第20話:託されたもの
カーテンの隙間から差し込む夕陽が、寝台に横たわるアルベリク王の顔に、長い影を落としていた。病床のアルベリク王は、ゆっくりと、しかし明確な口調で語り始めた。
「ラディウス。帝国との関係、これまでずっと、お前が先頭に立って対処してきてくれた。今後も――いや、これからはより一層、帝国との案件は、すべてお前に任せたいと思っている」
「父上……」
「私はもう長くない。そのことは、自分が一番よく分かっている。だが、帝国との関係は、この国の存亡そのものに関わる問題だ。私のような老いた王ではなく、実際にこの手で解決へと導いてきたお前にこそ、その舵取りを任せたい」
ラディウスは、しばし言葉を失った。これまで幾度となく煮え湯を飲まされてきた帝国――暗殺、スパイ活動、代理戦争――その最終的な決着を、正式に託されようとしていた。
「承知しました。必ず、この国が――いえ、同盟全体が、これ以上血を流さずに済む道を見つけます」
アルベリク王は満足げに頷いた後、ふと、探るような目でラディウスを見た。
「ラディウス。一つ、聞いておきたいことがある」
「なんでしょう」
「お前は……王位を継ぐ気は、あるのか」
謁見の間ではなく、誰もいない病床でのその問いは、これまでのどんな場面よりも、重みを持っていた。ラディウスは、静かに、しかしはっきりと答えた。
「ありません、父上」
「……理由を聞いても?」
「王位という仕組みそのものが、これから先の時代には、そぐわなくなっていくと思うからです」
アルベリク王の眉が、少し動いた。ラディウスは続けた。
「父上。今のうちに――王権そのものが揺らぐ前に、この国に新しい統治の仕組みを、導入したいのです」
「新しい、統治の仕組み……」
「王家は、この国の象徴として、これからも変わらず存続していただきたい。ですが、実際の政務――内政、外交、産業の舵取りは、選ばれた代表による合議の仕組みに委ねるべきだと考えます。貴族だけでなく、商人や、いずれは平民の代表も加えた議会を作り、そこで政策を議論し、決定していく」
「それは……王権を、手放せと言っているのと同じではないか」
「今、手放すのではありません。むしろ、今動かなければ、いずれ丸ごと奪われることになる――僕は、そう見ています」
アルベリク王の眉が、少し動いた。ラディウスは続けた。
「魔石機関、商会、鉄道……こうした産業が育つほどに、富は王家や貴族だけでなく、それを動かす商人や技師、工房の主たちの手にも、大きく流れ込むようになります。今はまだ、彼らは僕や王家の後ろ盾があってこそ、と大人しくしています。ですが、いずれ彼ら自身の力で富を生み、財を蓄えるようになれば――『なぜ、財も実務の力も持たぬ王族に、頭を垂れねばならないのか』と、必ず声を上げ始めます」
「……それは、あまりに悲観的すぎはしないか」
「悲観ではなく、必然だと思っています。父上、これは歴史が繰り返してきた道筋です。力を蓄えた者は、いずれその力に見合うだけの発言権を求めるようになる。それを拒み続ければ、対立は先鋭化し、最後には王家そのものが、力ずくで排除される結末を迎えかねません。……最悪の場合、王家という存在そのものが、この国から消えてしまうことすらあり得ます」
病床のアルベリク王の顔から、みるみる血の気が引いていった。
「王家が、消える……」
「今のうちに、王家自らの手で、権力の一部を分かち合う仕組みを作っておけば、話は違います。民や商人の代表たちに、正式な発言の場と、政策への関与を与える。その代わりに、王家は『この国の象徴』として、決して揺るがぬ地位を保証される――そういう形の統治に、少しずつ移行していくべきだと思うのです」
「……力を、奪われる前に、自ら分け与えよ、ということか」
「はい。奪われてから失うものと、自ら差し出して残るものとでは、その後の形が大きく違います。前者は、王家そのものが断罪され、消え去る結末になりかねません。ですが後者であれば、王家は権威の象徴として、この先も長く敬われ続けることができる」
アルベリク王は、しばし目を閉じ、深く考え込んでいた。長い沈黙の後、静かに口を開く。
「……お前がそこまで考えているとは、思わなかった。だが、なぜ、王位を継いでから、その仕組みを導入しようとは思わない」
「僕が王位を継げば、それは結局、僕個人の力によって国が回る仕組みのままです。それでは、僕がいなくなった後、また同じ問題が繰り返される。大事なのは、特定の誰か一人に頼らずとも、この国が回り続ける仕組みそのものを作ることだと思うのです」
アルベリク王は、静かに、しかし深く頷いた。
「……分かった。この話、ガイウスや他の兄弟たち、そして重臣たちとも、時間をかけて話し合う必要があるだろう。だが、お前の考えは、しかと受け止めた」
「ありがとうございます、父上」
「それと――帝国の件、正式にお前に任せる。好きにやってみるがいい」
病床を辞したラディウスは、静かに廊下を歩きながら、これから始まる二つの大きな課題――帝国との対峙と、この国の統治そのものの変革――に、思いを馳せていた。
廊下の先で、ダグラスとバジルが、それぞれの持ち場から駆けつけ、主の帰りを待っていた。
「殿下、お顔の色が優れないようです。少し、休まれては」
バジルが気遣わしげに声をかけると、ダグラスも頷いた。
「今後の方針が固まり次第、我々にも、なんなりとお申し付けください」
二人の言葉に、ラディウスは小さく笑みを浮かべた。
「ああ。……これから、ますます頼ることになりそうだ。二人とも、よろしく頼む」
(急ぐ必要はない。だが、もう先延ばしにもできない)
窓の外、鉄道の敷設が進む王都の景色を眺めながら、ラディウスは静かに、次の一歩を踏み出す決意を固めていた。
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【史実おまけ】立憲君主制と議会制度
王権と統治の実務を分離する発想には、幾つもの史実の先例があります。イギリスでは1688年の名誉革命を経て、国王の権限が議会によって制限される立憲君主制が確立しました。日本でも1885年、伊藤博文を初代内閣総理大臣とする内閣制度が創設され、天皇を国家の象徴的な権威として残しつつ、実務の統治を内閣が担う体制が整えられました。
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