招かれざる客は早く帰りたい (3)
「恐ろしい思いをさせてすまなかった」
メイベルを部屋の前で、エリアス王が言った。
「貴女のことを快く思っていなかったことは分かっていたが、連れ帰った私ではなく、貴女にその矛先を向けるなど――」
「エリアス様が守ってくださったので、私なら大丈夫です」
メイベルはエリアス王を見上げて控えめに微笑む。
エリアス王は目を丸くして、言葉も思考も失っているようだった。囚われて以来、メイベルはエリアス王に笑いかけることなどなくなっていたから、彼には衝撃だったことだろう。
「……では。また夜に。お待ちしております」
エリアス王が呆然としている間に、メイベルは自分を抱き寄せていた腕からするりと抜け出し、淑女の礼をして部屋に入る。
部屋に入った途端、ため息を吐くメイベルにカシムが声をかけてきた。
「――メイベル様。もしや……陛下がこちらを見ていることに気付いて、ベンディクス嬢を煽りました?」
カシムたちに隠す必要もないので、メイベルが頷く。
目を覚ましている王子を抱いたラリサ、出迎えるミンカもメイベルを見ている。
「ノルドグレーン宮廷の人たちは、私のことをとても迷惑に思っている――自国の王が他国の王妃に入れ込んでいて、歓迎できないのは当然だけど。エリアス様が私を寵愛すればするほど、彼らは私に出て行ってほしい気持ちを強めていく」
やり過ぎると彼らが過激な方向に走ってしまう恐れもあるけれど。
でも、状況が変わるようにメイベルも動いていくしかない。
「これを機にエリアス様にすり寄ることにする。エリアス様のほうでも、私への警戒心よりも周囲から私をかばうことに気を取られて、隙ができるかも」
いままではメイベルが逃げ出すことを警戒してきたが、これからはメイベルが攻撃されることも警戒し始める。そうなれば、メイベルへの警戒のほうが緩んでいくかもしれない。
いくらエリアス王でも、一人ですべてをこなすには限界がある――メイベルを逃がしたくないのは、エリアス王ひとりだけ……。
褒められたやり方ではないが、メイベルの選択にラリサたちも頷いていた。
「……エリアス様を迎えるための支度を。夜になったら彼が訪ねてくる……いえ、夜まで待たずに来てしまうかもしれないから、少し急いで」
メイベルの予想に違わず、夜になったかどうかぐらいの時間にエリアス王はメイベルの部屋を訪ねてきた。
メイベルが再び彼を従順に受け入れるようになったので、心境の変化に警戒しつつも、喜びが抑えきれないらしい。
素直過ぎる彼にちょっと胸が痛む時もあるが、メイベルにはこういったやり方しかできないのだ。ヴァローナに帰りたい思いを、譲ることはできない。
そしてまたベッドの住人と化して丸一日が経ち、侍従長によるストップがかかった。
「お休み中に失礼致します――陛下。そろそろお召し替え頂く時間にございます」
「……祝賀会か。私抜きで好きにやればいい」
メイベルを手放すことなく、エリアス王は投げやり気味に言った。
後から侍従長たちに説明されたところ、長く大きな戦を終えた後は、兵士たちへの労いも兼ねて宴を開くのがノルドグレーン宮廷の習慣となっているらしい。
ルスランも、戦の後はそうやって兵士たちへの褒美のひとつ代わりに賑やかにやっていた。
戦争ばかりやっているような王なら、そうやって部下たちを労うのも重要な仕事のひとつなわけで……。
「そうはいかぬことは、他ならぬエリアス陛下御自身がよくお分かりのはず。どうか、始まりの間だけでも……兵士たちに、お言葉をかけてやってくださいませ」
強い拒絶の空気を出すエリアス王に対し、侍従長も引き下がらない。メイベルは、自分を捕らえる腕の中から手を伸ばし、エリアス王の頬に触れる。
「エリアス様。私、その祝いの場を見てみたいです。私が参加することは可能でしょうか」
図々しくメイベルがねだってみれば、エリアス王は快諾した。
