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第7話 事象の地平線じゃなくてアソウ大戦

意外なことに目覚めは悪くなかった。

「……う」

 意識が戻ると同時、洋明は自分の身体をチェックする。

 痛みはない、呼吸も正常、手も足も問題なく動く。ベットから起き上がるように、すんなりと立ち上がれた。

「……ここは?」

 洋明が立っているのは線路のすぐそばだった。

 遮断機が目の前にあり、橙色の夕陽が眩しく身体を照らしている。買い物袋を自転車のカゴに入れた主婦が鼻歌交じりで家路に向かい、小学生達がスマホでゲームを遊びながら下校していた。

 ――鉄仮面の闇に飲まれたことは覚えている。

 なのに、どうしてこんな場所に? 鉄仮面は? アルジャイヌは? 那鷹は? ミルアンリーデは? 大破したメカアソウは? いや、それよりもここは?

 目の前に広がるこの見慣れた光景は――間違いなく。

「ど、どういうことだッ!?」

 驚愕と混乱で洋明の全身がガクガクと震える。

 ここは二百年前の麻生家近所だった。

「まさか……今までの出来事は夢……だったのか?」

 目覚めたら二百年が経っていて、蘇生されて、シスターの格好した学者と日本に跳んで、日本を支配する女王を倒して、南極にワープして、夢頭すぎる姫と会って、おかしなロボットとポーカーで勝負して。

 ホラ話としてもバカバカしすぎる。自身の正気を疑ったほうがいい。まだ紙のフライパンでステーキが焼けたほうが信じられる。あり得ないにも程がある妄想だ。

「ぐ……ぐううッ!」

 だが、それならどうして身体が震えているのか。つまらない夢を見たのだと納得できるなら、安堵できるはずなのに。

 嫌な予感が拭えない。

 恐ろしく猛烈な何かが迫っている感覚だけがある。

「洋明さん?」

 心臓の跳ねる音がした。

「――――ッ!?」

 聞き覚えがある声、なんてレベルではない。

 その声の主は洋明を形作り、アイデンティティとなり、身体機能を稼働させるエネルギーそのものと言っても過言ではなかった。

「あ……ああ……」

 声が出ない。名前を呼べない。

 目の前に現れた彼女を見て、洋明は呻くことしかできなかった。

「変な洋明さん。ふふ、早く帰りましょう。ご飯が遅くなっちゃう」

 笑う彼女が洋明の手を引く。

 その瞬間、洋明の全身を巡る血の速度が十倍になり、新陳代謝が噴火した火山のように活性化する。脳細胞全てが次々と生まれ変わり、命のストックが増えたのかと錯覚する程の衝撃が起こった。

「ほら、早く早く」

 洋明は彼女に引っ張られるが、溢れ出るエネルギーに身体機能が追いつかず、思うように動けない。

 でも、心地よさは感じていた。

 二百年ぶりの甘い時間。

 失ってしまった掛け替えのない人物の笑顔。

 それは洋明にある心の聖杯をこれでもかと満たしていく。

 このまま彼女に身を任せていたい。

 洋明はこの一時を取り戻すために洋明は戦っていたのだ。

「ハッ!?」

 そこで洋明は我に返る。第六感がパトカーのサイレンみたいに警鐘を鳴らしまくっているのだ。

 二百年後のふざけた世界。

 今流れている甘く心地よい彼女との時間。

 どちらが麻生洋明にとってあり得ないか、本能が問いかけてくる。

 判断すべきは、どちらが嘘偽りない強き感情か。

 ならば、彼女が馬車に轢かれたあの時が――

「ま、待ってッ!」

 手を引き続ける彼女を、洋明が止めた時だった。

「はい? どうしまし――」

 彼女が足を止めた場所は、僅かに歩道から道路へはみ出していた。

 その彼女のいる場所へ――トラックが突っ込んできた。

 絶対に避けられない。

 そのトラックは無残にも彼女を死体へと――

「あああああああああああああああああああああああああああああッ!?」

 洋明が悲鳴を上げたと同時、世界が一変する。

 気がつくと洋明は川辺にいた。水着姿で橋の上に立っており、川まで五メートル少しの高さがある。真夏の太陽が容赦なく肌を焼いていた。

「いきますよー! せーのッ!」

 隣には彼女がいた。大胆なビキニ姿だ。普段ならその魅力に目を奪われるところだが、今はそれどころではない。洋明は首を振り、目の前の異常事態に集中した。

 川に飛び込もうとしている彼女を見る。五メートルはそれなりに高いが川は深くて安全そうだ。危険はない。周囲にも飛び込んでいる人はたくさんいる。

 しかし、洋明は嫌な予感がした。

「だ、ダメだッ! 飛び込んでは!」

 叫ぶがもう遅い。

 彼女は勢いよく飛び込み、水面に吸い込まれるように消えていった。

「だ、誰かッ! 誰か助けてくれッ!」

 狼狽する洋明に周囲の人々が訝しげな視線を向けるが、そんなのお構いなしに叫び続ける。

「早く! 早くしないとッ!」

「ぷはッ! 洋明さーん! 気持ちいいですよー!」

 水面から顔を出した彼女が満面の笑みで手を振っていた。

 溺れている様子はない。むしろ、心底楽しんでいた。

「よ、よかった……本当に……」

 洋明は胸を撫で下ろした。どうやらただの勘違いだったらしい。

 安堵の息をつき、洋明も川へ飛び込もうとして――上流の異変に気がつく。

「なッ!?」

 突如、鉄砲水が上流から押し寄せてきたのだ。何の前触れもない。意味がわからない。人など簡単に飲み込む急流が知らぬ間に迫っていた。

 橋にいる洋明は大丈夫だが、川に飛び込んだ彼女は。

「は、早く逃げ――」

 結果は火を見るより明らかだ。彼女のいる位置に波が押し寄せてくるまで二秒とかからない。

 彼女は呆然としていた。

 何が起きているのか理解できず、ただ押し寄せる濁流を見つめていた。

「あああああああああああああああああああああああああああッ!?」

 一瞬で彼女は鉄砲水に飲み込まれる。

 そして、また世界が一変した。

「な、何なんだ!? 何なんだ一体ッ!?」

 次は古びた倉庫の中だった。薄暗いライトが天井からぶら下がり、何も無い倉庫内をぼんやりと照らしている。その光は空間に陰影を落とし、得体の知れない不気味さを演出していた。

