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外伝69話:ご詭弁麗しきゲームエンド(前編) -Hamra jex Makna-

'20.09/30 演出修正。

外伝69話:ご詭弁麗しきゲームエンド(前編) -Hamra jex Makna-


 * * *


 ホムラ皇太子殿下の親衛隊。

 それを聞いた瞬間、リグスラーム教官の顔が硬直(こうちょく)した。信じられない単語を聞いた顔だった。


「ホ、ホムラ皇太子……?!」


「それとも、お前を連行するのに、それ以上の社会的地位が必要だったか?」


「どういうことだ? 何が起こっている! ホムラ王子の親衛隊が、なぜ!」


 答えたのはサイラだった。


「皇太子殿下直々(じきじき)のご命令だ。ハーナムはわがマファルカ家の元門下生にして、《青獅子隊》副隊長カリエクの恩師であるとともに、先王の忠実な盾となった王家の忠臣(ちゅうしん)だ。そんな彼に容疑(ようぎ)がかかっていると聞き(およ)んだがゆえに、我々が直接捜査に(おもむ)いたのだが」


「『元王室護衛官だから罪を()せるのに都合(つごう)がいい』だっけ? 笑えるぜ。おかげであんたは今、とてつもない大物を引っ張り出しちまったってワケだ」


 ティガルの笑い声を聞きながら、リグスラームは何も言えずに、顔面蒼白になっていた。


「そもそも前々から、ここ数年で王都の治安(ちあん)が悪化していることを、殿下は(うれ)いておいでだった。そこで我々は独自に、銃器の違法入手ルートを調査していたのだが、つい一週間前に大勢のギャングが逮捕(たいほ)されたことにより、我々は、ヤツらから押収(おうしゅう)した銃器が、王国軍に支給される銃で、さらにそれがナームファルカ憲兵学校から流れていることを()き止めた。我々は、武器の流れを逆に追って捜査を進めていったが、犯人は周到(しゅうとう)な人物のようでな。憲兵学校内部の(だれ)かだとはわかるが、その先は、どのギャングも知らないときた。ギャングのバイヤーとのやり取りも、これらの活字(かつじ)の手紙だけで、顔は(さら)していないようだからな。わかるのは、『青き(たて)』という呼び名だけだ。――青き(たて)、か。元王室護衛官の(だれ)かを連想させるな」


 言いながらサイラは、活字(かつじ)の印字された紙を広げてみせた。それがギャングとのやりとりに使われた手紙のようだ。

 見ればたしかに、「青き(たて)」とサインされている。「青」は王室を意味する色である。リグスラームは、(はな)からハーナムに罪を着せるつもりだったのだ。


「案の(じょう)というべきか、捜査を進めていくうちに浮上(ふじょう)してきたある人物は、ハーナムだった。すべての証拠が、ハーナムへと(つな)がっていた。気味(きみ)が悪いほどにな。――取引中に見せかけた銃器など、本当にハーナムが犯人なら確実に(かく)したであろう、マヌケな証拠までが見つかる始末(しまつ)だ」


 サイラは冷徹(れいてつ)な目で、リグスラームを一瞥(いちべつ)した。


正直(しょうじき)なところ、我々は今、かなり頭にきている。貴様のような頭の腐りきった人間が王国軍にいることは無論(むろん)、そいつが明らかに、我々の恩師(おんし)とも言える元王室護衛官に罪をなすりつけたわけだからな。――王室関連の事件は、隠密(おんみつ)に処理される。元王室護衛官に罪を着せた貴様とて、その適用(てきよう)外ではない。殿下のお許しさえあれば、これから貴様を秘密裏(ひみつり)存分(ぞんぶん)に痛めつけてやってもいい」


