外伝63話:十数年来の突然死(前編) -elJwan jex makna-
外伝63話:十数年来の突然死(前編) -elJwan jex makna-
* * *
黒頭布の憲兵たちが、にじり寄るようにして取り囲んできた。
視界を敵たちに遮られているおかげで、遠くの様子を見渡せない。
ゴールの馬車が今どうなっているのか、ここからでは確認のしようがない。
――マズい、誤算だ。
スフィルは敵たちを見据え、慎重に腰を落としながら、細剣を構えた。
現在、地に伸びるグラム教官のとなりで、スフィルとティガルは、無数の敵に囲まれている。
「さて、グラム教官の仇討ちといこうか」
「臆病者の警護課の分際で、随分と調子に乗ってくれたな。卑怯な手を使いやがって」
「簡単に死ねると思うなよ?」
それも、ただの敵たちではない。取り囲むのは、殺気立った人身捜査課の訓練兵たちだ。
もしふたりの護衛対象が無事ゴールまで着けたのなら、これ以上戦う必要はない。ここで高らかにこちらの勝利宣言をするのみだ。
だがもし万が一、護衛対象がまだ、ゴールまでたどり着けていなかった場合。
その場合は、何が何でも、ここで敵を引きつけなければならない。
護衛対象たちの状況がわからない以上、この圧倒的な数の差の彼らと、ここで交戦する以外に選択肢はない。
「テメーら、覚悟しろよ」
スフィルとティガルを囲う数十人が、剣を構え、威圧的な目で獲物を見下ろしている。エリート人身捜査課の人間であるとの事前情報があるからか、対峙する彼らは、普通の訓練兵よりも肉づきが良く、強そうに見える。
「ティガル、まだ戦えますか」
背中をあずけたまま声をかければ、うしろから乾いた笑みを含んだ声が飛んできた。
「行くしかねーだろ」
ふたり背中合わせで、剣を構える。相手は数十人。剣術の達人のティガルならまだしも、おそらくスフィルは無傷では済まない。
布が巻かれた剣に斬られることはないが、その代わり敵からの攻撃は、鋭利な打撲傷となって残るだろう。回避する術はなさそうなので、せめて来年にまで障るほどの重症にならないことを祈る。
なんとしてでも、ここで護衛対象たちに意識を向けさせることだけは避けたい。幸いにして彼らは、目の前でグラム教官が倒されたこの不測の事態への驚きで、本物の護衛対象のことにまで気が回っていない。
囮作戦は終わってはいない。どれほどの怪我を負っても、このまま引きつけつづけるしかないのだ。
「行くぞ、お前ら!」
敵役が一斉に斬りかかる。
剣の柄を握る手に、力がこもる。
その時だった。
「控えろテメエら! でなきゃ俺がブチ殺すぞ!」
突然、訓練場の先から、怒声が轟いた。
粗暴な言葉づかいだが、その声には聞き覚えがある。
顔を上げる。
その先で、黒い外套の人の波が左右にかきわけられ、引いていく。
先の黄塵に、ひらめくのは一竿の青い旗。ゴールの馬車に掲げられていたはずの、あの目標の青い旗だった。
その旗が今、こうして目視できる位置にまで来ている。
それが何を意味するのか。
それを理解した瞬間、見上げるスフィルの頬に、涙がつたった。
(やった、勝ったんだ……!)
