外伝71話:ご詭弁麗しきゲームエンド(後編) -Hamra jex Makna-
'20.09/30 演出修正。
外伝71話:ご詭弁麗しきゲームエンド(後編) -Hamra jex Makna-
* * *
スフィルは闇の中で鼻と口を塞がれたまま、廊下を移動させられた。角を曲がって警護課の一般兵舎へとつづく道に入ると、誘拐犯は、ようやくその手を離した。
その姿を見ないままに、スフィルは背後から拘束する人間に問いかけた。
「あの、カリエクさんですか」
「よくわかったな」
声の主――カリエクは、そこで初めてスフィルを離した。
「ボクを含めたあの場の全員に気づかれずに、ボクの背後を取って誘拐できる方なんて、数えるほどしか知りません。それに黒手袋をはめていらっしゃいましたので、カリエクさんかなと」
常日ごろから革の手袋をはめている人間は、この国では珍しい。おそらく、潔癖症らしいこの伝説の卒業生くらいしかいないだろう。
「ご名答。突然攫って悪かったな。お前を秘密裏に連れてくるようにと、殿下からのお達しだ」
「えっ、ホムラ王子殿下直々に?」
「ああ、ついて来い」
そっけなくそう言うと、カリエクは兵舎の廊下を歩きだした。
スフィルはカリエクについていきながら、今しがた彼に抱えられていたときのぬくもりを思い出していた。
未だにこれほどに心臓が高鳴っているのは、おそらく、いきなりうしろから口を塞がれたことだけが理由ではない。
彼の上質な短外套からは、品のある香木のいい匂いがした。
原因はそれだった。そのにおいが先ほどからずっと、頭の隅に引っかかっているのだ。
どこかでかいだことがあるような気がしたので、考えていたら、ふと今日の午後、サトリの首を絞めたときに香ったのだと思い出す。サトリの羽織っていた短外套は、小柄な彼には似合わないほど大きかったので、きっとカリエクに借りていたのだろう。それならば、同じ香りがしたところで納得がいく。
そう考えると、わざわざカリエクに憲兵の制服を借りたサトリは、本当は憲兵ではないのだろうか。
スフィルの思考が、香りから脇道に逸れようとした、既のところだった。突然スフィルの脳裏に、はるか昔の記憶がなだれ込んできた。
上品な香木のかおり。上質な短外套。背が高く安心感のある背中。
思い出したのは、五年前。
スフィルが山で山賊に襲われ、護衛官に助けられた、あのときのことだった。
完全に、思い出した。――先ほどカリエクに感じたぬくもりが、あの時と同じだったのだ。
(まさか。まさか、カリエクさんが、あのときの――?)
先を行くカリエクの背中を見つめるスフィルの動悸が、壊れるほどに激しくなる。
胸に手を当てれば、ドクドクと鳴る心臓の上で、四角い金属片が、服の下で形をつくっているのがわかる。あの時からスフィルは、護衛官の落とした金属片を、お守りとして、肌身離さず首にかけてもち歩いている。
この金属片には、古代の神書体で文字が書かれている。神殿で神々に願うときの護身符らしい。書かれているのは、心身の安全を願う意味の言葉だ。おそらく、恩人の護衛官にとって、大切なお守りなのだ。
ずっとこれを、あのときの恩人に返したいと思っていた。
(どうしよう)
彼が恩人かどうかの確認は簡単だ。この護身符に、見覚えがあるか問えばいいのだ。
大切な護身符をなくしたのだから、きっと彼は、あのときのことをおぼえているはずだ。
だが、言っていいのか、と理性が問いかけてくる。
言えば必然的に、彼に性別がバレることになる。咄嗟に「双子の妹がお世話になりまして」などと嘘をつくことも考えるが、あのカリエクに、そんな嘘が通用するかどうかはわからない。冷静に見られたら、スフィルの身体が少年よりも少女に近いことを、悟られぬはずがない。
(いや、ダメだ。――今は、まだ)
スフィルは胸の金属片を、ぎゅっと抱えた。
スフィルは今、ただの警護課の卒業生でしかない。伝えるべきは、この先、スフィルが正々堂々と《青獅子隊》に入って、この最強護衛官の同僚として、そのとなりに立ったときだ。
そのときに堂々と胸を張って、本当のことを告げてるとともに、このお守りを返すのだ。
(だから、それまでは――)
高鳴る心臓の音を抑えながら、先を行くカリエクの背中を見つめていた、その時だった。