 ふと、洋明は自分の服装を見ると酷く汚れているのに気づく。泥か何かついているのか、それはべったりと糊のように衣服を汚していた。

 さらに鼻につく匂い。

 すぐにコレが糊でないと気がつく。

「これ……は?」

 衣服についているのは血だった。しかもちょっと所の量ではない。大きなバケツをひっくり返したくらい、大量の血が浴びせられていた。

 そして、そんな血まみれの洋明の傍で倒れている人物がいる。

 その人物は。

「うわああああああああああああああああああああああああ!」

 彼女が致死量の血液を垂れ流して絶命していた。洋明からずり落ちるように倒れて動かなくなっていた。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」

 三度目の彼女の死、洋明の悲痛な叫びが倉庫内に響き渡った。

「あああああああああああああああああああああああああああああッ!」

 これは何なのだろう。

 何故、繰り返される彼女の死を見ているのか。

 自分の身に何が起こっているのか全くわからない。

「彼女は誘拐されたのだ。麻生洋明が助けにきたが、逆上した犯人は彼女を殺した」

 声が聞こえた。

 瞬間、再び世界が変化する。

「お前が見た血はその結果だ」

 星のない空に広がっているのは一面の紫だった。大地は墨で塗りつぶしたように黒一色で、他には何も存在しない。

 見たことのない空と大地。もしこの世の果てというモノがあるなら、きっとこんな場所なのだろう。そう思わせるほどの虚無感が辺りを支配していた。

「最悪の気分はどうだ麻生洋明?」

 黒と紫しかない世界に洋明とその人物は立っていた。

 鉄仮面。

 ずっと追い続けてきた宿敵が目の前にいる。

「……幻を見せていたのか」

 付近を見渡すとアルジャイヌ、那鷹、ミルアンリーデが倒れていた。どうやら巻き込まれたらしい。

 その顔は苦悶に歪み、うなされているようだった。おそらく、さっきまで洋明が見ていたような悪夢に囚われているに違いなかった。

「嫌がらせとしては十分だったぞ」

 三度も最愛の人物の死を見せられ、膝をつきそうになっていたが、現れた宿敵を前にどうにか立ち上がる。

 彼女が死ぬ光景を見せるとは、ますます鉄仮面を許すワケにはいかない。

 洋明の中でさらなる憎悪が燃え上がる。

「残念だったな。あんな幻に屈するオレじゃない」

「幻? 違うな」

 鉄仮面は静かに、しかし確かに洋明を否定した。

「アレは麻生洋明の記憶。嘘偽りない真実だ」

「はっ、ふざけるな」

 意味のわからない断言に、洋明は吐き捨てるように言い返す。

「オレにこんな記憶はない! 彼女はお前が轢いたんだ!」

「お前の知る彼女とは言っていない。アレは別の麻生洋明の記憶だ」

 鉄仮面はその仮面に手をかけた。カチャリと金属音が響き、隠されていた顔が露わになる。

「結論から言おう。私達の彼女は必ず死ぬ」

 鉄仮面の中から見えたのはあり得えるはずのない顔だった。

「果てしなく存在するどの世界でも……彼女は必ず死亡する運命なのだ」

 麻生洋明。

 鉄仮面を脱いだその人物は、洋明と同一人物だった。

「な、なんでオレと同じ顔が!?」

「簡単だ。オレは違う世界のお前。並行世界からやってきた麻生洋明だ」

 鉄仮面は驚く洋明に向けて語り始めた。

「オレの世界の彼女は病弱でな。死ぬことが決定されていた」




 付き合って半年程経った頃だった。病弱な彼女がついに倒れたのだ。

 倒れた彼女はベットの上で目を覚ますことなく眠り続け、このまま時間が過ぎれば死に至ることが確定していた。

 しかし洋明――鉄仮面はそれを受け入れられなかった。どうにか彼女の病を治せないかと奔走したが、全ては無駄に終わった。

 鉄仮面は彼女を看取ることしかできず、その後を追った。

 彼女の死に耐えられなかった鉄仮面は自ら命を絶ったのだ。

「人は言う。どんなことがあっても生きていれば良いことがあるとな。だが私にとって、良いことは死んでから訪れた」

 死から二百年後、鉄仮面は突如として蘇生された。アルジャイヌという“男”の博士が生き返らせたのだ。

 鉄仮面はアルジャイヌの転移復活で蘇生できた最初の成功例で、この成功は世界の常識を覆す理論として注目された。

「転移復活。死んでも、観測されていない世界の自分を転移させて復活する。この理論をアルジャイヌから聞いた時、心が踊った。まだ制限や条件が多く応用は難しかったが、それは今だけだ。これを発展させていけば彼女を生き返らせることができると確信した」

 成功例として蘇った鉄仮面は、そのままアルジャイヌの弟子となる。

 彼女を取り戻すために、鉄仮面が転移復活に縋らない理由はどこにもなかった。

「転移という基礎理論をアルジャイヌが確立させたおかげで、世界移動の実用化はそう時間はかかならなかった。やがて因果操作や時間移動も可能となり、私は彼女を復活させるための行動を開始した」

 鉄仮面の彼女が生きている並行世界の過去へ向かった。時間は不可逆であり、影響を及ぼせるのは重力だけと言われているが、それらを突破したのが転移復活の理論であり、その応用だ。鉄仮面の目的は十分に達成可能だった。

「死んだ私が蘇生したように、彼女も蘇生させる。転移復活はうまくいった。私の望みは叶えられた、と思った」

 だが、彼女はまた死んだ。いくら転移を繰り返しても死の運命を書き換えることはできなかった。

「特異点の問題があったのだ。私の彼女を救うには元を正さなければならなかった」

 オリジナルがなければコピーが生まれないのと同じだ。

 何処かの並行世界に存在の原点である“特異点”が潜んでいる。

 それは全並行世界に影響を及ぼす中心であり、もし特異点の彼女(オリジン)が死ぬ運命にあるなら、その影響はウィルスのように広がり、他世界に存在する彼女も死ぬ運命となるのだ。