敵役たちがひらいた道に、三つの人影が歩いてくる。
先頭を歩くのは、浅黒い肌の背の高い憲兵。それから彼に守られるようにして、旗を持つふたりの小さな人影がつづいた。
彼ら三人が変装のために巻いていた黒い頭布はすでに取られ、黒い外套からは、警護課を示す青い懸章がのぞいている。
それを見た敵役たちの間で、次々と動揺が走った。
「バカな……」
「どういうことだ?!」
予想だにしないゴールの方角から、三人の護衛官がやってきた。そのことに、周りの敵役たちは状況が吞みこめない様子だった。
思わず笑みが漏れる。皆、すべて作戦通りに任務を遂行しくれた。チームが見事勝利したのだ。
「ご覧の通りですよ。すでに、チェックメイトってことです」
「おい待て、いつの間にこいつらが――」
敵役の誰かの狼狽した声をさえぎり、先頭のダカが敵を牽制するように声を上げた。
「おい、何ガン飛ばしてんだよ。テメエら跪きやがれ! クソ陛下とクソ殿下のお通りだろうがよ」
ダカはすっかり、簡単に話せるこの言葉づかいが気に入ったようだった。物騒なセリフとは裏腹に、彼は現在、満面の笑みを浮かべている。
「おい、まさかアイツ……」
周りを取り囲む憲兵のうち何人かが、ダカの声に頭を抱えた。
その乱暴な声に、心当たりがあることに気づいたのだろう。先ほど彼を勝手に派遣公安課だと見做して、まんまと敵の指示に従ってしまった不覚を悟ったようだった。
「アイツ、公安じゃなかったのかよ!」
「クソ! 警護課にハメられた!」
心底悔しげに、彼らは手にしていた十字の小杖を地面に叩きつけた。
まさかダカの粗暴な話し方に、ここまでの効果があるとは思わなかった。
普段寝食を共にする警護課の人間ですら、素朴で朗らかな彼にこんな「隠し武器」があるとは、露ほども思わないだろう。今回はそれをうまく逆手に取れたのだ。
「スフィル!」
ダカがスフィルの姿を見るなり、人懐っこい笑顔を浮かべながら飛びついてきた。
「クソ任務完了でチームが勝利しやがった! 俺ぁクソ嬉しいぜ!」
「ええ、最後まで護衛対象を護りぬいたダカ君のおかげです!」
ダカはスフィルの首を絞めるほどに強く抱きしめながら、うなずいた。
「でもダカ君、もう『クソ』は封印しましょう」
「えっ」
ダカは抱擁を解き、しょんぼりと眉を寄せた。
「『クソ』はもうダメだった?」
「はい、再封印です」
ダカはコクンとうなずき、敬礼した。
「了解だった。俺『クソ』は封印した、俺の時代終わった」
「勝手に終わらせないでくださいよ。ていうかいいかげん、まともにイスカ語の現在形をおぼえてくださいよ!」
「俺、時制、わからなかった」
首をかしげるダカは、完全にいつもの彼のダカ語に戻っていた。
粗暴な話し方だと時制はきちんと使い分けられているので、概念が理解できないわけはないと思うのだが、知らぬとばかりに首をひねるダカは、まともに憶える気がないのかもしれない。
「おいそこの護衛官。王子をさしおいて頭が高いぜ。護衛対象に何か言うことあるだろ」
青い旗を杖のようにつきながら、エズレがこちらにやってきた。それを支えるようにしながら、横をシオナが歩いている。
「エズレ君! シオナさん!」
エズレはスフィルに視線を合わせると、フッと笑みを浮かべた。
「任務成功してやったぜ、班長。どうだ、おれもやればできるだろ」
その声音は、痛みを我慢しているのがわかるほどに上ずっていた。
「さすがでございます、王子殿下」
だがその瞬間。
エズレは横腹を抱えて、旗に体重をあずけたまま蹲った。
「っ痛え……」
「大丈夫ですか?! 今すぐ救護室で手当てしましょう!」
「大丈夫だ、大したことないっての」
強気にそう言うエズレのとなりで、シオナが眉を八の字にひそめて抗議した。
「だからエズレ君は無理しないで、馬車で待っててって言ったのに!」
「はぁ? ムリじゃねえし! 囮の先輩たちを戦わせたまま、おとなしく馬車で待てるかっての!」
「だからあたしだけで行くって言ったでしょ、もう!」
「お前が『無理するな』とか言うからだろ。言っとくが『無理』はおれが一番キライな言葉なんだよ! 無理って言われたから、死んでもやらなきゃおれの気が済まなくなったんだっての!」
「知らないよ、そんなの!」
