外伝57話:十秒間の突撃 -Tegar lakahr-
外伝57話:十秒間の突撃 -Tegar lakahr-
* * *
砂塵のはるか先には、左右に生える木の下に、数十もの黒頭布の敵が見える。
その奥に、風一つない晴天の下、黒い見廻り馬車に青い旗が、微動だにせず佇立している。
あの旗に辿りつくまで――すなわちこの東訓練場を横断するまで、全速力で走って15秒。これは事前にスフィルと計測した数値だが、この数十刻間の疲労の上、うしろに護衛対象を連れている状態では、あと数秒は必要だろう。
ここで、覚悟を決めなければならない。
ティガルは小さく息をつくと、うしろの護衛対象にふり返った。
「覚悟はよろしいですか、陛下」
赤いフードが、小さく縦に揺れる。
この時この瞬間のために、今までの疲労に耐えてここにいるのだ。もとより覚悟は決まっている。
フードからのぞかせる深緑の瞳が、そう言いたげに、まっすぐにティガルを見つめていた。
ティガルは再び正面を向き、待ち構える敵勢を見据えた。
――ったく、仕方ねーな。信じてやるよ、お前の計画。
広い訓練場へと、一歩飛び出す。
そのまま死地に向かって、ティガルは勢いよく駆けだした。風をはらんだ憲兵の制服の短外套が、うしろにうねりを上げるようにひらめく。
「いたぞ! 護衛対象だ!」
「囲め! 敵はたったひとりだぞ!」
それに気づいた数十の敵が、雪崩のように押し寄せてくる。
数十対一。
想定済みだが、実際に敵勢を目の前にすると、思わずそのスピードを緩めたくなるほどに威圧的だ。
(クソ、ここをひとりで突破するなんて、どう考えてもムリだぜ、相棒)
改めて、相棒スフィルの作戦がいかに突拍子もないか思い知らされる。
(だが――)
それでも、走るスピードは落とさない。
敵は、すぐ目の前にまで迫る。
連中は壁をつくって固まり、全員が絶対に逃がすまいと剣を構えている。
このまま走れば自ら敵陣に突っ込む。それでも構わずに突き進む。
ついに相手の間合いに入りかけた、その瞬間。
風を切る音とともに、正面の「壁」が崩れ落ちた。
矢に当たったのだ。
敵方でどよめきの声が上がる。
(実際、ひとりじゃねーかんな)
フッと口角を上げる。
まさに計画通り。そして時間通り。
ノワンの援護射撃だ。
混乱に陥る敵兵。射撃元を狙おうにも、見晴らしのいい訓練場の真ん中からでは明らかに分が悪い。
射撃はそれだけでは終わらない。
次々と、たゆまぬ頻度で放たれる矢は、正確に立ちふさがる敵を射抜く。
ひとり、またひとりと、敵でふさがっていたティガルの視界が開けていく。
敵でできた壁の向こうには、白い砂塵に立つ、ゴールの青旗が見えた。
(今日ほどお前が仲間で良かったって思ったことはねえぜ、ノワン)
ちょっと偏見が強くて、陰謀論と不幸が大好物な、ダークで翳のある自分がカッコイイと思ってる、キザったらしい陰謀論者。ティガルのことを嫌ってるヤツだから、もっと悪くこき下ろしてもいいだろう。とにかく全力で嫌なヤツだと思いながら、この三年間過ごしてきた。
だからこそ、今まで気づけなかったのだ。
ノワンが勝手な偏見で蔑視していた、その「大嫌いな貴族」を、彼は今までの任務中、何度も救っているのだ。ティガルが人の命を平気で奪うような冷酷非道な貴族の末裔だと誤解しながらも、彼は任務には協力的だった。少なくとも、嫌いだからといって、邪魔をしたり蹴落としたりするようなことは、一切しなかった。
悪態をついたり呪いの言葉を言ったりしながらも、それでも任務中、ティガルに危険がおよべば躊躇なく助けた。たとえそのために無茶な動きをして、ボロボロに負傷したとしても。
