外伝68話:最終試験の真相(後編) -elQwumak elDajerk-
'20.09/30 演出修正。
外伝68話:最終試験の真相(後編) -elQwumak elDajerk-
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リグスラームは椅子に背をもたげながら、盆の上の葡萄を数粒ぷちりともぎ、下品な笑みの浮かんだ口に放り込んだ。
彼は最後の切り札である、イェルマヒムの父からの賄賂を思い出してからというもの、勝利はこちらにありとばかりに、堂々としていた。
「実に愉快だなぁ。この私を潰そうとしたところで、実際に終わるのは君たちのほうだ。君たちは所詮、同じ房の葡萄にすぎない。そのうちの一粒や二粒が潰れてなくなったところで、私には何の問題もないんだよ」
「ふざけんな!」
いきなり教官に詰め寄ったのは、ティガルだった。「何が葡萄だよ! オレを食材として見ていいのはな、この相棒の蛮族様だけなんだよ!」
ティガルは言うや否や、リグスラームの盆から葡萄を奪い取り、うしろの小窓に向かって放り投げた。
「おや、食べかけだったのに」
「ざけんなよ、クソ教官! テメエはそうやって、他人を同じ人間とも思わず、シオナを苦しめたんだな! 家庭の弱みにつけ込んで、オレのシオナを! テメエだけは、絶対生かしておけねえ!」
ティガルはその場で、剣を抜き取った。
「三択だ、選べ。監獄島か病院かあの世。どこに送ってほしい!」
「おいやめろ、ティガル!」
ティガルのただならぬ殺気を感じたイェルマヒムが、すぐに止めるために駆けつけた。
「邪魔すんなよ、脳筋野郎! あんなクソ野郎を野放しにするくらいなら、病院送りにしたほうがマシなんだよ!」
騒ぐティガルをイェルマヒムが止める様を、足を組んで見上げるリグスラームは、まるで演劇でも鑑賞しているかのように冷静だった。
「やれやれ。お前たちがいくら私が犯人だと騒ぎ立てたところで、ムダなことだよ。誰も相手にしないし、仮に私を逮捕できたとしても、有罪にすることまではできない。なにせ、肝心な証拠がない上、イェルマヒムとシオナの醜聞がかかっているからな」
「クソ! こんなクズを逮捕できねーで、何が憲兵だよ! コイツを捕らえられねーのが今の法律ってんなら、そんなモン、ブチ壊してやる!」
抜いた剣に力を込めるティガルを、イェルマヒムが小杖で何とか制した。
「どけ、エルマ! こんなクズに親を利用されて、テメエだって悔しいだろ!」
「ここで手を出せば、この教官の思うツボだ」
「もうすでに思うツボだろ?! だったらこの状況をブチ壊せるのは、剣しかねーじゃねえかよ!」
ふたりのやり取りを横目で見て、教官は足を組んで座りながら、独り言のようにつぶやいた。
「古代、東方の碧国の初代皇帝の部下に、『狐仙』と呼ばれた軍師がいた。狐仙は自身の君主に全国を統一させるほどの、稀代の名軍師だ。彼の言葉に、こんな言葉がある。『戦を制すのは情報だ』。――だからこの学校の人間の情報はすべて集めているのさ。私の駒になってもらうためにね」
普段の講義と何ら変わりのない落ち着きで、彼はつづけた。
「いいかい、訓練兵諸君。犯罪も犯罪捜査も、大事なのは周到な用意なんだよ。おかげで内部監査課に、ハーナムが逮捕されることになった。意外と早かったが、どのみち私の計画に狂いはない」
「るせえ! ならテメエの自白を、社会的に認められてる人間が聞けばいいってことだろ!」
「無駄だよ。君たちの戯言に耳を傾けそうな人間は、すでに全員『掌握』済みだ。私の周りには今、従順な『いい子』しかいない。君たちは自分や家族のために私を告発できないし、それに仮に言ったとしても、誰も聞く耳を持たないね」
それが、彼が十数年かけて築き上げた、彼のための王国なのだ。何人も彼に逆らうことができない、絶対的な支配圏。
――戦を制すのは情報だ。
古代の軍師が築いた兵法理論を、王国の陸軍人たちがこの国を護るために使う兵法理論を、この男は、自分のためだけに、他人を犠牲にして悪用しているのだ。
なんとしても許しておけない。必ずこの悪党を逮捕したい。
その衝動が胸を占める反面、スフィルには本能的にわかっていた。
(勝てない……!)