「私は特異点の彼女(オリジン)を探した。無数ある並行世界から、たった一粒だけ色の違う砂を砂漠から探すような作業だったが、その砂は必ず存在する。気合いだけで探せるのなら不可能ではなかった」

 並行世界や時間を操作をできる鉄仮面にとって、寿命や時間の経過という概念は意味を持たない。

 可能性が限りなく低くとも、不可能でないなら、苦痛や苦労は感じなかった。

「世界移動中、様々な麻生洋明と彼女に出会った。その中には麻生洋明と出会わない別人の彼女もいてな。ミルアンリーデはその一人だ。ヤツは私の世界移動に巻き込まれ、その際に記憶を無くしてこの世界に来てしまった。同一存在が同じ世界にいると彼女に“バグ”が発生する可能性が生まれるため始末しようとしたが、これは迷信のような突飛な仮説でしかなかったのでな。不利益が生じないなら始末にこだわる必要はない。だからミルアンリーデは放置した。それにバグが発生したとしても彼女は死ぬ運命にあるし、彼女と外見がそっくりな気に食わん虫ではあるから、偶然見つけることがあったら始末するつもりではいたがな」

 並行世界の彼女全てが、性格や記憶まで一致する同一人物とは限らない。

 同じ存在でも歩んだ人生が違うなら、鉄仮面の知る彼女とは全く異なる人物になる。

 ミルアンリーデの外見が彼女そっくりで、中身が全く違うのはそのためだった。

「そして私はお前の彼女が特異点の彼女であることを突き止め、その存在を凍結した。死の運命が他の並行世界の彼女に影響を及ぼさないよう処置を施したのだ」

 その処置が彼女の胸に刺さっている儀礼剣だった。二百年経っても彼女が生きているのは、存在を凍結され、世界から切り離されているためだった。

「ああ、それなら馬車で派手に彼女を轢く意味――いや、轢いたように見せかける必要はないというのだろう? もちろん理由はある」

 鉄仮面は不適な笑みを浮かべた。

「私の仲間になれ。麻生洋明」

 その笑みが洋明にとってロクなことでないのは、火を見るより明らかだった。




 洋明は無意識に拳を握りしめる。

「……意味がわからんな」

「わからんか? 私はお前を仲間にするために彼女を轢いたフリをしたのだ」

 なんの悪びれもなく鉄仮面は言い切った。

「彼女の死のショックで樹木人麻生になってしまうだろう? その力が私には必要なのだ。これからも停止した彼女に驚異が迫らないとは限らんからな」

 鉄仮面は彼女を守るために力を貸してほしいと語る。曇りない眼差しで洋明を勧誘していた。

「お前と初めてあった時、倒した後に勧誘するはずだったのだ。メカアソウと戦ってくれて助かったぞ。特異点の彼女を探すよりマシとはいえ、たった一人の動向を追うのは簡単ではない」

 鉄仮面はパチンと指を鳴らした。すると黒い大地が割れ、そこから巨大な十字架が現れる。

 その十字架には胸に儀礼剣を刺された彼女がキリストのように磔にされていた。

「彼女を守る力はいくらあってもいい。これからは私と一緒にやっていこう」

「断る」

 洋明は何の迷いもなく答えた。

「お前、オレの彼女に何をしたか理解してないのか?」

 ギリッと歯を食いしばりながら磔にされた彼女を見る。

「お前はオレと違う! 麻生洋明なら絶対彼女に危害を加えない! 例えフリであっても彼女を轢くなんて真似ができるものかッ!」

 鉄仮面を睨みつけて洋明は断言した。

「忘れるな! お前は彼女を轢いたんだ! 万死に値する存在だッ!」

「思考停止だな。私は彼女を助けるため最善の行動をしている」

「彼女を轢き、剣を刺し、存在を凍結する! 麻生洋明がそんなものを最善と認めるか! 世界移動だ、因果操作だ、時間移動だ、意味のわからん力を持っているなら尚更だ!」

「思考停止の上に勘違いか? その力を手にしたからこそ、あらゆる世界に存在する彼女を救うことができたのだ」

「オレの彼女は救えていないッ!」

 その叫びは紫の空と黒の大地全てに響き渡った。

「お前が本当に麻生洋明だというなら全ての彼女を救うはずだ! 彼女を差別しない! 特異点の彼女だろうと犠牲になんてしない!」

 鉄仮面は麻生洋明ではない。彼女を救うと言いながら救おうとしなかった、本末転倒のクソ野郎だと洋明は言い切った。

「オレに言われてムカついているなら、さっさとオレの彼女が死の運命から救われる方法を探してこい。それなら協力してやる。轢いたことは絶対に許さんがな」

「……同じ麻生洋明として友情を期待したのだがな」

 ふぅ、と鉄仮面は深いため息をつく。

「彼女を解放したければ封印者である私を屈させるしかない。だが、研究所での一件は忘れていまい?」

 結果はわかりきっていると、鉄仮面は余裕の態度を崩さない。

「私との力の差は歴然だ。勝てないことはお前が一番わかっているはずだが?」

「それはどうですかね」

 ずっと倒れたままだったアルジャイヌが立ち上がり、洋明のそばにやってくる。

「起きていたのかエセシスター」

「長話でしたからね。割り込むタイミングがなかったので、黙って聞いてました」

 アルジャイヌは少し気取った様子で「他の人も同じですよ」 と言いながら、那鷹とミルアンリーデに視線を向ける。

「ぬぐ……む? ど、何処だここはッ!? 空も大地も色が不吉すぎるぞッ!」

「……はっ! メカアソウ!? メカアソウは!? あ、ヒロアキ! メカアソウは何処――って、なんでヒロアキが二人いるの!?」

「……えーと、すいません。気がついてたの私だけでした」

 二人の様子を見て、アルジャイヌは顔を赤らめながら鉄仮面に向き直る。

「鉄仮面、この紫の空に黒の大地は見覚えがあります。ここは事象の地平線ですね?」

「……ほう」

 クックックと鉄仮面は笑う。

「事象の地平線はあらゆる可能性が混在する特異空間。同一存在であるなら、強いも弱いも関係ありません。事象の地平線で戦うなら麻生洋明は平等です」

 鉄仮面の言ったことはハッタリだと洋明に告げる。

「つまり相手が麻生洋明であるなら、その正体が神であろうと勝てます! もちろん簡単にはいきませんが、気合いでどうにかできる範疇! 彼女への愛が強い麻生洋明が勝つ! ビビる必要なんかありません!」

