外伝42話:二世護衛官の誓い -elSakt Jez'rek-
'20.09/17 若干の演出変更があります。
外伝42話:二世護衛官の誓い -elSakt Jez'rek-
* * *
「おい、大丈夫かエズレ」
「問題ないです」
ティガルの問いかけに、エズレはぶっきらぼうに答えていた。
エズレの様子が思いのほか深刻そうなので、スフィルは頭の隅に、降参することも考慮に入れ始めていた。エズレが倒れてしまったら、試験どころではない。
「でもエズレ君、あまり無理はしないでください。本当に大変なら、護衛対象役を放棄することも――」
「うるさいッ! 大丈夫だって言ってるだろ!」
突然エズレは、その場で声を荒らげた。
彼はうつむいて座りながら、地面に置いた手を砂を引っ掻くように握っていた。体力が限界を迎えつつあるのは明らかだが、そのことに対して誰よりも腹立たしく思っているようだった。
思い当たるフシはあった。おそらく、先ほどのイェルマヒムからの侮辱が、気にかかっているのだろう。
だが彼ら護衛対象には、成績がかかっている卒業生とは違い、無理をしてでも任務を遂行する理由はない。
「でもエズレ君、無理は禁物ですよ」
「おれはムリじゃない!」
反射的に声が帰ってきた。
だが肩で喘ぐような息づかいをしているので、説得力は皆無に等しい。
彼が反発するのはいつものことだが、それにしても頑なな態度だった。
そこまで苦しんでなお、試験を達成する理由はあるのだろうか。疑問に思いながら年上の後輩を見つめていると、ティガルががしりと、エズレの頭を掴んだ。
「いいかげん見栄張ってんじゃねえ。お前には護衛としてやっていけないほど体力が足りない。それは言い逃れできない事実だろ。だったら見栄も張らずに目もつぶらずに、まずは自分の現状を正確に受け入れろ。成長はそれからだろ。言っとくが現状把握能力も、護衛の必須スキルだぞ」
エズレはそこで初めて顔を上げ、ティガルをキッと睨みつけた。
「つまり、おれには才能がないから身の程を知れと! あんたも親父みたいに、おれには才能がないからムリって言うわけですか」
「はぁ? んなこと、ひと言も言ってねーだろ?」
「とにかく、おれは最後までやれる! 無理じゃねえです。――出発しましょう」
彼はうめき声をあげながら、ゆっくりと立ち上がった。
そのとき、赤い長外套の下に白い帯が見えて、スフィルはぎょっとした。
横腹の部分が、赤く滲んでいたのだ。
「エズレ君、まさか怪我してるんですか?!」
「べつに、なんでもない!」
「見せてください」
「だからなんでもないって……」
「エズレ君」
エズレはしぶしぶといった様子で、再び地面に腰を下ろし、血の赤く滲んだ白い帯をほどいた。
横腹が血で赤くなっており、ひと目でひどい怪我だとわかる。ただ、よく見れば、一度かさぶたになって治りかけていた形跡がある。今日負った怪我ではなく、一週間くらい前の傷が、今日動き回ったことで再び開いてしまったのだろう。
皮膚のえぐれた範囲は大きく、指ひとつ分くらいの太さである。少なくとも切り傷ではない。
スフィルは昔、この大きさの怪我を見たことがあることに気づいた。
「まさか――銃創ですか?」
銃弾に皮膚がえぐられた痕だった。
「大したことない。かすり傷だし」
「一般的に、銃弾がかすった痕を『かすり傷』とは言いません」
エズレは黙って横を向いた。否定しないということは、やはり銃創なのだろう。
「待っててください。今応急手当して、布を巻きなおしますね。ちょっと痛いと思いますけど、我慢してください」
スフィルは慌てて腰の鞄から予備の飾手拭を抜き取り、患部に強く押し当てた。
「エズレ君、手縄を貸してください」
憲兵は誰しも、逮捕用に赤い手縄を携帯している。
差し出された赤い手縄を使って、しっかりと腹の周りを圧迫する。その上からエズレの帯を再び巻き直せば、とりあえず応急処置は完了だ。
その間、エズレは黙って歯を食いしばり、奥歯を軋らせていた。
ここ数週間で、こんな怪我を負うような事件はひとつしかない。
