第11話:聖ヴェリタス教会との軋轢
エルダシア王国を含む大陸諸国には、古くから「聖ヴェリタス教会」と呼ばれる、唯一神を奉じる宗教組織が根を張っていた。この世界の創造神が、選ばれし人々に「魔力」という恩寵を分け与えた――そう説く教義のもと、教会は各地に大聖堂を構え、司教・大司教・枢機卿という位階制を敷き、遠く離れた本山には、全教会を統べる教皇が座している。
魔法の教育、そして「魔法使い」としての正式な認定は、長らくこの教会の管轄とされてきた。エルダシア国内では、司教リアンヌという人物が、その代表を務めていた。
学舎が国内各地に広がり、平民の子どもたちが読み書きだけでなく、簡単な魔方陣の基礎理論までも学び始めた頃、教会の間に、静かな、しかし確かな動揺が広がっていた。
「殿下、司教リアンヌ様より、大聖堂への招きが」
宰相ギルバートが、いつになく硬い表情で報告に来た。
大聖堂に招かれたラディウスを、リアンヌは静かな、しかし刺すような眼差しで迎えた。祭壇の奥には、創造神を象徴する紋章が、荘厳に掲げられている。
「殿下が学舎で教えておられる魔方陣の理論、拝見させていただきました。……あれは、教会が代々、聖典と共に守り伝えてきた『秘蹟の書』の内容に、あまりに酷似しております」
「秘蹟の書、ですか」
「魔力とは、創造神が、選ばれし者にお与えになった恩寵です。それを、まるで職人の技のように、誰にでも習得できる『知識』として切り分け、平民にまで開放する――それは、神への冒涜に等しい行いです」
リアンヌの懸念は、やがて教会内部の強硬派によって、より攻撃的な形を取り始める。
「魔石機関という発明も、看過できません」
教会の大司教の一人が、公の場でそう糾弾した。
「魔力とは、祈りと修行を通じて、神と対話する中で初めて引き出されるべきもの。それを、石から強引に汲み上げ、機械仕掛けの道具として使い潰す――これは、神が人に与えた恵みを冒涜し、いずれ大いなる裁きを招く行いです」
各地の教会では、「魔石機関を使う者は、神の怒りを買う」という説教がなされ始め、一部の敬虔な民の間には、動揺と不安が広がっていった。学舎への就学を、教会の目を恐れて取りやめる家庭も現れ始める。
「殿下、このままでは、学舎にも、商会にも、少なくない影響が出かねません」
ダグラスが、険しい表情で報告した。
「本山の教皇聖下にまで、この件が伝われば――最悪の場合、殿下を『異端』として断ずる審問が開かれることも、あり得ます。帝国が、この対立に付け入る可能性もございます」
ラディウスは、司教リアンヌとの対話を試みる。
「僕は、魔法の神秘そのものを否定したいわけじゃありません。ただ、これまで一部の者にしか開かれていなかった知識を、多くの人が学べるようにしたいだけです」
「殿下のお考えは、理解できなくもありません。ですが、教会にとって、魔法の解釈と教育を担うことは、単なる特権ではなく、創造神との契約そのものなのです。それを揺るがされることは、我々の信仰の根幹そのものを揺るがされることに等しい」
対話は、平行線を辿った。互いに悪意があるわけではない。だが、拠って立つ前提そのものが、根本から異なっていた。
行き詰まりを感じたある夜、ラディウスはエレインに、静かに胸の内を明かした。
「僕は、魔方陣を解析することで、この国をここまで発展させてきた。でも、それが結果的に、誰かの信仰そのものを踏みにじることになるとは、正直、考えが及んでいなかった」
「殿下は、間違っていたとお思いですか」
「いや……間違っていたとは思わない。ただ、もう少し、丁寧なやり方があったはずだとは思う」
数日後、ラディウスは、これまでとは異なる角度から、リアンヌとの再会に臨んだ。
「司教様。僕はこれまで、魔方陣を解析し、無駄を省き、効率化することに力を注いできました。ですが、一つ、正直に認めなければならないことがあります」
「……と、仰いますと」
「なぜ、魔力という力がこの世に存在するのか。なぜ、人によって扱える魔力の量に差があるのか。なぜ、魔石という鉱物に、魔力が宿るのか――解析すればするほど、『仕組み』は分かっても、その根源にある『なぜ』には、辿り着けないことに気づかされます。僕がやってきたのは、あくまで『扱い方』を明らかにしただけで、その源にあるものの正体までは、今も、僕には分かりません」
リアンヌは、しばし沈黙した。
「殿下は、それを……創造神の御業だと、認めると仰るのですか」
「認める、というより、僕自身、答えを持っていないというのが正直なところです。ただ、少なくとも、解明できていない部分がある、ということは、僕自身の研究が、身をもって証明しています」
この対話が、劇的な和解を生んだわけではなかった。だが、リアンヌの中に、それまでとは異なる何かが芽生えたのも、また事実だった。
「……殿下が、全てを解き明かしたと驕っておられるなら、私は本山に、正式な異端審問を要請していたでしょう。ですが、殿下御自身が、分からぬものは分からぬと認められるのであれば――ひとまず、本山への報告は、様子を見て判断いたします」
教会が正式に、学舎や魔石機関を容認したわけではない。だが、それ以上の公然とした敵対も、この日を境に、鳴りを潜めていった。
「あくまで、様子見だ。教会の全てが、納得したわけじゃない」
ダグラスが、なおも警戒を緩めない様子でそう呟いた。ラディウスも、静かに頷いた。
「それでいい。今すぐ全部が変わるなんて、思っていない」
教会内部でも、この一件を機に、静かな分裂が生まれ始めていた。リアンヌをはじめとする穏健派は、次第に「信仰と技術は、必ずしも相容れないものではない」という立場に傾いていく一方、強硬派の大司教たちは、なおも本山への働きかけを続け、「殿下は、いずれ大いなる裁きを受ける」と説き続けた。
完全な和解には至らないまま、この対立は、ラディウスの代を超えて、静かに次の世代へと持ち越されていくことになる――そんな含みを残して、この一件は、ひとまずの区切りを迎えた。
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