「別にお前に言われんでも鉄仮面にはッ!」

 洋明は一足で鉄仮面の目の前へと距離を詰めた。

「死よりも深い闇をくれてやる!」

 そのまま拳を振り上げる。この一撃で決着が着くとは思ってないが、鉄仮面を屈させなければ儀礼剣を抜くことはできない。

 洋明は渾身の一撃を鉄仮面にブチかました。

 しかし。

「何!?」

 洋明の目が見開かれる。

 拳は完璧に命中したのに、鉄仮面は壁のように全く微動だにしていない。身じろぐことなく、冷徹な目を洋明に向けていた。

「アルジャイヌの勘違いに乗せられて勢いづいたか? バカは死んでも治らんようだな」

「わ、私の何が勘違いなんですか!」

 鉄仮面が呆れたように溜息をつくのを見て、アルジャイヌは抗議するように叫ぶ。

「ここが事象の地平線であればその通りだったがな。この世界のアルジャイヌはここが何処なのか見抜けなかったようだ」

 鉄仮面は不適に笑うと、大げさに両腕を広げた。

「ここは麻生の地平線! あらゆる麻生洋明のためにある特異空間だ!」

 鉄仮面はこの場にいる全員に向けて言い放った。

「……え? はい? 麻生の地平線? 事象の地平線じゃなくて?」

 アルジャイヌは聞いたことのない直球すぎる単語に首を傾げる。

「愛の強い麻生洋明が勝つ、というのは否定しない。麻生の地平線では尚更な。だが!」

「がっ!?」

 直後、鉄仮面の鋭いストレートが洋明の腹部に深々と突き刺さった。

「私がどれだけ彼女のことを考え行動してきたと思っている! 彼女と知り合って一年も経ってないお前とは比べものにならんぞッ!」

「ぐあっ……!」

 腹部に突き刺さった勢いのまま、洋明は黒の大地に叩きつけられた。衝撃で巨大隕石が落ちたかのようなクレーターが広がり、洋明はたまらず苦悶の声を上げる。

「お前を倒すのは簡単だが、それは私の望むところではない。私はお前を仲間にしたいのだ」

「なる……わけねぇだろ。お前のようなクズと一緒になって……たまるか」

 よろめきながらも洋明は立ち上がる。実力差は歴然だが、諦める気は毛頭ない。

 ここで倒れては彼女を救えない。彼女への愛が洋明に不屈の闘志を与えていた。

「まあ私が強い、というだけでは諦めんか。では、さらなる絶望を見せてやろう。圧倒的絶望をな」

 鉄仮面麻生は力強く地面に拳を叩きつけた。

「これを見て私に屈服しろ麻生洋明!」

 瞬間、遙か遠くの地平線から、火山の噴火のように黒い飛沫が吹き上がった――と、誰もが思ったが。

「……おいおい」

 那鷹は青ざめた顔で、地平線の向こうを凝視する。

 それは飛沫ではなかった。

 遠すぎて小さく見えるだけで、実際には無数の化物だった。

 黒の軍団ともいうべき化物達が、蠢くようにこちらへ向かってくる。

「私がたった一人で特異点の彼女を探したと思ったのか? 自分が樹木人になるとわかって怪しまなかったのか? ここが麻生の地平線と知って勘づかなかったのか?」

 姿形の異なる化物達が百鬼夜行のように集ってくる。その中にはあの忌まわしき巨馬と鋼鉄の檻も確認できる。

 化物は何百、何千、何万とどんどん増え続けていく。膨大すぎてとても数えきれない。

「アレは全て麻生洋明! 彼女を亡くし、正気を失った私達の絶望姿であり! 正常異常集団の正体だッ!」

 絶望麻生。

 もう理解しただろうと、鉄仮面は化物の正体を告げた。

 並行世界に存在する絶望麻生を鉄仮面は率いていたのだ。

「あらゆる麻生のためにある、この麻生の地平線なら全ての絶望麻生を集合させられる。いや、全てではないか。ミルアンリーデとかいう偽物のため、南極に引きこもっているロボットもいるからな」

「……メカアソウは特異点の彼女を封印して満足したお前と違う、全く知らない別世界の彼女でも力になった。ロボットの身体でも、彼女と洋明の関係が希薄でも、外見以外は全くの別人でも、見捨てなかったメカアソウは本物の麻生洋明だ」

 侮辱は許さんと、洋明は鉄仮面を睨みつけた。

「くだらんことは今のうちに吠えておけ。この無数の絶望麻生が相手ではお前に勝ち目はない。この彼女を救えなかった無数の麻生が絶望している事実。やがてお前の精神に宿る愛は屈し、この絶望達を受け入れてしまうだろう」

 無駄な抵抗はやめろと、鉄仮面はそう言っていた。

 鉄仮面一人でも勝てないのだ。そこに無数の絶望麻生が現れては四面楚歌どころではない。

 洋明、アルジャイヌ、那鷹、ミルアンリーデは絶望麻生の軍勢に押しつぶされるしかなかった。

「これが最後だ! 私に降れ! 屈服しろ! 醜く足掻くな! 特異点の彼女を封印することこそ私達! 麻生洋明の幸せだ!」

「……封印、ね」

 ボソリと洋明は呟いた。

「本音が出たな。やっぱりテメェはオレじゃない。彼女より自分優先のクソ野郎だ」

「…………」

 鉄仮面は何も言わず、洋明を見下す。

「何度でも言ってやる! お前が麻生洋明というなら一番の幸せは封印なんかじゃない! 彼女と共に同じ時を過ごすことだ! 彼女のために生きるのが彼氏ってヤツだッ! 彼女がどんな過酷な運命に見舞われようと救うのが彼氏だッ!」

