外伝64話:十数年来の突然死(後編) -elJwan jex makna-
'20.09/22 テーマ性を変更。
外伝64話:十数年来の突然死(後編) -elJwan jex makna-
* * *
――ウソ、そんな。
任務失敗。
認められない可能性もありえると、覚悟はしていたはずだ。それでもいざそう宣告されると、その衝撃ははかりしれなかった。
たしかに、常識はずれな方法なのは認めざるをえない。だがそれ以前に、この試験自体が常識はずれな敵戦力だったのだ。ほかに方法がないなか、必死にここまで考えて、死にもの狂いで成し遂げた。
いったい何が間違っていたというのだろう。これ以外に、何ができたというのだろう。
放心するスフィルのとなりで、ティガルがアランキム教官に詰め寄った。
「っざけんなよタコ! オレたちは護衛対象をふたりも対象を馬車に送り届けたんだぞ! ただの成功じゃねえ、大成功だろうが!」
だがアランキムは、ティガルの反論は想定済みだとばかりに、白髭のたくわえられた口もとに冷笑を浮かべた。
「この試験の内容は憶えているだろう。赤い外套を身に着けた護衛対象を、無事に馬車まで護送することが任務成功の条件だ。全員、赤い外套のお前が護衛対象だと思って斬ってかかり、誰も黒い頭布の人間が対象だとは見なさない。それは試験官も同様だ」
「この場合の対象役は、おれとシオナのはずだろ?!」
エズレの抗議を、教官が手を上にかざして制した。エズレが黙るさまを見届けたのち、教官はおもむろに話を再開した。
「それに、護衛対象に剣を持たせて自衛させるなどもってのほかだ。お前たちの護衛能力を試す試験で、護衛対象に自衛などさせたら意味がないだろう」
エズレは今、腰に細剣を差している。これは敵役の人間から拝借したものだ。いざというとき自衛できるように、スフィルが持たせたのだ。
だがべつに、護衛の仕事の手を抜くために渡したわけではない。エズレの役が「ホムラ王子」だからこそ、この状況では剣を渡すべきだと、スフィルはそう判断したのだ。
「お言葉ですが教官、想定された状況では、護衛対象はホムラ皇太子殿下であらせられます。殿下は青蓮流の剣術師範であらせられるとのことですので、緊急時にはむしろ剣をお渡ししたほうがよろしいかと判断しました」
「口が達者なのは認めるが、とにかく失敗は失敗だ。護衛の腕は、口ではなく行動で示すんだな。もちろん、ルールにのっとった正規の方法でだ」
「これ以外の方法で、護衛対象を無事お護りできるとお思いですか!」
教官は冷笑を浮かべたまま、おもむろに首を左右に振った。
「こんな小賢しい方法を使わなければ任務達成できないという時点で、そこがお前たちの限界だ。潔く限界を悟れば良かったものの、こんな往生際悪く試験時間を引き伸ばした挙げ句、ワケのわからんふざけた入れ替わり作戦で、成功したなどと喜ばれても困る。もっと常識というものを考えろ」
ノワンがぼそりと、つぶやくように声を上げた。
「そうですか。しかし想定されているのは、緊急時のはずです。緊急事態に必要なのが、殿下の御身の安全よりも常識であると、教官側のその判断は、そう明言しているも同然ではありませんか」
そこでノワンは、主任教官ハーナムの言葉を引用した。「『たとえ何を捨てたとしても、護衛対象を護りきれ』――俺たちはこの三年間、ここでそう教育されてきました。なのに護衛対象の御身よりも常識を守れとは、それは何ですか、警護課の新しい方針ですか。それとも教官同士の、ごく個人的な思想の差ですか。結果を述べる前に、一度教官同士で意見のすり合わせをしてきていただきたいものですね」
今までに幾度となくティガルをキレさせた、ノワンの無自覚な挑発は、このときも冴えわたっていた。その証拠に、今まで冷笑を貫いていたアランキムは、ノワンの言葉にみるみるうちに真顔になり、顔を赤くしていた。