何度かメイベルに口付けて余韻に浸った後、ついにベッドから離れる。侍従長を伴ってエリアス王は自身の部屋に戻り、メイベルも着替えをする――部屋を出て行く前に、エリアス王はメイベルを最上級に着飾らせるよう命じていったようだ。
久しぶりに宝石だらけの装飾品を身に着けることになって、その重みを実感する。
……後に、付けられた首飾りがノルドグレーンの前王妃――エリアス王の母親のものだったと知り、さすがのメイベルも故人に申し訳なく思った。本来なら、自分が付けていいものではない。
戦勝パーティーというのはどこの国でも大差がないのだな、というのが参加してみたメイベルの感想である。
少し違うのは、ルスランはパーティーの後に妻と二人きりで過ごす流れがあるから昼間に開かれることが多く、独身のエリアス王は夜の開催となっていることぐらい――既婚と独身で、そういう違いがあるのかということにはおかげ様で気付いた。その知識が今後に活きるかはさておき。
あと、本来だったらこの祝いの場は、エリアス王に女性たちがアピールする絶好の機会でもあったのだろう。
父親や兄弟の同伴として、若い女性も参加している。
彼女たちは、歓迎されてもいないのに厚顔にも祝いの場に参加して、女主のようにエリアス王の隣に侍るメイベルを敵視しないわけがなかった。
「陛下。そちらの美しい御方が、お噂のメイベル様ですのね」
戦勝パーティーは無礼講ということで、貴族たちも気軽に王に声をかけてくる。
もちろん、それでもある程度の格の貴族しか、そんな振る舞いは許されていないのだろうけれど。
色々な人がエリアス王に挨拶にやってくる中で、ずっとこちらを観察していた貴婦人がついに声をかけてきた。
――さり気なさを装っていたが、メイベルを品定めするように凝視し、強い敵意の感情を抱いていたことにメイベルはちゃんと気付いていた。
「初めまして、メイベル陛下。本日は祝いの席ということで、我が領地で作られました酒を持参致しましたの。今年最初の品ですわ」
貴婦人は自分の背後に控える侍女に目線で指示し、上位貴族に仕える侍女らしく着飾った彼女は、メイベルの前で酒を開封し、盃に注ぐ。
自分の前へと差し出される盃をじっと見つめた後、メイベルはそれを手に取った。
――飲み慣れていないので酒は好きではないが、仕方ない。
盃に口を付け、酒を飲んで。
大きくふらつくと、メイベルの身体を急いで支えて慌てるエリアス王にメイベルもしなだれかかり、口元を抑えて苦しげに眉を寄せる。
明らかな異変を感じ、エリアス王は酒を持ってきた貴婦人を睨む。
「酒に何を仕組んだ!?」
「そ、そのような――この酒に害などございません!一切の間違いもないように管理され、作らせたもので……ここまで封も開けておりません――」
「この状況で、そのような戯言が通用するわけがなかろう!」
仕掛けた自分が言えたことではないが、メイベルが絡むと、エリアス王はかなり沸点が低くなっているような気がする。
ルスランも王としては容赦ないから、メイベルがたびたび彼の決めた懲罰に減刑を求めたり、怒りをなだめたりと仲裁役を務めてきたが……その経験を、エリアス王相手にも活かすことになるとは思わなかった。
「エリアス様……」
メイベルが呼びかけると、激昂していたエリアス王も少しだけ冷静さを取り戻した。
目の前の女を罰するよりも、メイベルの身を案ずる感情のほうが勝ったらしい。
宰相代理が王にそっと声をかけてきた――怒り狂うエリアス王は、この場の注目を集めていた。
「陛下、まずはメイベル様をお部屋にお帰しになって、休ませてあげませんと。彼女が持ってきたものの正体については、私のほうで調べさせますわ」
「頼む。どのような些細なことでも残らず調べ上げ、すべて私に報告するように」
王の命令に、宰相代理は恭しく頭を下げる。
エリアス王はメイベルを抱きかかえ、大股で広間を出て行った。
