外伝58話:これで、チェックメイトです -Tar Jhrjz'mak-
'20.09/22 少し演出変更しました。
外伝58話:これで、チェックメイトです -Tar Jhrjz'mak-
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派遣公安課の大男を前にして、ティガルの背中に冷や汗がつたっていった。
長年剣を習っていれば、相対した強者は、本能的にわかるものだ。グラムには、強者特有の気迫があった。
対峙する相手にこれほど警戒心を抱くのも、そうあることではない。
(いや――そういや、さっき打ちのめされたばっかだっけ)
思い起こせば、先ほどもこれほどの警戒に値する人物と出くわしたばかりだった。
カリエク・イエナザラク。
伝説の卒業生にして、ティガルと同じ名門官家出身の、現役王室護衛官。思えば彼は、在学時代にグラム教官に勝ったと聞く。
その彼を相手に、まともに手も足も出なかった。剣士としてのプライドが大きく傷つけられた事件だった。
この剣術が憲兵学校で一番との自負に、揺るぎはない。
だが奇しくも今日、想像を絶する高みと出会ってしまった。
(あれが王室護衛官――いや、王室護衛官って、あんなんだっけ?)
イスカ人の伝統からかけ離れた足技使い。蹴り技を武器にするなど、彼以外では見たことがない。
だが、認めざるを得ない。彼の足技はただトリッキーなだけではない。自在に扱えるほどに修練を重ねられた、まごうことなき正当な技だと。
悔しいが、かの大先輩は思い出させてくれた。
憲兵学校一番の栄誉の上に胡坐をかいている場合ではない。
迷路を引き返して、ザコ相手に得意な剣術を見せて点数を稼いでいる場合じゃない。
ここで超えるのだ。
絶対的上位者としか思えない、この元陸軍の猛者グラムを。
ティガルは小さく息をつき、それから神妙に居住まいを正した。
こちらの実力が劣っているのは明らかだ。
だが諦めることなど、端から考えていない。なによりもこの勝負に、チームの命運がかかっているのだ。
あらためて見上げると、グラムは挑戦的な笑みを浮かべていた。こちらとの戦力差は、向こうも承知しているようだ。強者の余裕というやつだろう。
(ここでコイツに勝てってか。ホント無謀な作戦を考えやがったよな、相棒)
思わず、フッと笑みが漏れる。
「なにがおかしい」
笑う余裕があるのは、強者たる自分だけのはずだ。彼の語気からは、そんな腹立たしさが感じられた。
「いえ、剣を交える前に、まずはあいさつをと思いまして」
焦ると視野が狭くなる。そんな状態でこの猛者に挑むのはやめだ。
状況を俯瞰せよ。心にゆとりをもて。
本当にヤバい時こそ、笑えるくらいがちょうどいい。
剣を手に持つ右手を胸に当てうやうやしく敬礼しながら、ティガルは叮嚀に口上を述べた。
「日天神殿流剣舞の剣術師範、王国軍憲兵部警護課所属のティガル・ファルスラーマク一等兵でございます」
普段は意識してかなぐり捨てている雅な所作で、慎み深く教官を見上げる。
「グラム教官におかれましては、この頃ますます麗しゅうお輝きのことと存じます」
ティガルはそこで、ニヤリと笑みを浮かべた。「――主にお頭が」
グラムの頭皮に、ピキリと青筋が浮かんだ。
「口の減らないガキだな。言っておくが、俺がこの世で最も嫌いなヤツは三種類。腑抜けた護衛官と、ナメた官家のボンボンと、そして俺に卵を投げて歯向かうヤツだ」
「いつまで卒業生のカリエク先輩を恨んでるつもりっすか、教官? もうそろそろ時効じゃないっすかね」
「お前のことだティガル!」
そう一喝すると、グラムは厳かな目をカッと見開いた。
「お前たち、一切の手出し口出しは無用だ。コイツは俺が直々に、脱落させてやる」