ノワンに嫌われているという事実と、その愛想のない悪態ばかりに目が行って、大切なことを見落としていた。
彼がチームの協調性を乱していると、ずっとそう思っていた。
(バカだな、オレは)
ノワンは口は悪いが、いつだってチームのために行動し、チームのために貢献し、そしてチームのために負傷した。
三年間共に訓練を重ねて、今日ようやく気づく。
(チームの和を乱してたのは、お前じゃなかったってのに)
ノワンは、任務と「嫌い」という私情とを、これ以上ないほど明確に隔てられているのだ。たとえ護衛対象が嫌なヤツだったとしても、ノワンなら顔色ひとつ変えずに護りきれるのだろう。それは護衛官にあるべき素質だ。
今なら、心から信頼できる。
ノワンは、たとえメンバーが嫌いな貴族だろうと、自分が重傷を負おうと、絶対に仕事をおそろかにはしない。
たとえこの先で何があっても、彼なら確実に、最後まで援護してくれるだろう。
だからこそティガルは、この敵陣の死地を、迷いなく駆け抜けられる。
ゴールだけを目指して、走りつづけることができる。
信じているのだ。相棒スフィルの計画を。そして、ノワンの揺るがぬ行動力を。
(このまま突っ切るぜ、ノワン!)
矢がそれに呼応するように、ティガルの行く先にいる敵を狙い落とす。
これからティガルが通る道に、あたかも彼のために鄭重に用意されたような道ができる。道を堂々と駆けながら、湧き上がるのは快感だ。
ひたすらに走り、うしろから護衛対象がついてきていることを確認する。
訓練場の半分は越えた。
あと少し。走って数秒ほどの距離だ。
だがそこで、ティガルは目を疑った。
「なんだ、あれ」
不意に、正面にできた分厚い黒頭布の壁が、分断された。
同時に、ほかの敵たちが、一斉に攻撃をやめた。東訓練場は突如として静まり返った。
(えっ――?)
これでゴールまでの道が簡単に開けたが、素直によろこぶには、あまりにも不気味なタイミングだ。
よく見ると、正面から、ひとりの大柄な男が歩いてきていた。
男は頭部から首にかけて黒い頭布を巻いており、顔は見えない。だがその力強い大柄な体躯が、彼をただ者ではないと感じさせて、ティガルの背中をこわばらせた。
だが相手が誰であろうと、ここでスピードを落とすわけにはいかない。
ティガルはその速度をゆるめることなく細剣を構え、男に突進した。
「そこどけぇ! 控えい! 国王陛下のお通りだっ!」
男がおもむろに、二本の剣をかまえた。陸軍で使用される曲剣である。
(陸軍? まさかコイツ――)
嫌な予感が胸をかすめる。
だが躊躇している暇はない。最初の敵が矢で倒されて12秒以内に、ここを突破しなければならない。でなければ、ノワンが戦力を減らしてくれた意味がなくなる。
走りながら細剣を構え、相手を見据える。
まずは一太刀。
最大限の威嚇のために、顔面を狙って突き出す。
だが威嚇の効果はなかった。
相手はまったくひるまず、ティガルの剣が当たるわずか直前のタイミングで、首を横に――最小限の動きで、躱してみせた。
剣は彼の首をかすめることもなく、頭の上の頭布を絡め取った。
するりと剣に絡め取られた黒い頭布が、流れるように砂の地面に落ちる。
あらわになった敵の顔を見て、ティガルは瞠目したまま、動けなかった。
嫌な予感は的中した。
あらわれた頭皮は、日に照らされて光っていた。
立ちすくむティガルを見下ろし、彼は不敵に口角を上げた。
「よお問題児。久しぶりだな」
「げっ――グラムのハゲ野郎……っ!」
見下ろしていたのは、敵役の指揮官グラムだった。