エリアス王に抱きかかえられて戻って来たメイベルを見て、ラリサたちも驚いている。王の指示に逆らうことなくメイベルのドレスを脱がし、ベッドに横たわらせて、看病を……。
メイベルは、心配そうに付き添って自分の頬を撫でるエリアス王の手を取った。
「エリアス様……王であるあなたにこのようなお願いを申し上げるのは心苦しいのですが……エリアス様ご自身で、私のために水を持ってきてくださいませんか。あのようなことがあったばかりなので、エリアス様以外の方から渡されたものを受け取るのが恐ろしくて……」
メイベルの頼みを、エリアス王は迷うことなく承諾する。
ラリサたちにメイベルのことを任せ、部屋を出て行く――彼が完全に出て行ってしまったことを確認すると、メイベルはラリサを見た。
「大丈夫よ。毒を盛られたとか、そういうわけではないから。すごく渋いお酒で、飲めたものではなかったのは本当だけど……」
メイベルが平然とした様子で説明するので、ミンカは目をぱちくりさせている。
ラリサは苦笑し、カシムもメイベルの意図を察して控えめに笑った。
王の目の前で、毒の入った飲み物を差し出すほど、あの貴婦人も考えなしではないだろうとはメイベルも考えていた。その状況で何かあったら、誰がどう考えたって自分が疑われ、証拠も何もかもすっ飛ばして即座に処刑されてしまう可能性だってある。
でも、あの酒に悪意が込められていることは見抜いていた。
たぶん、あの貴婦人はメイベルにちょっと恥をかかせてやろうと思って、わざと出来の悪い酒を差し出してきたのだろう。世間知らずな王妃ならまんまと気付かずそれを飲んで、無様な姿を晒すと……それを嘲笑って見世物にしてやろうと――。
「……私って、そんなに侮られやすい見た目をしてる?」
これについては、昔からちょっと気になってはいた。どうも自分は、他人から舐められやすい見た目をしている……っぽい。
なんで?という疑問はいまだに解けていない。
ラリサはまた苦笑し、カシムも曖昧な笑みを浮かべて答えず、ミンカが目を泳がせる。
「メイベル様はたしかに……庇護欲をそそる儚さがございますから……それが、人によっては頼りないというか、弱々しく見えてしまうのかも……」
「泣き寝入りしそうなタイプには見えます」
ラリサが答え、ミンカもおずおずと切り出した。
「いまだから言えますけど……初めてお会いした時、守られることしかできない薄幸のお姫様って印象を抱きました。ルスラン陛下に報復の剣を振り下ろしたと聞いた時も……陛下の命が危ないと思うより、それで思い詰めて、そのままご自分の命を絶ってしまうのではないかというほうを心配したぐらいです」
「そこまでなのね……」
箱入り育ちの世間知らずなのは本当だし、ずっと過保護に守られてきた自覚もある。守られるしかできないのはその通りだが、自害の心配までされるほどだったとは……。
「侮られるぐらいのほうが、向こうが墓穴を掘ってくれるので、こちらも動きやすくなるというもの。メイベル様のご聡明さに気付かないあちらがただ愚かなだけですわ」
カシムがフォローするように言った。
「……そうね。警戒されても困るだけ……」
向こうがメイベルを侮って浅はかな真似をしてくれるおかげで、こちらも自分の思ったとおりに事を進めることができている。
……でも、その浅はかさで一歩間違えれば死ぬかもしれないという危機感ぐらいは抱いてやってほしい。メイベルだって、必ず彼女たちを助命できるわけではないのだから。
「とにかく、これでしばらくの間、エリアス様との閨をお断りする口実はできた。回復に専念したいと訴えれば、さすがの彼も引き下がるはず」
エリアス王に触れられるのが嫌だとかそんな感傷的な理由だけでなく、メイベルはしばらくの間、彼に我慢させたいと思っていた。
メイベルに触れることができない日々が続けば、解禁された時、いまのエリアス王は確実に欲望に負ける。
タイミング次第で、それは逃げ出す絶好の機会となるはずだ。