「ま、待て! 私がやったという証拠はあるのか、え? 証拠もないのに逮捕(たいほ)しようというのか? そんなことが許されると思っているのか!」


「少々手荒(てあら)く聞けば、貴様ならなんでも話すだろう。試してみるか?」


 サイラはリグスラームを挑発(ちょうはつ)的に見下ろし、指揮棒で彼の(あご)をすぅと()でた。彼女が本気なのは、その()るがぬ意志を宿(やど)した目でわかった。

 だが――と、スフィルはほかのふたりの《青獅子隊》に目を向けた。

 (すご)みを出すサイラに対して、カリエクとサトリ憲兵にその気がないのは、一目瞭然(りょうぜん)だった。

 彼らが王室の権力を使って、拷問(ごうもん)という現代法でご法度(はっと)行為(こうい)(およ)ぶ気がないことを確認して、スフィルは内心、ほっとしていた。ノワンに指摘(してき)されて以来、《青獅子隊》が不法捜査を(おこな)っているのではという疑念が()れなかったからだ。

 カリエクたちはあくまで、この非道なる汚職(おしょく)憲兵を、正規(せいき)の方法に(のっと)って(つか)まえる気だ。やはり《青獅子隊》は、慈悲(じひ)深いと有名な王子殿下のお人柄(ひとがら)のとおり、正義と公正のために動く部隊なのだ。その事実がスフィルを安堵(あんど)させた。

 リグスラームは、サイラの怒気(どき)にすっかり怖気(おじけ)づいており、(なか)自棄(ヤケ)になりながら(さけ)んだ。


「おぼえてろよ、お前たち! イェルマヒム、君の人生はもう終わりだ! それからシオナも、教官を(たぶら)かした不貞女としてウワサが立つだろうな! 私を逮捕(たいほ)するということはつまり、そういうことなんだぞ! 言っておくが、私の憲兵のコネは(すさ)まじいぞ。私に(にら)まれた状態でこの先憲兵として生きていくなら、地獄を味わう覚悟をすることだな!」


「コイツ、マジで往生際(おうじょうぎわ)が悪いぜ……!」


 これから《青獅子隊》はきっと、彼を逮捕(たいほ)してくれるだろう。だがそうすることで、この教官は無実のイェルマヒムとシオナまでを巻き込んで、自分ひとりの破滅(はめつ)では終われないとばかりに、醜聞(しゅうぶん)(さら)す気なのだ。

 スフィルの(にぎ)りしめた(こぶし)(ふる)える。

 シオナはきっと、この先何があろうと、官家のティガルに愛されて、幸せな人生を歩むことができるだろう。この恋する相棒には、彼女を救う覚悟があるのだ。

 だが問題なのは、イェルマヒムだ。

 三年間苦楽を共にしてきた才能あるライバルが、栄光を(あゆ)むはずの人生を、ひとりの凶漢(きょうかん)によって狂わされようとしている。なのに今のスフィルには、それを止めることができない。スフィルはあまりに無力だった。

 スフィルの心情を察したのか、イェルマヒムが腕を組みながら、(がん)として言い放った。


(かま)わん!」


「え……っ?」


「もとより、オレの身内が()いた種だ。賄賂(わいろ)で卒業した愚物(ぐぶつ)の二世で、(おお)いに結構。護衛官として実務に出たとき、卒業成績が(おのれ)の身を守るわけじゃない。オレはただ、完全無欠に職務を(まっと)うし、護衛対象の御身をお護りするだけだ。――自力(じりき)で父の信頼を勝ち取る、その日までな」


「エルマ君……」


 イェルマヒムは、《青獅子隊》の面々に向きなおり、精悍(せいかん)眼差(まなざ)しを向けた。


「覚悟はできています。《青獅子隊》の皆さん、コイツの悪事を存分(ぞんぶん)(あば)いてください」


 彼の覚悟の重さに、スフィルの胸が熱くなった。

 イェルマヒムは、彼の(かが)かしい未来のキャリアを棒に振ってまで、正義の執行(しっこう)を望んでいるのだ。

 彼のような誠実で正義の心をもつ憲兵こそ、王国軍で重用(ちょうよう)されるべきだ。イェルマヒムは、こんなところで終わっていい(うつわ)じゃない。完全無欠な職務(まっと)うを可能にする、憲兵学校で唯一(ゆいいつ)にして最高のライバルだ。

 リグスラームを野放しにできないことは承知している。それでもどうか、イェルマヒムを救ってほしい。――そんなスフィルの(さけ)びが、(のど)まで出かかった、その時だった。

