第29話:議会、始動
磨き上げられた議場の木床に、これまでとは違う顔ぶれの足音が響くようになっていた。王位継承問題の決着から一年、エルダシア王国では、段階的な統治改革が着実に進められていた。
まず手始めに、貴族院に「商工代表議席」が新設された。これまで血統によってのみ発言権を持っていた貴族院に、エルダシア商会をはじめとする有力な商人・技師の代表が、正式な議席を得て加わることとなったのだ。この人選の裏方を支えたのが、バジルだった。長年培ってきた市井の人脈を活かし、真に商人たちの声を代弁できる人材を、彼は静かに見極めていった。
「バジル、随分と顔が広いんだな」
「執事たるもの、屋敷の中だけを見ていては務まりません、と以前も申し上げたはずです」
ラディウスが感心すると、バジルはいつも通り、さらりとそう答えた。
「貴族でもない者が、この議場で発言するとは……」
当初、保守的な貴族たちからは強い反発の声が上がった。
「代々、この国の政は、血筋と教養を備えた我々貴族が担ってきました。商人風情に議席を与えるなど、先祖代々の慣例を、いとも容易く踏みにじる行為です」
年配の貴族が、声を荒らげてガイウス王に詰め寄った。
「彼らは、目先の利益しか見えぬ者たちです。国家百年の計を語るには、あまりに視野が狭すぎましょう」
「その言い分、一理あるとは思う」
ガイウス王は、静かに、しかし揺るぎない声で答えた。
「だが、税の在り方一つとっても、実際に商いを担う者の声を聞かねば、机上の空論になる。我々貴族だけで決めた政策が、これまで幾度、現場の実情とかけ離れていたか――お前たちも、覚えがないわけではあるまい」
「しかし……」
「これは、弟が示した道だ。血筋によらず、実際にこの国を支えている者の声を、政に反映させる。最初は戸惑いもあろうが、しばらく様子を見てから、また議論しよう」
反発は根強く残ったものの、商工代表たちが持ち込む具体的な経済数値や産業の実態に基づいた議論は、次第に貴族院全体の質を引き上げていった。数ヶ月も経つ頃には、当初最も強く反対していた貴族の一人が、思わずこう漏らすほどだった。
「……忌々しいが、奴らの数字は、いちいち的を射ている」
数年をかけ、各地の学舎で学んだ平民の中から、地域ごとに代表を選出する仕組みも整えられていった。読み書きと計算を学んだ子どもたちが、成人し、それぞれの地域で商いや工房を営みながら、やがて自らの町の代表として議場に足を踏み入れる――そんな光景が、少しずつ当たり前のものになっていった。
「殿下が学舎を作ってくださらなければ、私のような者が、こうして議場に立つことなど、夢にも思いませんでした」
初めて平民代表として議場に立った、元は鍛冶職人だった男が、感慨深げにラディウスに語りかけた。
「僕が作ったのは、きっかけに過ぎない。ここまで歩んできたのは、あなた自身の努力です」
議会の発足にあたり、王家と重臣たちの間で、最も議論を呼んだのが、この新体制を率いる「総理大臣」という役職を、誰に任せるかという問題だった。
「殿下以外に、適任はおられません」
ギルバートが、議場の重臣たちを代表するように、そう進言した。
「この仕組みそのものを作り上げたのは殿下です。産業も、外交も、殿下の判断一つで、これまでこの国を導いてきました。土台が固まるまでは、殿下御自身に、舵を取っていただきたい」
「僕が議会の要職に就けば、結局、また『特定の誰かに頼る国』に逆戻りしてしまわないか」
ラディウスは、慎重にそう答えたが、ガイウス王もまた、静かに頷いた。
「お前の懸念も分かる。だが、生まれたばかりの仕組みを、いきなり手放しで走らせるのは、あまりに危うい。まずはお前が舵を取り、この国に『合議で物事を決める』という在り方そのものを根付かせてから、次の者へ引き継げばいい」
長い議論の末、ラディウスは、初代総理大臣として、議会の運営を担うことを引き受けた。
「分かりました。ただし――」
ラディウスは、静かに、しかし明確な条件を付け加えた。
「この役職を、僕が生涯にわたって占めるつもりはありません。この国の仕組みが、しっかりと根を張ったと判断した時には、必ず後任に道を譲ります」
ラディウス自身は、王位こそ継がなかったものの、この日から、王家の後ろ盾を持つ商会代表という立場に加え、議会を率いる総理大臣としての重責をも担うこととなった。議場の警護は、既にダグラスが率いる専門の部隊に引き継がれ、新体制のもとでも変わらぬ安全が保たれていた。
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