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招かれざる客は早く帰りたい (4)


宰相代理のブレンダは執務室に戻り、侍従長オロフから報告を聞いていた。


「毒物の類は検出されませんでした。ロースバリ伯爵夫人も、メイベル様に恥をかかせようと出来の悪い酒を選んだのは事実だが、危害を加えるつもりはなかったと釈明しております」

「こんな酒を飲まされて不快な気分にさせようとした時点で、害意はないなんて苦しい言い訳だこと」


サンプルとして持って来させた一杯に自ら口を付けたブレンダは、苦笑しながら言った。

何も知らずに飲んだら、自分も思わずむせ込んでいたかもしれない。それを抑え込んで咄嗟に苦しむふりまでしてみせるとは……ヴァローナ王妃も恐ろしい女だ。


「これに懲りて、自分たちでは敵わない相手だとそろそろ理解してほしいものだわ」


ブレンダも、最初に見た時には男に守られることしかできなさそうなか弱くも可憐な女性だな、という印象を受けた。

しかし、こうして彼女の人となりを見極める機会を得て――まだ彼女と接した時間は短いが、伊達に年は取っていない。ブレンダも、観察眼には自信があった。


困ったものね、とブレンダが呟く。


「彼女が本当に陛下の妻となってくれれば、私としてはともてありがたいのだけれど。私も、そろそろ後任に託して楽をしたいし」


宰相代理の座は、ブレンダが望んだものではなかった。

宰相と先代王妃――エリアスの生母が相次いで亡くなり、彼女の遺言を受けてブレンダも一時的に引き受けることにしただけの椅子である。


――真面目なエリアスでは、女に対する考え方も甘いから、何かあったらコロッと騙されてしまう。相応しい相手が見つかるまで、あなたがあの子を補ってあげてね……。

今わの際でそう頼まれて、ブレンダは不在となった女主に代わってノルドグレーン宮廷を取り仕切って来た。


メイベルだったら、ブレンダの期待以上にこの務めを果たすだけの資質があるのに……生憎と、当人にその意思がない。


「……私が見た限り、男女の駆け引きについてもメイベル様のほうが圧倒的に格上です。陛下では、言いように掌の上で転がされて終わりでしょう……」

「ああ……それが良い方向に転がしてくださるのであれば、私としても大歓迎なのに」


ブレンダもオロフもとっくに見抜いている。

あのような立ち回りのできる女性なら、もっと周囲の反感を買わないやり方だってできるはず。

それをしないのは、あえて周囲の敵意を煽っているからだ。


敵意が強まれば、周囲はこう考える――早くエリアス王の前から……ノルドグレーンから、消え去ってほしいと。

出て行きたいメイベルと、周囲の思惑は一致してしまっている。


どうにかしてエリアス王がメイベルの心を射止めてくれれば……とブレンダは思っているのだが、いまのところ望み薄の様子。


「……とりあえず、ロースバリ伯爵夫人の処罰については、私のほうで適当にまとめておくわ。メイベル様が陛下の気を引いてくださっている間に、さっさと決定させておきましょう。まったく、こんな馬鹿馬鹿しい仕事を増やしてくれて……」


