外伝37話:交渉の逆襲 -alJz'ma Jelmahemka-
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外伝37話:交渉の逆襲 -alJz'ma Jelmahemka-
* * *
状況が、まったく読めない。
執拗な戦略を繰り出すグラム教官の魔の手から、高貴なる護衛対象をお護りする。この試験は、そういう戦いだったはずだ。
なのにそれがどう間違って、同じ護衛官であるイェルマヒムを脱落させるために戦わなければならないのだ。
「ここで、オレとキサマのどちらかの飾手拭が落とされるまで戦う。そうすればいずれが勝ったにせよ、一班はこの先で三班に協力してやることを約束しよう」
イェルマヒムの主張は、ひと言で言えばムチャクチャだった。
「待ってください! もしそんなことをしてエルマ君が脱落すれば、相当成績を落としますよ! それに仲間の護衛班に、エルマ君なしでゴールまで行けって言うんですか!」
「オレは心配していない。ここでキサマに負けるとは思っていないからだ」
「それはでしょうけど!」
イェルマヒムは現在、総合成績が警護課でトップだが、それだけではない。13課に分かれる前の基礎訓練でも、訓練兵約340人中、ぶっちぎりの1位だったのだ。しかも、格闘術に関しては文句なしの「秀」である。
そんな生粋のエリートたる筋肉青年に、スフィルが一対一で勝てるわけがない。
「そもそも、そんな提案、ボクが乗るわけないですよね?」
「オレがキサマに勝ったら、オレが責任を持って、キサマの班まで護ってやる。オレが護るか、キサマが護るか――キサマの護衛対象が生き残る確率が高いのは、果たしてどちらだろうな」
「イヤですよ! 大体これは、ボクの卒業試験でもあるんですよ! しかも憧れの《青獅子隊》が来てるのに、エルマ君に全部託せるわけないじゃないですか!」
「なら、この決闘でキサマが勝てばいい話だ。そうすればオレの護衛対象は、キサマが護ることになる。二人もの護衛対象を護るとなれば、試験官からの評価は高いだろうな」
「二人の護衛対象って……ムチャ言わないでくださいよ!」
護衛対象の人数が倍に増えるということは、単純に考えても、それにかかる労力も倍になるということだ。イェルマヒムなしで二人の護衛対象を護らなければならないとしたら、任務達成がますます遠くなる。
決闘で勝ったにせよ負けたにせよ、スフィルにとっては良いことなしだ。
頭は良いはずのイェルマヒムが、どうしてそんな、提案というより自分ひとりの願望にすぎない話をしてくるのかがわからない。
「なんだ。キサマから話を持ちかけたくせに、協力を拒むのか」
「ボクが拒んでるのは、協力ではなく決闘のほうですよ」
「まったく。この話、乗らない手はないと思うがな。せっかくオレが、キサマの班の、足手まとい極まりない護衛対象を護ってやると言っているんだぞ」
「なんだと……?」
今まで倉庫の影に腰を下ろしていたエズレが、立ち上がってイェルマヒムを見据えた。
仏頂面のまま彼を見下ろしながら、イェルマヒムは淡々と言った。
「キサマはエズレ・フェレルリークだろう。あの伝説の護衛官ハーナム教官のご子息だとか」
「それが何だってんだよ」
「見たところ、スフィルがわざわざこんな奥まで引き返した原因はキサマだな」
「な……っ!」
目を見開いたエズレがなにか言いかけたが、イェルマヒムは構わずつづけた。
「先ほどは三班を落ちこぼれ集団だと言ったが、あのバカ共は、たとえ落ちこぼれでも、卒業まで漕ぎつけた護衛官であるだけマシだ。だがエズレ・フェレルリーク、キサマは違う。役立たずどころか、班の足手まといだ」
いつものように、子犬が吠えたてるような威勢のいい反論は来なかった。
ふり返ったスフィルは絶句した。
エズレは黙ったままうつむいていたのだ。その唇は、ふるふると震えていた。
ただごとではない雰囲気だった。
スフィルは慌てて間に割って入った。
「ウチの班のことは、エルマ君には関係ないでしょう。それにエズレ君は護衛対象役なんですから、体力は関係ありません。エルマ君は本物の国王陛下や王子殿下にも、同じことを言うんですか!」