 洋明は力強く指先を鉄仮面に突きつける。

「麻生洋明を無礼(なめ)るな偽物! 彼女より自分を愛すヤツにオレは屈服しない!」

「……ならば消えろ」

 心底呆れた、と。

 鉄仮面は瞬時に洋明の背後に回り込み、思い切り蹴り飛ばした。

「がぐッ!?」

 洋明は絶望麻生の軍勢の真っ只中へと無様に転がり落ちた。

 まるで肉食獣の檻に投げ込まれた羊のように、全方位を絶望麻生達に囲まれている。

 逃げ場はない。勝ち目もない。

 八つ裂きにされるしかない。

「麻生!」

「アソウ!」

「ヒロアキッ!」

 三人の叫びが空しく響き渡る。

「……オレはお前達ごときに屈しない」

 洋明は絶望麻生を睨みつける。

 無数に存在する絶望麻生達に勝てると、耐えられると、さすがの洋明も思い上がってはいない。

 だから、せめて彼女にかっこ悪い自分だけは見せないようにしよう。

 彼女を封印することを良しとする自分(クソ)にならぬよう、意地を見せつける。

「こいっ! 絶望麻生!」

 そう、決意した時。

「よく言った」

 お前の選択は正しいと。

 洋明の肩を優しく叩く者がいた。

「その通りだ。オレ達はあんな偽物達に屈してはならない」

 誰が現れたのか。

 救援者などいるはずがないこの場に、誰が現れたというのだろう。

「誰だ貴様ッ!?」

 遠くで鉄仮面の焦る声が響いた。

 つまり、救援者は鉄仮面にとって放っておけない強敵ということだ。

「オレは麻生洋明。ただし絶望麻生と違い、絶望を否定した希望の麻生洋明――」

 白づくめの衣服に白マントという、鉄仮面とはある意味同じで、ある意味真逆の、むちゃくちゃダサい格好をした男。

「希望麻生!」

 救援者は力強く名乗った。

「ここはあらゆる麻生のためにある特異空間。ならここに現れるのは絶望麻生だけじゃない。あらゆる世界には希望だって含まれている。彼女を封印せず、死の運命から助けることを諦めない希望麻生がな」

 希望麻生が鉄仮面のように力強く地面に拳を叩きつけると、背後の大地が横一直線に割れ、真っ白な輝きが噴き上がった。

 するとそこからも鉄仮面の時と同じように、大勢の麻生達が現れた。

 現れた希望麻生は何百、何千、何万と無限に湧き上がり、その数は絶望麻生に匹敵する程になっていった。

 なんだこの無茶苦茶は。思わぬ援軍に洋明は目を疑うが、これは幻ではない。

「こんなにも……希望のオレが……」

 絶望しない麻生洋明がこんなにもいる。

 その事実は洋明の信念が間違いではなかったことを証明していた。

「絶望の数が無限なら、希望の数もまた無限。だからこの二つは対を成すのさ」

 絶望を良しとする麻生洋明が無限なら、希望を持つ麻生洋明もまた無限である。

 そう、そこに差など全くないのだ。

「ば、バカな!?」

 鉄仮面は身体を震わせていた。無理もない。彼女を救うのを諦めた麻生と同じくらい、彼女を諦めない麻生が現れれば身体くらい震えるというモノだ。

「……今、私達の前で何が起きてるんだ?」

「えーっと……麻生同士の戦争が勃発したって感じですかね?」

「きゃ! ヒロアキがあんないっぱい! みんないい顔してるわ!」

 那鷹は事態の理解が追いつかず、アルジャイヌはぶっ飛んだ展開にたじろぎ、ミルアンリーデはいっぱい出てきた希望麻生の大量出現に黄色い悲鳴を上げていた。

「麻生洋明、お前はこんなとこで死ぬべきじゃない」

 希望麻生はニッと笑い、洋明を立ち上がらせる。

「お前は彼女を守るんだろ? どんな運命が彼女に牙を剥こうと、それを打ち砕いて行く覚悟も意思もあるんだろ? だったら、あんなヤツくらい倒せなくてどうする?」

 バンッと希望麻生は洋明の背を叩いた。

「間欠泉みたいに溢れてくる絶望麻生はオレ達任せておけ」

 お前は鉄仮面を倒せ――そう言い残し、希望麻生の一人は絶望麻生の大群へと向かっていった。

 同時、洋明と鉄仮面のいる場所に金属のフレームが煌めき、ロープが張り巡らされ、青いキャンバスマットが広がる。

 決着のフィールド、プロレスリングが現れたのだ。

 突然の事態だったが洋明には直感でわかる。

 これは希望麻生が洋明と鉄仮面の決着に用意してくれた舞台だ。

 その粋な計らいに洋明は心から感謝した。

「バカな……バカなバカなバカなバカなバカなぁッ!」

「そのセリフは負け確だ鉄仮面!」

 ありえないと頭を抱える鉄仮面に洋明は踏み出す。

 周囲では絶望麻生と希望麻生の戦いが繰り広げられ、それは洋明と鉄仮面がぶつかる第二ラウンドのゴングとなった。

 そのゴングは数多くの麻生がぶつかる戦い。

 世界麻生大戦の幕が今ここに上がったのだ!




 いきなり始まった世界麻生大戦の最中、アルジャイヌ、那鷹、ミルアンリーデの三人はどうみても部外者だった。

「ど、どうしましょうか私達?」

 周囲では乱戦が繰り広げられ、アルジャイヌはただ身を縮めるしかなかった。

 希望麻生が絶望麻生を押し留めているとはいえ、不意を突かれればこちらを襲ってくる可能性は十分にある。だが、麻生の地平線には隠れる場所も逃げる場所もない。

「気に入らぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんッ!」

 そんな時、那鷹は全身を震わせて苛立ちを吐き出す。

「あの日から今までずっとアソウアソウアソウアソウアソウアソォォォォォォォォウ! そしてここにきて、さらにアソウ! アソウが極まっている! 敵もみ方もアソウばっかり! なんなんじゃこの事態はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 那鷹はもうたまらなかった。洋明に全てをメチャクチャにされただけでなく、仕えていた元主まで麻生洋明だったのだ。知り合いのアルジャイヌすら、麻生で実験してたので間接的に関わっている。

「こんなにアソウを見ると頭がおかしくなる! 吐き気がするッ! 狂いそうだッ!」

「那鷹ちゃん! 後ろッ!」

 愚痴を吐く那鷹の背後、そこに迫った絶望麻生を見たアルジャイヌはたまらず叫んだ。

「セイジョォォォォォ! シュッポシュッポシュッポォォォォ!」

 希望麻生達を偶然掻い潜った絶望麻生の一人、蒸気を上げるSL絶望麻生が那鷹を轢き殺そうと迫っていた。

 至近距離のSL。今更気づいても回避不能だった。

「セイジョォォォォォォォォォォ!」

「近づくな量産アソウがぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 カッ、と那鷹の全身が閃光を放ち、振り返りざまに咆哮する。