囲む敵役の憲兵たちは、教官のその言葉にうなずき、固唾をのんでこれから始まるであろう勝負を見守っている。
死神と恐れられる教官と、その恨みを買った他課の訓練生との、純粋な決闘。見ものであることに間違いはない。
ぐるりと囲むように見物する敵兵によって、ティガルたちの周りには円形闘技場がつくりだされていた。ノワンの弓で倒れていた敵兵も、12秒を超えた現在は、起き上がって見物人のひとりとなっている。
この闘技場に、逃げ場はない。
彼と真っ向から勝負するしかないのだ。
「教官、痛い目見る前に、おとなしくソコをお退きくださるとありがたく存じます。――それとも勝負してみますか? どっちが先に脱落するか」
「勝負だと?」
そう言うが否や、グラムは愉快だとばかりに、豪放な笑い声をあげた。
「ふざけたことを言うガキだな。勝負など端から決しているだろ、俺と相対した時点でな」
「それは――二対一だからっすか」
咄嗟に右方から、グラムの頭めがけて矢が放たれた。
ノワンの援護だ。
だがそれに対して、グラムは剣を一振り――
矢は、目標に届くことなく地面に落下した。
だが息をつく間もなく、立て続けに矢が放たれる。
その隙に教官に突進しようと構えたティガルだったが、彼の懐に入ることはできなかった。
矢はすべて、目標に当たることなく落とされたのだ。
「クソ、マジかよ……!」
「残念だが、本物の矢ならいざしらず、これは訓練用の矢だ。こんな勢いの死んだ矢など、いくら来たところで無意味だ。――二対一? 構いやしねえぞ。そんな援護でこの俺を倒せると思ったら、大間違いだ」
背中が、ぞわりと凍りつく。
さすがは歴戦の猛者。想定していた戦力をはるかに超えている。
ふつうに考えれば、倒すのは不可能。
だが、先ほど決めたばかりだ。
絶対に、なにをしてもこの壁を越えてみせると。
だが一朝一夕で剣技の実力が上がるわけではない。そんなことはわかっている。
それでもこの教官を倒せるとしたら、それは――
――完璧な連携か。
ティガルはその場で目を瞑り、深く呼吸した。
身体の末端、筋肉の一筋一筋にまで、神経を巡らせる。
繊細な剣技に必要なのは筋力じゃない。弛緩だ。
何にも囚われず、身体が自由であること。それがこの剣術の極意だ。
囚われるな。思い込みを捨てろ。自由であれ。
グラムは攻撃するでもなく、余裕の笑みを浮かべてティガルの次の手を待っている。この男は、弱者を落とすことを愉しんでいるのだ。
だが、そのおかげでこちらのタイミングで攻撃できるのだ。その不遜な驕りは好都合だ。
ぶらりと手を下ろし、ゆっくりと深呼吸する。
身体の延長線上で、剣先がしなやかに縦に揺れた。
――今だ。
「見せてやる。天邪鬼流剣術奥義……!」
足を充分に開き、剣先をかすかに揺らす。グラムは見切ろうとしているのか、ティガルの剣の動きに注視している。
憲兵の使う細剣は、陸軍のそれと比べて、繊細な動きをつくりだすことが容易い。
その分力は劣るが、問題ない。グラムの動きを奪うのはティガルの仕事ではない。
まずは彼を翻弄する。この連携で天邪鬼剣士に与えられた仕事は、それだけだ。
地を蹴り、撓めた力を開放する。
自由であれ。軌道を読まれるな。
軌道を、つくりだせ。
直後、グラムの帯の飾手拭めがけて、疾風が駆け抜けた。
それに気づいたグラムが、すぐさま剣で防ぐ。
だが予期した衝撃は訪れなかった。
「な……っ?」
布の巻かれた剣は、グラムの剣に当たる瞬間、勢いよく弧を描いて落下し、ティガルの胴の周囲を素早く駆け抜けたのだ。
(今の軌道はなんだ……? 何が起こって……)
グラムが唖然とした次の瞬間には、白い剣先はうねりを打って駆け回り、グラムの腕をパシリと撥ねていた。
「まずは一本」
すぐさま間合いを取って、ティガルはニッと口角を上げた。