「まさか護衛対象役の後輩だから、体力がなくても許されるとでも思っているのか? ――恥を知れ」
イェルマヒムはスフィルの向こう側にいるエズレに対して言った。
「そんな軽い気持ちで護衛対象役に立候補したなら、二度とするな。本気で戦ってるオレたち受験者には、大迷惑だ」
「うるさいッ! 軽い気持ちとか、勝手に決めつけんじゃねえッ!」
ついにエズレが声を上げた。
だがそれに対して、イェルマヒムの待ってましたとばかりの猛攻撃がつづいた。
「違うとでも言うのか? 大した才能もないくせに、大した努力もしない。そんな平凡で愚かな男が、よく伝説の父親と同じ道を歩もうと思えるよな。親の威光を借りれば、実力がなくても護衛官になれるとでも思ってるのか」
「っざけんな!」
突然、エズレがイェルマヒムに殴りかかった。
「エズレ君!」
彼の攻撃がイェルマヒムに当たる直前、すんでのところで、スフィルが止めに間に入った。
危なかった。
彼がイェルマヒムに指一本でも触れていたら、倍返しでは済まなかった。下手にこの過剰戦力青年に攻撃などしようものなら、目には死を、歯にも死をだ。
「離せよチビ! あの筋肉野郎、ぶっ飛ばしてやる!」
スフィルに押さえられながら、エズレはギャンギャンと吠え立てた。
「悔しいのはわかります。でも、これはおそらくエルマ君の作戦です。挑発に乗って手を出したら、脱落させられますよ」
「作戦だと? フッ、こんな犬っコロ、わざわざオレが挑発する価値もない」
スフィルの言葉はうしろのイェルマヒムにも聞こえていたらしく、彼は心外だとばかりに首を振った。
「いいか、オレはただ、正々堂々とスフィルと勝負したいんだ。こんなザコのせいでスフィルが脱落したら、オレはまるで不戦勝になってしまう。そんなのはオレの勝ち方じゃない。――そうだろう、スフィル」
それが目的だったのか。
スフィルはようやく、先ほどからのイェルマヒムの言動に合点がいった。
スフィルとの決闘に持ち込み、接近戦に弱いスフィルを先に脱落させておく。そうすれば彼の主席の座は安泰というわけだ。
だからこそ先ほどから、口を開けば話が主席卒業のほうに流れ、スフィルがそれになびかないとわかると、今度はエズレを挑発し始めた。
護衛対象を侮辱して傷つければ、スフィルが怒りだすと、彼はわかっているのだ。
背後に立つイェルマヒムに対して、背筋が凍るように感じる。
――相手を怒らせ、その理性を奪う。
まさに今、イェルマヒムは、そのスフィルの技を用いて逆襲を仕掛けているのだ。
(まさか、お父さん直伝の交渉術を見破った上に、すぐに会得して反撃までしてくるなんて……!)
軽く目眩がするほどの強者だ。
イェルマヒムは、敵意を剥き出しにしたエズレに、わざわざ近づいてきた。
「まったく、最強護衛官の一族が聞いて呆れる。教官も、さぞかしがっかりされただろうな。長男がこれほどに才能のない出来損ない息子だとは」
突然、エズレがイェルマヒムの胸座に掴みかかった。
慌てて止めに入ろうとして、スフィルは言葉を失った。
エズレの歪んだ顔からは、音もなく涙が流れていたのだ。人格の奥深くまで、抉られ傷つけられた人間の顔だった。
「うるさいッ! お前に何がわかる!」
「少なくとも、キサマが猛烈にスフィルの足を引っ張っていることは理解できるが」
「黙れッ!」
「親の威光を借りているキサマに、そんな一丁前な口を叩く権利があるのか? 出来損ない息子のくせに」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れッ!」
エズレは周りのスフィルたちの存在を忘れているかのように、泣きながら取り乱していた。イェルマヒムの服を握りしめる拳は、傍からでもわかるほどに大きく震えていた。
なにが原因かはわかる。
ハーナム教官を引き合いに出したことが、これ以上にないほど彼を傷つけたのだ。
イェルマヒムはそれを知りながら、彼の反応をすべて計算した上で、さらに鋭利な刃物でトドメを刺したのだ。
