外伝60話:土壇場の修羅場 -elCrad elJahres-
外伝60話:土壇場の修羅場 -elCrad elJahres-
* * *
「殿下……っ!」
スフィルは慌てて走っていた。
時は少し前に遡り、エズレが倒される直前。
逃げるエズレを追いかけ、敵役の憲兵が、その剣を彼の背中に叩きつけた。
エズレがこちらに手を差し出しながら、そのまま下へと崩れ落ちる。
そのさまが、時が止まったかのようにゆっくりと再生される。
駆けだしたスフィルが飛び込んだのは、彼が倒れた、その直後だった。
敵兵の飾手拭めがけて頭から体当たりし、その勢いによって、敵はスフィルとともに盛大に尻餅をついた。
倒した敵の帯から、瞬時に飾手拭を抜き取る。
間一髪。危なかった。
なんとかエズレの飾手拭が取られる前に、敵の飾手拭を奪えた。
起き上がろうとする敵に、遅れて走ってきたダカが、さらに体当たりした。
二度までも倒された哀れな敵に、ダカが馬乗りになって叫んだ。
「クソ野郎テメエ、クソ殿下に何さらしてやがんだ!」
敵役の憲兵はジタバタともがいたが、状況を覆せるほどの腕力はなかったようだ。落とされた剣をふたたび握ろうと伸ばす腕は華奢で、黒い頭布からのぞかせる睫毛は長い。よく見れば女の目だとわかった。
「ダカ君、ストップです!」
スフィルはあわてて今にも殴りかからんとするダカを、敵役の憲兵から引き離した。その飾手拭を奪った今、これ以上暴力を振るっては失格になってしまう。それに試験とはいえ、男が馬乗りになって女の子を殴るのも、絵面としてあまりよろしくない。
だがそれにしてもと、スフィルはダカを見やった。
「『クソ殿下』ってダカ君、殿下にまで『クソ』つけてどうするんですか」
ふり返ったダカは、あふれんばかりの笑顔で答えた。
「スフィルは前言った、怒った時は、下品な言葉、話して良かった。今俺、猛烈に怒った、だから」
「だからって殿下にまで『クソ』つけなくても」
「ん?」
ダカは何がいけないのか、いまひとつ理解していない様子だった。
「やっぱりその口調は、永遠に封印したほうがいいかもしれませんね」
ダカはしょんぼりとうなだれると、コクンとうなずいた。
「わかった、俺その口調、封印した」
「……っ痛ててて」
となりでは、先ほど倒されたエズレが、自力で起き上がろうとしていた。
慌てて彼を支えれば、エズレは今度はそれをはねのけることはせず、素直に差し出された手を握った。それが彼に信頼されたようで、少しばかりうれしく思えた。
「エズレ君、怪我の具合は」
「ああ、問題ない」
先ほど走ったせいでまた傷口が開いてしまっただろうが、エズレは強がってそう言ってみせた。任務成功までは、絶対に弱音を吐かない心構えのようだ。
「頭、大丈夫ですか」
「はぁッ?! 馬鹿にすんなよ! 言っとくがおれは、座学の成績はいいんだぞ!」
エズレはそう言うが否や、ぺしりとスフィルの支えを撥ねのけてしまった。
「いえ、先ほどうしろから頭打たれてたでしょう」
「えっ?」
エズレは自分の頭に手をやり、首をかしげた。
「さあ……」
今度ばかりは、強がっているわけではなく、本当に心当たりがないようだった。
「気づかなくて当然よ。あたしの剣、当たってないんだから」
突然そう声をあげたのは、今しがた倒した敵役の少女だった。彼女は絨毯の日陰に胡坐をかいて座り、こちらに放恣な目を向けていた。
「どういうことですか」
「どうもこうも、その護衛対象、あたしが攻撃する直前に、勝手に倒れたんだもの。怪我してるんなら納得ね」
言いながら彼女は、気だるげに目もと以外すべてを覆っていた頭巾をはずし、ぱたぱたと手で仰いだ。
その顔を見て、スフィルは見開いた目を閉じられなかった。
「えっ――シオナさん?!」
大きな瞳に、長いまつ毛。少女らしく華奢な鼻。
敵役の目印であるはずの黒い頭巾からあらわれた顔は、シオナにそっくりだったのだ。
「オイお前!」
愕然とした叫び声にふり返れば、うしろにはティガルがいた。彼は先ほど数人の敵を相手にしていたが、彼の剣術を前にすれば、片づけるのは一瞬だったのだろう。
敵役の少女を見据えるティガルは、この世のものではない何かに対峙したかのように、ひどく顔をしかめていた。
「マジかよ、カルマじゃねーか!」
ティガルはシオナ――いや、彼女にそっくりな少女に対して、全然違う名前で呼んだ。
「知り合いなんですか」