グラムは完全に、剣を離した瞬間の紐の動きを見きれずに動揺していた。
――幸先がいい。まずは成功だ。
顔を赤くしたグラムは、両手にもつ剣を胸の前で構えると、自らティガルに近づいてきた。
「遊びは終わりだ。格の違いを思い知らせてやる!」
彼を本気で怒らせた。――計画通りに。
これでティガルの仕事は、半分は達成したも同然だ。
血の気の上がった人間は、翻弄されやすい上に視野が狭くなる。
あとは、最大限に彼を引きつける。
その際、ティガルが飾手拭さえ取られなければ、すべてうまくいくはずだ。
ノワンは右側の木の上から射撃しているので、グラムの視界を左側に寄せる必要がある。
ティガルは手前で剣をくるくると回しながら、ゆっくりと左側に足を進めた。
それに伴って、グラムも睨む視線を左側に移動させた。――順調だ。
ついにグラムが、攻撃を仕掛けてきた。
陸軍の太い曲剣は、自由な動きが利かない代わりに、すさまじい威力を放つ。
衝撃。
咄嗟に剣で受けるが、それでも耐えきれない。慌てて剣の峰に、小杖の十字部分を添えて受ける。振動で手がしびれ、剣を持つ腕が震える。
こちらは両手なのに、相手は片手だけでこの威力だ。
さすがに、歴戦の猛者は伊達ではない。
グラムの左手には、まだ空いた剣が残っている。あの剣で打たれたら、防ぐ術がない。あの剣で飾手拭を絡め取られたら最後、一巻の終わりだ。
だが、ここでノワンの射撃が来ることは――おそらく、ない。
動きが膠着したこの状況では、矢の動きをたやすく読まれてしまうだろう。そうなれば、彼の意識をティガルひとりに集中させた、今までの工程のすべてが無駄になる。
――勝機はすぐそこだ。自力で耐えろ。
この援護の沈黙はまるで、あの不愛想な同僚にそう言われているかのようだ。
突き放したような態度だが、ノワンは信じているのだろう。ティガルなら、この窮地を切り抜けられると。
――ああ、やってやんよ!
グラムの空いた左手剣が、ついにティガルに迫ろうとする、その瞬間。
ティガルはグラムからの圧力を側方に受け流すと、すぐさま地を蹴り、教官の左膝に、軽く左足を乗せた。
あまりに予期せぬ動きに、グラムが大きく目を見開く。
一気にバランスが崩れ、ティガルはなんとかグラムの膝に足をついたまま、後頭から地面に叩きつけられようとしていた。
上半身が重力に引っ張られ、自然に宙で青空を仰ぐ形になる。
――だが、これでいいのだ。
直後、ティガルは撓めた右足を、力の限りに叩きこんだ。その先にあるのは、グラムの鳩尾だ。
「ぐふ……っ?!」
グラムはうめき声とともに数歩下がり、片膝をついた。
それを確認すると同時に、ティガルは背中から地面に叩きつけられた。
胴への強い衝撃に、一瞬息が詰まりそうになる。
だが次の瞬間、こみあげてきたのは笑いだった。
(やっぱ一朝一夕にはマネできねーよな、蹴り技なんか)
「足技だとぉ……?!」
早々に起き上がったグラムの目は、血走っていた。
「おのれ! だから官家は嫌いなんだ!」
彼は忌々しげにそう吐き捨てると同時に、すぐさま攻撃に転じ、右手剣を構えてティガルめがけて走ってきた。
ティガルも慌てて起き上がり、防御のために小杖を構える。
来た。
――その瞬間を待ってたんだ。
グラムがティガルの顔面めがけて、利き手の右手剣を振り下ろす。
そのおかげで、右方はガラ空きだ。
すかさずその右方から、ノワンの矢が放たれる。矢の先端に布が巻かれているとはいえ、複合弓の威力は強い。ノワンの腕力によって撓められた力が、ティガルを見据えるグラムの、すぐ眼前まで矢を進ませる。
だがグラムが振り下ろした剣は、ティガルの目の先を通過した。剣はその円の軌道を保ったままに振り上げられ――迫りくるノワンの矢を、撥ねた。
「マジか」