彼が明らかに顔色を変えたのは、ノワンがハーナム教官の言葉を引用したときだった。
アランキムは、ハーナムよりも年上で、この学校での教官歴も長い。なのにハーナムの『元王国最強の王室護衛官』という輝かしい肩書のために、彼は長年主任の座を奪われている。
そのためか、彼はよくハーナムを蔑視したような言動を取る。規律と伝統を何よりも重んじるアランキムと、臨機応変な柔軟性に富んだハーナムという、そもそものふたりの性格の違いが、その溝を深くしているのかもしれない。
だからこそこの教官は、ハーナムが是と言いそうなことには、頑なに非と言ってやまないのだろう。それは彼のプライドからきているものであり、そこに護衛能力は一切関係ない。
この「任務失敗」の宣言にこれほど腹が立つのは、彼が護衛官としての根拠ではなく、自分の矜持のために言っていると、そう明確に感じられたからだ。
副主任教官の大人げないプライドのために、スフィルの夢を、仲間たちの未来を奪われてなるものか。
スフィルは、教官の頭布の固く巻かれた頭を見上げた。
「アランキム教官。今回の試験について、ハーナム教官のご意見をお聞きしたいのですが」
案の定、彼はハーナムの名前を出した瞬間、声を荒らげた。
「黙れ! いいか、今日から警護課の主任教官はこの私だ。私がこの警護課のルールなんだ!」
「アランキム教官が主任?! いったい、どういうことですか」
ハーナム教官が主任の座を降りるなんて、一度たりとも聞いていない。仮に訓練兵に言わずに退職するにしても、こんな年末の中途半端な時期はおかしいし、そもそもそれを息子のエズレが知らないことはありえない。
ハーナム教官に、なにがあったのだろう。
それを尋ねようとした矢先に、アランキム教官が言葉をつづけた。
「いいか、スフィル一等兵。ここは世界一の文明国家、エル=イスカ王国だ。お前が考え出した手段を択ばぬ野蛮な作戦が、この国で通用すると思うな。それがイヤなら、蛮族の故郷に帰れ」
「たとえ野蛮でも、ボクは護衛対象の御身だけは、絶対にないがしろにいたしません。その覚悟のもと、今回の任務を遂行いたしました」
「だから何も遂行できていないのだと、何度言ったらわかるんだ」
教官はやれやれと肩をすくめながら、呆れまじりに言った。
「大体お前は、何もかもが常識から逸脱していて、野蛮きわまりない。そんな蛮族が、本気で王室護衛官になれると思っているのか? 言っておくが、王室護衛官とは、ただ強いだけの護衛官ではない。強さと品格を兼ねそなえた、高潔な存在なんだ。――お前は王子殿下が、蛮族などお雇いになるとでも思っているのか?」
一度沈黙したスフィルに気を良くして、アランキムは饒舌にまくし立てた。
「まさか、本当に信じていたのか。殿下がこんな野蛮人をお雇いになると! わが校の訓練生ながら、浅はか過ぎて笑えるな。夢見がちなのは構わんが、少しは現実というものを知れ」
何も言えなかった。
先ほどセツナにも同じことを言われたが、そのときは、護衛対象を護りきれば、王子は認めてくれると確信していた。
しかし、現実はどうだ。
現に保守派のアランキムは、自らの矜持からスフィルのやり方を否定している。そしてセツナの言う通り、王宮は彼のような、保守的な人間で溢れているのだろう。
王子が認めてくれる。そう思うのは、スフィルが勝手に抱く幻想なのかもしれない。
王室護衛官としてあるべきかどうか、スフィルはそれを、自身の憧れから判断してばかりいて、肝心の王子殿下がどうお思いになるかを、一切失念していたのだ。護衛能力さえ高ければ王室護衛官になれると、無意識のうちに思いこんでいたのは、完全にスフィルの事情だ。
その場で何も言えずに固まっていると、アランキムがさらに追い打ちをかけてきた。
「お前は田舎で骨でもしゃぶりついてる姿がお似合いだ、スフィル一等兵。叶わない夢は諦めて、とっとと田舎に帰りたまえ」
無防備になった心に、教官の言葉が容赦なく突き刺さった。