「ああ、悪魔のようなやつだぜ」
「そう、悪魔のようなやつよ」
互いを指さす二人の声が、見事に重なった。
「えーと……?」
状況をつかめずにいるスフィルをよそに、カルマと呼ばれた少女は、キッとティガルを睨んだ。
「はぁ? あたしは大事な妹を変態男から守っただけでしょ? 文句を言われる筋合いはないんだけど!」
「妹ってまさか――」
スフィルは人身捜査課の少女と、ティガルのうしろで心配そうに胸の前で手を握るシオナとを、交互に見やった。片やどこか男らしい粗暴なしぐさで腰を下ろす短髪の少女。片や「お姫様」ともてはやされる可憐な美少女である。髪型と雰囲気はまったく異なるが、顔立ちは驚くほどに似通っている。
「もしかして――シオナさんの双子のお姉さんですか?」
「そうだけど。悪い?」
挑発的に言い放つ彼女は、明らかに双子の妹とは性格が違うらしい。それでも顔だけ見ればそっくりなので、彼女たちは一卵性双生児なのだろう。
「変態男ってなんだよ! オレはまじめにシオナに……」
「先輩だからってシオナを馴れ馴れしく呼び捨てしないで。どうせあんたみたいな貴族の道楽息子、女をオモチャとしか思ってないんでしょ。生まれたときから婚約者が決まってるくせして、まるで本気みたいにシオナをたぶらかすなんて、男としてありえない」
「ありえねえのはテメーだろ。人身捜査課の情報網で勝手に人の門地を調べ上げた挙句、そんな偏見でシオナにオレをフらせやがって! だから人身捜査課はクソなんだよ!」
「ちょっと待ってください。ティガルが私怨で嫌ってる人身捜査課って、お姉さんのカルマさんのことなんですか? てっきりシオナさんを、人身捜査課の男に取られたんだと思ってましたけど」
「オレは男とはひと言も言ってねえぞ」
そう言われてみれば、たしかにそうだ。
あの日、警護課の「お姫様」にフラれて傷心の相棒は、
「シオナを人身捜査課の悪魔に奪われた」
と言っていた。だが、まさかその「悪魔」が、彼女の双子の姉を指していたとは。
「最低男から妹を守るのは当然のつとめでしょ? 先輩としての権力を盾にシオナに言い寄るなんて、男としてサイテー!」
「カ、カルちゃん、その話はもう――」
姉をなだめようとするシオナを無視して、彼女はティガルに鋭い視線を向けた。
「とにかく、大事な妹を警護課なんてお上品野郎に渡すなんて、ありえないから!」
「はぁ?! テメーには関係ねーだろ!」
どうやら修羅場が始まってしまったようだった。
その場は険悪な雰囲気に包まれているが、それでも、この饒舌な敵役カルマの存在はありがたい。ともすれば、敵の情報を教えてくれそうだからだ。
「ティガルとなにがあったのか知りませんが、カルマさん、お姉さんのよしみで、今回の敵役について教えてもらえませんか」
「悪いけどあたしたち、本気であんたたちお上品野郎どもを全滅する気だから。人身捜査課の強さをナメないことね。迷路のなかの公安の強さと一緒だと思ったら大間違いよ」
「なるほど、前方で待ち構えているのは、ほとんどが人身捜査課なんですね。情報をどうも」
「スフィルにまんまと情報をくれてサンキューなぁ、カルマ」
ティガルが意地悪く笑い、カルマは不機嫌に顔を背けた。
「あの、警護課がそちらになにか悪いことでもしましたか。リグスラーム教官に個人的に恨まれてるティガルだけならわかるんですけど、なにも全滅させなくてもいいと思いませんか」
「ティガルが恨まれてる? まさかあんたたち、教官がそんな私情のために、あたしたちを駆り出してるとでも思ってるの?」
「実際グラムのハゲ野郎は、その私情のため以外の何物でもないらしいけどな」
「公安と一緒にしないでくれる。リグスラーム教官は、そんな小さいことでネチネチと他人を振り回すような人じゃないから」
「ケッ、どうだかな。あのクズ野郎のことだからな」
「シオナを遊び半分でたぶらかす貴族には言われたくないんだけど」
「はぁ? 真剣だったに決まってんだろ!」
睨みあうふたりの間で、また修羅場が始まってしまった。この場所にいる限り、この話題はどうあがいても回避できない宿命のようだ。
今すぐに立ち去ってあの敵陣に挑めばよいのだが、そうしないには理由がある。
この敵役にしては饒舌な彼女なら、人身捜査課の試験への参加理由を聞けるかもしれないのだ。出撃する前に、敵の情報を集めておくに越したことはない。