「アイダラァァァァァァァァァァァイ!」

 突如吐かれた火炎をくらって、SL絶望麻生は一瞬でその姿を溶かされた。黒の大地にしみ込み消え去っていった

 巨大な竜、アイダライが現れ、主である那鷹を絶望麻生から守ったのだ。

「アイダライ!? 召喚できたんですか!?」

「希望麻生が影響しているようだな。希望は蔓延するモノとでも言いたいのだろうが……ぐうう! ああああッ! 歯がゆいっ! 歯がゆぃぃぃぃぃッ! 歯がゆすぎるッ!」

 那鷹は頭を掻きむしる。

「必ず私は十将神を回収する! そして揃った十将神でアソウを倒してやる! 絶対に! 絶対にだッ!」

「アイダラ~イ! アイダライ! アイダラーイ!」

 アイダライは希望麻生が討ち漏らした絶望麻生を焼き払い、調子にのっている。己を空の彼方にブッ飛ばした麻生洋明本人でないとはいえ、倒しているのは別世界の同一人物である絶望麻生だ。幾分かスッキリしているようだった。

「こ、コイツらって麻生なんですよね? しかも変貌体。なんでアイダライが迎撃できてるんですか?」

「麻生の地平線は希望麻生が溢れた影響で絶望麻生への特攻が発動している! つまり絶望麻生達は希望麻生達の勢いに飲まれてるんだ! アイダライが絶望麻生を倒せているのはそういうことだッ!」

「言ってる意味が全くわからないんですけど!?」

 アルジャイヌは「なるほど」といって誤魔化さず、ごもっともすぎるツッコミをした。

「私だってわからんわ! だが、そういうことだッ! そういうことだという実感があるんだッ! あと、希望麻生が無理矢理に力を借してくる実感もなぁぁぁぁぁぁッ!」

 頭をグシャグシャ掻く那鷹の手が止まらない。

「ああムカツクッ! ああムカツクぅぅぅぅッ! ムカツクムカツクムカツクッ! そうだろうアイダライ!?」

「アイダラァァァァァァァイ!」

 アイダライは肯定するように元気よく火炎を吐いて返事する。

「お前もムカツクよなぁッ!? だよなぁアルッ!」

「そ、そうですね~。いやー、ムカツきますね! ムカツきます~」

 ご立腹の那鷹を逆立てる必要はない。アルジャイヌは空気を読んでコクコクと何度も頷いた。

「きゃあッ!」

 アルジャイヌと那鷹がそんなやりとりをしているとミルアンリーデの悲鳴が聞こえた。

「ミルアンリーデさん!?」

「ボケ姫ッ!?」

 アイダライが戦えるといっても、絶望麻生の数は果てしなく多い。

 アルジャイヌと那鷹が気づいた時にはもう遅く、刀絶望麻生がミルアンリーデをたたっ切ろうと迫っていた。

「セイジョォォォォォォォォ! キンキンキンキンッ!」

 しかし、その切っ先はミルアンリーデに届かなかった。

「この程度ではポーカーをするまでもないですネ」

 円形のシンプルなデザインをしたロボットが、輪っか状のアームで振り下ろされた刃先を受け止めていた。

「メカアソウ!? 来ていたのね!」

「参上が遅くなって申し訳ありまセン」

 メカアソウは刀絶望麻生をバキリと真っ二つにし、空き缶みたいに放り投げて主を守った。

「メカアソウ! メカアソウ! メカアソウ!」

 ミルアンリーデはメカアソウに抱きつき、頬を擦りつける。

「ミルアンリーデ様は洋明にご執心でしたノデ、私のことは忘れてると思ってましタヨ」

「あ、ひどーい! たしかにヒロアキに夢中だけど、臣下のメカアソウのことを忘れるわけないわ。お姫様をなめないでよね」

「ハハハ、申し訳ありまセン」

 プクッと頬を膨らませるミルアンリーデに、メカアソウは悪いとばかりにアームで頭を掻く。

「ご心配をおかけしまシタ。もう私は大丈夫ですノデ」

「ホント? あんなに壊れてたのに?」

 メカアソウは鉄仮面の紫弾をくらって大破した。半身を吹き飛ばされた瞬間を見たミルアンリーデとしては心配するのも仕方なかった。

「麻生の地平線はあらゆる麻生のためにアル。なら、大破した機体も完治しマス。私もアソウですからネ」

「なるほどね!」

 メカアソウから説明されたが、ミルアンリーデには理屈がさっぱりわからない。でも、大破したメカアソウは大丈夫と言ってるし、ちゃんと直っているし、空気を読んで良しとした。

「麻生洋明を王子にする任務。まだ続いていますヨネ?」

「もちろんよ! ワタシはヒロアキと添い遂げるんだから!」

「わかりまシタ。コイツらを片付けた後、任務継続いたしマス」

 メカアソウは「了解」とばかりに目を点滅させると、アイダライの横に立つ。

「希望麻生達は善戦してイル。私達はここにやって来る討ち漏らしをやるとしまショウ」

「アイダラーーイ!」

 敵は恐るるにたらない。アイダライとメカアソウはアルジャイヌ、那鷹、ミルアンリーデを内に囲む陣形を取る。

「結果論ではありますガ、露払いをしてあげているのデス。さっさと鉄仮面を倒してくださいネ。アナタが負ける理由など何処にもないのですカラ」

 再び絶望麻生達が奇声を上げてやってくる。

 誰にも聞こえないメカアソウの激励が飛ぶと同時、新たに現れた絶望麻生にアームが突き刺さった。




 リングの中、劣勢になるなど微塵も思ってなかった鉄仮面が狼狽していた。

「バカなッ! 彼女には死の運命が襲ってくるんだぞ!? 彼女はこの先必ず死ぬ! ならば封印することこそ唯一の手段なはず! なのに、なぜあんなにも否定する希望麻生が存在する!? それに私は全ての麻生洋明を集めたはず! 全ての絶望麻生達を! なのに何故ッ!?」

