敵の敵は、やはり敵
エリアス王が王都を離れて数日。メイベルは王が城を発つ日に部屋を移され、そこでひっそりと引きこもって過ごしていた。
前の部屋よりも広く、小さいながらも庭もついている。離れになった部屋ではあるが、待遇は良くなった……のかもしれない。
ただし警備は密かに厳しくなっている。メイベルたちが出て行くことももちろん、部屋に入る人間への監視も強化されているように感じる。
王が長期間不在になるということで、メイベルが逃げ出すことを警戒すると同時に、メイベルを疎ましく思う人間が余計な思い付きで近付くことがないように、見張っているのではないかなと思うのだ。
エリアス王が王都を離れる理由は教えられなかった。ただ、政務でしばらく離れなくてはならないとだけ彼は話し、出発当日も名残惜しそうにメイベルに挨拶に来ただけ。
――理由は察しがついている。
ルスランがメイベルとレオニートを取り返すべく、国境を越えてノルドグレーンに侵攻してきたのだろう。
ルスラン王のもとに帰れるかもしれない、ということをメイベルに気付かせないよう黙っていたかった。
侵攻するヴァローナ軍のことはノルドグレーン宮廷の人々の関心を大きく引きつけており、メイベルが探りを入れずとも情報はすぐに耳に入った。
「陛下が不在ならば逃げ出す隙もできるかと思ったのですが、むしろ前よりも監視が厳しくなってしまいましたね」
部屋に面する庭で息子を遊ばせ、それを眺めるメイベルに、カシムがそっと話しかけてくる。
そうね、とミンカが困ったように相槌を打つ。
「宰相代理のブレンダ様が、エリアス様以上に私のことを見張ってる。あの人、エリアス様より隙がないかも……」
不在となったエリアス王に代わってメイベルのこの城での庇護者となったのが、宰相代理だった。
どうやら彼女も、メイベルを逃がしたくないと強く考えているらしい。彼女は手ごわそうだ……。
「ルスラン王は、きっとメイベル様、レオニート様を取り返すために王都まで攻め入る決意なのでしょう。ですが……ノルドグレーン王城まで辿り着いてくださると期待するのは、現実的ではないかと私たちも考えております」
よたよたと歩く王子のそばに付き添って見守りながら、ラリサが言った。メイベルも同意見である。
いくらルスランやヴァローナ軍が強いと言ったって、ノルドグレーンの王都にまで攻め入ろうとしたら、かなりの難戦を強いられることになるはず。
メイベルたちさえルスランのもとに逃げ込めればすぐに終わる戦なのだ――本当なら、しなくてもいい戦争だった。
「王城さえ抜け出してしまえば、王都の外に私の知人がおりますので、彼らを頼って逃げることもできます。問題は……」
「城を出れないってことだよね。一応、私を城から出すしかないように仕向けてみてはいるけど……」
悩むカシムに向かって、メイベルはそう答えた。
戦に行ってしまってから、エリアス王は何度かメイベルに手紙を送ってきている。
メイベルはきちんとそれに返事をし、宰相代理や侍従長の配慮のおかげでゆっくり落ち着いて過ごせていること、おかげで体調もすっかり良くなったこと……エリアス王に会えなくて寂しい、恋しいということを伝えた。
……この状況で、エリアス王が戦を放り出して城に帰ってきたりはしない……はずだ。
だから、彼はメイベルに会うために別の方法を選ぶはず……それを選んでほしいと、メイベルは祈ることしかできないが……。
戦場から早馬で届けられた手紙を読み、宰相代理ブレンダは大きくため息を吐いた。
彼女の執務室には、侍従長オロフと……エリアス王の手紙を届けるために一時的に戻ってきた王の腹心ウリルクが。
二人は、ブレンダが話し始めるのを待つ。
「陛下から……メイベル様を自分のもとに寄越してくれ、と書かれているわ。子を残して離れるのは不安だろうから、レオニート王子も含めてヴァローナ人の女官たちも全員」
言葉を切り、ブレンダがまたため息を吐く。
「戦場にあって女が恋しくなるほど陛下も色ボケしてしまったとは……。無視……は、難しいかしら」
皮肉そうにブレンダが笑って尋ねると、ウルリクが頷いた。
「陛下より、必ずメイベル様をお連れするよう直接命じられております」
