外伝59話:最後の審判 -elJakt-
'20.09/22 本当に若干の変更。
外伝59話:最後の審判 -elJakt-
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「えっ、スフィル君?! なんで?!」
手すりに身を乗り出しながら、そう声を発したのはマーシルだった。
地に伸びる敵指揮官を前に、勝ったとばかりに手を上げるの小柄な護衛官は、まごうことなくスフィルだった。
その掲げられた手には、教官の白い飾手拭が握られている。あの無敵の巨漢グラム教官に、警護課一の小柄な訓練生が勝利したのだ。
「何が起きたんだ?!」
「どういうこと?!」
あちこちで驚愕の声が上がる。
本館三階バルコニーは現在、騒然としていた。
それはそうだ。あれほど連続で予期せぬものを見せられたら、誰もが騒ぎたくなるものだろう。
護衛三班が見事な連携であのグラムを倒し、さらに死んだと思われていたスフィルが生きていて、彼と護衛対象の入れ替わりが発覚する。
もはや驚かないほうが無理がある。
三年間スフィルたちを見続けてきた主任教官ハーナムでさえ、訓練場を厳かに見下ろしながらも、あまりの驚きに言うべき言葉が見つからずに、未だ沈黙を保っているのだ。
「えっ、待って? なんでスフィル君が生きてんの? てかいつの間に入れ替わったんだよ。なら本物の護衛対象は今どこだ?」
湧いた疑問を次々と口にして、マーシルはとなりの元相棒を見上げた。
「なあ、カリエク様。どーせ種わかってんだろ。解説お願いしたいんだけど」
「気になるなら自分でスフィルに尋ねろ」
彼は相変わらず、元相棒に対してはそっけなく告げた。マーシルは彼に求めても無駄だと悟ったのか、「そういえば」と話題を切り変えた。
「あのティガル君、さっき蹴り技使ってたよな。どっかの『不可侵領域』を彷彿させたね、ありゃ。お前ら官家には、嫌いな人間は足で倒さなきゃいけない家訓でもあんの?」
「あれを蹴り技と言うな。ただ足を出せば『足技』として成立するわけじゃない。バランスが保てずに自分が倒れたら、服に砂がついて汚れるだろ」
「え、服の汚れの問題?」
「それ以外に何がある」
「いやホラ、『俺の正当なる蹴り技をマネするなんて許せないザマス』とか『よくやった。官家たるもの、汚い人間には足を使わねばな』とか、そういうティガル君に対するコメントねえの?」
「服の汚れを鑑みなければ、意表をつくいい動きだった。汚れ以外に問題などない」
そこまで言うと、彼は「さて」とつぶやきながら、自身の帯から銀の懐中時計を取り出した。差し込む夕日に照らされて、時計の鎖がきらきらと光っている。
「そろそろ行かねばな」
「もう行くのかよ」
くるりと踵を返したカリエクに、マーシルが呼び止めた。
「これでゲーム終了だからな。先ほど宣言した通り、ゲームは最後まで見届けた」
「ほかに言うことはねえの? てかオレは、今起こったことの解説が聞きたかったんだけどな。お前きっと、下で何が起こったかわかってんだよな?」
「少々想定外だった。まさかあのチームで、ここまでやれるとは。――未経験者として見くびっていたかもしれないな」
「あのー、だからその、解説をお願いしたいんですけど」
「確実に言えることは、ただひとつ。――スフィル・アクトツィアティクという男は、相当に頭が狂っている。それだけだ」
「えっ、評価ヒドくね?」
訓練場を横目で見やりながら、カリエクは元相棒に聞こえたかわからないほどの小声で、ぼそりと言葉をつけ加えた。
「今なんか言った?」
案の定マーシルには聞こえなかったらしいが、カリエクは気にも留めずに時計を拭いて帯にしまった。
だがハーナムには、はっきりと聞こえていた。彼はこう言ったのだ。
「ようやく見つけた。殿下をお護りするにふさわしい、『本物』を」
どうやら彼は、帰ったあと、スフィルについて、王子に肯定的な報告をすることになりそうだ。
この来訪が、この元教え子にとっても少しでも実りのあるものになったのなら、手紙をしたためた身としてそれ以上のことはない。
まさか王子が未経験の護衛官をお探しだとは知らなかったが、この結果は、スフィルにとっても願ったり叶ったりだろう。
ハーナムはカリエクの評を聞きながら、おごそかにうなずいた。
カリエクは教官に簡易なあいさつだけ済ますと、階段のほうへと歩いて行きかけ、ふと思い出したように立ち止まった。
「それと、マーシル」
元相棒にふり向くと、彼は鋭い声で言った。「まだ、動くなよ」
「ん、なんの話かな」
「この件は今日中に、『未だ青いうちに』対処する」
一瞬、ふたりのあいだでピンと緊張の糸が張り巡らされたような気がした。
だが次の瞬間には、夕暮れ時のバルコニーは、何事もなかったかのように穏やかな空気を取り戻していた。
颯爽と歩いていくカリエクの背中を見送りながら、マーシルがかつての恩師に尋ねた。
「教官はどう思われますか、この試験」
ハーナムは厳めしい相貌でその様子を見下ろしながら、先ほどからずっと考えていた。
彼らの勝ち方には未だに不可解なことが多いが、頭をめぐる論題はただひとつだ。
――入れ替わり。
おそらく、この試験では禁忌というのが、暗黙の了解だろう。
例年、この試験は中身が誰であろうと、「青いスカーフ」が護衛役で、「赤い長外套」が護衛対象だと決まっているのだ。
今回の敵は、警戒すべき相手として護衛官個人を特定して挑んでいたようが、それはきわめて例外的な話といえる。
スフィルがそれを、わからないはずがない。
禁忌を犯して任務成功したところで、試験官に認められない可能性は百も承知の上だろう。それでも彼は、この方法を採用したのだ。――ひとえに、護衛対象を護りぬくために。
狡猾でもいい。なりふり構ってなどいられない。いっそ試験として認められなくても、知ったことではない。注目すべきは、ただひとつ。
――何が何でも、護衛対象を護りきってみせる。
彼の作戦には、そんな強い意志を感じる。
そして護衛官として何よりも大切なのは、対象を護りきるための、その強い意志と覚悟なのだ。
スフィルがどんな種を使ったにしろ、ただひとつだけ、これだけは確実に言える。
ハーナムは、普段仏頂面の彼には珍しく、厳かに結んだ唇に弧を描いた。
「護衛三班。実戦護衛能力、全員『秀』だ」
その宣言を聞くなり、かつての教え子は、穏やかな笑みを浮かべてうなずいた。
グラムを討ち取ったあの瞬間にはまだ、スフィルたちの試験は終わっていなかった。ハーナムが彼らの評価を宣言したこの瞬間に、彼らの試験は本当の意味で終わりを告げたのだ。
「じゃあオレも、ちょっと野暮用あるんで、そろそろ行きますわ」
そう言うとマーシルは、手すりから体重を起こし、立てかけていた杖を手に取った。
「じゃあ教官、また会いましょう」
手を振ってあいさつするマーシルは、ほんの一瞬だけ、ハーナムに対して鋭い目を向けた。「――お気をつけて」
それだけ言うと、カツカツと杖の音を立てながら、先ほどカリエクが消えていった階段のほうへと、ゆっくりと歩いていった。
今の妙な視線は、おそらく気のせいではないだろう。
マーシルには似つかわしくないあの視線は、なにかを暗示していたのかもしれない。
だがそれがなにを意味するのか、その時のハーナムには見当もつかなかった。