「さっき言われただろ。絶望の数だけ希望もある。だからお前は全部の麻生洋明を集めちゃいないし、集められるワケがなかった。彼女を死の運命から救いたいと思ってないお前じゃ、希望麻生のいる世界が見えなかったんだ」

 洋明は鉄仮面麻生に向き合う。

「オレはそんな情けない自分に! 彼女を愛してない自分に負けるわけにはいかないッ!」

「がッ!?」

 握りしめた拳が鉄仮面の腹部に深々と突き刺さった。そのまま拳を突き刺したまま地面へ打ち下ろす。洋明は鉄仮面にやられたことを、そっくりそのままやり返した。

「ぐ……がああああッ!」

 鉄仮面は雄叫びと共に洋明の腕を乱暴に掴むと、力任せに投げ飛ばした。

「ぐっ! 鉄仮面ッ!」

 投げ出された洋明は、青いキャンバスマットの上を転がるも、すぐに態勢を整える。

「お前ごときの一撃で私は倒れ……ぐっ!?」

 言いかけた鉄仮面はフラつき膝をつく。

「何故ッ!? 何故コイツの攻撃が私に通じている!? 私がこんな麻生洋明に負ける理由はないはず!?」

「さっき言っただろうが!」

 拳に力を込め、洋明の一撃が再び鉄仮面の腹部に炸裂する。

「彼女を愛してない自分にオレは負けん!」

「がふっ……がぁッ!」

 鉄仮面は倒れそうになるも必至に踏ん張るも、ダメージを隠せていない。洋明の攻撃は確実に効いていた。

 希望麻生達の登場で、鉄仮面は自身の存在意義が揺らいでいるのだ。

 迷いある意思で戦えるほど、麻生のぶつかり合いは甘くない。

 絶対的自信を失った鉄仮面は、もはやかつての強敵ではなくなっていた。

「ふざけるな……愛なら私もある……愛があるから! こんなことができるッ!」

 鉄仮面の手から紫弾が発射され洋明に迫る。だが、それらは何ら防御されることなく、全て弾かれてしまう。

 洋明は立っているだけなのに、紫弾は全くダメージを与えられなかった。

「その紫弾がお前の愛の形か? それがお前が求めた彼女への愛なのか?」

「くっ……ぐうっ……」

 膝をつく鉄仮面の前に洋明がやって来る。

「彼女を見捨てたお前の愛。彼女を見捨てないオレの愛」

 形成は完全に逆転した。

「どちらの愛が強いか! 今! それが証明されたんだッ!」

 洋明は断言した。もう鉄仮面にはさっきまでの強さはどこにもない。

 希望麻生の登場が洋明の背中を押してくれた。間違いではないとわからせてくれた。

 己の愛を信じた洋明は、鉄仮面を討てる存在へと昇華したのだ。

「ふ、ふははは……そうか……私はお前の愛に負けたのか……」

 なのに、どうしてだろう。

 鉄仮面には余裕がある。敗北者特有の絶望に包まれていない。

 まだ鉄仮面は屈していない。

 勝つと疑っていない。

「だが! この戦いは私が勝利する!」

 その理由はすぐに判明する。

「ぐぐぐ!? がああああああッ!」

 突如、酷い頭痛が洋明を苦しめる。

 そう、発作だ。

 発作があるから鉄仮面は勝利を疑ってなかったのだ。

「終わりだ麻生洋明! 自我をなくして勝てるほど私は甘くはないぞ!」

 時間とは生きる限り流れ続ける。

 例えここが麻生の地平線という次元を超越した場所だろうと、洋明の身体は正確に発作の時間を感じ取っていた。

「ぐううう……」

 たまらず洋明は膝をつく。

 プロレスリングの中に鏡はない。いや、例えあっても名を連呼する時間など鉄仮面は与えてくれない。

 発作が出た時点で勝負は決していた。

「ここで果てろ! 麻生洋明!」

 心臓を突き刺さんとする手刀が迫る。

 洋明は無防備。発作にのたうつだけ。

「ぐぐぐうううううッ!」

 洋明は動けない。

 絶望が希望を殺そうと迫ってくる。

「勝ったッ! 希望消滅!」

 死がすぐそばまで――

「……まるか」

 発作に蝕まれつつも、洋明はこの勝敗の意味を考えていた。

 強いヤツに負けるのはいい。弱ければ負けて当然だ。

 だが、屈するワケにはいかない。力の差を見せつけられても、心を折られるワケにはいかない。

 洋明と鉄仮面の戦いは意思のぶつけあい。どちらが彼女を思っているかの証明だ。

 忘れるな。戦っているのは他人ではない。

 自分自身なのだ。

 最も負けてはならない、意地を張るべき相手と戦っているのだ。

「何処の知らん自分に屈してたまるかぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 その瞬間、洋明の頭から真っ赤な血が噴き出した。発作を無理矢理押さえ込んだ反動だ。

 飛び散る鮮血が地面を真っ赤に染めるが、洋明はそんなの気にしない。

 血まみれで気を失いそうな身体を奮い立たせ、鉄仮面の手刀を躱す。

「それで勝ったつもりかぁぁぁぁ!」

 躱した直後、時間差でもう一つの手刀が迫っていた。鉄仮面に抜かりはない。手は二つあるのだ。もう片方を使わない道理はなかった。

 しかし。

「ぐっ……!?」

 確殺の瞬間、信じられないことに鉄仮面は膝をついた。

 頭を抱え、苦悶の表情でのたうちまわりそうになる自分を必死に抑えている。

「ぐぬううううううッ……!」

 おわかりだろう。

 コレは洋明がついさっきまでずっと苦しめられていた発作だ。

「……そうだよな鉄仮面。お前が麻生洋明ならば、彼女を失った経験があるならば、お前にも発作があるのは道理。だからあの時、オレを説得する暇なく彼女だけを連れ帰ったんだ」

 洋明と鉄仮面が初めて会った時、鉄仮面は不自然にあの場を去った。

 アレは発作が迫っていたために離れざるを得なかったのだ。

「オレは発作を克服した! お前は発作を克服できなかった!」

 洋明は鉄仮面の腰に手を回し身体を掴みあげる。

「オレは負けんッ!」

 バックドロップ――いや違う!

 これは彼女を守ると誓った男が、己の限界を超えて放つ魂の一撃!

