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招かれざる客は早く帰りたい (2)


眠るメイベルの顔を、誰かが触っている。

いけませんよ、とたしなめるラリサの声が暗闇の中で聞こえてきて、手の主が誰なのかすぐに分かった。


メイベルが目を開けると、長椅子の端につかまり立ちして王子レオニートが母の顔を触っていた。


「申し訳ございません。少し目を離した隙に、殿下はお母様のもとに向かわれてしまったようで」


謝罪するラリサに、起き上がってメイベルは笑顔で首を振る。構ってほしそうにする王子を抱き上げた。


「仕方がないわ。リオンも退屈なのよね」


風呂に入って身を清め、誰に妨害されることもなくゆっくり食事を取った後、メイベルは長椅子に横になって眠っていた。

ベッドはただいまシーツを引っぺがして洗濯中――エリアス王のおかげで。


数は少なくともノルドグレーンの女官たちも優秀ぞろいで、ベッドにはあっという間に新しいシーツが張られたのだが、とてもそこで眠る気になれず。

ふわふわの絨毯の上で遊んでいる息子を眺めながら、メイベルは長椅子で休息を取ることにしたのだった。


メイベルを起こした王子レオニートは、母親に抱かれて満足そうにしていたかと思うと、うとうととし始めた……。


部屋の扉をノックする音が聞こえ、カシムが対応に向かう。

侍従長のオロフが部屋に入ってきて、メイベルに恭しく頭を下げる。


「お邪魔をさせて頂きます。宰相代理ブレンダ様より、メイベル様に言伝を預かって参りました」


完璧な作法で、侍従長は手紙を差し出した。

女性好みの封筒を開けるメイベルの傍らで、侍従長は宰相代理の言葉を伝える。


「ブレンダ様はメイベル様との親交を深めることを希望しております。もしよろしれけば、中庭まで足をお運び頂きたく……」


手紙の内容は、お茶の用意をしているので、ゆっくりお喋りでもしませんかという誘い。

幼い子を連れて突然の滞在になってしまったから、きっとメイベルも不便に感じていることがあるはず――ぜひ、自分にも手伝わせてほしい……。


一見、友好的なこの文章を、そのまま受け取っていいものか。

とてもそんな気になれない自分は、すっかりひねくれてしまったものだ。


「お誘いは嬉しいけれど、私、この部屋を出ても構わないのでしょうか。エリアス様はなんと?」

「私がご同行いたしますので、何の問題もございません」


少し嫌味も込めて尋ねれば、侍従長は頭を下げた。

メイベルはため息を吐いて手紙をたたみ、ミンカに手紙を、ラリサに眠る王子をそっと渡した。


「カシム、一緒にお願い。ラリサとミンカはリオンをお願いね」


王城に着いてからも、メイベルたちに自由はない。

この広い部屋の中での自由と衣食住は保障されているものの、メイベルはおろかラリサ、ミンカも部屋を出ることを禁じられている。王子を連れて逃げ出す可能性を恐れているのだろう。


カシムは部屋を出入りすることを許されているが、それでも身体検査を受け、不自然な持ち出し、持ち込みがないかは見張られている。

だから、部屋から出ることができずに王子レオニートもすっかり退屈してしまっているのだ。


宰相代理の腹の内がどのようなものであれ、制限付きでも外に出られるのはありがたい。

色々と探りたいこともある――断るという選択肢はなかった。




昼の陽気が差し込む中庭は、日差しの下はやや暑いものの、日陰に入れば心地よかった。

ついこの前まで夏だと思っていたのに、気付けば秋らしい気候に変わっていた。


「ようこそ、メイベル様。誘いを受けてくださって、ありがとうございます」


中庭に用意されたテーブルで紅茶を楽しんでいた宰相代理は、メイベルに気付くと立ち上がり、愛想のよい笑顔でメイベルを出迎える。

こちらこそ、とメイベルも礼節を持って宰相代理に挨拶し、侍従長に椅子を引かれ、彼女の正面の席に座った。


宰相代理に仕える侍女らしき女性たちは、手際よくメイベルの紅茶も用意する。美味しそうな菓子も並べられた。


宰相代理は軽く手を振って飲んでいたコップを下げさせ、新たにコップを二つ用意させると、侍女に茶を注がせた。

じっと見つめるメイベルの前で、宰相代理がコップをひとつ取って、先に口を付ける。


そして、にっこりとメイベルに笑いかけた。

メイベルは毒を警戒している、と考えたのだろう。自ら毒見役を引き受けた。


毒見については、相手の感情の色が見えるメイベルには無用のこと。

こればかりは自分の特殊な目に感謝しつつ、メイベルももうひとつのコップを取って紅茶を飲んだ。


「……美味しい」


メイベルが呟くと、宰相代理も静かに紅茶を飲み始めた。


しばらくの間、中庭を沈黙が包む――互いに、相手のささいな仕草、表情から相手の本心を読み取ろうとしたのだと思う。

本来なら若いメイベルのほうがずっと分が悪いのだが、特別な能力のおかげで、相手が自分を強く警戒し、何かを探り出そうとしているのは伝わった。

メイベルのことを、まだ様子見している段階であることも……。


侍従長も宰相代理の侍女たちも一切口を挟まず、身じろぎひとつせず。

ただ風に揺れる草木の音だけが響く中庭が、急ににぎやかになった。


「ブレンダ様」


年の近い女の子たちを引き連れて、少しくすんだ金髪巻き毛の女の子が声をかけてくる――メイベルの目には、声をかけてきた女の子がリーダーに見えた。


カロリーネ、と宰相代理が反応を返す。


「そちらがお噂の、ヴァローナ王妃メイベル様ですの?ぜひ私たちにもご挨拶させていただけませんか?」


宰相代理は曖昧に微笑んだだけだったが、カロリーネという名前の巻き毛少女は構わずメイベルに向かって淑女の礼をした。


「カロリーネ・ベンディクスと申します。初めまして、ヴァローナ王妃殿下――」

「陛下とお呼びすべきよ。彼女は、ハルモニア女王でもあるのだから」


宰相代理がやんわりと訂正する。カロリーネはコロコロと笑った。


「まあ、これは大変失礼を……。私たちにとっては、ノルドグレーン王こそが唯一、陛下と仰ぐべき御方だと考えておりましたもので、つい……。ご無礼をお許しくださいませ、メイベル陛下」


