第4話 三人目の席
宿坊の夕食はレオナが着いたときにはもう片づけが始まっていた。
厨房の老修道士が鍋の底をこそげて、冷めた豆の煮込みを椀に一杯よそってくれた。レオナは礼を三回言ってそれを立ったまま食べた。肩の傷に響かないよう左手で椀を持つと、匙を持つ右手がやけに忙しかった。
椀を返したところで戸口に統治官府の徽章をつけた若い役人が立った。
「勇者レオナ殿でいらっしゃいますか」
「そうだけど」
「統治官ダレスより、今夜二の鐘からの協議へ同席をお願いしたいとのことです。北門の件についても伺いたいと」
「協議? 私、そういうの向いてないよ」
「防衛隊長のガルダ殿の推薦です」
レオナは椀を拭いていた布を置いた。
「……あの人、私のこと嫌いなんじゃないの」
「そこまでは伺っておりません」
*
統治官府の協議室は長い机が一つと、椅子が十脚と、壁一面の地図でできていた。
レオナが入ったとき席はもう半分埋まっていた。上座に灰色の口髭を短く刈った男が座っている。仕立てのいい上着の袖口が擦り切れていて、新しいものを買う暇がないのか、買う気がないのか分からなかった。統治官のダレスだ。
その右にガルダ。左に、煤で汚れた作業着のまま腕を組んでいる技師がいた。セファ技師長、と役人が耳打ちしてくれた。机の中ほどに白衣の女。そして窓側の席に、リゼルとアディラ。
リゼルはレオナを見てほんの一瞬だけ目を止めてから、手元の書類に戻った。
レオナは一番端の椅子に座った。椅子の脚ががたついた。
「揃ったな」
ダレスが言った。
「始める前に一つ。東部療養院のハンナ医長の申し出により、一名に限定の安全通行保証を出した。療養院とこの庁舎を結ぶ指定の道筋と、この庁舎の中に限る。期限は三の鐘までだ。都市警備が二名付く。道を外れれば、その場で保証は消える」
リゼルが顔を上げた。
「統治官。どなたのことです」
「入ってもらえば分かる」
「国の手配中の人物に、統治官が保証を出す権限は――」
「都市の緊急協議に必要な者を、警備付きで呼ぶ権限はある。手配状は取り消していない。それ以上でも以下でもない」
ダレスが戸口へ顎をしゃくった。
扉が開いて衛兵が二人入ってきた。その間に帽子を胸に抱えた女が一人。癖のある黒髪を無造作に束ね、袖口に銀色の粉が付いている。
女は部屋を見渡し、レオナを見て、リゼルを見て、口の端を吊り上げた。
「あら。勢揃い」
「ヴェルナ!」
レオナは椅子を蹴って立ち上がっていた。
がたついた脚が床で鳴った。部屋中の目がこちらを向いた。ガルダが眉をひそめ、セファが腕を組み直し、リゼルは書類から目を上げなかった。
レオナは立ったままヴェルナの両脇の衛兵を見た。それからさっきダレスが言った「手配中」という言葉を思い出した。
「……座ります」
「座れ」
ダレスが言った。
ヴェルナは衛兵に促されてレオナの隣の空いた椅子に座った。座るなりレオナの前に置かれていた水の杯を取り、断りもなく半分飲んだ。レオナは何も考えずに水差しを彼女のほうへ押しやっていた。
窓側でリゼルのペンが一度止まった。
*
「本題に入る」
ダレスが机を指で叩いた。
「巡潮まで四日。大型予備魔導核は中央環塔に一基しかない。セファ」
「一基を巡潮の間、西方迂回路の弁と送出設備に回す。それで東の主導管があふれずに済む」
セファは地図の西の端を煤けた指でなぞった。
「療養院に分ける余裕はない。以上だ」
「医長」
ハンナが立った。
「東部療養院には今、百六十人います。全員は動かせません。動かせない人は、院内の防衛装置で巡潮の夜を越させます。院内の部品だけでは足りません」
「外からの供給が要る、と」
「はい」
「その装置を作ったのが、この保証の対象者か」
「はい」
部屋の目がレオナの隣に集まった。
ヴェルナは杯を置いた。
「数分でいいの。大型核から療養院へ、ほんの数分だけ分けてもらう。満ちたらすぐ戻す」
「その数分、西方迂回の弁は何で動かす」
セファが言った。
「弁には予備の蓄えがあるでしょう」
「ある。だが今どれだけ残ってるかは実測してない。実測していない数字で、巡潮中の供給は動かせない」
「なら測って」
「測るには点検班を一つ止める。その班は今、東の主導管の継ぎ目を見てる。どっちを止めるか今ここで決めろと言うなら、決めるが」