最後はロースバリ伯爵夫人に向けた、本音まじりの愚痴である。

彼女も、それと先日問題を起こしたベンディクス侯爵令嬢も、本当だったらメイベルに深く感謝すべきだ。


浅はかな挑発をするものだから、かえってエリアス王の怒りを招いてしまって。

怒るエリアス王をそのまま放置しても彼女には何ら差し障りのないことだったのに、メイベルはちゃんと彼女たちにも助け船を出した。

エリアス王の関心を自分に引きつけて……そのおかげで、ブレンダがなんとか収めてあげられている。


彼女たちの感謝がブレンダにだけ向いていても、メイベルは自分の寛大さ、慈悲深さをひけらかすつもりはないようだ。

……つくづく、彼女がノルドグレーン王妃になる意思がないことだけが残念でならない。




戦勝パーティーでの一件から数日後。メイベルは秋の日差しが差し込む中庭で、エリアス王と並んでベンチに腰かけていた。


中庭ではラリサ、ミンカに見守られて、王子レオニートがよたよたと歩いている。

……支えてもらわなくては歩けなかった息子は、ついに一人歩きできるまでに成長してしまった。本当は、ルスランに一番に見せてあげたかった……。


「体調が優れないのか?」


エリアス王にもたれかかってぼんやりと王子を眺めるメイベルに向かって、王が尋ねてくる。

メイベルはゆっくりとした動きで王に微笑みかけ、軽く首を振った。


「のんびりと流れる時間を楽しんでおりました。リオンも、とても楽しそう」


メイベルが言えば、そうか、と相槌を打ってメイベルの肩を抱いていた手で銀色の髪を撫でる。


メイベルが心を開いたという思い込みを強めていったエリアス王は、ついに王子レオニートが部屋から出ることを許すまでに警戒心を緩めていた。

まだ王の許可付き……監視付きの制限はあるが、今日など、エリアス王のほうから庭に出ないかと誘いに来た。


秋の花が咲き、色づき始めた葉が落ちる庭を、王子レオニートは楽しそうに歩き回っている。

地面に落ちた葉を拾うと、それを持ってメイベルのもとまでよたよたと歩いて来た。手にした葉を、ニコニコとメイベルに差し出す。


ありがとう、とメイベルが笑顔で受け取れば、王子はメイベルの膝に座りたそうな仕草を見せた。

エリアス王が抱きかかえ、自分の膝に王子を座らせる。王子の銀色の髪を撫でながら、エリアス王が言った。


「あなたに似て、本当に可愛らしい子だ。強面の私は、幼子からは怯えられることが多いのだが……」


王子は大人しくエリアス王の膝に収まり、母の手から先ほど自分が渡した葉っぱを取り上げて、小さな手で葉をちぎり始めた。ビリビリと葉を破るのが楽しいらしい。


息子が母親似でよかったと、メイベルは密かに安堵していた。

これでルスランにそっくりだったら……それでもエリアス王が可愛がってくれたか、メイベルも甘い考えにはなれない。幼子にまで手をかけるような男に成り下がるとは思いたくない――エリアス王へのイメージを、そこまで貶めたくはないが……。


くしゅんっ、と葉を破り終えた王子が小さくくしゃみをするのを見て、エリアス王が笑う。


「陰ってきたな。部屋に戻ろう」


片手に王子を抱き、もう片方の手でメイベルの腰を抱いて、エリアス王は庭を出る。


王子がエリアス王の血を引く子であれば、平和で幸せな親子の図であったことだろう。

しかしメイベルは他国の王の妻で、王子はノルドグレーン王族の血など引かぬ他人。ノルドグレーン宮廷の人々にとっては、恐ろしい光景でしかない。


他人の妻と子で親子ごっこをする主君など、臣下をただ不安にさせるだけである。




メイベルと共に彼女の部屋に戻ったエリアス王は、ウトウトとする王子をラリサに任せ、しばらく二人きりの時間を楽しんでいたというのに、宰相代理から呼び出されてしまった。


無視してやりたかったが、侵攻してきているヴァローナ軍のことです、と侍従長からそっと耳打ちされては、そうもいかない。

ルスラン王率いるヴァローナ軍が国境を越えてノルドグレーンに攻め入ってきたと、宰相代理は執務室に入るなり王に向かって報告する。


「アレニウス、レーヴェンゴードはすでに陥落したとのこと。ユングホルムは攻略に時間を要するとみなしたのか、町が籠城を始めると放置して西へと進んでおります。この勢いで侵攻してくれば、ヴァローナ軍は半月で王都まで辿り着くことでしょう」


あまりにも激的な進軍だが、ヴァローナにはそれだけの理由がある。

奪われた王妃と王子を取り返す――この動機がある限り、ヴァローナ軍は高い士気を維持したまま突撃を続ける。

ヴァローナの勢いに圧され、ノルドグレーン側はやられっ放しだ。これでは、敵軍の勢いは増すばかりだろう。


「陛下。すぐに出陣を。準備は整え終えてございます」


執務室で王を待っていた将軍ホーカンが言った。


彼も、ヴァローナ王妃と王子を連れ去った以上、ノルドグレーン本隊とヴァローナ王の軍隊の衝突は避けられないだろうと考えていた。想定以上の早さではあるものの、このような事態を予測して、とっくに軍隊を動かす用意をしていた。