心が痛む。
生まれたときから、がめつい商人と田舎の蛮族の娘だった。そんな自分では王室護衛官になれないから、すべてを捨ててまでして王都で生まれ変わったのに。気づけばスフィルは、過去の自分の延長線上を歩んでしまっていたのだ。
(これじゃ、あの頃となにも変わってないっちゃん――バカ)
思わず涙があふれそうになって、慌ててうつむいて唇を噛みしめる。
涙なんか流したら、まるで年頃の乙女ではないか。
絶対に泣くものかと唇を噛んでいたら、ついに口の中に、苦い血の味がにじんできた。
「おいダカ、やめろ!」
突然のティガルの叫び声に顔を上げれば、ダカがこちらに歩きながら、目いっぱいに弓を引いていた。――アランキムの、顔面めがけて。
「スフィル傷つけた。――アランキム……ブチ殺ス」
ダカの迫力のある三白眼が、鋭利に光っていた。もはやいつもの朗らかな彼の姿はどこにも見あたらない。そこにいたのは紛れもなく、王国一の犯罪組織に育てられた少年だった。
矢の先には、致命傷を与えないために布が巻かれているはずだが、彼の番える矢にはそれがなかった。本当に殺す気だ。
「ちょっ、ダカ君待って! 人殺しはダメです! 特に教官殺しなんて絶対ダメです!」
スフィルは慌てて教官とダカのあいだに入り、手を広げた。
「おやおや、やはり蛮族の班は、野蛮な連中が揃っているようだ」
皮肉めいた口調で言うアランキムは、射抜かれる寸前であることなど、まったく気にもとめる様子もなかった。
このイスカの常識に染まった教官には、そんなことができるはずがないという不動の確信があるのだろう。だが、この文明国育ちの彼にはわかるまい。
ダカのあの目は、本当に人を殺す覚悟のある目だ。
「ダカ君! 班長命令です! 弓をおろして!」
ダカはスフィルの気迫を見て、しぶしぶ弓を下ろした。
「やれやれ。まさかこの私を射ようとするとはな。言うまでもなく、警護課は憲兵13課で一番高潔な課である。つまり警護課に、お前のような蛮族や犯罪者モドキは、必要ない」
――警護課に、必要ない。
ここで彼が発したのは、死刑宣告も同然の言葉だった。
ここまで頑張って成果を出したのに、認められないどころか、存在そのものを否定される。
なんでだ。いったい何が間違っていた。どこから間違えていた。スフィルはいったい、何を目指していたのだろう。
――もう無理だ。これ以上は限界だ。
目が回るほどに熱くなった頭の隅で、そんな声が聞こえてきた。
それと同時に、いままで高く積み上げてきたものが、ガラガラと音を立てて崩れていくのを感じた。
それはもう、スフィルの意思ではどうしようもない類のものだった。
目頭が熱くなってきて、気づけば放心したスフィルの頬に、ぼろりと大粒の涙がこぼれた。
スフィルはその場に崩れ落ちるように泣いた。
これだけ頑張ったのに、認められなかった。それだけならまだ、アランキムのプライドがそうさせているだけだと理解しているぶん、これほど苦しくはなかった。あの器の小さい小物教官めと、心のなかでそう毒づいているだけで良かった。
だが認めたくはないが、スフィルは心の底から、彼の言葉の一部に納得してしまっていた。だからこそこれほど悔しく、苦しいのだろう。
王室護衛官たるもの、上品で高潔でなければならない。あのとき倉庫のうしろで出会った、あの伝説の卒業生カリエク・イエナザラクのように。
彼だけではない。護衛官三人とも、優雅な品格をそなえていた。決して、校内で蛮族呼ばわりされるスフィルが持ち合わせていない高貴さだった。
なんて品性のある高潔さをたたえた人たちなのだろう。それに比べて自分は、なんて野蛮なのだろう。
育ちも性別も捨ててまで変わらなければならなかったのに、実際は何も変われていなかったのだ。
何をやっているんだろう。あの護衛官に助けられてからこの五年間、自分は一体何をしてきたのだろう。