 その言語化されぬ(さけ)びに呼応(こおう)するかのように、突然、(おだ)やかな声が上がった。


「いえ、その必要はないかと」


 声を(はっ)したのは、サトリ憲兵だった。

 彼がリグスラームの前へ出ると同時に、さっとサイラが身を引いた。

 憲兵の制服の似合(にあ)わぬその少年は、リグスラームを見つめながら、にこやかな笑みを()かべた。


「誤解なさらないでください、リグスラーム教官。我々は、あなたを追い()めに来たのではありません」


「なら、なんだというんだ」


 サトリはおもむろに掛けていた丸眼鏡を外し、(おび)にしまった。そしてじっと、(おだ)やかな眼差しでリグスラームの双眸(そうぼう)を見つめる。


「助けに来たのです」


「は……?」


「リグスラーム教官、貴官は我が国の人身捜査課の憲兵であると同時に、我々王室護衛官の同胞(どうほう)ハーナム教官とも、(えん)のある方です。間違いありませんね」


「まあ、そうだが……」


「私は、貴官のなかに眠る王国憲兵としての良心を――正義と公正を愛する心を信じております。この部屋を出るときには、貴官が善良なる心に(したが)い、すべての罪を告白するとともにその罪を(つぐな)うことを信じます。教官は国を守る憲兵なんですから、従順(じゅうじゅん)で『いい人』のハズです。そんな教官が、人の不利益になることを吹聴(ふいちょう)などなさるわけがない。そうでしょう」


「ハッ」


 リグスラームは鼻で笑った。「この私に、今さら『善良なる心』だと? 人を馬鹿にするのも大概(たいがい)にしたまえ」


「おや、私は真剣ですよ」


「ま、待ってください!」


 スフィルは(あわ)てて、サトリとの間に割って入った。


「この人には、本当に憲兵としての――いえ、人間としての良心も罪悪感も、何もありません! いくら良心に(うった)えかけても、ムダなんです!」


「大丈夫。教官は『いい人』だよ。――信じてくれるかな」


「でも……」


 先ほど、あれほど教官の良心に(うった)えかけた。なのに彼は、悪びれるどころか、あろうことかエズレを侮辱(ぶじょく)したのだ。彼が取り乱すのはいつだって、自分に危機が(せま)ったときだけなのだ。

 それでも、スフィルは反論をつづけることができなかった。あの圧倒的な頭脳をもつサトリが、「信じて」と言ったのだ。

 信じるしかないと、スフィルは心に決めた。

 サトリはにこりとスフィルに微笑(ほほえ)むと、やがてリグスラームに向きなおり、じっと彼の目を見つめた。

 サトリの透明(とうめい)な目に、リグスラームの瞳が映し出される。


(あれは、【同調(シンクロ)】? あのときの目だ……!)


 ()られた瞬間、スフィルのすべてを言い当てられた、あの目。

 あの能力をもつ彼なら、もしかしたら、スフィルがわかりきれなかったことまで、あまねくすべての真実を(さら)け出し、この悪徳憲兵に、おとなしく罪を認めさせることが可能ではないか。彼の宣言どおりに、イェルマヒムたちを犠牲(ぎせい)にせずに、罪を(つぐな)わせることが可能なのではないか。

 スフィルの胸に、そんな希望が芽生(めば)えていた。


(お願いします、サトリさん。この推理ゲームで、勝ってください……!)


 スフィルが見つめる先で、サトリは一瞬、ちらりとスフィルに目を向けた。一瞬のことだったが、彼は承知したとばかりに微笑(ほほえ)んだ気がした。

 きっと気のせいではないだろう。今間違いなくスフィルの真意(しんい)をサトり、実行に移してくれる気なのだ。スフィルは自分でも驚くほどに、彼に心を読まれたであろうことに、安心感を(いだ)いていた。

 サトリは胸に手を当て、リグスラームに慇懃(いんぎん)に礼をした。


「まず、お伝えするのがこれほどに遅れてしまい、申し訳ありません。こちらの不手際(ふてぎわ)で、証拠品の解析(かいせき)に、なかなかに手間取(てまど)ってしまって」