呆れるシオナに何か言おうとしたらしいエズレは、さすがに耐えられなくなったらしく、変な声を上げながら地面に蹲った。
「二人とも――無事にゴール、できたんだな」
「ティガル先輩!」
声をかけたティガルに、シオナは目を輝かせながら、右手を胸に当て敬礼した。
「はい! あたしも息子のホムラも、無事馬車まで生還できました!」
「おい、頭撫でるな!」
しゃがむエズレの頭をぽんぽんと撫でながら言ったシオナの左手を、エズレはぴしゃりとはねのけた。
ティガルは目を細め、穏やかな笑みを浮かべた。
「よく頑張ったな、お前たち」
「ティガル先輩も、ご無事で何よりです!」
「まあ、このくらい――」
何か言いかけたティガルは、突然言葉に詰まった。
駆け寄ったシオナが、ティガルの胸に抱きついてきたのだ。
つかの間の沈黙。日の傾いた訓練場に、さらさらとそよ風が吹いた。
ティガルがそっと、シオナの小さな肩に手を回した。
「本当に、よく頑張ったな。オレたち卒業生のためにここまでしてくれて、ありがとな」
「先輩……っ」
どうやら相棒の悲恋は、ここにきて思わぬ形で成就が近づいたらしい。その様子を微笑ましく眺めるスフィルは口もとに、自然と笑みが浮かんだ。
「地獄を見る覚悟はできてるんでしょうねぇ、ティガル」
不意にティガルのうしろから、おぞましい声が聞こえてきた。
ティガルが反射的にビクリと肩を震わせ、恐る恐るふり返った。
そこには鬼のごとき形相でティガルを見上げるカルマの姿があった。
「い、言っとくがカルマ、今のはシオナから先に――」
「……殺してやる」
「だから、オレは何も――」
「いいこと。シオナを幸せにしなきゃ、絶対殺してやるから!」
「カルマ、お前」
目を瞠ったティガルに、カルマはフンと側方を向いた。
「だから、絶対にあたしの妹を大切にしなさいよね」
「ダメだカルマ! 目を覚ませ! 俺たちのシオナ姫が、そんな天邪鬼野郎に取られてもいいのか!」
突然、横から声が聞こえてきた。必死な形相で叫んでいたのは、人身捜査課の敵役たちだった。
「シオナちゃんは、俺たち皆のシオナちゃんだろ?!」
「そうだぞ! なのに俺たちのシオナ姫を、こんなイカれた臆病課の先輩に渡すなんて……」
「外野は黙ってなさい!」
カルマの一喝で、周りを取り囲む人身捜査課の面々は押し黙った。
気まずい空気が流れている。彼らの顔に浮かべる衝撃は、さながら、推しのアイドルの婚約発表を聞いたかのようだった。
「いいか、自称エリートのガキども。文句があるならオレに決闘でも申し込みやがれ。だが言っとくがオレは、剣術師範にしてグラム殺戮者だぜ。このオレに勝負を挑む勇気が、お前らにあんのか?」
「ちょっとティガル、なんですか『グラム殺戮者』って」
「イカすだろ。今日から名乗ることにした新たな称号だぜ」
「ちゃんと生きてますからね、グラム教官」
「お前も名乗って良いんだぜ、スフィル。なんたってこれは、オレたちの勝利だかんな」
喜々として笑うティガルに、スフィルは呆れまじりの息をついた。教官を倒したとはいっても、実質三対一で、なにも公平ではないのだが、ティガルは堂々としたものだ。
「まったく、そういうこと言ってるから、不必要に教官に恨みを買うんじゃないんですか」
「よお、三人目のグラム殺戮者のお出ましか」
ティガルが遠くを見ながら手を上げたので、スフィルはふり返った。
そこには、ノワンが足を引きずりながら歩いてきていた。
「その変な二つ名はやめろ」
「『グラム殺戮者』じゃ気に食わねーの? じゃあお前はやっぱ『干葡萄ハンター』だな」
「殴られたいのか?」
ノワンは首に巻いた青いストールを叮嚀に巻きなおすと、あらためてスフィルを見据えてきた。
「やはりお前の作戦は信頼に値する。この任務成功で、俺の進路は確実になったも同然だ。――礼を言う、スフィル」
相変わらずニコリとも笑わぬ仏頂面のまま、ノワンはそう言った。これでも最大限に喜んでいるらしいことは、そのかすかに晴れやかになった声音でわかる。
「ノワンくんの万全なサポートのおかげです。――でも、ごめんなさい。また無理をさせて怪我をさせてしまいました。足の調子は大丈夫ですか」
「ああ、問題ない。だから謝るな。お前の作戦と指揮がなければ、この程度の負傷では済まなかった」
それだけ言うと、彼はちらりとティガルを見上げた。