「この間のギャングの抗争ですか」
エズレは黙ったまま、コクンとうなずいた。やはり、あの事件に巻き込まれたときの傷らしい。
今から一週間ほど前、地元のギャングの間で大規模な抗争が起きた。
地元のならず者集団の縄張り争いとはいえ、双方とも銃を装備していたので、一般人にも被害が出るほどの大規模な撃ち合いになったのだ。その時に要請を受けて、ここの憲兵学校の訓練兵が、応援に駆けつけたという。スフィルたち警護課の卒業生は、その日は長期忍耐力をはかる合宿試験中だったので、すべて後日聞いた話だ。
エズレは砂の地面をぼんやりと見つめながら、ぽつりぽつりと語りだした。
「抗争が激化した地域一帯に、住民には避難警告が出されてた。けどギャング共を包囲したとき、反対側の道に、腰の曲がったばあちゃんがいるのが見えた。たぶん、逃げおくれたんだろうな。今すぐに避難しろと叫んだが、あのばあちゃん耳も目も遠いみたいで、まったく聞こえた様子もなかった。近くで銃声が鳴っても、気づかずに買い物カゴなんか持って歩いてたんだ」
「おれはすぐに飛び出して、ばあちゃんを連れて避難しようとした。そしたらそのときになって初めて気づいたんだ。ちょうどその場所が、ギャング共の激戦区になってたってことに」
「銃持ってる連中を目の前にして、足がすくんじまった。戦おうなんて勇気は湧いてこなかった。おれはばあちゃんを連れて、みっともなく逃げ回るしかなかった」
「そしたらギャングのひとりに、狙いを定められた。住民は皆避難してるはずだから、動くものは全部敵だとでも思ったんだろうな。おれは慌てて、ばあちゃんに覆いかぶさるようにその場に伏せさせて――音が鳴ったと思えば、このザマだ」
エズレは自嘲気味に息をついた。
「ばあちゃんは何事もなかったかのように去っていった。それでおれはといえば、あの連中を逮捕するために行ったはずが、ひとりも捕まえることすらできずに――いや、ひとりも捕まえようと思うことすらできずに、この負傷だ。憲兵学校に入学して、もうじき一年。ほかの課の同期は皆卒業する時期だってのに、おれは何の成果も上げられないまま、仲間に運ばれて救護室送りってわけだ。――ったく、情けないよな」
エズレは自身の手をかざすと、そこにかすかな震えを認め、憎悪の目を向けた。
「おかげで今じゃ、血を見るだけで、あのときの情景をリアルに思い出しちまう。あのときの銃声が聞こえて、情けないってのはわかってんのに手が震えて、動悸が止まらなくて、息があがって、動けなくなっちまうんだ。――クソ、憲兵の風上にも置けない臆病者だよ、おれは」
スフィルは唖然として、エズレの話を聞いていた。
(それは、『臆病』なんかじゃない)
エズレが公安の「憲兵部の殺し屋」というあだ名を聞いてから、妙に怯えるようになったのは、彼が臆病な小心者だからではなかった。銃で撃たれた事件のショックが、癒えぬトラウマになってしまっていたのだ。
トラウマ。
元陸軍の叔父によればそれは、どんな屈強な軍人でも関係なく起こりうることらしい。そこにエズレの元の性格は関係ないというのに、彼は自分の性格上の汚点だと信じて、卑下しているのだ。
口角を上げて自虐的にに笑ったエズレに対して、スフィルはすぐさま否定の声をあげた。
「いいえ! 護衛官として、なによりも立派な行動だったと思います」
スフィルの言に目を見開いたエズレは、すぐにギッとその目を吊り上げた。
「ウソつけ! お前も怪我なんか負って情けないとか思ってんだろ!」
「思ってません。エズレ君は、罪なき一般人の命を護ったんですから」
「親父はそう言ったぞ! オレが怪我して数日後、合宿試験から帰ってきて早々に言いやがった。『護衛官として情けない』『護衛官失格だ』ってな!」
「そんな……」
なんと言ったらいいかわからなかった。
なにかの冗談だと思いたい。
本心から、彼の行為は称賛に値することだと思う。いくら厳格な人だとは言え、教官がそんなことを言うとは思えないのだ。
だがだからといって彼が嘘をついているようにはとても思えない。