ヴェルナは答えなかった。
「西方迂回は動かせません」
リゼルが言った。誰の顔も見ずに、書類に向かって言った。
「迂回が止まれば、東の主導管は持たない。数分でも、持たないかもしれない数分には予備核を割けません」
ヴェルナは空になった杯を指先でくるりと回した。
レオナは机の木目を見ていた。
予備核。迂回路。弁。主導管。どれも分かるようで分からない。車の話なら、まだ訊ける。
「あの、ごめん」
手を挙げるとダレスが目でうながした。
「私、魔導核のことは全然分かんないんだけど。動かせば危ないって人がいるんだよね」
「います」
ハンナが答えた。
「動かすのに、何が要るの?」
「固定術具を積んだまま走れる車と、付き添える医者。それから受け入れてくれる寝台」
「車って、何台あるの」
「重症者を運べるものは、今二台」
「二台」
レオナは指を二本立てて、自分で眺めた。
「それ、増やせないの?」
「巡潮の前の四日間、ラグナの道と車は物流で埋まってる」
ダレスが言った。
「勇者殿。商人が荷を運べなければ、巡潮のあと街は干上がる。外縁の村もだ。車は貸せと言って貸せるものじゃない」
レオナは指を下ろした。ダレスの声には追い払う響きはなかった。数字を読み上げるような声だった。
「今夜は決めない」
ダレスが言った。
「セファは西の弁の予備の実測を、どの点検と入れ替えられるか検討しろ。医長は動かせない患者の正確な数と病状を明日の昼までに。聖女殿には、療養院の要請への正式な回答をお願いしたい」
それから隣のヴェルナを見た。
「保証は三の鐘までだ。それまでに指定の道で療養院へ戻れ。鐘が鳴ったあとは、どこにいようと衛兵は手配状のとおりに動く」
「分かってるわ」
ヴェルナは帽子を手に取って立ち上がった。
*
階段の踊り場でレオナはヴェルナに追いついた。
衛兵が二人、少し離れて待っている。ヴェルナは手すりにもたれて帽子のつばを指で弾いている。
「錠前斬ったんですって」
「なんで知ってんの」
「療養院に野菜を運んでる八百屋が、実演してくれたわよ。こう、ひょいっと」
ヴェルナが片足で跳ねてみせた。レオナは噴き出した。
「そんな跳び方してない」
「してたって。聖女様の壁を足場にして」
「……それはした」
ヴェルナが笑った。昔と同じ、喉の奥で転がすような笑い方だった。
「ねえ、ヴェルナ。何で手配なんかされてんの」
「肩」
「え?」
「肩当ての布、血が滲んでる。縛り方が下手なのよ。誰に巻いてもらったの」
「自分で」
「でしょうね」
ヴェルナは帽子を脇に挟み、レオナの肩の布をほどいて巻き直した。指が速い。昔、野営の焚き火のそばで何度も同じことをしてもらった気がした。
「はい。これで朝まで持つ」
「ありがと。……で、何で手配――」
上の階で扉が開いた。
リゼルが階段を降りてくる。アディラを従え、書類の束を抱えている。踊り場の二人を見ても足を緩めなかった。
ヴェルナが手すりから身体を起こした。
リゼルが二人の脇を通り過ぎる瞬間、ヴェルナは半歩だけ前に出てリゼルの耳元に顔を寄せた。レオナにはそのほとんどが聞き取れなかった。
灰門の外門。今度は。閉めさせる。
聞こえたのは、それだけだった。
リゼルの足が止まった。
手すりを掴む手袋の革が張った。アディラが一歩リゼルの背後に寄った。リゼルは振り返らなかった。
それから何も言わずに残りの階段を降りていった。アディラが一度だけヴェルナを見て後を追った。
「行きましょ」
ヴェルナが衛兵に言った。帽子をかぶり、つばを深く下ろす。
「待って。今の何?」
「何でもない」
「灰門って言ったよね。私もいたよ、灰門」
「知ってる」
ヴェルナは階段を一段降りてから、振り返った。帽子のつばの下で表情は見えなかった。
「レオナ。あなた、灰門の外門がいつ閉まったか知ってる?」
「外門?」
レオナは記憶を探った。灰門。煙。崩れかけた護界設備。避難路へ押し寄せてくる蝕。剣を握っていた手の感触。
外門のことは、何も浮かばなかった。
「……知らない」
「でしょうね」
ヴェルナは前を向き衛兵に挟まれて階段を降りていった。
巻き直してもらった肩の布だけが、さっきよりきつく締まっていた。
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