「まあ、あと――お前らの力もな」
ティガルは一度目を見開き、「まぁな」とはにかんだ。ノワンに面と向かって褒められて急に気恥ずかしくなったのか、ティガルは突然となりのスフィルの頭をわしゃわしゃと撫で回した。
「ちょっ、何するんですか」
「それにしてもスフィルお前、ついにやりやがったな! こんだけ活躍すれば、確実に親衛隊の目に留まったぜ。なんたって、試験大活躍、任務達成、主席卒業のトリプルコンボだぞ!」
「はい、皆のおかげです! 本当にありがとう……!」
それ以上には言えなかった。ティガルに言われて、あらためて実感が湧いてくる。
あまりのうれしさで、それ以上なにかを言おうとすれば、年甲斐もなく泣き出してしまいそうだった。
「なあ、スフィル」
そこにエズレが、おずおずと切りだしてきた。
「あらためて言うが――卒業しちまう前に、一緒に戦えて良かったぜ。漠然と親父みたいに護衛官になりたくて警護課に入ったけど、今日ようやくわかった。おれはあんたらみたいに、最後まで絶対諦めない護衛官になりたい。マジで心からそう思った。――チビだけどサイコーの先輩だよ、お前は」
「エズレ君」
「あたしも、先輩たちと一緒に戦えて良かったです!」
微笑みを浮かべたシオナは、だがその後、ぽつりとつぶやいた。「でも――これで、最後なんですね」
これで、最後。
その瞬間、全員が沈黙した。
これが卒業試験なのだから、当然はじめからわかっていたことだ。
なのに、どうしてだろう。
どうして彼女の「最後」の言葉に、これほど言い知れぬ思いが、胸にこみ上げてくるのだろう。
あれだけ早く一人前の護衛官になりたかったのに、今は、またこのチームで戦いたい。そう思えてしまっていた。
彼らは今まで会ったなかで、最高のチームだった。
だからこそ、かつてない難易度にもかかわらず、護衛対象を二人も護りきるという、とんでもない偉業を成し遂げることができたのだ。
「ティガル先輩」
シオナがティガルを見上げた。「卒業しても、またこの学校に来てくれますか? こんなあたしだけど――また、会いに戻って来てくれますか?!」
一同、しんと静まり返った。あのカルマまでもが、黙ってティガルの出方を待っている。
「バーカ、お前が早く一人前の護衛官になって、それでオレに会いに来い。いつまでも待っててやるし、その先はいつまでもお前を護ってやるからよ」
シオナの可憐な顔が、ぐしゃりと歪んだ。
それからまたティガルに駆け寄り、ぎゅっと抱きしめた。
「もちろん、毎週末に喜んで会いに行くけどな」
ティガルは頬を掻きながら、照れくさそうに言った。
これで学校一の天邪鬼は、無事お姫様と結ばれたようだ。
しかも喜ばしいことに、姉公認である。
カルマはふたりの様子を横目で見ながら、いっそ清々しいとでもいうような表情をしていた。
「カルマさん、ひとつお願いがあります」
そんな彼女に話しかければ、カルマは目をぱちくりとしばたかせた。
「頼み事? あたしに?」
「今から、この試験に隠された巨大な詐欺を暴きたいと思います。それには、カルマさんの協力が必要なんです」
カルマは急に、真剣な面持ちになった。
「それってつまり、あの教官の――」
カルマの声は、途中でさえぎられた。うしろから、厳粛な声が放たれたためだ。
「一同、静粛に」
振り向いた先に立っていたのは、白い上着の正装をまとう初老の男。主任教官のハーナムではなく、副主任教官のアランキムだった。
彼は厳かにつづけた。
「今回の試験の評を述べる」
「アランキム教官、どうして……」
いつもなら、試験の評を述べるのは、主任教官であるハーナムのはずだ。なのに、どうして彼が。
この副主任教官は、警護課の教官陣で最年長にして、この憲兵学校での教官歴が最も長い。古き良き伝統を愛し、新しいことには常に消極的な性格である。柔軟に物事を受け入れるハーナム教官とは、いろいろな意味で間逆な人物だ。
――なにか、嫌な予感がする。
教官があからさまに咳払いしたので、スフィルはそれ以上考えるのをやめて、姿勢を正した。
アランキム教官は護衛班を見回したあと、白く染まった髭のあいだから告げた。
「何を浮かれた顔をしている。――三班、任務失敗だ」
「え……?」
その瞬間、頭に鈍器を打ちつけられたように、視界がぐらりと揺らいだ。




