外伝43話:伝説の護衛官 -elCeksem elJc'amse-
'20.09/18 前半部分の演出および情報変更。
外伝43話:伝説の護衛官 -elCeksem elJc'amse-
* * *
「護衛対象の数が、増えてる……?」
迷路を駆けまわる護衛班を見下ろす人々のあいだに、どよめきが走った。
ここはナームファルカ王立憲兵学校、その本館三階バルコニーである。
現在、あたりは手すりに手をかけ野外訓練場を見下ろす、試験の見物人でにぎわっている。
朝から試験の様子を観ていれば、4班のうちの2班が早々に脱落し、生き残った2班も、なぜかルートを逆走して、こちらから死角となる野外訓練場の端へと引っ込んでしまったので、見物人の多くは、肝心の警護課の受験生が誰も見えない迷路をぼんやりと眺めながら、手持ち無沙汰になっていた。
ちょうどそんな時だった。
野外訓練場の端から、生き残った2班が、いきなりそれぞれ別のルートへと躍り出たのは。
ついに動き出したかと注目する見物人たちは、しかしすぐにその異変に気づいた。
護衛三班が、赤い長外套の護衛対象を、ふたりも連れていたのだ。
「どういうことだ? 一体何が起こっている?!」
「なぜ三班に、護衛対象がふたりも?!」
「しかもあの班は、敵に見つからないよう、うまいこと絨毯をくぐり抜けている。あの訓練生たちは、まさか敵の位置を把握しているのか?」
「しかしなぜ、残りの2班が示し合わせたように違う方向から……?」
口々に疑問を口にしたのは、採点する試験官ではない。その横で見物する、多くの来賓たちだ。有能な人材を探す近くの憲兵分署の所長、一人息子が現在受験中らしい富豪とその奥方など、この試験にはさまざまな来賓が訪れていた。
そんな観客たちの疑問が晴れたのは、少し三班より先んじて、一班が第四ステージへと差し掛かったときだった。
イェルマヒムの班が、あえて敵前に姿を晒したのだ。
応援を呼ぶ軍笛の音が高鳴り、黒い頭布の敵役たちが、わらわらと彼らのもとに集っていく。
「これはまさか――囮作戦?!」
この事態を引き起こした彼らの意図に気づいた観客たちは、息を呑んだ。
「まさか、生き残った2班で、敵を欺くために協力したっていうの?!」
「ってことはあの一班の護衛対象は、偽物……!」
観客たちは、そのあざやかなトリックに戦慄した。
彼らは少し前まで、生き残った2班はもう、敵の多さにすっかり及び腰になって、このまま安全で退屈な野外訓練場の端で、無為に時間を過ごす気ではないかとすら思っていたのだ。
今思い返せば、イェルマヒムたち一班は、討ち取った敵の飾手拭に加えて、脱落した味方の長外套までもを回収している姿が見受けられた。それはすべて、このときこの瞬間のためだったのだ。
彼ら一班が、早々に撤退した三班を追うように逆走したのもきっと、囮を引き受ける代わりに本物の護衛対象を護ってくれと、三班に提案するためだったに違いない。
「あの子が今年の主席候補ね。すばらしい機転と頭脳だわ」
「イェルマヒム・イクウィサナク。――イクウィサナク家といえば、憲兵の名門じゃないか」
「護衛対象のために、あの数の敵を前に囮役を買って出るなんて、まさに護衛官の鏡だな」
現在、圧倒的な戦力で多くの敵をなぎ倒すイェルマヒムの姿を見下ろしながら、観客は口々に彼を称賛した。
それゆえに、その一班がついに敵数に敵わず脱落した際には、観客たちのあいだからは、一斉に落胆の声が上がった。
「惜しかったな。あと少しで敵を突破できたんだが」
「多勢に無勢が過ぎましたね」
「だが、さすがは主席候補のイェルマヒム一等兵。あの武力と頭脳に加えて、護衛対象のために身を挺する勇気、そしてライバル班の力量への信頼。何を取っても一流じゃないか」