年の功だけあって感情の色もそう簡単には判別できなさそうな宰相代理に比べれば、カロリーネという女の子はとても分かりやすい。

――見間違えることもないぐらい、メイベルに敵愾心と嫉妬心を燃やしている。


「お噂に違わず、本当にお美しい王妃様でいらっしゃること。その美しさにヴァローナ王もエリアス様もすっかり毒されてしまって。毒花として有名な鈴蘭の異名が付くのも納得しかございませんわ」


カロリーネはメイベルへの敵意を内なる感情で留めるつもりはないらしい。

後ろにいる取り巻きの女の子たちは互いに顔を寄せ合い、これ見よがしにクスクスと嫌な笑い声を立てている。


メイベルは小さくため息を吐いた。


「……本当に。エリアス様も存外、ただの好色な男でしかなくて驚いております。こうもあっさり、私に誑かされてしまうだなんて」


エリアス王を嘲笑うようなメイベルの言葉に、カロリーネの顔からは愛想笑いが消え、取り巻きたちも表情を変える。


「皆様も、どなたかに嫁ぐ時には、まず女性慣れした年上の男性に嫁ぐことをおすすめします。私のように、夫に男を喜ばす手管を教えてもらっておけば――あなたも、私からエリアス様のご寵愛を奪い取れるかも」

「――なんと恥知らずな女……!」


下品に侮蔑するメイベルに、カロリーネは怒りのあまり顔を真っ赤にし、身体が震えている。


「卑しくも王の妻でありながら他の男に肌を許すだけでなく、まるでそれを誇らしげに……!」

「自慢に聞こえたのならごめんなさい。エリアス様が私の身体に夢中になっていることは、ただの事実でしかないと考えていたものですから」


感情的になるカロリーネに対し、メイベルはどこまでも冷静に、表情を変えることなく言った。

カロリーネはますます怒りを募らせ、いまにも爆発しそう――それを制止したのは、宰相代理だった。


「お止めなさい、みっともない。自分から仕掛けておいて、煽り返されたらまんまと彼女のペースにはまっているではないの」


宰相代理が静かに諫める。カロリーネはぐっと唇を噛み締めて躊躇うも、怒りを吐き出さずにいられなかったようだ。

宰相代理に向かって叫ぶ。


「だって、ブレンダ様!このような女を放置していては、ノルドグレーン宮廷の風紀と秩序、それに面子に大きく傷がつきますわ!一刻も早く追い出すべきです!」

「私を連れてきたのはエリアス様です」


メイベルが反論する。


「エリアス様にそうおっしゃればよろしいでしょう。私はエリアス様からの寵愛など、かけらも望んでおりません」


怒りが頂点に達したカロリーネは、反射的に手を振り上げたのだと思う。後先を考えることなく、平時だったら自分でも愚かだと分かっていることを、やらずにはいられなかった――身体が勝手に動いてしまった。

メイベルが遠目に見えたものに気付いて、わざと仕掛けたのだとも思わずに。


「何をしている!」


エリアス王の一喝は、一瞬で若い女の子たちをすくみ上げらせ、氷点下まで突き落とした。

カロリーネも手を振り上げた体勢のまま硬直する。


「ベンディクス侯爵令嬢、それはなんのつもりだ!?」


エリアス王は大股で近付き、カロリーネの手から遠ざけるようにメイベルとの間に割って入り、怒りに満ちた表情でカロリーネを睨みつける。

戦場で仇敵と対峙した時のような表情に、カロリーネはすっかり怯え、今度は真っ青になって震えていた。


「……エリアス様」


このままだとエリアス王はカロリーネを殴ってしまうのではないか。

いや、平手打ちで済めばいいぐらいで、下手をすると斬り捨ててしまうかもしれない。


メイベルは背後からそっとエリアス王に呼びかけ、彼の腕に手を伸ばす。


「部屋に戻ります。どうか付き添ってくださいませんか」


甘えるように……すがるようにエリアス王の腕にぎゅっと抱きついて言えば、エリアス王は目を見開き、怒気すらも瞬時に消え去ったようだ。

振り返ってメイベルの肩を抱き返す。


「……そうだな。このような女のことなどどうでもいい。まずは貴女を部屋に帰さなくては」


宰相代理とのお喋りに来たはずが、彼女とはろくに話せないまま、メイベルは部屋に戻ることになってしまった。

でも、やはり来てみてよかった――収穫はあった。


メイベルが予想していた以上に、ノルドグレーンの城の人たちはメイベルのことを疎み、嫌っている。

そしてメイベルの言葉ひとつであっさり動かされるエリアス王の姿は、彼らに強い危機感を抱かせている。

――ヴァローナ王妃メイベルは、一刻も早くノルドグレーンから追放すべき毒女だ。


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