第14話:剣を抜かぬ決着
蹄の音だけが、乾いた街道に規則正しく響いていた。ラディウスは最小限の護衛と、外交官のクレイグを伴い、バルトレインとゲルニアの係争地へと向かった。護衛の指揮は、無論ダグラスが執っていた。
「殿下、最小限とは言え、丸腰で敵地へ赴くようなものです。何かあれば、この身に代えてもお守りします」
「頼りにしているよ、ダグラス卿。だが、僕が剣を抜く場面が来ないことを祈っていてくれ」
その言葉に、ダグラスは短く頷いた。護衛としての警戒は緩めぬまま、主が力に頼らず解決しようとする姿勢を、彼はいつしか静かに信頼するようになっていた。
バルトレインに立ち寄り、グレアム王と合流する。
「殿下、感謝いたします。すぐに援軍を……」
「いえ、援軍という形では動きません」
「殿下、悠長なことを言っている場合では。殿下の力があれば、ゲルニア軍などひとたまりもないはず」
「だからこそ、動けないのです」
ラディウスは静かに首を振った。
「僕が剣を抜けば、ゲルニア軍は一瞬で壊滅するでしょう。ですが、それで得をするのは誰か――結局は、その先の展開を待ち構えている者たちです。小国の王子が、隣国の軍を独力で殲滅した。その事実だけが、大陸中に広まる。周辺国は『エルダシアは力で他国をねじ伏せる国だ』と怯え、同盟から距離を置き始めるでしょう。さらに――ゲルニアの民の間に、消えない遺恨が残ります。滅ぼされた側の恨みは、何年、何十年経っても消えません」
「それに、もう一つ。もしゲルニアの背後に本当に帝国がいるのなら、僕が力を見せつけて叩き潰すことは、帝国にとってはむしろ好都合かもしれません。『エルダシアの王子は、力に任せて弱小国を蹂躙する危険人物だ』――そういう評判を、周辺国に広めるための、格好の材料になる」
「力を使わずに、この問題の根そのものを絶ちます。まずは、話をしに行きます。ゲルニアの公爵と」
「エルダシアの第八王子が、なぜここに」
ヴァルターが、警戒を露わにそう問いかけた。
「戦いに来たわけではありません、ヴァルター公。話をしに来ました。まず、お聞かせください。この係争地への侵攻、本当にゲルニア公国自身の意思ですか」
「な……何を言っている」
「ゲルニアは山岳の小国。財政も豊かではないと聞いています。それが、これほど急に、質の高い装備を揃えられたのは、なぜでしょう。誰かが、あなたの国に『支援』を持ちかけたのではありませんか」
長い沈黙の後、ヴァルターは肩を落とした。
「……三ヶ月前、北方の商人と名乗る者たちが接触してきた。武器の供与と、資金援助を申し出て、『今なら係争地を取り戻せる』と焚き付けられた」
「その者たち、話し方や所作に、帝国式の礼儀作法はありませんでしたか」
ヴァルターの目が、大きく見開かれた。
係争地の外れに、仮設の会談用の天幕が設けられた。バルトレインからグレアム王とレイフ将軍、ゲルニアからヴァルター公爵、エルダシアからラディウスと外交官クレイグが顔を揃えた。
「まず、ゲルニア側から、撤兵と占拠中の非礼についての謝意を表していただきます」
ラディウスが、議長役として口火を切った。
「……占拠の件、非礼であったことを認める。撤兵は既に完了している」
ヴァルターが、苦渋の滲む声でそう認めた。
「次に、この係争地そのものの扱いです。共同管理地とします。この地で得られる利益は、折半で分配する。エルダシア商会から、双方に立ち会う『調停官』を一名、常駐させます」
ラディウスは続けた。
「そして最後に――これは、バルトレインに対してだけでなく、ゲルニアに対しても提案したいことです」
ヴァルターが不思議そうな顔をした。
「我が国に、何をしようというのだ。敵対していたはずだが」
「ゲルニアの山々には、良質な鉄鉱石が豊富に眠っていると聞いています。その鉄鉱石を、エルダシアが優先的に買い付けたい。見返りは四つ、お約束します」
「一つ目は、採掘・製錬の技術支援です。原石のまま売るより、ある程度加工した状態で売る方が、同じ量でも遥かに高く売れる」
具体的には、魔石機関を用いた高炉――炭と鉄鉱石を高温で反応させ、不純物を取り除きながら鉄を取り出す設備の建設が計画されていた。これまでゲルニアでは、木炭を燃やすだけの原始的な炉で、少量ずつ製錬するのが精一杯だった。木炭による燃焼は、燃料が燃え尽きれば火力が落ち、新たな木炭をくべればまた燃え上がる――その繰り返しの中で、炉内の温度は絶えず上下に揺れ動く。しかも、風の強さや木炭の乾き具合によっても燃え方は変わり、同じ量の木炭を使っても、その日その日で得られる火力にばらつきが出てしまう。温度が安定しなければ、鉄に溶け込む炭素の量も一定にならず、出来上がる鉄の質もまた、日によって硬すぎたり脆すぎたりと、まちまちになってしまうのだった。