それに彼女には、それとは別に頼みたいこともある。
敵役の彼女が頼みを聞いてくれるかどうかは、わからない。正直、望みは薄いだろう。
だが、スフィルたちはここに来るまでに、突破はムリだと思われていた迷路を攻略し、そして絶対に協力はムリだと思われていたイェルマヒムを説得して、協力関係を築いている。
ここで敵役に協力を仰ぐことの「ムリ」も、ともすれば、実現できてしまうかもしれない。この班にできないことはないと、スフィルは今や確信するに至っていた。
(となると、その協力のカギを握るのは――)
背の高い官家の相棒を見上げる。
カルマと因縁があるらしいティガルに、すべてがかかっている。突破口を開けるとしたら、きっと因縁のある彼しかいないのだ。――残念ながら今のところ、まったくその予兆はないが。
スフィルがそんなことを頭の中で考えている間、こちらの修羅場は加速していた。
「つーか、家督を継がない次男に婚約者がいるわけねーし、オレが告ったのはお前じゃねーし。そもそも双子の姉とはいえ、部外者のお前には関係ねーだろ。中途半端な知識で人をこき下ろすようなゲス女にはな!」
「シオナに本気なんて嘘なんでしょ! 私は知ってんのよ! シオナに告白した次の日、他の女と抱き合ってたってことを!」
「はぁ? オレがそんなことするわけねーだろ!」
「証人だっているのよ! あんたがそうやって、誰これかまわず本気みたいに女をたぶらかしてるのを、見たって証人がね!」
「誰だよ、その証人ってのは! 絶対オレがモテるからって僻んだんだろ、そいつ!」
「んなわけないでしょ! 既婚者のリグスラーム教官が言ってたんだから!」
「待って、カルちゃん! それ言ったの、リグスラーム教官なの?!」
慌てて会話に入ってきたのはシオナだった。妹の勢いに押され、カルマはたじろぎながら肯定した。
「そうだけど……」
「うそよ!」
その瞬間、シオナが彼女には珍しいほどに強い語調で否定した。
「えっ?」
「あの教官の言うことなんて、全部うそっぱちなの!」
「どういうこと?」
「まさか、そういうことだったのかよ……!」
ティガルが合点がいったようにつぶやいた。シオナとティガルだけは、すべての事情を察したような顔をしている。
「どういうことか説明しなさいよ!」
苛立たしく言ったカルマに、ティガルと目を合わせていたシオナが、おもむろに口を開いた。
「あのね、カルちゃん。実はあたし、二か月くらい前から、リグスラーム教官に言い寄られて困ってたの」
「えっ、教官に?」
カルマは素っ頓狂な声をあげた。「前に、『権力を盾に言い寄られて困ってる』って言ってたのって――それってまさか、教官のことだったの?」
シオナはためらいがちに、こくんとうなずいた。
カルマは言葉を失っていた。
自分の課のよく知る教官が、まさか妹を苦しめていたなんて、今まで夢にも思わなかったのだろう。
やがて彼女は、苛立ちをにじませながら妹に詰問した。
「それならそうと、なんで言ってくれなかったの!」
「だって……そのことを言いふらしたら、カルちゃんの成績を下げるって言われて……」
カルマは唖然として目を見開いた。
リグスラームは人身捜査課の主任教官なので、課の訓練生の成績は、彼の一存でどうにでも変えられる。
その権力を盾に、彼女を脅したのだ。
「あたし、優秀なカルちゃんの足手まといになっちゃったら嫌だから、誰にも言えなくて、ずっとひとりで我慢してたの。だって、誰かに言ったりしたら、あたしのせいでカルちゃんの頑張りが、全部ムダになっちゃうんだもん……!」
「シオナ……」
人身捜査課に行けるくらいだから、きっとカルマは、優秀な憲兵なのだろう。そんな姉の邪魔をしないために、彼女はずっと、ひとりで耐えていたのだ。
「でも……そしたらね、ティガル先輩だけが、それに気づいてくれたの」
「ティガルが……?」
カルマが半ば信じられないような目で、ティガルを見上げた。
この相棒はときおり、妙なところで洞察力が鋭い。
残念ながら、普段はもっぱら教官の恨みを買うだけの鋭さとの定評だ。だが、それだけではなかったのだ。
彼の鋭さは、権力を笠に着た悪辣な嫌がらせから、たしかにひとりの後輩を救ったのだ。
「ティガル先輩は親身に相談に乗ってくれて、それでね、カルちゃんに迷惑が掛からない方法で、あたしを助けてくれたの」
「あんた、なにしたのよ」
