第19話:王の病
薬湯の匂いが、いつしか王の私室に染み付くようになっていた。鉄道網の建設が各地で進む中、エルダシアの王城に、思いがけない報せが走った。アルベリク王が、体調を崩して倒れたのだ。
「陛下は、心臓のお加減が優れないご様子で……無理をなさらぬよう、侍医が申し上げても、政務を手放そうとなさいません」
侍従長の言葉に、ラディウスの表情が険しくなった。
前世の記憶が、彼の脳裏をよぎる。体の異変に気づいていながら、忙しさを理由に病院を先延ばしにし続け、ある朝、そのまま意識を失ったあの日の感覚。「後で」と思っているうちに、取り返しがつかなくなる――それは、誰よりも自分自身が、身をもって知っていることだった。
(父上まで、同じ道を辿らせるわけにはいかない)
「父上のご負担を、少しでも減らせるようにしなければ」
だが、アルベリク王の体調不安は、思いがけない形で王城の空気を変えていった。
そんな中、バジルは自ら志願し、王の看病を手伝う侍従たちの補佐に加わっていた。長年の奉公で培った細やかな気配りは、看病の現場でも重宝された。
「バジル、お前まで無理をすることはないんだぞ」
ラディウスがそう声をかけると、バジルは静かに首を振った。
「陛下には、坊っちゃまが自らのお力を示された、あの日の恩がございます。この程度、恩返しには遠く及びません」
その言葉に、ラディウスは胸を打たれた。執事としての忠義が、いつしか、この国そのものへの忠誠に重なっていることを、彼は改めて実感していた。
「陛下のご容態が思わしくないとあれば、次期国王を早急に定めるべきではないか」
宮廷の一角で、そうした声が急速に強まり始めていた。第一王子ガイウスを推す一派と、他の王子を推す一派、そして――既に民の間で名の知れ渡ったラディウスを推す声も、無視できない規模になりつつあった。
「殿下、城下でも噂になっております。『次期国王はラディウス殿下こそが相応しい』と」
フェリクスの報告に、ラディウスは重いため息をついた。
「僕は、王位に興味はない。それは、これまで何度も示してきたつもりだが」
「ですが殿下、実績も人望も、既にガイウス殿下を凌駕しております。殿下ご自身の意思とは関係なく、周囲がそれを望んでしまえば……」
その言葉は、以前オーレリアが口にした忠告と、同じ響きを持っていた。
その夜、ガイウスの陣営では、これまで以上に張り詰めた空気が漂っていた。
「父上のお加減が悪化する前に、決着をつけねばならん。あの第八王子が、王位に興味などないという保証はどこにもない」
ガイウスの側近たちは、静かに、しかし着実に、次の動きを練り始めていた。
その気配を察知したダグラスは、護衛の配置をこれまで以上に厳重にし、ラディウスに進言していた。
「殿下、しばらくの間、単独での行動はお控えください。城内であっても、常に護衛の目が届く場所に」
「そこまで警戒する必要が?」
「万が一の話です。備えあれば、憂いなし」
護衛隊長としての慎重さが、この時期、静かにラディウスの身を守る盾となっていた。
そんな折、ラディウスは病床の父から、密かに呼び出しを受けた。
「ラディウス……よく来てくれた」
寝台に横たわるアルベリク王の顔は、以前よりも明らかにやつれていた。だが、その目には、まだ強い意志の光が宿っていた。
「父上、お加減は」
「案ずるな。まだ、そう簡単にはくたばらん。……だが、いつまでもとは言っていられぬだろう」
アルベリク王は、傍らに控える侍従を下がらせ、ラディウスと二人きりになった。
「お前に、話しておきたいことがある」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回のエピソードに関する史実・技術おまけはありません。
感想やブックマークをいただけますと、とても励みになります。誤字脱字等ございましたら、お気軽にご報告いただけますと助かります。
次回もよろしくお願いいたします。