魔石機関による高炉は、この「燃料頼みの不安定さ」を、根本から覆すものだった。仕組みはこうだ。魔石そのものは熱を持たない、ただ魔力を蓄えただけの石に過ぎない。その魔石に、外部から魔力を絶えず汲み上げ、高熱へと変換し続ける術式――かつてラディウスが蒸気機関の開発時に編み出した、あの「安全弁」を備えた制御術式を、炉の内壁に直接組み込む。木炭のように「燃え尽きる」という概念がそもそも存在しないため、魔石が魔力を保持し続ける限り、炉は昼夜を問わず、寸分の揺らぎもない一定の熱を出し続けることができる。風の有無も、燃料の乾き具合も、もはや関係ない。
さらに、この術式は温度そのものを数値として制御できるという利点も持っていた。石に汲み上げさせる魔力の量を、術式の設定一つで細かく調整できるため、狙った温度を寸分違わず維持し、鉄に溶け込む炭素の量までも意図した通りに操ることができる。これにより、これまでよりも粘り強く、加工しやすい上質な鉄を、安定して生み出せるようになるのだった。
「これまでゲルニアが、質のばらついた鉄しか作れなかったのは、炉の温度が安定しなかったからです。魔石機関なら、その日その日で変わることのない、常に均一な熱を出し続けられます。大型化した炉と組み合わせれば、生産量そのものも、桁違いに向上するはずです」
「二つ目は、食料の同盟です。山岳国であるゲルニアは、耕作地に乏しいはず。余剰食料を融通し合う協定を結びます」
「三つ目は、街道の整備です。鉄鉱石を運び出すにも、まともな道がなければ話になりません」
「四つ目――街道の先に、鉄の道を通します。魔石機関の力で、荷馬車よりもさらに多くの荷を、さらに速く運べる乗り物を、今、研究しています。それを走らせるための、鉄でできた専用の道です」
ラディウスが、四つの提案を淡々と並べていく。
「鉄の……道?」
ヴァルターは、聞き慣れない言葉に眉をひそめた。荷馬車よりも多くの荷を運べる乗り物と言われても、にわかには像を結ばない。
「道そのものを、鉄で?馬車も通わぬ、そんなものが、一体どうやって……」
「今はまだ、言葉で説明しても、実感は湧かないかもしれません。ですが、これが完成すれば、これまで何日もかかっていた輸送が、少しの時間で済むようになります。エルダシアでは、既に試験段階に入っています」
「……にわかには、信じ難い話だ」
ヴァルターは、しばし黙り込んだ。荒唐無稽にも聞こえる話だったが、目の前の男が、これまで誰も成し得なかった数々の発明を、現実に世に送り出してきたことは、噂を通じて既に耳にしていた。半信半疑のまま、彼は言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。
「もし……もし、それが本当に叶うなら、我が国の鉄鉱石は、初めて『宝』としての価値を持つことになるのだろうな」
「ゲルニアが貧しいままであれば、また同じことが起きます。誰かに焚き付けられ、目先の利益のために、隣国と争う。その繰り返しです。ですが、鉄鉱石という宝を、正当な形で富に変えられるようになれば――今回のようなことは、二度と起きません」
ラディウスの言葉に、ヴァルターは深く頷いた。
「……分かった。その提案、受けよう」
三日間にわたる細部の詰めの後、係争地における共同管理協定、ゲルニアへの技術供与協定、そしてバルトレイン・ゲルニア間の不可侵条約が、正式に締結された。
「今日の敵が、明日の友になることだって、十分にあり得ます。それに――本当に警戒すべき相手は、もっと別のところにいるかもしれません」
ラディウスは、遠く北の空を見やりながら、静かにそう呟いた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
【技術おまけ】製鉄と高炉の仕組み
鉄鉱石は、そのままでは酸化鉄という「錆びた状態」の鉱物であり、これを純粋な鉄に変えるには、酸素を取り除く「還元」という化学反応が必要になります。現実の製鉄では、鉄鉱石と石炭を高炉に入れ、高温で燃焼させることで、コークス由来の一酸化炭素が鉄鉱石から酸素を奪い取り、純度の高い鉄(銑鉄)を取り出します。この技術は18世紀イギリスでエイブラハム・ダービーがコークス製鉄法を確立したことで飛躍的に発展し、産業革命を支える基盤技術の一つとなりました。
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