十何年もかけて築かれたこの男の鉄壁の砦を、一晩で崩すことは不可能だ。すくなくとも、それにはイェルマヒムやシオナを筆頭とした仲間の犠牲が必要。この教官にたやすくできて、スフィルにできないのは、そこだ。
悪党を捕らえるためとはいえ、そのために仲間を犠牲にすることなど、スフィルには考えられない。その時点で、目的のために冷酷になりきれない時点で、スフィルはどうしても、彼に勝てないのだ。
そんなスフィルたちのやりきれぬ心情もお見通しとばかりに、リグスラームは笑った。
「愉快だなぁ。なあ、腐れ貴族。もし私が逮捕されれば、君の新しい彼女は、成績のために教官に身体を売った、とんだアバズレ女だと噂になるだろう。だから私に手出しはできないだろう? つまり、ここから君たちは何もできずに、無事に武器横領事件の黒幕であるハーナムが逮捕されて、事件は晴れて一件落着ってなワケだ!」
「だといいがな」
突然、教官の背後からかかった声に、彼はぎょっとして、扉のなくなった入り口にふり向いた。
「君は――」
「ノワン君!」
壁に寄りかかるようにして腕を組んでいたのは、現在広間で夕食中だったであろう、ノワンだった。
ティガルが待ってましたとばかりに笑みを浮かべ、目を光らせた。
「おっと教官、今、おぞましい呪いの言葉が吐かれたぜ。どうやら、『晴れて一件落着』にはならねーようだな。――ここから、大嵐が来るぜ」
教官は、こんな奥の部屋に新たに誰か来るとは思わなかったらしく、ぎょっとした顔を見せていた。
「さすがはノワン。お前なら、この暗号の意味に気づいてくれると思ってたんだぜ」
「暗号だと?」
ティガルはイタズラが成功した子供のように、にんまりと笑った。
「ハハッ、気づかなかっただろ。取り乱したフリしてギャンギャン言いながら、さっきからオレは、そこの友達に救援信号を送ってたんだよ。――教官、コイツに見覚えはありますかね」
ティガルが手にしているのは、今しがた、小窓から外に投げたはずの葡萄だった。
「なぜそれが、まだお前の手に……」
言いかけたリグスラームは、その葡萄の茎に、細い紐が括りつけられていることに気づいたようだった。
「そこの小窓、ちょうど警護課の校舎から、中庭をはさんで見える位置にあるんだよ。さっき小窓に投げ捨てた葡萄は、外からは、小窓から紐に吊るされて見えたはずだ。ちょうどこの夕刻のメシの時間に、向こうの校舎の小窓から大好物の葡萄が干されてるのを見たら、ノワンなら気づいたはずだぜ。『これは干葡萄……俺を呼んでるのか!』ってな!」
「スフィル。お前の相棒、晩餐のチーズカツレツにしてくれ。毎日干葡萄パン生活にも飽きてたし、俺は今猛烈に腹減ってる。ついでに機嫌も悪い」
凄みを帯びた不機嫌な声でそう言うノワンに、ティガルは慌てて両手を振った。
「じょ、冗談だぜノワン君。助太刀サンキューな。あとでなんか奢るぜ」
ノワンは忌々しげにため息をつくと、リグスラームを見据えた。
「癪だが、学校関係者じゃない人間を連れてきてやった。つまり、まだアンタの手のついてない人間ってことだ」
教官は「おや」と目を丸くすると、ティガルにふり返った。
「いいのか? そんなことをして私を逮捕しようとすれば、イェルマヒムの件もお前の新しい彼女の件も、すべて公にされるんだぞ? お前はそれを承知の上で仲間の救援を呼んだのか? そこまでのリスクを負う覚悟が、お前にあるのか?」
「ハハッ、覚悟ね」
ティガルはにんまりと、天邪鬼な笑みを浮かべた。
「安心しろよ。たとえシオナがこの先憲兵学校でやっていけなくなっても、そのときはオレが嫁にもらうだけだ。――でもイェルマヒムのキャリアは悪かったなあ。だが悪いがオレは、『できない理由』があると、ムショーにやってみたくなる性分なんだよ。エルマの脳筋野郎が気の毒なことになるのはわかってっけど、でも『するな』って言われてしないほうがムリなんだよなぁ。天邪鬼だかんな」