思わず、そうつぶやいていた。真に驚くべき現象を目の当たりにしたときの、心の底からの飾らぬ驚嘆だ。
「ナメんじゃねえ! そんなふざけた小細工、この俺が気づかねえと思ったか!」
ティガルが目を瞠る間もなかった。
グラムの重い攻撃が、防ぐティガルの剣を叩く。あまりの衝撃に、ティガルの剣は持ち主の手を離れた。紐で繋がれた剣は、ティガルの手首の周囲を高速で回った。
「危ねっ」
慌てて制御を失った剣の柄を握ると、グラムが豪宕な笑い声を上げた。
「そうかそうか、変な動きだと思ったら。紐を使うとは、小賢しい真似をしやがる! だがタネがわかったからには、もはや恐れるまでもねえな。お前の剣の軌道なんか、すべて見きってやる」
「タネがバレたか。――マズったな、こりゃ」
もはや、ノワンの援護に恃むことはできない。グラムはまだ、ノワンの矢への警戒を怠っていない。
グラムは目を見開き、ここぞとばかりに次なる攻撃を繰り出した。
初見では恐ろしい軌道も、タネがわかれば恐るるに足らず。グラムの釣り上げられた口角からのぞかせる白い歯が、勝鬨を上げていた。
「ここで死ねぇ! クソガキ!」
(ヤベえ……!)
かろうじて手元にある小杖を構えるティガルは、彼の気迫に、本能的に死を悟った。
だがグラムは気づいていない。
そのすぐ後ろに迫りくる、もうひとつの「赤い」影に。
刹那、グラムの視界の端で、赤い長外套がひらめいた。
「まさか――」
言い終わる前に、グラムの首は後方に絞められていた。顎が上にあげられた状態で、頸動脈の血液がじわじわと絶たれていく。
この技の効力を、グラムは痛いほどよく知っていた。なにせ、彼が育った陸軍で教えられる技そのものだからだ。
グラムの教え子である派遣公安課ならともかく、こんな芸当ができる警護課の人間を、彼はひとりしか知らない。
この際、なぜかを考えている暇はない。
グラムはあらん限りの力で、拳を頭のうしろに叩きこんだ。
だがそれと同時にグラムの首は解放され、拳は虚空を切った。どうやら赤い長外套の護衛対象は、危機を感じて咄嗟に逃げたらしい。
「逃がすかっ!」
すぐさまうしろを振り返り、剣を突き出す。
だが突き出された右手剣は、何の抵抗もなく、砂埃の舞う宙を斬った。
突然視界から消えた相手を探して、グラムが血走った目を走らせた。
その瞬間だった。
「んぐぁ……っ?!」
グラムの視界に、すさまじい電撃が走った。
何が起こったか考える余裕もなく、彼はその場に硬直した。
数秒ののち、彼はぴくりと動くこともなく、バサリと音をたてて後ろに倒れた。
「これで、チェックメイトです」
彼の前に立ち、そう宣言したのは、赤い長外套の護衛対象役の憲兵だった。
先ほどの激しい動きによってその大きなフードは外れ、黒と白の頭布の巻かれた赤い髪が、燃えるようにゆらぎ、なびいている。
ティガルは倒れた教官を横目に見ながら、安堵に頬をゆるませた。
――作戦成功だ。
そう、これが当初からの作戦だった。
遠方からの射撃を意識させることで、近くの「赤くて目立つ」護衛対象を、意識から外させる。
グラムが見事にノワンのほうに注視してくれたおかげで、護衛対象の存在は盲点になったのだ。
とはいえ、この小柄な護衛対象が、大柄な教官の股を気づかれずに潜り抜けた挙句、頭突きで金的を食らわすことは、さすがに想定外だったが。
想定外ではあるが、そして多少股が涼しくはなったが――同情はない。彼が数年前にこの護衛対象にしたことを思えば、当然の報いだ。
「言っときますけど、不意打ちじゃねーっすから。最初にそう言ったでしょう、二対一だって」
倒れた教官にそう言い捨てると、ティガルは護衛対象に向かって、うやうやしく敬礼した。
「オレのサポート役、お疲れさんでございました。影武者スフィル国王陛下」