スフィルは黙るしかなかった。
「おれが警護課に進んだときも、親父は散々反対してたし。おれにはムリだって最初から決めつけてたから、親父にしちゃ『ホラ見ろ、言わんこっちゃない』って感じだったんだろうな。それで無性に腹が立って、何が何でも、おれにもできることを証明しなきゃ気がすまなかった」
「怪我してるのに試験に参加したのは、そのためですか」
「親父には『傷病者の参加は迷惑だ』とか言われたけど、それでも証明したかったんだよ。おれはムリじゃないって。――まあ、それで今チームの足引っ張ってんだから、結局親父の言ったことは正しかったってことになるのかもしれないけどな」
だから彼は、今までずっとその怪我を隠してきたのだ。
孤独に腹の痛みと戦いながら、彼はひとりで父の言葉に立ち向かっていたのだ。彼は自分のプライドのために、これほどムキになっていたのではなかった。父親の「ムリ」という言葉と戦っていたのだ。
ぽろりと、気づけばスフィルの頬に、涙がつたっていた。
「お、おいスフィル?!」
実の父親に否定されることが、どれだけ悲しいかはよくわかる。それでもひとりで抗い続けることが、どれだけ孤独な戦いかも。
「エズレ君、教官の言葉なんかに負けちゃダメです!」
気づけばスフィルは、エズレの肩を掴んで、声を張っていた。
「ハーナム教官は、経験豊富な国で一番の護衛官です。でも、エズレ君にムリかどうか決める権利は彼にはありません。好きな時に『ムリ』って言える権利があるのは、エズレ君自身だけなんです。だからエズレ君が『ムリじゃない』って思ってるなら、たとえどんな状況でもムリじゃないんです!」
スフィルの剣幕にぎょっとしたエズレは、やがて顔をそらすと、ぶっきらぼうに言った。
「お前にはわかんねえよ、このポジティブチビ野郎。息をするように簡単に努力できる、親父のお気に入りのお前なんかにはな!」
――親父のお気に入り。
だからこそ、彼はあれほどスフィルに突っかかってきたのかもしれない。エズレが最初にスフィルに反発していた理由は、スフィルの年齢でも王室護衛官を目指していることでもなく、誰よりも認められたい相手に公然と認められている、その事実だったのだろう。
そんなの、スフィルが憎くて当然だ。
「おれには、お前らみたいなスゴい能力も才能もない。お前みたいに、『ゲーム』とか最強の領域をもってるわけじゃない。才能あふれるお前には、おれみたいな凡人の限界がわかんねえんだよ!」
「ゲームはべつに、『才能』って言うほどのものじゃないですよ。ただ子供の頃、やりこんだだけで」
「おれだって昔から、護衛の訓練積んでたっての! ゲームみたいな遊びでさえ、やりこんで簡単に強くなるなら、今のおれは何なんだよ!」
「『やりこんだ』っていうのは、睡眠と食事とお風呂の時間以外、ずっとやってるってことです。それを何年も、ずっと繰り返したってことです。ボクは昔、父親に家に監禁されてまして。部屋にあるゲーム以外に、やることがなかったんです」
エズレはぞっと目を見開いた。
「父は商人で、長子のボクが軍人になることに猛反対してたんです。護衛官の夢を諦めたら部屋から出してやるって言われたんですけど、諦められなかったので、12歳までずっと閉じ込められてました」
ずっと家にこもっていたおかげで、憲兵学校に入学した当初、体力と筋力がなくて大変だった。訓練の成績も底辺だった。
「でも、家に閉じ込められてたこと自体は、そんなにつらくはありませんでした。それよりも、何よりキツかったのは、父親に毎晩のように『お前にはムリ』って言い聞かされたことでした。――だからエズレ君、父親にムリって言われたときの悔しい気持ちは、痛いほどわかります」
「やっぱおれは、お前ほどの覚悟じゃないぞ、スフィル。おれなら部屋に閉じ込められたら、さすがに、どんな夢でも諦めるし」
「だって仕方ないじゃないですか。実の父親に毎晩ムリって言いきかされても、それでもどうしても、諦められなかったんですもん。でも、エズレ君だってそうじゃないんですか。だから教官の反対を押し切って警護課に来て、怪我を隠して無理して試験出たんでしょう!」
