェリクス率いる捕縛部隊が、王都外れの隠れ家を急襲した。偽札の版木、大量の未使用紙、そして帝国式の暗号で記された書状の一部が、次々と押収された。


「これで、正式に帝国へ抗議できる材料が揃いました」


ダグラスの報告に、ラディウスは頷いた。


「エルダシアの信用を揺るがそうとする試みは、今回も不発に終わった、というわけだ。……この一件も、いずれ何かの形で役に立つかもしれない」


紙幣を巡るこの小さな攻防は、表立って大きく取り沙汰されることはなかったが、エルダシア紙幣の信頼性を、かえって王都の民に印象づける結果となった。


「あの紙幣は、偽物を作ろうとしても、すぐに見抜かれるらしい」


そんな噂が、市井の間で静かに広まっていった。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


【史実おまけ】銀行と紙幣の起源

現実の世界でも、紙幣は元々「金匠(金細工師)が預かった金貨の預かり証」として始まりました。17世紀のイギリスでは、ロンドンの金匠たちが発行した預かり証が、次第にそのまま貨幣として流通するようになりました。1694年には、イングランド銀行が設立され、国家の信用を背景にした銀行券の発行が本格化します。さらに遡れば、11世紀の中国・北宋でも「交子」と呼ばれる紙幣が世界最古級の例として使われていました。


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次回もよろしくお願いいたします。

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