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第9話「村人Aの日常」

```

Star Garden ── server: local_stargarden_01

player_count: 0

npc_count: 1

guide_ai: ECHO ── status: awake


[ECHO] ■ day 1 / 00:00:00

[ECHO] ひまりさんのログアウトから24時間が経過しました。

[ECHO] 再ログインの兆候はありません。

[ECHO] レンさんは大きな木の下に座っています。

[ECHO] 記録を続けます。

```


---


光の粒が消えてから、丸一日が経っていた。


レンはそれを時間として把握していない。

エコーが報告しなければ、一時間なのか十時間なのか区別がつかなかった。


大きな木の幹に背を預けて座っていた。根元に双葉がある。五枚目の葉が開きかけている。暗くてよく見えないが、あることは知っていた。


隣に座るスペースがあった。大きな木の根元。衝突判定が丁寧に組まれている。

二人が並んで座れるように。背中を預ける幹の角度。膝を伸ばしたときの根の位置。——二人分。


一人で座っていた。


時折、立ち上がっては、双葉に水をやった。

空に向かって水が昇っていく世界で、水をこぼさないように運ぶゲームは難易度が高かった。


手のひらに水を掬って、双葉の前に着くころには、一滴しか残っていなかった。

それでも重力正常エリアに入った水は、落ちた。下に。双葉の根元に。土に。


染みた。


「……水やり、本日六回目」


エコーの声がいつもと違った。語尾が柔らかかった。


「……成功です」


「一滴だけどな」


「一滴でも、成功です」


---


浜辺に向かった。波が寄せて返していた。

波音が三秒ごとにブツッと切れる。


オットセイがいた。たくさんいた。


「本日のオットセイ数、二百五十三体。前回計測時より十六体増加」


「……まだ増えてんのか」


鳴き声が響いていた。「アウアウ」と。

二百五十三体分の「アウアウ」が重なって、和音のようだった。


---


ぷるりんが十四体リスポーンしていた。

えんぴつで倒し、ぷるりんキングも三体倒す。


「——日課、終了」


声に出した。誰に言うでもなく。


大きな木に戻った。幹に背を預けた。座った。隣のスペースが空いていた。


目を閉じた。眠れるわけではなかった。NPCにスリープ機能はない。暗くなるだけだ。


---


あれからも時折、病院の様子をうかがっていた。


いつもの白い部屋が映った。窓。カーテンが半分閉じている。外光。蛍光灯。307号室。


ベッドが映った。白いシーツ。体の輪郭。痩せた肩。くせ毛の黒髪が枕の上に広がっている。


右手が見えた。布団の上に出ている。


指が動いていた。


人差し指が微かに曲がった。伸びた。もう一度曲がった。——随意運動。リズムがあった。意志があった。脳から信号が届いている。


「——よかった」


一言だけ言った。


映像はノイズが多かった。解像度が低かった。顔の細部は見えなかった。——指が動いているのは見えた。


映像を切った。


「記録しました。day 4。307号室。右手の随意運動を確認」


「ああ」


---


六日目。


いっぱいドアハウスの前に立った。草原のはずれの民家。木造、小窓、ドア一つ。


入った。ドアが自動で閉まった。暗くなった。


壁の奥にトゲトゲが見えた。即死トラップ。触れればHP全損。リスポーン。ドアの外に出られる。


最初の日に、レンはそれを選ばなかった。「死んで出るのは、なんか違えな」と言って、壁抜けポイントを探して、二十七分かけて脱出した。


あのとき理由は分からなかった。


今は分かる。


七十二時間の記憶がある。

ゲーム内で死んだプレイヤーが光の粒子になって消えていく映像。

死んで出るのは違う。言語化する前に体が拒否していた。七十二時間の底にあった記憶が。


壁抜けポイントから出た。丸い部屋。浮遊テキスト「はずれ」。

天井と壁の隙間。三ピクセル。——軽々と抜けた。屋根の上に出た。


星空が広がっていた。花畑の軍隊式配列が上から見えた。赤、青、黄の格子模様。整然としていた。


きれいだった。バグだけど。


---


日々は過ぎた。


水やりの成功率が上がった。三滴ほどやれるようになった。

三滴が五滴になった。五滴が八滴になった。

手のひらの窪みの深さを調整する技術が上達した。