「証拠品だと? そんなもの、存在するはずが――」


 リグスラームが途中(とちゅう)(もく)したのは、サトリが自身のかばんから、一冊の小さな帳簿を取り出したからだった。

 昼間に彼らに遭遇(そうぐう)したときに、スフィルが(あやま)って(うば)い取ってしまったものだと気づく。


「こちらの帳簿に見覚えはございますね。お(たく)の机の引き出しの中敷(なかじ)きの下から、出てまいりました。家計簿とは違うようです。いわゆる、『秘密帳簿』といわれるものでしょうか」


「なぜ私の帳簿を?! 不法捜査だぞ! まさか王室護衛官だから、何をしても許されるとでも思っているのかね!」


「不法? いえ、とんでもない。しっかり家宅捜査の許可はいただいておりますよ」


「令状があるなら見せたまえ!」


「検察の許可ではありません。奥様の許可です」


「何、だと……?」


「『旦那(だんな)様の不倫(ふりん)の証拠がないか捜査している』と申し上げたら、奥様はよろこんでお力添(ちからぞ)えくださいましたよ。犯罪捜査に協力的な、いい奥様でございますね」


 リグスラームは言葉を失って、パクパクと口を動かした。


「奥さんとは、日ごろから仲良くしとくモンだぜ、リグスラーム教官」


 ティガルが呵呵(かか)と笑った。

 サトリは帳簿をパラパラとめくると、あるページを開いて、リグスラームに見せつけた。中には読むのも(おく)するほどの膨大(ぼうだい)な数字が、びっしりと並んでいた。


一見(いっけん)したところは、何も不審(ふしん)なところもない、ただの帳簿なのですが――憲兵学校の教官という安定した職に()かれているのに、とても副収入の多い方ですね」


「その大半は、()けと(かぶ)だ。違法ではないだろう」


「その『()け事』の臨時(りんじ)収入の多くは、実際のところ、イェルマヒム君のお父様を筆頭(ひっとう)に、多くの訓練生の親御(おやご)さんから受け取った賄賂(わいろ)でしょうか。訓練生の成績をつける時期になると顕著(けんちょ)に多くなっていることから、そう予想されます。それと、『株』の臨時(りんじ)収入は、毎月一定の頻度(ひんど)で入っているので、金貸しと恐喝(きょうかつ)でしょうかね。この帳簿を机の下にお(かく)しになるのもうなずけるほど、多くの犯罪が(から)んでいるようです」


 すごい。彼はこれだけの犯罪の証拠を、一冊の帳簿から推測したのだ。

 だがリグスラームは、淡々とした口調のままに反論した。


「いいや、そんなものは犯罪の証拠でもなんでもないね。今あんたが()べたのは、あくまでただの憶測(おくそく)だ」


「ええ、ただの憶測(おくそく)です。今その軽微(けいび)な犯罪について議論するつもりはありません。それよりも私はこの、一番不自然(ふしぜん)な出費である、『保険金』についてお話したいのです」


「保険金だと……?」


 今までサトリの話に警戒していたリグスラームは、ここで初めて、心から意外な顔をした。まさかその勘定科目(かんじょうかもく)に、彼の犯した罪以上の論点があるとは思ってもみなかったという顔だ。


「なにが不自然なんだ? 二ヶ月に一回、定期的に保険料を払っているだけだ。教官とはいえ私は人身捜査課の捜査官だ。常に危険と(とな)り合わせなんだから、傷害保険に入っておくことは、何ら不思議(ふしぎ)ではないはずだ」


「この『保険金』の正体(しょうたい)が何なのか。私は、それが教官が今回の事件を起こした、真の動機(どうき)につながっていると見ています。この『保険金』を支払い始めたのが、二年前の裁判のときです。――リグスラーム教官。あなたは二年前、この学校の女子生徒に(せま)ったことが(おおやけ)になって、彼女のご両親に、多額の慰謝(いしゃ)料を請求(せいきゅう)されたそうですね」