「お前――」
突然ふり向いたカリエクは、スフィルの胸に当てる手に注視していた。思わずギクリとするが、服の下の金属片を見られてはいないはずだ。
「な、なんでしょうかっ」
スフィルの返事はうわずった。
「先ほどの試験だが、途中から上で観ていた。お前の能力は見せてもらった。良い連携だったな」
「あ、ありがとうございます!」
スフィルの頬が、ぶわっと紅潮した。憧れの人にその力が認められたことが、これ以上にないほど嬉しかった。
カリエクの態度が、先ほど倉庫の裏で会ったときよりも軟化しているように思えるのは、きっと試験で、スフィルを評価してくれたからに違いない。
「お前ならきっと、王子殿下の期待に応えられるだろう」
「ホムラ王子殿下に? それってまさか、つまり――」
「ああ。殿下はお前を、来期から親衛隊にスカウトなさるお心であらせられる」
「うそ、そんな……」
あまりの感激で、スフィルは言葉を失った。まさかこんなに早く、憧れの部隊に入れるなんて、思ってもみなかったのだ。
「それと、殿下だけじゃない。殿下とは別の意味だが、俺も個人的に、お前のはたらきには期待している。お前なら、護衛対象を命に代えても護れるだろう」
「こっ、光栄です! ありがとうございます!」
あの伝説の卒業生カリエクに、腕を信頼されている。スフィルは嬉しすぎて、まともに先輩の顔を直視できなかった。
「ちなみに言っておくが、ウチの護衛対象は、並の護衛なら発狂させられるほどの、超弩級の死にたがり屋であらせられるんだが――何があってもめげるなよ、絶対」
「はいっ!」
スフィルの潔い返答に、カリエクは満足げにうなずいた。
ついに憧れの部隊に入れる。憧れのカリエクと仕事ができる。
嬉しすぎて、涙が出る。舞い上がった思考が、どこかへ飛んでいってしまいそうだった。
カリエクが歩みを止めたのは、普段スフィルが寝泊まりしている部屋の前だった。この時間、同部屋たちは皆広間に集まっていて、誰もいないはずだが、奥からはランプの明かりが漏れていた。
カリエクに促される形で、スフィルは入室した。
スフィルたちの部屋であったはずの場所には、《青獅子隊》のサイラとサトリが、ゆったりと腰を下ろしてくつろいでいた。なぜか手元には、スフィルの私物の紅茶のカップが置かれていて、中からは熱い湯気と、アプリコットティーの香りがたちこめている。
どうやら彼らは、我が物顔でお茶をしながら、部屋の主のスフィルの到来を待っていたらしい。
「ごきげんよう」
と、サトリが声をかけてきた。
スフィルは優雅に腰を下ろすサトリに向きなおると、叮嚀に礼を言った。
「先ほどは、ありがとうございました。ハーナム教官や、ほかの皆をお助けくださって」
「礼には及ばないよ。これが俺たちの仕事だから」
相変わらずサトリは、品のあるにこやかな微笑みを浮べながら答えた。
王室の付き人らしい優雅さを見て、スフィルは王室護衛官として、必ず彼に勝たなければと、闘志が湧き立った。先ほど誓ったのだ。必ず彼の推理方式を取り入れて、【真実の芽】を、さらに上の段階へ昇華させると。
「あの、あと、すごく不躾なことを申し上げます! ボクは絶対、推理力であなたに負けない護衛官になります。今はまだただのチビでも、いつか絶対、並々ならぬ頭脳と護衛能力をもちあわせた、王国最強の護衛官になるんです。ボクは勝手にですが、あなたのことライバルだと思ってます。やけん、覚悟しておいてください!」
「ラ、ライバル?」
サトリは、ぱちくりと目を瞬かせた。なんでもお見通しのはずの彼が、こんな表情をすることが、スフィルには意外だった。
「ちなみに聞くけど、きみは俺が怖くないのかい?」
「正直、まだ怖いですよ。――でもボクは必ず、あなたよりも怖くなります! あなたよりも読めなくて、あなたよりも『恐ろしい』と畏怖される、真のバケモノになります!」
「バケモノに……なります?」
実に不可思議とばかりに首をひねりながら、サトリが尋ねてきた。「きみは、バケモノなんかになりたいの? 人に怖がられたいのかい?」
「はい。畏怖されるくらいの護衛官でないと、大切な人を護れないと思っています」
サトリの表情から、笑みが消えた。彼は至って真剣な顔をして言った。