一同は、イェルマヒムの脱落を惜しみ、口々に彼を讃えていた。
イェルマヒムへの溢れんばかりの称賛の横で、主任教官ハーナムは、厳かに口を一文字に結んで、訓練場を見下ろしていた。沈黙して腕を組む様子は、老練の実力者の威風をにじませている。
彼の猛禽類のような鋭い視線はたしかに、このバルコニーにいる観覧者で唯一、事の真相を正確に捉えていた。
(いや、イェルマヒムじゃない。――この戦略は、スフィルだな)
イェルマヒムは優秀だが、訓練成績にこだわる傾向が誰よりも顕著であり、ライバル班のスフィルと協力することは、絶対にありえない。それは普段の彼をよく知るハーナムだからこそわかる事実だ。
頑固なイェルマヒムを説得し、ひとえに護衛対象のために、こんな班を股にかけた奇跡の連携作戦を可能にする訓練生を、ハーナムはひとりしか知らない。
スフィル・アクトツィアティク。
この囮作戦の真の功労者は、ほぼ間違いなく、あの最年少の少年である。
ハーナムは、ひとりの教え子がつくりだした、この奇跡を見られることへの爽快感を胸に、試験の様子を眺めていた。
「ハーナム教官。ご無沙汰してます」
不意に横から、彼を呼ぶ声が上がった。
そよ風に吹かれる屋根の下、白い柵に手をかけながらこちらに歩いてきたのは、警護課の卒業生の青年マーシルだった。
「おお、マーシルか。久しいな。調子はどうだ」
「オレは相変わらずっすよ」
彼はハーナムのとなりまで来ると、持っていたY字型の杖を手すりに置き、肘をもたげた。
「そうか。怪我で引退したと聞いたが、元気そうで何よりだ」
「そういう教官は、なんかヒゲ真っ白になりましたね。もう本格的にお年寄りモードっすか」
「やかましいわ。私は現役軍人だぞ」
瞬時に一喝したが、マーシルは気にもとめないとばかりに愉しげに目を細めて、下の北訓練場を眺めていた。
マーシルの卒業した世代は、警護課の黄金世代と呼ばれていた。彼自身、黄金時代の輝かしい実績の一翼を担い、その後王室護衛官となった経歴を持つ。
今日は興味本位で試験を覗きに来たらしいが、その懐かしさゆえか、彼の試験の様子を見つめる目は、傍観者というより、一緒になって楽しんでいるかように輝いていた。
「風のうわさで聞いたんですけど、なんか今年、王室護衛官を目指すスゴい訓練生がいるんですよね。それが今脱落した子ですか。なんかもったいないなあ。あの子、実力は相当ある感じなのに、こんな中盤で脱落しちまうなんて」
マーシルは名残惜しそうに、イェルマヒムが散った跡を見下ろした。
「いや、イェルマヒムは、王室護衛官ではなく新区州本署の警護課への配属を希望している」
「へぇ、それもなんかもったいないっすね。あれほど強ければ、きっと王都でも活躍できるのに。よりによって周辺の未開の地っすか」
新区州は、文字通りに近年独立したばかりの新しい州である。
王都カルタゴが栄え、その周辺に人口が集中するようになった結果、王都のすぐ南の近郊に中規模程度の都市がいくつもできたので、州として独立したという経緯をもつ。近年勢いをつけて発展しているとはいえ、王都に比べればその規模は小さく、まだまだ発達の余地のある地区である。
ハーナムは厳かにひとつ咳払いして、マーシルをたしなめた。
「失礼なことを言うな。来賓のなかには、新区州の憲兵署所長もいらしてるんだぞ」
「おっと、とんだ失言」
マーシルはちらりと後ろを見やりながら、手で口もとを押さえた。
「イェルマヒムは、その所長の子息なんだ」
「あー、なるほど。どうりで」
納得したように頷くと、マーシルはまたさらりと失礼なことを言った。「親族のコネって、あればあっただけいいってわけじゃないんですね。足枷になることもあるなんて」
「マーシル」
またもたしなめたハーナムに、かつての教え子は陽気に笑った。