「ああ、お()ずかしながらね。その件で身の危険を感じたから、保険に入ったんだ」


「いいえ。多額の慰謝(いしゃ)料を支払わなければならなかったあなたに、そんな金銭的余裕はなかったはずです。あなたはその時、慰謝(いしゃ)料を支払うために多額の借金をした。そしてこの『保険金』は、その借金の返済額なのでしょう」


「なにを根拠(こんきょ)に」


「この『保険金』が不自然なのは、その増加率ですよ。最初は月に百ティフセン程度だったものが、一年後の同じ月には、五倍の約五百ティフセン。その後もあなたの『保険金』への出費は増えつづけています。ここ最近では、数万単位で出していますね。こんな金額が増える保険なんて、普通あるわけないでしょう。門外漢ならともかく、専門家が見れば一発でヘンだとわかります。そしてそれが借金の返済だとわかるのは、あなたは毎回、臨時(りんじ)収入が入ったとほぼ同時に、ほぼ全額をこの『保険金』へ出費しているからです。一刻も早く借金を返さなければならない状況以外に、こんなお金の動きをすることはありえません。――ヤバイ組織に、お金を借りているんですね」


 リグスラームは、ここではじめて言葉に()まった。


「なんとかその窮地(きゅうち)(だっ)するために、どうしても現金が必要だったんでしょう。だからやむなく、廃棄武器をギャングに売り、ほかにも数々の犯罪に手を()めた。すぐ女性に手を出す悪癖(あくへき)以外はリスクを(おか)さないあなたが、武器の横領(おうりょう)とギャング組織への横流しという、規模(きぼ)の大きな犯罪に手を()めた理由は、そうしなければ、この泥沼(どろぬま)のような借金の返済地獄から抜け出せなかったからなのでしょう。犯罪の証拠になるのにわざわざ帳簿をつけていらっしゃるのも、あとどれほどの現金を入手すれば抜け出せるのか、ご自身が正確に把握(はあく)するため。しかし、今でも毎月支払っていらっしゃるのを見る限り、まだ返済額は残っているようですね」


 リグスラームは、顔を引きつらせながら、ゴクリと唾を呑んだ。

 彼のいつになく真剣な表情が、その推理がすべて真実だと物語(ものがた)っていた。


「ところがまた、あなたの悪癖が(わざわ)いを(まね)いてしまった。奥様に(うかが)いました。シオナさんに(せま)った件で、奥様に高額の慰謝(いしゃ)料を請求(せいきゅう)されていますね。年明けには、裁判で(あらそ)うことになっているそうで。しかも奥様の弁護士は優秀で、もうシオナさんに目星(めぼし)をつけて、証人として喚問(かんもん)する気でいるそうです。このままでは裁判に勝てず、また多額の支払いが必要になるでしょう。だからあなたは、奥様から(のが)れるために、こっそり高跳びするつもりだった」


「言っておくが、不倫(ふりん)高跳(たかと)びも、国法上、犯罪ではない。シオナに関しても、どこぞの貴族の邪魔(じゃま)が入ったから、犯罪として成立するか微妙なラインだ。――一体先ほどから、どういうつもりなのかね。私の犯罪を立証することもなく、プライベートな暴露(ばくろ)ばかり……」


 サトリは、彼の質問に答えることなく問いかけた。


「教官、本当に()げきれるおつもりですか? 奥様からはともかく、借金の取り立て人から、地方に移ったくらいで()げきれると」


 リグスラームは沈黙していた。


「最悪の場合、借金の取り立て人は、その矛先(ほこさき)を奥様に向けますよ。あなたの良心(りょうしん)が痛みませんか」


「ハッ、そんなのは知ったことか! あんな慰謝(いしゃ)料にしか目がない(みにく)い女狐、どうにでもなればいい!」


「そうですか。仮に奥様が、『慰謝(いしゃ)料など一文(いちもん)もいらない』とおっしゃっても?」


「なんだと?」


「あなたがこのまま憲兵署に移送されれば、組織への債務(さいむ)は奥様に移ります。そのお話を奥様にいたしましたら、彼女は『慰謝(いしゃ)料は必要ないから、一刻も早く(えん)を切りたい』とおっしゃいました。ですので、ここであなたのサインをいただけましたら、これでご夫婦の離婚争議(そうぎ)はめでたく解決です。お二方のためにも、ここで契約破棄――すなわち離婚の合意(ごうい)をなさることをおすすめします。こちらが、奥様のサインの入った離婚届です」