「私の頭越しにならぬよう一応の配慮はしてくださったけれど、陛下の中では決定事項ということね」
ウリルクがこの手紙を持ってきた時点で、これが強い効力を持つ命令であることは察していた。
本来なら、ウリルクだって王のそばを離れていい人間ではない。それをわざわざ城へ向かわせたのは、信頼できる人間にメイベルの護衛を命じたから――ウルリクは、王の命を第一と考える男だ。
「ロースバリ伯爵夫人の酒の一件以来、体調の優れぬメイベル様を気遣って陛下はしばらく彼女との閨を控えておりましたから……。お元気になられたと知り、喜ぶと同時に欲が抑えきれなくなったのでしょうな――我慢なさっていた分の反動が来たと申しますか……」
侍従長が冷静に分析する。
でしょうね、とブレンダも同意した。
本当に、エリアス王をうまく掌の上で転がしてくれるものだ。王の動かし方は、いまはこの城の誰よりもメイベルが一番うまいかもしれない。
「……こうなっては仕方がない。拒否するという選択肢が存在しない以上は、せめてメイベル様たちを安全かつ確実に陛下のもとへお届けするのみ」
この選択がどれほど危険で愚かなことか、エリアス王とて気付いていないはずがない。
それでも我慢できないほど、メイベルがいますぐ欲しくてたまらないのだろう。女のブレンダには理解できない感情だが……。
こうしてメイベルの思惑通り――彼女が仕掛けたものにまんまとはまっている認識はありながらも、宰相代理はメイベルを王城から出すことを決めたのだった。
ウルリクに護衛されながら、王子レオニート、二人のヴァローナ人の女官たち、それからカシムを連れて、ヴァローナ王妃メイベルは馬車に乗り王都を発った。
ついに王城を離れることとなって一日が経ち、エリアス王のいるノルドグレーン軍の本陣へ向かう旅の途中。
最初の夜は町へ寄って宿に泊まり、メイベルたちは馬車を乗り換えることになった。王都を出た時よりも小さな馬車――ここから先は小回りの利くものに乗るのだとウルリクが説明した。
エリアス王の腹心ウリルクは、内心では複雑な思いもあるだろうが、それを表に一切出すことなく、メイベルにも敬意を払って接していてくれていた。
愛想には欠けるが、それは元々らしい。メイベルが相手でなくてもいつもこんな感じのようだ。
新しい馬車に揺られて旅を続ける中、外の様子をちらちらと見ていたカシムが、馬車の外の護衛たちに聞かれぬよう気を付けながら、小さな声で言った。
「この馬車の御者……宿を出る前に買収しておきました。隙を見て、ウリルク様たち護衛をまいて離れます」
「そんなこと、可能なの?」
カシムの隣に座るミンカは、目を丸くする。
「護衛の兵の中にも、メイベル様をエリアス王のもとへ連れて行くことに不満を抱いている者は少なくない様子。王の命に従うふりをして、こっそりメイベル様たちを余所へ遠ざけてしまうべきでは――ということを企んでおります。その企てに乗るふりで、御者が進路を変えてしまえば……」
「あのウルリクという男は、それに賛同しているとは思えないわ。彼だけは追いかけてくるんじゃないかしら」
王子を自身の膝に座らせ、メイベルの隣に座るラリサが言った。カシムが頷く。
「もちろん、ウルリク様だけは何があろうとメイベル様を陛下のもとにお連れする命令を果たそうとするでしょう。追跡は想定して、私たちも逃げ出す備えをしておかなくては」
カシムが語った企てが起きたのは、二日目の昼のこと。
夜を町の宿で過ごし、朝早くから町を出発して、昼半ばも過ぎた頃。秋もずいぶん深まって来たというのに、その日はずいぶん暑かった。
日よけになるような木々もない平坦で開けた道を進んでいたのだが、木陰のあるような場所に立ち寄って休憩を取ったほうがいいという判断がされたらしい。
道を外れ、一行は林のほうへと向かう。護衛の兵士たちは馬を下り、兜も脱いで一息つく。馬たちも木陰で涼ませていた。
メイベルたちの馬車は林の中へと入れないから、少し手前で止まって、馬を下りたウリルクが馬車の中のメイベルたちに声をかけようとした――途端、馬車が急発進し、ウルリクは飛び退いた。
猛スピードで走る馬車に、危うく轢かれるところだった。
「止まれ!くそっ――全員、馬に乗れ!全速力で追うぞ!」