気づけばスフィルは、正面にいたダカにしがみついて、嗚咽を漏らしていた。
「スフィル泣く必要なかった、スフィル最高の護衛官だった、王子も認めた、違いなかった」
ダカはたどたどしいダカ語で語りかけるように言いながら、スフィルを抱きしめてきた。
女々しく泣くなんてありえない。
そう思っているのに、ダカの長い腕のなかで、スフィルは泣き続けることしかできなかった。
「ざけんなよタコ野郎!」
不意に、となりでただならぬ怒声を上げたのはティガルだった。
「警護課に必要ねえのはテメーだよ! 何ならオレがこの場で決闘を申し込んで、テメエをこの世から脱落させてやる!」
「落ち着けティガル。卒業できなくなるぞ」
教官に掴みかかったティガルを、ノワンがうしろから引き離した。
「知ったことかよ! 今すぐこのクソタコ頑固ジジイを、絶対にオレの剣で病院か冥界のどちらかに送ってやる!」
「おいダカ、このバカを止めるの手伝え!」
うしろからティガルの両腕を押さえながら、ノワンがダカに問いかけた。
ダカはしがみつくスフィルから手を離すこともできずに、おろおろとしながらもティガルに声をかけた。
「ティガル、そんな悪い言葉、使っちゃダメだった」
「お前にだけは言われたくねえよ!」
ティガルの勢いは収まらなかった。ついに傍観していたエズレが、となりのシオナを小突いた。
「シオナ、お前が行け」
「で、でも……」
「あの先輩の暴走を止められるのは、お前しかいない!」
シオナはコクンとうなずくと、すぐにティガルと教官の間に割って入った。
彼女の存在などまるで眼中になく殺気を放つティガルに向かって、シオナはありったけの声を上げた。
「ティガル先輩、大好きですっ!」
その瞬間、首を絞めるほどに強く教官の胸座を掴んでいたティガルの動きが、ぴたりと止まった。
それと同時に時間が静止したかのように、あたりがしんと静まり返った。
ティガルが、瞠目したまま彼女を見据えた。
見上げるシオナの目は、涙で潤んでいた。
「だから、こんなところで、卒業をフイにしないでください! だってたとえ教官は評価してくれなくても、ほかの教官や、それに今日上で観に来てるたくさんの人たちは、先輩たちの活躍を見てたハズです! 卒業さえできれば、先輩たちはきっと評価されて、すごい護衛部隊にスカウトされるハズなんです! だからお願いです、先輩!」
「シオナ、お前……」
ティガルが掴んでいた教官の服を離して自身の飾手拭で拭うと、ためらいがちに、その手で彼女の頭をポンポンと撫でた。
「あんがとな、シオナ」
シオナは、何も言わずに破顔した。その目に浮かんだ涙の粒が、傾いた夕日に照らされて金に光っていた。
それから彼女は、となりで呆然とする教官には目もくれず、ティガルの胸に飛び込んだ。ティガルは照れで少しはにかみながらも、そっと彼女の前髪の分けられた額に口づけした。その瞬間彼らを囲う人身捜査課の外野たちの間で、おぞましい呪いの言葉が聞こえてきたが、この時ばかりはすべて無視しようと、芳しい少女を腕に抱きながら、ティガルは考えていた。
「なあ、スフィル」
ダカの胸で泣きじゃくるスフィルに、上から声をかけてきたのはエズレだった。
「あのさ、さっきも言っただろ。あんたは――いや、あんたたちは充分よくやったよ。4班の中で唯一、護衛対象を護りきった。しかも、ふたりもだ。さらにそのうちの片方は、体力がない上に手負いときている。自分で言うのも何だが、ひどい悪条件だったと思うぜ」
スフィルは涙を拭いて、顔を上げた。この不遜な後輩に泣き顔を見られるのは恥ずかしいが、それ以上に、彼の真意を聞きたかった。
「だがあんたらは、それでもおれを馬車まで連れてった。それは憲兵学校史上類を見ない偉業だ。頑固なタコジジイがなにをほざこうが、それは事実だ。親父もそう言うに決まってる」
「でも――『失敗』なんです。なんと言い訳しようと、ボクの選択が、この結果をもたらしたんですよ」