「もし、その大切な人自身にも恐れられたら? 護っているはずの大切な人たちに、怖がられて、嫌われたら? 本当に恐れられるバケモノっていうのは、敵味方関係なく畏怖されるものだよ。そうしたらきみは、つらくないのかい」
「それで孤独になることはありません。少なくとも、ボクの今の仲間は皆、同じ穴の『バケモノ』ですから。《青獅子隊》もそうだとお見受けします」
一度目を見開いたサトリは、やがて、
「そうか、そうだった」
と、ひとりつぶやいた。思い出したようにつづけた彼は、懐かしげに、どこか遠い一点を眺めてた。
「《青獅子隊》のメンバーには、全員特殊能力名をつけるのがルールなんだ。思えばあれは、隊員が俺のためにつくってくれたルールだった。俺の【同調】能力が、周囲にバケモノと恐れられていたから。せめて俺を孤独なバケモノにしないための方法を、皆で考えてくれたんだったよな」
つくられた完璧な表情しか見せぬ彼には珍しく、今の彼は、ともすれば泣き出しそうな顔をしていた。
「あの……?」
「ごめん、驚いてしまって。ありがとう。俺の『バケモノ性』を、そんなふうに認めてくれた人ははじめてなんだ。――俺の人格は、王家の恥とばかりに、宮内則で秘匿されてるから」
ぽつりと彼がつぶやいた、その言葉がきっかけだった。その瞬間、スフィルの頭に、一気に情報が流れ込んできた。
宮内則で秘密にされている。憲兵とは思えぬ護衛能力のなさ。カリエクに借りているであろう短外套。そして王室護衛官とは思えぬ異例な若さ。
それらすべての情報が、この目の前に対峙する、勝手に「サトリ」などと妖怪の名をつけた少年の、本当の正体を告げていた。
「まさかあなたは――いえ、あなた様は……」
サトリは困ったようにはにかんだ。
「エルトワイカ王家の長男、呼び名はホムラ。《青獅子隊》会計主任代理改め、エル=イスカ王国の皇太子です。――よろしく、スフィル君」
やっぱり。
この人は護衛官じゃない。正真正銘の、王子様。
心から納得すると同時に、スフィルはとんでもないことを思い出した。
「ああああああああああっ?!」
思い起こされたのは、初対面でスフィルが彼にしたことだ。
スフィルはたしかに、この王子殿下の首を絞めたのだ。だからカリエクは、あの時あれほどに不機嫌だった。それは、瞬時にカリエクに本気で蹴られて仕方がないほどの重罪である。
スフィルが何を思ったか察したらしく、王子はとんでもないとばかりに手を振った。
「いや、本当に気にしてないよ、あの時のことは。ただの不慮な事故だし、それに言っただろう、俺は次期国王という職業柄、襲われることには慣れてるから」
「そういう問題では! というか本っ当に申し訳ありませんでした!」
「大丈夫、これまでも大事にはいたってないんだ。初対面では敵意剥き出しで襲われても、皆そのうち改心してくれるから。今日のリグスラーム教官のようにね」
「あ、あと今、勝手にラ、ライバルとか言って、申し訳ありません! どうかすべてお忘れください! きれいサッパリ!」
「いやいや、何度も言うけど、驚いたと同時に嬉しかったんだよ。君にそんな認め方をしてもらえて」
ホムラ王子はそこまで言うと、長いまつげを伏せ、幼い頬をゆるめた。
「それにきみは、俺に大事なことを思い出させてくれた。嫌われ者の俺にも、一緒にバケモノを名乗ってくれる存在がいたことを、きみが思い出させてくれたんだ」
慈愛に満ちた目を向ける王子を、スフィルは直視できなかった。
彼の正体を知った瞬間から、彼の容姿、挙措、その他ありとあらゆるところから、高貴さがにじみ出ているように思えた。先ほどまで、彼を視ても何もわからなかったのが嘘のようだ。
「し、しかしですね、それを差し引いてもボクの無礼はとんでもなく悪質でございまして……!」
先ほどまでの言動を思い出したスフィルは、羞恥のあまり、顔から湯気が出そうだった。
その様子に王子は困った顔をし、その横の護衛官たちは、気にも止めないとばかりに優雅にお茶を飲んでいた。
「実は、きみをこっそりここに呼んだのは、秘密裏に頼みたいことがあるからなんだ」
王子は静かにそう言うと、スフィルを見つめてきた。
「来期からきみに、俺の第二護衛部隊の隊長を務めてもらいたい」
第二護衛部隊? しかも、その隊長?