――出来損ない息子、と。
いくら挑発のためでも、言って良いことと悪いことがある。
これ以上は、黙って見ていられない。
スフィルは今にも殴りかかりそうなエズレの拳の上に手を置き、静かにイェルマヒムを見上げた。
「エルマ君、やめてください。これ以上ボクの護衛対象を傷つけないでください」
これほどに人の傷を抉っておきながら、イェルマヒムは淡々としたものだった。
「断る。――と言ったら、どうする」
「愚問です。――ボクの主席卒業祝いの席で、あなたの頭蓋骨に葡萄酒を入れて、エズレ君と乾杯してやりますよ!」
「ようやく本気になったか、我がライバル。やってみるがいい。できるものならな!」
「スフィル……」
ふり向いたエズレの頬は赤く、涙で濡れていた。
イェルマヒムはただの挑発の手段のために、あんな悪口を言ったのかもしれない。
だが、ただの手段だとは、何の言い訳にもならない。それによってエズレは、本当に傷つけられたのだ。
それが何よりも許せない。護衛対象は――エズレは、道具じゃない。
剣の柄に手をかける。
だが。
――ダメだ。今ここで挑発に乗るな。
理性がそう警鐘を鳴らしている。
ここで剣を抜けば、勝てる確率はゼロ。
剣の柄を握る拳が震える。
さすがはイェルマヒム、尋問術のプロフェッショナルなだけある。どうやら彼は、スフィルの弱点を正確に見抜いているらしい。
だからこそ彼は、スフィルを挑発するために、スフィル自身ではなく、その護衛対象を攻撃の的としたのだ。
自分の悪口には耐えられても、護衛対象を傷つけられれば黙っていられない。そんなスフィルの性を、彼は熟知しているのだ。
スフィルが剣に手をかけ沈黙している様子をちらりと見て、イェルマヒムが肩をすくめた。
「残念だがキサマの護衛班長は、オレに負けるのが怖くて、護衛対象が傷つけられても声もあげられないらしい。――いや、それとも反論できないのは、オレが言ったことがすべて事実だからか」
「黙ってください」
すべて事実。――少なくとも、エズレがそう認識していることはわかる。
エズレはイェルマヒムの服が皺になるほど固く握りしめたまま、肩を震わせて嗚咽を漏らしていた。
イェルマヒムが彼の弱点を、すべて正確に射抜いたことは間違いない。
偉大な父親に比べて平凡で、護衛官として不相応。肥大化した劣等感を抱えている。
だからこそあれほど、生傷を抉られたように傷つき、悔しさに涙している。
とくにそれを、偉い憲兵の息子として期待通りに育った優等生であるイェルマヒムに言われたのが、よけいにその惨めさに拍車をかけたのだろう。
イェルマヒムはそれもすべて計算の上で、彼を馬鹿にしたのだ。
彼のことを思うと、決して、許せる行為ではない。
だが、ここでイェルマヒムの挑発に乗るわけにはいかない。
どうあがいてもスフィルには、剣技で彼に勝てるほどの実力はないのだ。
一度乗ってしまったら、すべておしまいだ。
剣の柄を握った拳が、わなわなと震えた。
「スフィル、下がってろ」
その時、突然うしろから、低く落ち着いた声が聞こえた。
間に割って入ったのは、ティガルだった。
「もういいだろエルマ。素直に協力する気がねーなら、とっとと試験官から見える場所へ消えろよ。いつまでもこんなとこに隠れてたら、お前のパパが悲しむぜ?」
「――なんだと」
途端にイェルマヒムが目を光らせた。
彼に対して親の話は、禁句中の禁句だ。言えば半殺しにされること間違いないので、先ほどの交渉の札としても使わなかったほどだ。
イェルマヒムは、エズレとは対象的に文句なしの優等生で、憲兵の親の期待通りに育っているはずだが、彼は親の話を、これでもかというほど嫌うのだ。先ほどエズレを挑発しようとしてすぐに親の話が出たのも、それを言われると腹が立つことを、自分がイヤというほど知っていたからなのだろう。
イェルマヒムのただならぬ殺気にもひるまず、ティガルはあざ笑うような顔でつづけた。
「お前さ、エズレのこと言えねーだろ。親の七光はオマエのほうだって話。親のコネで配属決定してるクセに、どの口が『親の威光』とか言うんだよ。笑っちまうぜ! しかもお前、新区州とかいう田舎部署のパパの元に帰るんだってな? いい年してパパと働くとか、オマエいくつだよ!」