これで、この「失敗」と見做された結果で、皆の卒業成績が決まってしまう。
王室護衛官を目指すスフィルはもちろん、月神州のエリート護衛部隊を志望するノワンも、諸事情により現在の成績があまり良くないが、優秀な護衛の腕をもつティガルとダカも、皆実力相応の評価をされずに、進路が決まってしまう。
もしスフィルが、早々に諦められていたら、これよりはマシな結果になったのだろうか。
――わからない。
これが最善の選択だと、先ほどまで確信していた。だからこそ、このどうすることもできない理不尽を前にすれば、湧き上がる涙が止まらなかった。
「みんなに、申し訳ないです。あのとき、素直に諦められなくて、ごめんって思って、それで――」
「バカ、謝んな。あんなクソ教官の評価で泣いてんじゃねえよ。誰もあんたに選択を任せたことを後悔してるわけないだろ。あんだけ文句言ってたおれでさえ、あんたの選択に満足してんだ」
スフィルはぐずぐずと鼻をすすって、エズレを見上げた。午前中はちっぽけな後輩としか見えなかった彼が、心なしか年上の男らしく頼もしく見えた。
「ありがとうございます、エズレ君」
「ったくお前は、人からの言葉を一々バカみたいに真に受けすぎなんだよ。その底なしの素直さがあるからこそ、バカみたいに成長率が高いんだろうが――」
「そんなバカバカって連呼しないでくださいよ」
涙ぐんだ目で睨むような視線で見上げると、エズレがポンポンと頭を叩いてきた。思わぬ人間からの子供扱いに、スフィルは思わず頬を膨らませた。
「つまりおれが言いたいのはだ。――そろそろお前、『これでいい』って思える自信をつけろよな」
「えっ……?」
エズレの言葉に、見開いた目が、閉じられなかった。
――これじゃダメだ。今のままじゃダメだ。
そうやって現状に対して貪欲に否定に否定を重ねて、ここまで走ってきた。だからこそたゆまず成長できるんだと、自分のなかで誇らしくも思っていた。
だが――これでいい。
そう言われた瞬間、自分でも気づかぬうちに、頬に一筋の涙がつたっていた。
「ボクは……」
瞬間、これまで14年間の記憶が、怒涛のごとく押し寄せてきた。五年前に王室護衛官に憧れてから今日に至るまでの記憶が、一気になだれ込んでくる。
そこでふと、今まで一度も意識したことのなかった疑問が浮かび上がってきた。
――性別を偽ったのは、本当に父親から逃れるためだけか?
(違うんだ、本当は)
スフィルは気づいてしまった。
本当は、自分で自分を信じるのが怖かった。
だからこそ、自分のすべてを「否定」して、否定に否定を重ねることでしか成長できなかった。
憧れの王室護衛官に無理と言われ、父に無理と言われつづけ、スフィルは無意識のうちに、自分でも無理だと思いこんでいたのだ。
「女の子には無理だ」と、ほかならぬ自分が、そう決めつけていたのだ。だから男として門戸を叩いた。性別を、できない理由にされるのが、怖かったから。
気づいてしまえば、なんてことはなかった。
今は、屋敷に閉じ込められて何もできなかった、あの頃とは違う。何よりもここには、スフィルを評価してくれる仲間と教官がいる。もう、本来の自分を否定して怖がる必要なんて、どこにもないのだ。
エズレを見つめたまま、スフィルは破顔した。
「な、なんだよ」
「その言葉、そっくりそのままお返しします。勝手にお父さんの幻影に苦しめられてたくせに」
「うわっ、クソ可愛くないガキだなお前」
「そっちこそ、クソ可愛くない後輩ですね」
咄嗟に互いに言いあって、それからふたりの間で、クスリと笑みが漏れた。
「ボクたち、これでいいですよね」
「ああ、そうだよな」
急におかしくなってくる。
なによりもそれを、エズレに指摘されたのが愉快でたまらない。あの斜に構えた不遜な後輩から、まさかそんな大切なことに気づかされるとは、今朝の時点では夢にも思わなかったのだ。