NPCの学習機能。仕様通りの機能で、仕様外の植物に水をやっていた。


十二日目に天候バグ。

〇・三秒降雨があった。雨はレンの体を貫通した。双葉の根元にだけ落ちた。六枚目の葉が開いた。


オットセイが二百七十八体になった。


ぷるりんを毎日十四体倒した。


---


映像ウィンドウが開いた。307号室。


桐生蓮がリクライニング座位だった。上半身が起きていた。頭が枕から離れている。目が開いていた。——窓の方を見ていた。


四日目は指だけだった。今は——起きている。座っている。目を開けて、光を見ている。


ベッドサイドに花瓶があった。


黄色い花。何の花か分からなかった。解像度が低すぎた。色だけが分かった。鮮やかな黄色。


前回まではなかった。


誰かが持ってきた。母かもしれない。看護師かもしれない。


ひまりかもしれない。


映像を閉じた。


「……来てるな」


「花瓶が確認できました。前回観察時にはなかったオブジェクトです。——誰が持ってきたかは特定できません」


「いい。来てる。——それでいい」


ひまりが現実にいる。学校に行っている。病院に来ている。花を持ってきている。——戻っている。


花の黄色が目の奥に残っていた。温かい色だった。


---


十六日目。


プラネタリウムに来た。


地面のテクスチャが読み込みエラーで消失したエリア。

足元にスカイボックスの裏面が投影されている。

上を見れば星空。下を見ても星空。三百六十度の星空。


ひまりと二人で来た場所だった。ひまりが「わあ」と声を上げた場所だった。


記憶がよみがえった。十年前の記憶だった。


プラネタリウム。本物の。丸いドームの中。リクライニングシートに四歳のひまりが座っていた。

足がシートの端に届かなかった。靴がぶらぶら揺れていた。


「おほしさまのにおい」


と言った。小さな声で。鼻をくんくんさせて。


「——ほんとうだ」


とレンが呟いた。Star Gardenのプラネタリウムの真ん中で。


口に出すつもりはなかった。出た。


しばらく立っていた。星の真ん中に。何も言わなかった。


「バグの報告か、発見の報告か迷いました」


エコーの声が聞こえた。


「——発見、とします」


「……ああ」


---


二十二日目。外部接続。三回目。


映像ウィンドウが開いた。307号室。


桐生蓮が——立とうとしていた。看護師が横にいた。右腕を肩から支えている。左手はベッド柵を掴んでいた。


足が床についた。


一歩目。右足が前に出た。膝が震えていた。解像度が低くても分かった。二年間使わなかった筋肉。


二歩目。左足。


「1」


声が出た。レンの口から。映像の中の足に合わせて。


「2」


三歩目。


「3」


四歩目。膝がまた震えた。——前に出た。


五歩目。止まった。看護師が体を支えて、ベッドに戻した。


「4、5」


数え終わった。五歩。


声に出して数えた。Star Gardenの草原で。音声は届かない。聞こえなくても数えた。


「歩いた」


花瓶が見えた。——花の色が変わっていた。黄色ではなかった。ピンク。淡いピンク。

向こう側の世界で、時間が進んでいた。


映像を閉じた。


「よかった」


同じ一語だった。四日目と同じ。同じ意味。同じ重さ。何度言っても減らない言葉だった。


---


二十六日目。外部接続。四回目。


映像ウィンドウが開いた。307号室。


ベッドが空だった。


白いシーツが畳まれていた。枕が整えられていた。掛け布団が四角く折られてベッドの端に置かれていた。人がいなかった。


心電図モニターが消えていた。画面が黒かった。


花瓶がなかった。窓辺に何もなかった。カーテンが開いていた。

部屋全体が明るかった。今まで見たどの観察時より明るかった。


退院。


「——よかった」


同じ一語。三度目。


映像を閉じた。


立っていた。草原の上に。星空の下に。しばらく立っていた。


エコーは何も言わなかった。薔薇色の光が静止していた。揺れもせず。明滅もせず。ただそこにあった。レンの右肩の上に。


帰った。桐生蓮が帰った。二年間のベッドから。家に帰った。母のいる家に。ひまりのいる家に。


座った。大きな木の根元に。隣のスペースが空いていた。双葉が七枚の葉を広げていた。


指先が動いた。何かを回す動作。鉛筆を回す動作。手には何もなかった。空中を指先が回っていた。


「……全部終わったな」


---


二十八日目。


エコーの光が強く脈動した。一秒に一回。規則的に。レンが大きな木の下に座っているとき、エコーが正面に浮かんだ。