「なん、だと……?! 馬鹿な、そんなこと、できるはずが――」
教官は、はじめ、外部者を呼んだというのは、ノワンのハッタリだと思っていたらしい。
自分が逮捕されれば、ティガルの大事な彼女に悪評が立つのだ。よもやティガルはそんなリスクを負って、友人に外部者を呼ばせるような阿呆ではないだろうと思っていたようだ。
だがここに来て、教官はその態度を豹変させた。
「嘘だろう! お前は真の馬鹿なのか! お前に合理性というものは存在しないのか!」
「言っただろ? オレは天邪鬼だぜ?」
呵呵と笑うティガルに、リグスラームは、愕然と目を見開いた。
もとより天邪鬼なティガルに、合理性など通用しない。リグスラームはこの事態の深刻さに、初めて気がついた。
この場にいたのが、仲間思いで合理的なスフィルや、優等生のカルマやイェルマヒムだけなら、おそらく彼は、勝てただろう。だが、リグスラームと対峙していたのは、彼らだけではなかった。
もうひとり、たしかに存在していたのだ。教官の理性を、圧倒的に超える生物が。ティガルという、非合理的で愉快犯な天邪鬼が。
この不敵に笑う貴族の少年は本当に、リグスラームを逮捕し、彼女に悪評が立っても、嫁にもらえるなら万々歳だと、その他のことはどうでもいいと、心の底から思っているようだった。
マズい、と本気で理解したリグスラームは、憎々しげに吐き捨てるしかなかった。
「こんの、腐れ貴族が……!」
瞬間、部屋を疾風が駆け抜けたかと思うと、次の瞬間にはリグスラームの首元に、細剣の鋭利な刃が突きつけられていた。その風を受けて、ランプの赤い炎が勢いよく影を揺らした。
「今、『腐れ貴族』と言ったか」
「な……っ?」
教官はただ驚きに目を見開いていた。
いきなり入ってきた青年の攻撃に、彼は咄嗟に反応することもできなかった。
「そこになおれ、愚民が。今から貴族と官家の違いを、懇切叮嚀に説明してやる」
スフィルはその事態に唖然として、剣を突きつける青年の整った横顔を、ただ見ていることしかできなかった。
「カリエクさん……?」
目の前には、あの憧れの存在がいた。
「ノワン君が呼んでくれたのって、まさか――」
ノワンにふり返る目に、じわりと、涙が浮かぶ。
「本当に不本意だったがな」
スフィルから顔をそむけながら、ノワンがぶっきらぼうに言った。
「あんたは――外部の連中だと言ったな? 内部監査課じゃないようだが、それなら一体……」
細剣の鋭い刃を、首につく寸前に当てられた教官の頬には、汗がつたっていた。
「とにかく、社会的地位の高い人間なら、この連中で充分だろ。こんな連中、本当は死んでも連れてきたくなかったんだが――」
スフィルは、先ほどからノワンが不機嫌な理由がわかった。
彼はこのあくどい教官を逮捕するために、彼自身が嫌っていて、最も協力を仰ぎたくない組織の協力を仰いだのだ。
扉のなくなった入り口には、ふたつの影が佇んでいた。ランプの明かりに照らされて、外套の下にのぞかせる絢爛な青い徽章が、焔のように揺れている。
《青獅子隊》の、サイラ隊長とサトリ憲兵だった。
「ここまでよく頑張ったな、スフィル一等兵」
ポン、と。
部屋に入ってきたサトリは、スフィルの肩に手を置き、そのままリグスラームへと対峙した。
「あとは任せてくれないか」
「あんたらはいったい――」
わけがわからないとばかりに苛立ちを見せる教官に、カリエクが、自身の剣を鞘に収めながら言った。
「《青獅子隊》。ホムラ皇太子殿下の親衛隊だ」
「なん、だと……?!」