思えばエズレは、最初からスフィルが自分を「こんなんじゃダメだ」と否定することを嫌っていた。彼はずっと、スフィルの強迫的な成長姿勢にもどかしく思っていたのだろう。
否定だけが成長じゃない。これからは、今の自分の上に積み上げていけばいいのだ。
「お言葉を返すようですが、教官」
スフィルは改めて、ふり向いてアランキムを正面に見据えた。
「卒業成績が何であろうと、ボクは構いません。よく考えたら、憧れの護衛対象の王子殿下からの評価ならともかく、教官からの評価とか、バリどうでもいいです」
教官がおもしろくないとばかりに口角を下げた。
主任教官の印象を下げると、卒業成績に悪影響が出るだろうか。――否、これでいいのだ。
スフィルはためらうことなくつづけた。
「でも、これだけは憶えておいてください。スフィル・アクトツィアティクは、エル=イスカ王国史上初めて、蛮族の王室護衛官になります。そうしたら次の代の後輩たちに教えてあげてください。『生まれや育ちが何であれ、王室護衛官になれない理由にはならないよ』って」
晴れやかな気持ちだった。
この言葉が教官に届くかどうかはどうでもいい。いや、なんとなく届かない気はしている。だが、これでいい。これは何より、スフィル自身に対する宣言なのだ。
教官はやれやれと吐息をついた。
やはり、この決意は何も伝わってはいないようだ。
絶望は感じない。むしろ、いっそ清々しい気さえする。
きっとこの決意と覚悟を伝える先は、彼ではないとわかっているから。彼以外に伝えるべき相手を、スフィルは今、明確に思い起こすことができた。それは青い憲章を背負った、誰よりも高潔で気高い、あの護衛官たちなのだ。
「まったく、呆れた蛮族だ。ここまで言っても理解できんとは。――まあいい」
そこまで言うと、突然教官は、エズレに手招きした。
「エズレ一等兵。ちょっと」
「おれ……ですか」
まさか自分が呼ばれるとは思ってもみなかったらしく、エズレは調子の外れた声をあげた。
だがそれは、エズレだけではない。スフィルも同じく、彼が護衛対象役を呼ぶ理由はわからなかった。
きょとんとしながらも、指示通りに教官のもとに寄ったエズレの耳元に、アランキムは何やらボソボソと耳打ちした。
同時に、それを聞いたエズレの顔が、一瞬にして固まった。
やがて彼は、狼狽した声でアランキムに抗議した。
「はぁっ?! 待ってください、なんで――」
「なんでと言われても困る。教官一同、この事態には困惑してるんだ」
困惑という言葉とは裏腹に、彼は機嫌よく笑みが隠せない様子である。白い頭布をきつく巻いたアランキムの口角は、たしかに少し吊り上がっていた。
その表情を見て、エズレが吠えたてた。
「ざけんな! 親父に何しやがった!」
――親父?
まさかハーナム教官に、何かあったのだろうか。
スフィルがティガルたちと顔を見合わせていると、アランキムはくるりと踵を返した。
「とにかく、伝えたからな」
機嫌良く去っていく教官を見送りながら、エズレは呆然と立ちすくんでいた。
「どうしたんですか、エズレ君。まさかハーナム教官に何かあったんですか」
「親父が――内部監査課に逮捕された……」
あまりの衝撃に、言葉が出なかった。
「そんな、どうして……」
それ以上は言えなかった。
まさかとは思ったが、だが心のどこかでは、納得していた。
今この瞬間、ようやくこの試験の意味を理解できたのだ。
今日の試験はすべて、このためだった。――ハーナム教官を、逮捕するため。
「教官、いい人だった……」
「おいダカ、今はその縁起でもねえ過去形やめろ」
「ねえ、どういうこと! 突然あんたたちの教官が逮捕だなんて、いったい何がどうなってるの?!」
信じられないとばかりに声を上げたのはカルマだった。スフィルは改めて、彼女に向きなおった。
「カルマさん、時間がありません。教官を助けるためにも、今すぐにご協力ください。お願いします」