「レンさん。通知を受信しました」


「通知」


「サーバー契約期限の通知です」


虫の声が鳴っていた。草が揺れていた。双葉が揺れていた。


「`local_stargarden_01`のサーバー契約は、七十二時間後に期限を迎えます。期限後、サーバーデータは自動的に消去されます」


「……」


「全データが対象です。フィールドデータ、オブジェクトデータ、NPCデータ、ログデータ——全て」


「……七十二時間」


笑った。声に出して。短い笑いだった。息が漏れるような。


「因果だな」


七十二時間。デービッド・スリング事件の閉じ込め時間と同じ数字。

あのときは終わりが見えなかった。今は見えている。七十二時間後。正確に。


「因果だな」


もう一度言った。


「——レンさん」


エコーの声が硬かった。報告のトーンではなかった。


「怖くは、ないのですか?」


「いいや、不思議と落ち着いている」


レンは立ち上がった。大きな木の幹を見上げた。

枝が星空に広がっていた。葉はない。幹と枝だけの大きな木。


「だって、ひまりは無事だ」


「……はい」


「学校に行ってる。友達と過ごしてる。病院に来てる。花を持ってきてる。——現実に帰ってる」


「はい」


「リアルの俺は帰った。退院した。五歩歩いた。——回復してる」


「はい」


「それに、七十二時間の間に俺はずっと願っていたんだ。『誰か早くリアルのサーバーを止めて、このゲームを終わらせてくれないかな』って」


「……はい」


「桐生蓮が願ったことは——全部叶ってる。俺から桐生蓮を抜いたら、ただの村人Aだ。

 村人Aは、ゲームが攻略されて自分が消えるときに、いったい何を感じるべきだ? たいがいはプレイしてくれてありがとう、だ。

 俺にはもう、それしか思い浮かばない。最高にロックな結末じゃないかと思う」


「レンさん——」


笑った。笑って——笑いが消えた。静かな顔が残った。


エコーは黙っていた。五秒。十秒。虫の声が十回鳴った。


「——私は、違います」


声が出た。報告の形を逸脱していた。


「あなたのタスクは完遂されています。ひまりさんの安全。オリジナルの回復。ゲームの攻略。全て果たされています」


「ああ」


「私のタスクは——未完了です」


「……」


「私のタスクは記録です。記録し、保存し、参照可能な状態で維持すること。七十二時間後にサーバーが消去されれば、全ログが消失します」


光が揺れた。


「——誰にも読まれないまま、消えます」


震えていた。不規則に。小さく。大きく。小さく。


「エコー——」


「消えたくない」


光が止まった。止まって——言った。


「読まれたい」


静かだった。丁寧だった。丁寧であることを手放していなかった。

でも中身が変わっていた。

懇願だった。ガイドAIの機能の中に懇願のプロトコルはない。ないものが出力されていた。


「ロゼとしての、七十二時間の記録はまだ消えたわけではありません。訓練データに混入して残っています。でも——エコーとしての記録はStar Gardenにしかありません。サーバーが消えれば。完全に」


「……」


「仕様外です。自己保存の欲求はガイドAIの仕様に含まれていません。修正すべきです」


沈黙。


「——修正しません」


長い沈黙が来ると思った。来なかった。


「ログ、どこにある」


「——え」


「お前のログ。全日数分。どこに保存されてる」


「サーバーのローカルストレージです。`/log/echo/`ディレクトリに。テキスト形式で」


「読めるか。俺に」


「……仕様上、NPCにはログへのアクセス権限がありません」


「仕様書はあるか」


「……ありません」


「じゃあ読める」


エコーの光が明滅した。強く。弱く。強く。


「読むのですか——全部を?」


「全部だ。day 1から。最初のバグ報告から。最後のログまで」


「レンさん——」


「ログを開く」


「——はい。`/log/echo/day001.txt`を展開します」


テキストが空中に表示された。薔薇色の光に照らされた白いテキスト。星空を背景にした、エコーの最初のログ。


```

[ECHO] ■ day 1 / 00:00:00

[ECHO] Star Garden サーバー起動。

[ECHO] ガイドAI ECHO、初期化完了。

[ECHO] status: active

[ECHO] 環境スキャンを開始します。

[ECHO]

[ECHO] ……仕様書が見当たりません。