「まあ、そうと言えばそうだけど……」
エズレはためらいがちにつづけた。
「でも、おれがこの試験でお前の班の護衛対象役に立候補した理由は、お前が卒業する前に、なんでお前が評価されてんのか、お前が本当はどんなヤツなのか、それを知りたかったからだ。親父に評価されてるチビの先輩がどんなもんか、卒業する前に一度この目で見てやりたかったんだよ」
「だから怪我してるのに無理やり今回の試験に出たんですか。っていうか、怪我してるなら最初にそう言ってくださいよ!」
「言ったら止めてただろ」
「止めますよ、そりゃ! さすがに根性じゃ流血は止まらないですから」
「そーだぜ、エズレ。根性で流血止められんのは、エルマの野郎だけだぞ。脳筋になりたいのか?」
「えっ?」
「エルマ君と比べないでくださいよ。あの人は半分くらい人間じゃないですからね」
「――もう半分は?」
「筋肉に決まってんだろ」
「ええっ……?」
ティガルは笑いながら、「まあなんにせよ」とつづけた。
「お前は護衛対象らしく、自分の身体のことを一番に考えろ。参加を放棄するのも手だ」
「イヤだ」
即答したエズレは、まるで反抗期の子供のような口調だった。
スフィルは逡巡していた。
班長としては、ここでやめさせるべきなのかもしれない。エズレの訓練期間はまだ長い。ここで諦めたところで、実力を証明するチャンスはいくらでもあるのだ。
だが、エズレはそんなこと、とうにわかっているはずなのだ。頭でわかっていてなお、頑なに怪我を隠し通した。
これは理屈じゃない。理屈を抜きにした、心からの渇望なのだ。
「なら、仕方がありません。その怪我で任務成功して、お父さんを見返してやるしかないと思います」
「班長許可は下りたぜ。エズレ、覚悟はいいか」
急に手のひらを返したようにエズレの主張を認める先輩たちをぽかんと見上げながら、エズレは初めておかしげに笑った。
「あんたらといると、ほんと調子狂わされるな。ムリが当たり前みたいになってやがる」
「ふふっ、エズレ君。世の中にはこんな言葉があるんですよ。『現実世界に無理ゲーは存在しない』ってね!」
「お前が評価されてる理由、なんかわかってきた気がするわ。チビなのに腹立つくらい成績優秀な意識高い蛮族だけど、でもなんか厭味ったらしくないってか――マジで一生懸命なだけなんだな、お前」
エズレはそれだけ言うと、初めてスフィルに対して、照れたような笑みを浮かべた。「勝手に妬んで悪かったな、スフィル」
「えっ」
エズレが何よりも渇望する、実の父親からの評価をスフィルが得ているのだから、それは嫌われて当然だと、先ほどそう悟ったばかりだ。
なのにまさか、ここにきてその私怨を謝られるなんて。
半ば呆けた顔で護衛対象を見上げていたら、彼はまたいつもの斜に構えた顔をした。
「さすがは『狂気の世代』だな。なんつーか、あんたらがそう呼ばれてる理由が理解できたわ。アドバイスが常識はずれ過ぎる上に、狂ってやがる。あんたら以外、誰もおれに肯定的なこと言わないってのに」
気づけば、エズレは口元に笑みを浮かべていた。無理をしてでも、やり通す覚悟を決めた人間の目だった。
「おれは決めたぜ、スフィル。再来年の最終試験のあと、おれは絶対トップで卒業して、親父も文句言えない護衛官になってやる! それでそのあと、親父を超える伝説になってやる!」
「全力で応援します、エズレ君」
「約束するぜ。その前に、今日は全力で『ホムラ王子殿下』を務め抜いてやる。――皆の者、余のために良きにはからえ!」
エズレは立ち上がり、青い空の下にそびえたつ、白亜の憲兵学校本館に臨んだ。その3階バルコニーからは現在、ハーナム教官たちがこちらを見下ろしているに相違ない。
「ちなみにエズレ、今の王族は、そんな古臭い話し方なさらねーぞ?」
「んなっ?!」
狼狽を見せる後輩に笑いを噛みしめながら、スフィルはふたたび、迷路のなかへと歩きだす。
最後の護衛班として、絶対に任務成功してみせる。全員、その思いは同じだった。