ひとりでゲラゲラと笑うティガルの周りの空気が、一気に冷えきった。
先ほどまでイェルマヒムに殴りかかろうとしていたエズレでさえ、こわばった顔でティガルを凝視している。
そんな空気も意に介さず、ティガルは陽気な声をあげた。
「おもしろかったよなぁ、このあいだの13課対抗試合。観客席のど真ん中にお前のパパとママが陣取ってよ、旗なんかフリフリして、人目もはばからず『私たちの可愛いエルマちゃーん』って。どーせ今日もお前のパパとママ、応援に来てんだろ? 今から観覧席を見上げて手を振り返して、過保護なパパとママを安心させてやれよ、なあエルマちゃん」
ついにイェルマヒムがティガルの胸倉をつかみ、拳を振り上げた。それに対してティガルは少しも臆する様子もなく、愉しげに目を細めた。
「おっとぉ、なんだ、やる気かエルマちゃん。剣術の決闘なら望むところだぜ。力押し脳筋野郎のお前が、オレに剣で勝てるといいけどなあ」
すぐにセツナが割って入った。
「エル、ここでティガルと一戦交えるのは得策とはいえません。今すぐに引きましょう」
「俺がこんな貴族のボンボンに負けるとでも言いたいのか、セツナ」
「今までの訓練から考えると、ティガルの剣術相手に勝率は約25パーセント。避けたほうが無難です。それにあなたの主席卒業の脅威になりうるスフィルくんならともかく、ここでこんなボンボンを落としたところで、エルにはなんの価値にもなりません」
「だが、ここで引いては男が下がる」
「そうだぜエルマちゃん。ママを満足させるくらいの剣術を見せてみろよ」
イェルマヒムが瞬時に細剣を構えた。
「ダメです、エル! 安易な挑発に乗って主席卒業を逃す気ですか! それこそ、その坊ちゃんの思うつぼですよ」
しばらくティガルを睨んでいたイェルマヒムは、ひとつため息をつくと、細剣を腰の鞘に戻した。
「……フン。命拾いしたな、貴族野郎」
左手で掴んでいたティガルの短外套を離して捨てゼリフを吐いたのち、イェルマヒムはくるりと向きを変えた。
「行くぞ、お前たち」
彼の言葉に、倉庫の壁際で休んでいた国王役のシオナが立ち上がった。
「ウソ……ティガルって、あの筋肉先輩に勝てるほど剣強かったんですか」
唖然として見上げたエズレに、答えたのはノワンだった。
「こいつは天邪鬼だからな。剣筋もひねくれてて、動きを読むのが難しいってだけだ」
「なんだよノワン、素直に強いって言えよ」
イェルマヒムを諦めさせたティガルは、どうやらすこぶる機嫌がいいらしく、現在気まずい関係になっていたはずのノワンの肩に、自慢げに腕を乗せた。
ノワンは突然のスキンシップにぎょっとしたのち、顔をそむけて口疾につぶやいた。
「まあ……剣術に関しては、役に立たなくもないといったところか」
「だろだろー? オレの強さに皆ひれ伏しやがれってんだ」
上機嫌に笑うティガルを見やるセツナは、彼女には珍しく、苛立ちを顔ににじませていた。
「やれやれ、ほんとに残念。貴族さんのおかげで、決闘脱落計画はご破産ね」
それだけ言うと、セツナは彼女の護衛対象にふり返った。
「行くよ、シオちゃん」
「は、はいっ」
セツナの声に、国王役の後輩が急ぎ足でつづいた。
彼女は疲労困憊している様子だったが、健気にも、先輩たちの迷惑にならないよう必死に耐えているようだった。
イェルマヒムとセツナは、さっさとこの倉庫の裏を後にしようとしている。これからあの迷路の中を、敵をなぎ倒しながら進むつもりなのだろう。
「エルマ君」
スフィルは彼らの去りゆくうしろ姿に問いかけた。
「そんなにボクと勝負したいなら、乗ってやりますよ」
「スフィル、お前……!」
せっかくティガルが、決闘で脱落させられそうなところを守ってくれたのだ。
だが、このまま何の成果もなく、彼らを戻らせるわけにはいかない。
「ひとつだけ、方法があります。エルマ君とボクの、どちらが正しいかを証明する方法が。――エルマ君、ボクと勝負しませんか」