「『憲兵として』ちょっとばかし事情聴取にうかがってやったんだよ。あのゲスモヤシの奥さんの家に、『旦那さんに、未婚の娘に関係を迫った容疑がかけられています。なにかご存知ありませんか』とか言ってな。まああのゲス野郎は、前にそれで裁判沙汰になってるからな、カンカンの奥さんが離婚弁護士を雇うのに時間はかからなかった。んでもって、離婚弁護士にクズ旦那の不倫調査をするよう仕向けてやったってワケだ。朝飯前だったぜ」
「そうなの! そのおかげであいつ、あたしに近づいてこれなくなったの! 弁護士にバレたら、奥さんに多額の慰謝料を請求されるから」
「なるほどですね! ティガル、なかなかやりますね」
「まーなっ」
さすがは相棒だと見上げれば、彼は機嫌よく口角を上げた。
「だからあたし、ティガル先輩に好きって言われたときは、すっごくうれしかったの。カルちゃんには『騙されてる』なんて言われたけど、とてもそんな人には思えなくて。――でもあたし、今確信したの。ティガル先輩は、本当に素敵なひとだって! 騙してたのは、教官のほうなんだよ!」
妹の話を聞きながら、カルマは睨むような双眸で、黙ってティガルを見上げていた。
しばらくそうしていたかと思うと、彼女は不意にぼそりと、消え入りそうなほどに小さな声で言った。
「わ、悪かったわね、誤解して」
彼女はきまり悪そうにつぶやいたあと、すぐにティガルを指さした。
「でも、勘違いしないでくれる。今のはあくまで、あたしがのうのうとあのクズ教官に騙されてたことだけだから! 教官がクズなのは認めるけど、でもあんたがクズなのは撤回するつもりないから!」
「えっ? いやいや、今の話にオレがクズな要素なくね?」
「あんたがシオナに好きって言った次の日に、ほかの女とイチャついてたって話。教官がクズなのと、その話は関係ないでしょ」
「違うよ、カルちゃん! きっと教官は、奥さんに離婚弁護士を雇われた腹いせで、ティガル先輩の悪口をカルちゃんに吹き込んだんだよ!」
「だって――そう考えるにはちょっと、無理があると思うよ」
「どうして?」
「教官の奥さんに言いふらしたのが、ここの訓練生の誰かである可能性が高いっていうのはわかるけど、それがティガルだなんて、どうしたら突きとめられるっていうのよ。訓練生は数百人いるのよ。つまり教官はクズだけど、アンタがクズだっていうのもまた事実なんじゃないの?」
さすがは人身捜査課だ。聞いた情報を、すぐに論理的に検証する能力に長けているようだった。
だが、入学して一年も経たない彼女には、知るよしもない事実があるのだ。
「あの、教官が真っ先にティガルを疑ったのは、当然だと思います」
スフィルが声をあげれば、
「何よ」
すかさずカルマが敵意剥きだしの視線を向けてきた。
「ティガルは二年ほど前にも、リグスラーム教官から女性を救ってるんです」
「その時は学校中に不倫のウワサを広めてやったかんな。おかげで彼女のご両親はカンカンで、多額の慰謝料を請求した上に、実刑まで求めてくるレベルでな。ったく、そんな目に遭わせてやったってのに、ホント凝りねーんだな、あのゲスモヤシ」
「だから今回も、ティガルがやったって目星をつけたんだと思います。シオナさんとティガルの仲が良さそうなのを見たから、おそらくティガルの仕業だと確信したんでしょう」
カルマはぱちぱちと目をしばたかせた。
「あんた、どんだけ教官の悪事に鋭いのよ」
「なんたってオレは、反逆の卒業生として伝説になる男だからな! まあ、それであのクソモヤシ野郎はオレに対するイヤガラセで、この最終試験でも落とさせようとしてるワケだが、そんなあくどい復讐に屈するようなオレたちじゃないんだぜ」
「待って。でも、それは違う」
突然カルマが、強い否定で返した。
「えっ、何が?」
「だって、あたしたちが本当に狙ってるヤツは、ティガルじゃないんだもの」
彼女が明かしたのは、考えたこともなかった事実だった。
「では、ティガル以外に誰を――?」
「あたしたち人身捜査課が狙うのは、ただひとり。――あの筋肉キャプテンよ」
「それってまさか、エルマ――イェルマヒム君のことですか」
「ほかに誰がいるの?」
どうやら人身捜査課でも、「筋肉キャプテン」と言えばイェルマヒムのことしかないらしい。
だがおかしい。妙だ。
警護課きっての優等生、イェルマヒム・イクウィサナク。
なぜここで、彼の名前が出てくる?