想像を超える単語の数々に、スフィルは混乱するばかりだった。
「ど、どういうことですか……?」
「知ってのとおり《青獅子隊》は、もともと俺の護衛部隊であって、決して国家の安全を脅かす事件をいち早く解決する捜査部隊ではない。今は俺が私兵のように勝手に動かしているけど、それでも、俺の手の届く範囲でしか護れない」
王子の言う「護る」とは、自身が護られるという意味ではないようだった。彼はスフィルを使って、王子以外の誰かを護らせようとしているのだ。
「お言葉ですが、ボクはどなたをお護りすれば……?」
「さすがはスフィル一等兵。鋭いね」
王子は一段と真剣な面持ちになった。「非公式に、どうしても護ってほしい人がいるんだ。公式には存在しないとされているけど、実はこの国には、もうひとり『王子』がいる」
「王子殿下が、もうひとり……?」
「そう。公には存在を否認されているけど、俺の大事な兄上様なんだ。――それと、彼だけじゃなくて、ほかにも俺の手では救いきれない大切な人たちを、きみの部隊で護ってほしい。頼めるかな」
王子が言っているのは、途方もないことだった。
まず、普通の任務ではない。
公には存在しない「王子様」を筆頭に、ホムラ王子の大事な人たちを、訓練生上がりの14歳の護衛官を隊長に任命した上で、護ってほしいと言っているのだ。
どう考えても、実務経験のない今のスフィルには、荷が重すぎる話だった。
だが次の瞬間には、スフィルは承諾の返事をしていた。
「かしこまりました。殿下の兄上様も、ほかの方々も、必ずお護りしてみせます」
荷が重すぎると、無理だと思えば思うほど、心の奥から湧き立つ闘志が、やりたい、やらなければと、スフィルの意志を後押しした。
いずれは最強の護衛官になるのだから、弱腰なことを言っていたら、護るものも護れない。いつかではなく、今成長する。そのための絶好のチャンスなのだ。
この心からの渇望は、もはやスフィルの理性ではどうにもならないものだった。
王子はそんなスフィルの心のうちを見透かしたようににこりと笑うと、つづけた。
「所属は憲兵部警護課、そして、諜報部。王国軍に二重で籍を置いてほしい」
「諜報部――つまり、王国軍の防衛省直属のスパイを兼任するということですか」
「きみに護衛を頼みたいのは、表立っては護れない人たちだ。命の危機に晒されていながらも、この法治国家で護ることが許されない人々が存在する。スパイとして、彼らを陰から護ってほしいんだ」
「承知つかまつりました。命に代えても、必ずや護衛対象をお護りします」
その返答に、今まで黙ってお茶を飲んでいたサイラが、ほう、と口角を上げた。
「まさかこんな突拍子もない話を、二つ返事で引き受けるとはな。その並ならぬ度胸に敬意を表しよう、スフィル一等兵」
「では、新年の2日より、一週間にわたり仮採用後、問題がなければそのまま俺の正式な護衛部隊として、本採用しようと思う。それまでにきみには、第二部隊の隊長として、信頼できる仲間を数人集めてほしい。任務の特性上、普通の護衛官には務まるか怪しいけれど……」
そこまで言うと、王子は、
「そうだ、『同類』がいいな」
とつぶやいた。
「俺が安心できるような、とびっきりのバケモノ仲間を集めてくれ。思い当たるツテはあるかな」
「はい」
明確に何人かの顔を思い浮かべながら、スフィルはその場で笑った。
「殿下がお気に召されるほどの、とびっきりのバケモノ仲間がおります」
憧れの護衛部隊で、王室護衛官として、また「彼ら」と戦える。
これからの任務を思うと、スフィルは胸の高鳴りが抑えられなかった。
スフィルたちのチームは、今日で終わりじゃない。ここからが、本当の始まりなのだ。