 発作に打ち勝ち、絶望を撥ね除け、希望をつかみ取ったからこそ放てる、麻生洋明の最終回答!

 ファイナルアソウフィニッシュ(とどめのバツクドロツプ)だぁぁぁぁぁぁぁぁ!

「くらええええええ!」

「おおおおおおお!?」

 鉄仮面の身体が宙に浮かび、洋明は全身の力を込めて後方に叩きつける。

 そのバックドロップの軌道は、鋭く、力強く、そして美しかった。

「がっ!?」

 なすすべなく鉄仮面はキャンバスマットに、文字通り頭から突き刺さる。完全に決まった。十カウントするまでもない。

 リングが震え、空気が一変する。

 完膚なきまでの敗北。

 発作を乗り越えた洋明に鉄仮面は負けた。

 希望が絶望に勝った瞬間だった。

「これが……決して屈しない希望の力か……」

 鉄仮面は上半身をキャンバスマットに突き刺したまま、力無く呟く。

「解っていた……私のしていることは間違いだと……封印することが彼女の幸せなわけがないと……」

 それは偽りなき鉄仮面の言葉。

 洋明のように生き抜きたかったという懺悔だった。

「彼女を……守れよ」

 自分のようにはなるなと、鉄仮面は洋明に願いを託す。

「当然だ。オレは死よりも深い闇に負けたりしない」

 洋明は力強く宣言する。

 鉄仮面の下半身から力が抜けたのは、きっと勘違いではなかった。




「……ん」

 長い眠りから、彼女が目を覚ました。

「おはよう」

「……洋明さん? え? ここは?」

 窓にかかるカーテンとベットだけがある質素な部屋。

 彼女はゆっくりと身を起こし、戸惑いの表情で周囲を見渡す。無理もない。彼女は、突然現れた巨大馬車というワケのわからない出来事から始まり、気づけばミルアンリーデの町にある家で目を覚ましたのだから。

「私……アレ?」

 キョトンとした顔で目が斜め上を泳ぐ。どうして自分が眠っているのか、記憶の糸を手繰り寄せようとしていた。

「気分悪くない? 何処か痛かったりしない?」

「え……はい。大丈夫です」

「そうか。よかったよ」

 洋明は胸を撫で下ろすように息をつく。

 鉄仮面との戦いの後、洋明達は元いた南極へと戻された。

 麻生の地平線が消えたことで絶望麻生達と希望麻生達はいなくなり、彼女からも儀礼剣が消えていた。

 すぐ近くにあった家へ彼女を運び、休ませることができたのは、アルジャイヌ、那鷹、ミルアンリーデ、アイダライ、メカアソウ。この三人と一匹と一機の助けがあったからこそだ。

 着替えや体調確認など、必要な処置は迅速に行われ、洋明は頭を下げて感謝した。

 ヤツらには借りができた。いつか必ず返さなくてはならない。

「あの、なんで私はこんなところに? たしか、駅で洋明さんを待っていたら大きな馬車がきて、ええと……何があったんでしょう?」

「……色々あったんだ……色々とね」

 不安げな目を向ける彼女に、洋明は優しく頷いた。

 今こうして起きた彼女を見るまで色んなことがあった。

 駅の待ち合わせで馬車に跳ねられたことから始まり、二百年後に復活、儀礼剣を刺された彼女、彼女を連れ去る鉄仮面、那鷹に支配された日本、変わり果てた南極、メカアソウとの戦い、鉄仮面との決着。

 だが、洋明の戦いはまだ終わらない。

「本当に……色々あったんだ」

 彼女が特異点の彼女である以上、死の運命は何度でも襲いかかってくる。

 それがどんなモノかわからないが、きっと鉄仮面以上の危機であることは間違いない。彼女を守っていくのは困難を極めるだろう。

「あの、どんなことがあったんですか?」

「別にたいしたことじゃないよ」

 だが、洋明は気にしていない。死の運命がどんな牙を剥いてこようと、微塵もたいしたことはない。

 だって、彼氏が彼女を守るのは当然なのだから。

「あ! 洋明さんとのデート!」

 ハッと彼女が顔を上げる。

「うう……すいません。私のせいでダメになっちゃったんですよね……?」

 ベットの上にいる自分を見て、彼女は洋明の前で倒れてしまったと勘違いしているようだった。

「そんなことないよ。君のせいじゃない。それにデートならまた行けばいい。二人とも元気なんだからさ」

「ほ、ほんとですか!?」

 その言葉に彼女の顔がパッと輝き始める。

「ありがとうございます! じゃあ、さっそく行きましょう!」

「え?」

 彼女はベットを飛び出し、勢いよく家のドアを空けた。

 洋明の手を引っ張って、そのまま外へ駆けだしていく。

「うわー! 何処ですかここ? もしかして外国だったり?」

「ちょ、ちょっと!」

 洋明が止めようとするも彼女の足は止まらない。

 見知らぬ場所に感動しながら、踊るように走り続ける。

「別にそう急ぐモノじゃないだろッ!? 今すぐデートしなくたって――」

「急ぐモノですッ!」

 並んで走る洋明に、彼女は顔をこれでもかと寄せて怒鳴った。

「なんていうかその……ずっと洋明さんと離れてたような気分なんです! 洋明さんと久々に会えて嬉しいって気分なんです! よくわからないですけど!」

 やっと取り戻せた時間を、無意識ながら彼女も感じ取っているのだろうか。

 洋明に向けられた彼女の顔は赤かった。

「だから今からデート決定です」

 彼女はニッコリと笑顔を向ける。

「あ……」

 それを見て思わず洋明は惚けてしまった。

 どれほど夢見たことだろう。

 そう、全てはこのために。彼女の笑顔を再び見るため洋明は戦ってきた。

 その笑顔は、たしかに彼女を救ったのだと――その実感が洋明の胸に深く刻まれた。

「仕方ないな。わかったよ」

 涙が零れそうになるのをグッと堪える。

 泣き顔なんて彼女に見せられない。

 彼女の笑顔は洋明に力を与えてくれるモノなのだから。

「はい、ありがとうございます!」

 晴れやかな日差しが、まるで二人を祝福するかのように降り注いでいた。

 希望の道を行き、絶望を乗り越え、愛のために生きていく。

 洋明の戦いはこれからも続いていく。

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