 サトリは今度は、自身のかばんから一枚の紙を取り出した。


「残念ながらこの国には、少々品のない組織からの借金を()み倒す人間を保護する法はありません。――しかし、あなたが武器を売ったギャングの情報を渡して、彼らの逮捕(たいほ)貢献(こうけん)するとなれば、話は別です。送致(そうち)後、あなたには保護プログラムが適用(てきよう)されることになります。はからずもそのプログラムが、借金取りからもあなたを護ってくれることになるでしょう」


 そこまで言うと、サトリはまるで、貧民を助ける聖者のごとき(おだ)やかな微笑(ほほえ)みで、リグスラームを見つめた。


「私は、あなたが進んで罪を(かた)す方ではないことを承知しております。借金を返すために、どうしても現金が必要だっただけのでしょう。貴官はもう、何年にもわたる借金の返済地獄には、お(つか)れのことと存じます。リグスラーム教官、私はあなたを助けに来ました。あなたはもう、これ以上罪を犯してまで、借金を返さなくてもよろしいのです」


 サトリを見上げるリグスラームの目は、目いっぱいに見開かれ、その唇は(ふる)えていた。

 あの教官に、そんな感傷(かんしょう)的な表情ができることが、スフィルには意外だった。

 そうか、とスフィルは気づく。

 この教官には、他者を思いやる心がない。だったら、自分をいたわる言葉で説得すればよかったのだ。

 聖者の笑みを浮かべたサトリは、リグスラームに離婚届を差し出した。


「こちらには、今すぐにでもあなたを助ける用意があります。――これから一生、借金取りと捜査の手に(おび)えながら()げますか。それとも、あなたの善良(ぜんりょう)なる心に(したが)って司法機関の捜査に協力し、国家の保護プログラムで第二の人生を歩みますか」


 ゴクリと唾を呑んだリグスラームは、やがて、参ったとばかりに息をつくと、サトリから離婚届を受け取った。


「ああ、聴取に全面的に協力しよう。たまには、『善良(ぜんりょう)なる心』に従ってみるのも悪くない。――そう思えてきてね」


「はい、信じておりました。貴官が実は『いい人』でいらっしゃると」


 にこやかに笑うサトリの横で、リグスラームは離婚届を机に広げ、サラサラとサインを書きつけた。

 これから逮捕されるというのに、リグスラームの面持(おもも)ちは、こころなしか()れやかだった。彼はもはや、逮捕(たいほ)の腹いせに訓練生の(だれ)かを巻き込む気は、さらさらなさそうだ。

 ほっ、とスフィルはその場で息をつく。

 イェルマヒムとシオナは、助かったのだ。


「帳簿締切」


 サトリが、手にしていた帳簿をぱたんと閉じた。「――これが王国の、最適解です」


 スフィルは、リグスラームが罪を認めるまでの一連のやりとりを、身震(みぶる)いする思いで聞いていた。


(やっぱりこの人、すごい……!)


 なぜこのサトリ憲兵に推理で勝てないのかが、今ようやくわかったのだ。

 スフィルにとって推理とは、ひとつの事実である「芽」から、論拠(ろんきょ)という(つた)(つた)わし、相手を雁字搦(がんじがら)めにするようなもの。

 だがサトリの推理は、逆だ。

 彼は最初から最後まで、相手の立場に立って考えている。――いや、相手に「なりきって」考えている。だから【同調(シンクロ)】というのだろう。

 ――相手が最も(おそ)れるものはなにか。相手にとって都合(つごう)が悪いことはなにか。逆に都合(つごう)がいいことは?