ウリルクは自身の馬に駆け寄って飛び乗り、すぐに馬車を追おうとしたが、兵士がウルリクの馬の前に立ちふさがり訴えた。
「ウリルク様、放っておきましょう!あの女にはこのまま消えてもらうべきです!」
これがノルドグレーン兵による企てと分かり、ウルリクは愕然とする。
彼らが内心で抱く不満を、ウリルクも気付いていたが――ウリルク自身も、同様のことを考えてしまったこともあるが……まさか、ここまでやるとは……。
「あの女は陛下を誑かす毒女だ!あの女のせいで、陛下はすっかりおかしくなってしまった!」
「あの女のために命を賭けて戦うなんてふざけてる!」
「彼女をヴァローナ王のもとに返せば、この戦は終わるんですよね……?」
恐らく、企てたのは一部の兵士だけだろう。大半は知らなかった。
だが、彼らが声高に叫んだことで、他の者たちも内に秘めていたものが一気に噴き出してしまったらしい。
ウルリクは一瞬だけ迷い……手綱を握り締め、改めて命じる。
「――彼女を陛下のもとまでお連れすることは、王より命じられた我らの務めである!あの馬車がどこへ向かうのかは知らぬが、ろくな護衛もなしにヴァローナ王のもとに無事に戻れると思うのか?本当に彼女たちに万一のことがあれば、ノルドグレーンは泥沼の争いを避けられぬぞ!」
一喝され、不満を叫んでいた兵士たちもぐっと押し黙った。
自分たちの浅はかさを思い知らされ――本当は、最初から彼らも分かっていたはず。
相手はヴァローナ王妃、そしてヴァローナの王子。追放するなら、確実にヴァローナ王のもとに帰れるようにしなければならなかったのだ。これでもし、王妃と王子が命を落とすようなことがあれば……ウリルクの言うように、戦が激化するだけ……。
「もう一度命じる。全員、馬に乗れ!全速力で追うぞ!」
さすがに、馬車と馬では競争にもならない。
最初はウルリクの虚を突いて走らせることができたが、馬に乗った彼らが全力で追跡してきたら、馬車はあっという間に追いつかれてしまった。
数秒前まで影も形もなかったのに、いまは肉眼でもとらえられる距離にまで、彼らが迫ってきている。
「やはり、そう簡単には行きませんね。目的の場所までもう少しなんですが」
窓から外を見るカシムが言った。
ラリサ、ミンカは後ろから追いかけてくるノルドグレーン兵たちに気を取られていたが、
メイベルは違和感を抱き、カシムを見た。
――そして、見えてしまったものに戦慄した。
彼女はずっと、自分の本心を隠していた。いや、心の奥底に封じ込め、自分でも思い出さないようにしていたのだろう。完璧なまでに。
いままで、こんな色をちらとも見せなかった。
スカートに手を伸ばしたカシムは、足に装備してあった銃を取り出す。走行する馬車の扉を開けて、半分だけ身を乗り出し、追跡するノルドグレーン兵や彼らの馬を撃った。
ウルリクが怯み、部下に指示を飛ばしているのが見える。
ラリサとミンカも、ようやくカシムの異様さに気付いて振り返った。
「カシム、あなた……」
メイベルは、ダラジャドに共に潜入していた時のことを思い出す。あの時からずっと抱き続けてきた彼女への違和感。
放置すべきではなかった――メイベルの後悔する気持ちは、聞こえてくる蹄の音でかき消された。
乱暴に走行する馬車はガタガタと揺れて騒がしいが、そんな音もかき消されるほどの蹄の音が鳴り響き、多数の馬が接近していることを嫌でも伝えてくる。
そして、数百騎という騎馬隊が進行方向から駆け込んできた。
ウルリクを始めノルドグレーン兵たちはイヴァンカ帝国旗を掲げた騎馬隊に蹴散らされ、撤退を余儀なくされていく。メイベルを護衛するだけだった彼らには、正面から装備を整えたイヴァンカ兵と戦うだけの力がなかったのだ……。
「ご苦労様、カシム」
騎馬隊を率いる男が馬車に近づき、声をかけてくる。
……黒雷ではない。だが、聞き覚えはあった。
甲冑の兜を脱ぎ、イヴァンカ皇帝の弟ラマンは馬に乗ったまま馬車の中のメイベルを見て、にっこりと笑う。
「ご機嫌麗しく、ヴァローナ王妃メイベル殿。ご安心なされよ。私はあなたに危害を加えるつもりはない」
ラマンは慇懃無礼なほど愛想よく言った。
「あの美しい鷹を狩りたいだけなのです。飼い主のあなたに、彼を呼び出してもらおうと思いましてね」