「まあでも実際、あの場所はいいとこですよ。製造業を営む規模のデカい工場が立ち並んでて、ついでにあそこの野菜は安くて美味い。今は仕事柄、全国を飛び回ることが多いんですけど、あんなに価格と品ぞろえと品質が総合的に高いのは、新区州の市場だけっすね」
「詳しいんだな」
マーシルは怪我で王室護衛官を引退し、現在は軍の事務仕事をしているらしいが、いったい何の仕事をしているのかと訝しんでしまう。
というのも、ほとんどの見物人が正装かそれに準ずる服装なのに対して、彼だけはラフなシャツで、傍からはとても軍人には思えないような恰好なのだ。休暇中に遊びにきた学生のような雰囲気である。
唯一ただの学生と違うのは、その左足だけにはめられた無骨なブーツ型の義足と、彼の手元の手すりに立てかけられた、Y字型の木製の杖の存在だ。左足を被弾して護衛官をやめてからは、彼はずっと義足と杖で生活を送っている。
「まあオレ、実家が大衆食堂なんで。つい出張先で、食材の安さと品質をチェックしちまうんすよ。職業病ってやつですかね」
職業が軍人であるはずのこの教え子は、まるで料理人のようなことを言って笑った。
大きな屋根に遮られて日陰になったバルコニーは、灼熱の地上とは対照的に、ときおり吹き抜けるそよ風が快適だ。和やかな談笑に花を咲かせる来賓をちらりと一瞥したマーシルは、教官の耳元で声をひそめた。
「ところで教官、本当はこれ、教官が設定した試験じゃないですよね」
ハーナムは驚きとともに、意味ありげに笑う元教え子を見やった。
「よくわかったな」
「そりゃわかりますよ。だってこんな意味不明な難易度の試験、現役時代のオレらでも達成できるか怪しいっすもん。教官はバカみたいに難しい訓練はさせますけど、でもバカみたいな訓練はさせないでしょう。でも見た感じ、この試験は後者ですよね」
マーシルは、ハーナムの教育をひと通り受けてきただけあって、すぐにこれがハーナムのやり方でないことを察したようだった。
「今回の試験、なにがあったんですか、教官」
「ああ、実はな」
ハーナムは声を落とした。
「ほかの課の教官が、ぜひともこの試験に協力したいと言ってきてな、敵役を任せたんだ。毎回この時期は、会場の設定からほかの試験の準備まで忙しいから、こちらとしては願ったり叶ったりだったんだが」
ハーナムはそこまで言って、一度言葉を切った。そして厳かな太い眉をぴくりと動かし、苦々しく吐きだす。
「どう考えても過剰戦力だよな」
「オレもフツーにそう思いますね」
「実は、おかげで先ほど、アランキム教官に散々文句を言われた。受験者の約半数に対して、正確な護衛能力を把握することができなかったとな。完全に人任せにした私の落ち度なんだが――それにしてもグラムのやつ、いったいなに考えているんだか」
派遣公安課の主任教官の男の名前を口にすれば、マーシルが「なつかしー」とつぶやいた。
「グラムって、あの『公安の死神』グラム教官ですよね。まだ現役だったんすね」
グラムは容赦なく訓練生の成績を落としていくことから、訓練生のエリート生命を奪う者として、陰で「死神」などと呼ばれているらしい。どうやらマーシルの時代にも、その奇妙な二つ名は存在していたようだ。彼のいた時代から今まで変わらず、基礎訓練の時点で成績を落とされ、希望の課に入れなかったと嘆く者はこの学校に大勢いる。
「なーるほど。この容赦のなさも、グラム教官なら納得です」
ハーナムは重苦しいため息をついた。
「まあグラムだけだったら、まだマシだったんだがな……」
ぽつりとつぶやいた独り言が、かつての教え子に聞こえることはなかった。突然近くであがった怒鳴り声にかき消されたためだ。
「どういうことだ! この試験はどうなっている!」
怒号を発したのは、憲兵の制服を着た中年の男だった。