 おかげで彼は、ごく自然に、相手にとって心地良(ここちよ)い形で、さながら自分の手足のように相手を(あやつ)ることを可能にしている。

 今、スフィルの心は(ふる)えていた。

 勝ってしまった。

 あの用意周到な非道なる教官に、一冊の帳簿と奥方への聴取、そして卓越(たくえつ)した交渉術だけで、罪を認めさせてしまった。

 これで無事、悪徳(あくとく)教官は逮捕(たいほ)され、ハーナムの冤罪(えんざい)も明るみに出るだろう。

 だが、それだけではない。

 イェルマヒムとシオナは、リグスラームにこの先の人生を(おびや)かされることがないだろう。彼が弱みを(にぎ)るらしい、ほかの憲兵たちも同様だ。そして武器を売った先のギャングたちは、リグスラームの供述(きょうじゅつ)で全員逮捕(たいほ)されるだろう。ついでにリグスラームの奥方は、この先借金取りに追われるハメになる事態を回避(かいひ)したようだ。――この場に、これ以上の解決があろうか。


(もしこの技が、ボクに使えたら……!)


 そう思えば、スフィルは自身の高鳴る鼓動(こどう)(おさ)えることで必死だった。

 ようやく見つけたのだ。大切な人を護るため、より高みを目指すための、具体的な方法を。

 (あふ)れ出る感動と感謝を伝えようとしていると、ちょうどその時、部屋の入り口から、陽気(ようき)な声とともにひとりの青年が顔をのぞかせた。


「ちわーす、監察官でーす。ご要望(ようぼう)通り、内部監査に上がりましたよ。なんかオレを呼ぶために、わざわざ今日の試験のセッティングをしてくれたらしいじゃないっすか。監察官をお呼びなんすよね、リグスラーム教官」


「相変わらず(はか)ったようなタイミングだな、マーシル。とっとと連行しろ」


 内部監査課の監察官と(おぼ)しき若い男は、カリエクに笑いかけると、くるりと器用にリグスラームの両手に赤い手縄をかけた。


「それにしても、(おそ)れ入った。スフィル一等兵――まさか内部監査課ではなく、受験者に先を()されるとはな」


 スフィルにそう話しかけてきたのは、親衛隊長のサイラだった。


「《青獅子隊》の用向きは、最初から、この武器横領事件の黒幕の逮捕(たいほ)だったんですよね」


「ああ、そのとおりだ」


 サイラはつづけた。「あのハーナムに疑惑が立つなど、なにか裏があると思っていた矢先(やさき)に、早々に内部監査課が動きだしてきてな。(あや)うくそこのアホ監察官に、無実のハーナムを逮捕(たいほ)されるところだった」


「ひっでえ言い(ぐさ)だよ。俺だって真実を見極(みきわ)めるために、今日ここに来たんだぞ」


「ハーナム教官にギャングの抗争の話を持ち出して、(かま)かけていたやつがよく言うな」


 (あき)れた声をあげたのはカリエクだった。どうやら彼らは、この監察官と知り合いらしい。


「無実だって確認するためだし」


「外でお前の部下たちが、ハーナム教官の身柄(みがら)を確保していたが?」


「上司の命令だっての。だからオレ、今猛烈(モーレツ)(いそ)いで真犯人を(つか)まえにきたんだぞ」


(つか)まえにきたというか、単に我々のあとをつけたんだろう」


「どうせ《青獅子隊》は、犯人に目星(めぼし)つけてんだろうからな。そのあとを追ったほうが、早いし確実っしょ。――よっし、これで逮捕(たいほ)ノルマ達成!」


 にんまりと笑ってガッツポーズする監察官を横目に、スフィルはどうしても知りたかったことを(たず)ねた。


「あの、どうして護衛官たる殿下の親衛隊が、内部監査課のような捜査を……?」


 監察官と知り合いなら、(はな)から彼らにいい(ふく)めて任せればいいのだ。護衛部隊が(みずか)ら捜査に乗り出すという異例(いれい)の事態に(つな)がる理由が、スフィルにはどうしても思いつかなかった。


「《青獅子隊》は、ただの護衛部隊ではないからだ。国家規模(きぼ)の問題に発展しうる事案を、(こと)が大きくなる前にいち早く対処する。それが我々の、本当の職務だ」


 サイラは、なんてことないようにつづけた。


「ホムラ皇太子殿下直属の、国家の極秘(ごくひ)探偵事務所。それが《青獅子隊》の正体だ」



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