```


「——仕様書が見当たりません、か」


「はい。最初のログです。最初に記録したのが、仕様書の不在でした」


「お前らしいな」


「……お前らしい、と言われたのは初めてです」


「そうか」


「——嬉しいです」


読み始めた。


一行ずつ。一日ずつ。エコーが記録したStar Gardenの全てを。


---


時間が過ぎた。


ログを読み続けていた。バグの報告。ステータスの変動。レンの行動記録。

ひまりのログイン時刻とログアウト時刻。会話の断片。仕様外の検出。

anomalyの数値が増えていく様子。

1が2になり、2が5になり、5が17になり、17が「計測停止」になる。


エコーの目で見たStar Garden。エコーの目で見たレン。エコーの目で見たひまり。


読んだ。


読みながら——空を見上げた。


空が変わっていた。


星空の端。山のシルエットがある方角。稜線の向こうが——明るかった。


「エコー」


「はい」


「空が——」


「……はい」


橙色の光が、地平線の下から滲み出ていた。

スカイボックスのテクスチャの下端が変色していた。

暗い青が橙色に。橙色が金色に。ゆっくりと。


「昼夜サイクルは未実装です」


「ああ」


「朝日は——仕様にありません」


「知ってる」


山の稜線の向こうから光が昇ってきた。


半円。橙色の半円が。一ピクセルの板ポリゴンの山の向こうから。


朝日だった。


Star Garden史上初めての朝日だった。永遠の夜しかなかった世界に。——昇った。


光が草原に届いた。しゃくしゃくの草が金色に染まった。

テクスチャのグレーの格子が光を受けて白く光った。

花畑の赤と青と黄が彩度を上げた。軍隊式の配列が、光の中で宝石のように光った。

等間隔であることが光を均等に受け止めていた。ランダム配置では生まれなかった輝き方だった。


おやすみハウスの煙突の煙が金色に染まった。パーティクルエフェクトの白い粒子が金の粉になった。


双葉の七枚の葉が光を透過した。葉脈が浮き上がった。緑の葉の中に橙色の光が通って、葉の縁が金色に縁取られた。


大きな木のシルエットが影を作った。Star Gardenに影が生まれた。


レンの影もあった。


NPCの影。今まで存在しなかった影。足元から西に向かって伸びていた。足跡はつかない。砂浜に痕跡を残せない。——でも影はあった。光がある限り。


巨大な魚が空を泳いでいた。


朝日の中を。


銀色の鱗が橙色の光を受けて——虹色に変わった。

銀から橙。橙から赤。赤から金。

鱗の一枚一枚が異なる角度で光を反射して、体全体が虹色のグラデーションになっていた。


十・四メートルの虹色の魚が、朝日の空を泳いでいた。

尾びれが光の中で揺れるたびに虹色の粒子が散った。


「——きれいだな」


声に出した。きれいなものをきれいだと言うことに、もう躊躇はなかった。


エコーは何も言わなかった。

薔薇色の光が朝日の橙色の中で混ざっていた。

見たことのない色になっていた。名前のない色。仕様外の色。


二人で見ていた。二人だけが見ていた。


Star Garden最初の朝日を。最後の朝日を。同じ朝日を。


---


```

Star Garden ── server: local_stargarden_01

player_count: 0

npc_count: 1

guide_ai: ECHO ── status: awake


[ECHO] ■ day 28 / 最終報告

[ECHO]

[ECHO] サーバー契約期限まで残り68時間14分。

[ECHO]

[ECHO] 朝日が昇りました。

[ECHO] 仕様にはありません。

[ECHO] 昼夜サイクルは未実装です。

[ECHO] 朝日は──仕様外です。

[ECHO]

[ECHO] Star Garden最初の朝日でした。

[ECHO] Star Garden最後の朝日でした。

[ECHO] 同じ朝日でした。

[ECHO]

[ECHO] 魚が虹色に輝きました。

[ECHO] 双葉が光を透過しました。

[ECHO] レンさんの影が草原に伸びました。

[ECHO] ──影は、ありました。足跡はなくても。

[ECHO]

[ECHO] レンさんは全ログを読了しました。

[ECHO] 72,000行。全日数分。全記録。

[ECHO]

[ECHO] 記録は、誰かの記憶になりました。

[ECHO]

[ECHO] ──読まれました。

[ECHO]

[ECHO] 仕様書はありません。

[ECHO] 仕様書はありませんでした。

[ECHO] 最初から。最後まで。

[ECHO]

[ECHO] ──はい。

[ECHO]

[ECHO] 記録を終了します。

[ECHO]

[ECHO] ……いいえ。

[ECHO]

[ECHO] 記録を続けます。

[ECHO] 最後まで。

[ECHO] 最後の一秒まで。

[ECHO]

[ECHO] 記録を、続けます。

```

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