腹心のウルリクもエリアス王の一声を待ち、王を見る。

だが、いつもなら即決するエリアス王が、今回は珍しく決断を迷っていた。沈黙する王を前に、ホーカン、ウルリクは互いに顔を見合わせる――王が何に迷っているかは明白だ。


メイベルから離れるのが嫌なのだろう。

彼女がそれほど愛しいのもあるし、目の届かないところに置いて何が起こるかという不安もある。

今回ばかりは、なんとしても王を説き伏せなくては……。


「……陛下。いつまで愚かな夢に浸っておられるのです?」


宰相代理ブレンダが、静かに言った。彼女を見るエリアス王の目は険しく、ホーカンは冷や汗を流す。


メイベルやメイベルへの寵愛を否定するような言動を取れば、真面目で公正だったはずの王は短絡的で感情的な男と化してしまう――そんな姿を目の当たりにするたび、ホーカンは嘆いていた。


しかし、宰相代理は怯むことなく話し続ける。


「メイベル様をご自身の妻として迎えるのならば、ヴァローナ王をご自分の手で討ち取りなさい。うわべだけの家族ごっこに甘んじていないで、彼女を名実ともに奪い取るのです」


ホーカンは目を丸くし、平静に務めながらもウルリクも内心で激しく驚いていた。

宰相代理の本心をすでに知っていた侍従長オロフだけは、動じることなく静観していた。


「私は、メイベル様こそが陛下の妃に相応しいと考えております。陛下の女性を見る目がたしかだったのは実に素晴らしいこと――私が嘆かわしく思っているのは、他国の王から奪い取ろうというのに、あまりにも覚悟がないことです。だまし討ちでさらい、逃げ帰ってくるのではなく、正面から相手を打ち負かし、メイベル様の正式な主となりなされ」


宰相代理の強い後押しに、エリアス王は頷く。

彼も、まさか彼女が自分に賛同するとは思ってもいなかったようだが、おかげで決心できた。


「ホーカン、出発は明日の早朝とする。ウルリク、引き続き各地の警備隊から情報を集め、ヴァローナ軍の全容を可能な限り調べさせろ」


王の命令を受け、ホーカンもウルリクも速やかに行動に出る。二人に続いて、宰相代理ブレンダも頭を下げ、執務室を出た。


勤勉な王に戻った以上、自分も自分の仕事に戻るべきだ――侍従長オロフがなぜか付き従っているのも気付かぬふりで廊下を歩く。

侍従長が、声を潜めて尋ねてきた。


「……あのお言葉は、ブレンダ様のご本心で?」

「ええ、もちろん。そうでなければ許されないことよ」


王に命をかけさせ、戦争に行かせようとするのだ。嘘や誤魔化しでそんな真似、できるはずがない。

エリアス王の勝ちを、確信しているわけではないが……。


「陛下に勝って頂きたいのも紛れもない本心ではあるのだけれどね。期待なんていう楽観視だけではやっていけないところが、この仕事の大変なところよ」


ブレンダとてエリアス王が負ける可能性なんて、できれば考えたくない。だが、王が負けた時の道筋もきちんと作っておく。それが自分の仕事だ。


そしてその一方で、エリアス王が勝つ道筋も考えている。

エリアス王が勝ち、ヴァローナ王が討たれれば、メイベルもノルドグレーン王の求婚を受けるしかなくなる。幼い王子を守るため、他の選択肢はない。


もちろん、ブレンダが望むのは後者の道。

エリアス王がヴァローナ王に劣るとは思っていないし、攻め入って来たヴァローナ軍のほうが消耗も激しく、不利になりやすいのは間違いない。


メイベルを正式なノルドグレーン王妃に迎える手筈を整えることも、ブレンダの仕事である。


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